疑惑の雨

 6月ももうすぐ終わり。

 今日は朝から雨。

 しかも、広告日でもない。

 そう、暇である。


 それから最近、稲葉にある疑惑が持ち上がってる。


はなちゃんって、もしかして雨男だったりする?」


 ちょっと高い声の糸田さんのひと言で、おわかりかと思う。


 『稲葉 花月かづきの雨男疑惑』


 まぁ梅雨時だし、おねぇサマ方も冗談としていっているに違いない。

 だが、意外と稲葉は気にしているようで真面目に否定する。


「よく言われますけど、偶然です。俺のシフト入っているときが、必ず雨ってわけじゃないですよね?」


「うーん、でも最近、花ちゃんが出勤の日って、雨が降ってない?」


「確かに、よく降ってますよね」


「黒崎さんまで!」


 悪いね、稲葉。わたしは長いものには巻かれる主義なんだ。

 マスクの下で笑いながら、わたしは凍ったレンコンの挟み揚げを天ぷらの衣液にの入ったボウルに入れてく。

 雨の日は、やっぱりお客さんは少ない。でも、いないわけじゃない。


 土日にいろいろ買いだめするお客さんもいるけど、スーパーマーケットを冷蔵庫代わりにしているお客さんも多いんだ。

 かくいうわたしも、である。


 まだ昼の3時で早いけど、そろそろ売れ残りそうな商品は稲葉に値引いてもらおう。

 多めに商品を並べて、早めに片付けるべし。


「俺、そろそろ値引いてきた方がいいですよね?」


「「いってらっしゃ~い」」


 お願いする前に、稲葉の方から値引きに行ってくれた。


 糸田さんは、早々と平台のバラ売り商品をパック詰めしている。

 寿司の担当の糸田さんには、きっと頭の痛いシーズンだろうな。昼からは、こうしてホットや弁当の仕事に入ってくれるけど。


「ねぇ、昨日、阿知波さんに寿司作りすぎとか言われたんだけどさぁ」


「いつものことじゃないですか」


「だよねぇ」


 あのぉ、稲葉がいなくなった途端、テンション下がってませんか?


 まぁ、女王サマの無茶振りはしつこいからね。しかたないよね。


 寿司だけじゃない。ホットにも弁当にも、わたしが発注を担当しているサラダも、社員からの販売計画がある。

 売れないとわかっている売り込み商品だってある。

 でも最低限やるべきことをやるのが、非正規雇のパート店員ではないのか。その上で、何か問題が起きたら社員に丸投げだけど、やることもしないでそれはないと、わたしは思うんだ。


 せめて文句があるなら、女王サマは社員に直接言うべきなんだ。ああだこうだゴネてしないのが、女王サマだけど。


 諦めのため息をついた糸田さんの素晴らしいところは、ころころ話題が変わるところだ。いい意味でも、悪い意味でも。

 今だって、ケロッとして値段をつけている。


「そう言えば、アンタ、花ちゃんとはどうなの? かなりいい感じだと思うけど」


 糸田さん、お前もか!



 売り場から稲葉が戻ってきたタイミングで、休憩って決めてた。


「じゃあ、休憩行ってきます」


「「いってらっしゃ~い」」


 それにしても、わたしもだけどどうしてあんなに見事に『いってらっしゃ~い』が揃うんだろう。不思議だ。


「お疲れさまです」


 ロッカーから本日のおやつ、うすしお味のポテチの袋をもって食堂に来ると、もういたよ。


 農産部門の森田さんが。


 違う。森田さんしかいない。


 油断したぁ。ロッカー室を出る前に、イヤホンするの忘れてた。


 しかも、すぐにこっちを振り返ったってことは、なにか言いたくて仕方ないんだよね。


「黒崎さんも、休憩?」


「はい」


 森田さんは、不機嫌を隠そうともしない。


 あーあ、ポテチが不味くなるから、今日のおやつは無し。


 阿知波の女王サマよりもひと回りくらい若いだけのオバハン、森田さん。

 寸胴、まさに寸胴鍋のような体格の森田さんの座右の銘は、『お客さまは敵です!』だと思う。

 常に、すべてのお客さんを万引き犯だと言わんばかりににらみつけている。

 愛想笑いなんて、森田さんの辞書には載ってないんだろうな。


 で、離れた席に座ったのにも関わらず、大きな声で愚痴話が始まった。


 まずは、阿知波の女王サマの態度が気に入らない。

 部門が違うから関わることもないはずなのに、阿知波の女王サマの愚痴話が始まる。

 それこそ、相槌だって打ちたくないくらい。


 とりあえず、森田さんは女王サマが嫌いだということは知ってる。


 なんか、すごくどうでもいいことで『アタシ、あの人嫌い』ってことがあったらしい。

 何度も同じ話をしてくれたけど、覚えていない。覚えていたくもない。

 それから、森田さんは女王サマに会釈すらしない。理由はもちろん、嫌いだから。


 一度嫌いになったら、何があってもいつまでたっても嫌い。


 わたしだったら、会釈すらしないレベルで嫌い続けるのは、かえってストレスで胃に穴が開きそう。いや、必ず開く。


「アタシがバイト君たちを手伝ってあげているのに、あの人は知らん顔。信じられんわぁ」


 うん。

 わたしも稲葉も、お願いされない限り他の部門の仕事を手伝わんぞ。


 つまり、森田さんは女王サマが何をしても気に入らないんだ。


 いっそのこと、わたしのことも嫌いになってくれればいいのに。


 そう思いながら、聞いているふりをしながら、水分補給。水がまずい。


 今日の森田さんは、いつもよりも愚痴ってる。

 スマホの通知を確認するフリをして、ずっといじってるのに、まだ愚痴ってる。


 アプリで生放送してやりたいって思ったりもしたけど、こんな不愉快な生放送、需要があるわけがない。


 結局、わたしの休憩時間が終わる5分前、森田さんがいなくなるまで無駄に声の大きい愚痴は続いた。



「じゃあ、お先に失礼します」


「お疲れ様です」


 朝からの雨がまるで止む気配がない。

 わかっていたけど、店内も静かだ。


 できれば、早く帰れるなら帰りたいって、あらかじめ稲葉にお願いされていたから、一区切りついた8時前に帰っていった。


 稲葉もここで働くようになって2ヶ月半。そろそろ、1人で遅番やってもらってもいいかも。わたしが、そのくらいで独り立ちしたわけだし。

 それから、わたしが先に帰ってもいいかも。


「よし、全部半額にしますか」


 商品はそんなに残ってないし、廃棄だって苦になる量じゃない。

 ただ、お客さんがほとんどいない。


「いらっしゃいませ」


 後でじっくり来週の発注を見直す時間も確保できるし。


 10分もかからなかった。

 売り場の方は、明日の用意もできている。


 パソコンの散々な数字の売上速報画面を閉じて、発注画面を開く。


 悪天候が続くと、サラダが売れない。ロスが増える。

 どこかで、数を調節しないといけない。

 女王サマはすぐに目くじら立てるけど、調節しても天気にはかなわないんだ。


 ちまちまと下方修正して、パソコンの電源を落として、売り場を見るとお客さんが増えている。


 え、マジか。


「いらっしゃいませ!」


 あわてて売り場に出るけど、案の定残っている商品はほとんどゼロ。

 残っているのは、半額にしても売れ残る工場生産の煮物が5パックくらい。


 久しぶりに、やらかしたぁ。

 まだ、閉店まで30分以上あるのに。


「なにもないじゃんか」


 すみません。

 中年男性のよく見かけるお客さんに、心のなかで謝る。


 このお客さんだけじゃない。

 ほかのお客さんだって、聞こえよがしに言ってくるに決まってる。


 調理場に戻ろう。


「ヒトミン、なにもないねー」


「内田さん、こんなはずじゃなかったんですけどね」


 閉店前の買い物に来た内田さんに、苦笑いするしかない。


「雨上がっちゃったもんね」


「へ?」


 内田さん、どういうこと!


「休憩時間の時も、明日の朝まで降る予報だったんだけどね。なんか、8時くらいに急に晴れてきちゃったみたい」


 じゃ、閉店までお互い頑張ろうと、笑いながら内田さんは行ってしまった。


 8時。

 稲葉が帰っていった時間だ。


 やっぱり、稲葉は雨男だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る