そもそも、エイプリルフールは午前中限定でした

 朝から出勤してるおねぇサマたちは、わたしが休憩に入った午後4時までの契約だ。


 今日は平日で広告も出してないし、競合店が売り出してるから、お客さんは少ない日だ。


 でも、新人の稲葉にアレコレ教えながらだったから、いろいろと作業がずれこんできてしまったんだ。


 木村さんは先に帰ってしまったけど、もう1人のおねぇサマが残ってくれてる。


 休憩からの戻りのタイムカード押すだけで、ため息が出る。



「戻りました」


 空元気じゃないけど、あえて大きな声を出せば、少しだけ今日も乗り切れそうな気がする。

 そうやって、毎日乗り切ってきた。


「おかえりー」


 ホットの調理場には、岡野さんしかいなかった。


 稲葉は売り場にパック詰めした商品を並べているようだ。


「稲葉くん、なんとかつとまるといいんだけどねぇ」


「そればっかりは……」


 手を洗いながら適当に返事をすると、だよねと笑いながら岡野さんはフライヤーの電源を切って回っていた。


 わたしも4年前に面接の時に言われたんだけど、なかなかスーパーの惣菜部門は、長続きしないらしい。最初の1ヶ月以内でやめていく人も多いそうだ。

 うん。ギリギリで回してるんだから、務まってくれないと困る。


 去年還暦迎えた岡野さんがおしゃべり好きなのは、この店の従業員なら知らない人はいない。本人も自分でおしゃべりだと言ってるしね。

 でも、わたしは岡野さんのこと嫌いじゃない。

 ハッキリした物言いと、引きずらない後腐れのない性格は、わたしはとてもうらやましいくて見習いたいところだ。


「黒崎さん、アタシはもう帰るけど、あと大丈夫?」


「はい」


 というか、なんとかするしかないじゃない。

 稲葉もちょうど売り場から戻ってきた。


「じゃあ、稲葉くん、アタシは帰るから。後は、黒崎さんと仲良くやってね」


「わかりました」


 じゃあねと、岡野さんはいなくなる。


 と、同時にため息が聞こえてきたんですけど。


「なに?」


「なにも」


「そう」


 盛大なため息をついたのは、もちろん稲葉だ。

 短いやり取りの後に、気まずい沈黙。


 わたしが嫌なのかとも考えたけど、そんな感じではなさそう。

 なんというか、わたしがもっとよく知ってるアレのような気がする。

 そう、アレ。

 おねぇサマから解放された、安堵のため息。


 うん。だったらいいな。


 とりあえず、なにか仕事してもらわないと。


「トレイ、洗ってもらおうかな」


「これ、ですか?」


 さすがに、いきなりフライヤーの後片づけをさせたくない。


 だから、商品を運ぶときに使っているプラトレイを洗ってもらうことにした。


 結構な枚数のあるトレイの洗い方を教えてから、わたしは売り場を確認してこなければ。


「いらっしゃいませ」


 どうやら、岡野さんは作れるだけ商品を補充していってくれたみたい。ありがたい。これなら、後は値引きでなんとか閉店までやっていけそう。

 稲葉には、片付けから教えていけばいいや。


 うん、そうしよう。


 午後5時を過ぎた今の時間帯は、暇な平日と言われてるけどお客さんはそれなりに来る。


 商品が充実しているうちに、わたしもフライヤーを片付けておかないと。


 それからのわたしは、かなり動き回ってたと思う。


 稲葉には手が空いたら片付けを教えていかなきゃいけないし、わたしはわたしで値引いたりしなきゃいけない。


 なんか、年末商戦か節分並みに疲れる。


 午後8時すぎて、やっと水分補給できた。500mlのペットボトルの水を一気飲み干す。忙しくないときは、ほとんど飲まないことも多いんだけど、今日は別。


「黒崎さん、すごいスッキリしたって顔してますよ」


 嫌味かと言いそうになったけど、顔に出てたらしい。

 明日の広告ポップを用意しながら、稲葉の目が笑ってる。


 そういえば必要なこと以外、わたしも稲葉も話してないな。

 かといって、話すことも見つからない。


 気まずさも一緒に捨てられたら、なんてガラにもないこと考えながらペットボトルを捨てる。


「しっかし、黒崎さんまでうるさい人じゃなくてよかった」


「は?」


 ちょっと待て、稲葉、お前も今、かなりスッキリした言い方だったよな。


 さっきまでの丁寧な態度、どこ行ったんだよ。


「さすがに1日中、オバサンの話に合わせてたら、疲れるからね。黒崎さんだけでも、静かで助かる」


「話し合わせてたって……」


 やっぱり。

 あの時のため息は、おねぇサマたちからの開放感だったのか。


 わかる。

 30歳独身のわたしと、全員既婚者のおねぇさま方では、価値観とまでは言わなけど、何かしら話題とかずれている。


 同じ女のわたしでもそうなんだから、男の稲葉はもっとずれていたかも。


「でも、ずいぶん上手く可愛がられてたじゃない」


「昔から、オバサンたちに可愛がられてきたからね。今日も、休憩時間にお菓子貰ったし」


「よかったじゃん」


 おねぇさま方と話し合わせて疲れたなら、わたしと無理して話さなくてもいいのに。

 よくわからない奴。


「ゴミ捨てに行くから、ついてきて」


 それからまた約1時間、退勤のタイムカード押すまで、わたしと稲葉は必要なこと以外はなさなかった。


 もしかしたら、それはそれで居心地が悪かったのかもしれないと気がついたのは、更衣室で着替えてるときのことだった。


 少しくらいは、何か話したほうがよかったかもしれない。

 今さらだけど。


 ついでに、言い忘れていたことにも気がついた。


 急いで荷物をまとめて更衣室を出ると、ギリギリ稲葉も同じタイミングで出てきた。

 やっぱり、イケメンだった。マスクを外しても、顎が特徴的でもなく、普通に爽やかなイケメンだった。

 ただ、残念なことに、稲葉はファッションにあまり力を入れるタイプではなかったようだ。

 おそらくフリースの黒いパーカーは、きっと2、3年前から着古してる。

 ちょっとダボついたデニムパンツも、生地が安っぽい。


 なんて、ファッションチェックしてしまったが、わたしも人のこと言えないんだよな。


「お疲れさまです。黒崎さん」


「お疲れさま。1つだけ言い忘れてたんだけど」


「なんですか?」


 稲葉がまだ会ってもいない人のことを悪くは言いたくないけど、しかたない。これは、わたしが困ることなんだから。

 カバンを肩にかけなおして、慎重に言葉を選ばなくては。


「わたし、明日、休みだから、4時からのパートの阿知波あちわさんが来るんだけど……。いい? 今日と違うやり方を教えてもらっても、逆らわないでよ」


 怪訝そうな顔をする稲葉には、まだわかってもらわなくていい。


「間違っても、わたしからはこう教えてもらっとか、口答えしないで」


「はぁ」


 マニュアルがある職場じゃないから、やり方は人によって違う。

 わたしも自分のやりやすいようにやってるから、稲葉もそのうち自分のやりやすいようにやればいいと思う。


 ただ、阿知波の女王サマは違う。


 多分、稲葉もそのうちわかるはずだ。阿知波さんがどれだけ厄介な人か。


 女王さまと陰で呼ばれている理由わけも。


「よくわかりませんけど、わかりましたよ」


「ありがと。じゃあ、お疲れさま」


「お疲れさまです」


 ほんの少しだけ、後ろめたい。

 まだ会ったこともない人のことを、悪く言ってしまった後ろめたさから、わたしの足は疲れを忘れて早くなる。


 あぁ、ほんとに、わたし何してるんだろう。

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