死んでもいいわ

 昨日は何を考えてたんだ、わたしよ。


 魔が差したってことかな。


 せっかくのおやつが、美味しくない。

 今日は、サクサクのサラダせんべいなのに。

 美味しさ、サクサクさ、ともに4割減。


 休憩時間終了10分前のアラームが鳴る。


「うー」


 あゝ、無情だ。


「明日は休みだからね」


 今日は、稲葉は休みで女王サマと閉店まで頑張らなきゃいけないんだ。糸田さんはさっき帰っていったから、気合い入れないと乗り越えられない。


「戻りましたぁ……あれ?」


 女王サマがいない。

 壁の時計を見ると、夕方の5時すぎたばかり。仕事帰りの買い物客のために売り場の商品がが充実してるこの時間帯は、だいたい調理場で片付けをしてるはずなのに。

 とはいえ調理場にいないなら、売り場にいる。それだけのことだけど。


「ふぇ?」


 売り場、平台の近くで女王サマがお客さんと、笑いながらお喋り中。


 別にめずらしいことじゃない。他のおねぇサマたちだって、よく喋ってることがある。

 さすがに忙しい時とかに長時間喋ってられると、殺意に似た感情に心がどす黒く染まりそうになることもある。


 今回の女王サマのお喋り相手は、稲葉のお姉さんたちだった。

 確か、クールビューティなお姉さんさんが、長女の弥生さん。

 かっこいいお姉さんが、次女の皐月さん。

 大人可愛いお姉さんが、三女の睦月さん。


 いろいろ、疑問符で頭がいっぱいだ。


「いらっしゃいませぇ」


 自然と声掛けも、弱々しくなる。


 そもそも、今日も稲葉は休みじゃないか。


 女王サマと稲葉のお姉さんたちが楽しそうにお話してるのを邪魔しないように、平台には近づかないつもりだったんだけど。


「黒崎さん、ちょっと」


「はい」


 わたしにまで何か用事上がるのだろうか。

 そもそも、女王サマとお姉さんたちが仲良さそうってのも謎なんだけど。

 女王サマに呼ばれたらしかたない。


「この間は、邪魔して悪かったわ」


「は、はぁ」


 解決済みではなかったのか。――って、女王サマ、さり気なく調理場に戻らないでください。


 やっぱり、弥生さんは第一印象が強烈過ぎて、気圧されそうになる。


「またね、黒崎さん」


「は、はぁ」


 またねって、どういうことだよ。

 って、心の中でぼやいてる間に、お姉さんたちは、スパイシーフライドチキンを買い物かごに入れて背中を向けてた。

 前も思ったけど、マイペースすぎないか。


「弥生姉ぇ、バカヅキにディナーおごってもらわないとねぇ」


「そうそう、あのバカヅキったら……」


 睦月さんと皐月さんが、弥生さんにおねだりする。仲のいい姉妹なんだなぁ。



 商品が充実してる売り場を確認して、調理場に戻ってくると、女王サマはいつものようにプラトレイを洗ってた。


「阿知波さん、フライヤー1台残して、電源切りますね」


 返事はないけど駄目だったら言うから、問題ない。


「ねぇ黒崎さん」


「はい」


「バレンタイン、稲葉くんにチョコあげないの?」


「ふぇ?」


 まさか、まさか、弟のバレンタイン事情を知りたくてお姉さんたちが来たんじゃないよね。


 っていうか、そもそも女王サマとお知り合いだったんだよね。


 いや、『またね』ってやっぱりどういうことだよ。


 疑問が一気に増産されて、何を言えばいいのかわからなくなった。


「チョコあげないの?」


「阿知波さん、それじゃまるでわたしが、その、あの……」


 稲葉のことが好きみたいなんて、続けられない。

 完全に挙動不審になってるはずなのに、女王サマは注意してくれない。いつもなら、『しっかり仕事しなさい』とか、言ってくれるのに。


 わたしは、ただ稲葉と一緒にいると楽しいだけで、休みの日も一緒にいたいとか……。あれ? ちょっと待て、わたしよ。待って。待って!


 これって、恋ってやつじゃない?


 いや、稲葉に『わたしのこと、どう思ってるのか?』って気になってたのって、そういうことだったんだ。


「……阿知波さん、今日、帰れたら先に帰っていいですか?」


「いいわよ。なんだったら、フライヤー全部片付けてくれたら、帰っていいわよ」


 そんな意味深な目で笑わないでください。

 めっちゃ恥ずかしいんです。


 それっきり女王サマが追求してこたいところを見ると、わたしの動揺が全部筒抜けだったんだと思う。

 うん。昔っからわかりやすいもんね、わたし。


 女王サマには、勝てない。

 ウザいことのほうが多いけど、勝てない。


 こんなダメダメなわたしなんか、勝負にならない。



「お先に失礼します。お疲れ様です。」


「お疲れさま」


 フライヤーを全部片付けたって、まだ6時にもなってない。もちろん早く帰った分、今月分の給料は減るけどしかたない。


 とても、仕事できそうにないから。


「あ、阿知波さん、その……」


「ん?」


「なんでもないです。お疲れ様です」


 とても、稲葉がわたしのことどう思っているのか、知らないかとは訊けない。



 バレンタインデーかぁ。


 アラサーど真ん中でこのイベントはきついから、パスしたいなぁ。


 女王サマに先に自分の気持ちがバレてたことが、恥ずかしくてしかたない。


 冷たい風が従業員用駐車場を吹き抜けて、顔を上げる。

 満月に近い月が綺麗だ。


 『月が綺麗ですね』


 あれから、何回も月を見るたびに耳に蘇るあの台詞。


「死んでもいいわ」


 もう1度くらい、馬鹿みたいに自分に正直になりたい。

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