去年も同じ話をしましたよ

 梅雨入りして、もう1週間以上経つ。


 この頃、よく耳にするのが、『ちっとも雨が降らない』とか、『空梅雨じゃないか』って話。

 うん。毎年同じこと言ってる。

 だいたい、初めの方は雨はそこまで降らないんだよ。

 梅雨明けする頃になって、ようやくゲリラ豪雨とかいう夕立に悩まされるんだ。


 で、今日も――、


「朝は曇ってたのに昼から晴れてくるなんて、洗濯物を外に干しておけばよかった」


「ですねぇ」


 女王サマに適当に相槌を打ってる。

 話を合わせないと、機嫌が悪くなる。それが、阿知波の女王サマだ。


 今日も今日とて、女王サマはお片付けが大好きだ。


 今月の売出し商品の竜田揚げを揚げながら、ため息をこらえた。女王サマの耳はいいんだ。


 あんな風になりたくない。


 てか、なれないからいいや。


 わたしから話しかけないと、女王サマと2人きりの調理場は彼女の沈黙の圧力が襲ってくる。

 もう慣れた。

 初めは圧力に負けて『何かしましょうか?』って尋ねてたけど、そんなことしたら、女王サマは遠慮なんて一切せずに仕事を押し付けてくる。わたしの仕事がどんどん後回しになって、何度もひどい目にあった。というか、割に合わない。


 だからわたしは険悪な空気になろうがなんだろうが、負けない。

 女王サマからは、ひと言も『お願い』なんてされてないんだから。


「いらっしゃいませ」


 売り場が逃げ場所だ。

 今日は平日だけど広告も出しているから、夕方6時過ぎてもお客さんはいる。

 そろそろ、追加で作るのはやめる時間ではあるけど。


「いらっしゃいませ! ただ今、若鶏の竜田揚げが出来たてとなっております。ぜひ、ご利用ください!」


 売り込みの声が大きくなるのは、女王サマの圧力を忘れたいから。

 調理場で沈黙を通すなら、売り場で声を出さないと鬱憤がたまる。


 稲葉の言ってた『ため息をついて不幸を逃している』と同じようなものだ。

 それから、少し気分が楽になる。


 最近、女王サマと組むたびに思う。

 稲葉がいてくれると、ほんとに気が楽になる。

 女王サマがいなければ、稲葉と遠慮なく話せて楽しいし。帰っても、そんなに疲れてないし。


「出来たてですかぁ」


 声を出せば、よってきてくれるお客さんはちゃんといる。今日は、小柄なオバアちゃまだ。

 笑いジワの多いこのオバアちゃまに、わたしはちょっとキュンとくる。


「はい。出来たてです。今月から、美味しくリニューアルした竜田揚げですよ」


「まぁあ……」


 やっぱり、笑顔が癒やしだ。


「買ってみようかしらね」


「ありがとうございます!」


 ニコニコして買っていってくれたよ。

 なんか、いいことありそうだよ。

 強いて言えばこんな些細ささいな癒やしが、この仕事のやりがいかもしれない。


 ――たまにしかないけどね。


「いらっしゃいませ! ただ今、若鶏の竜田揚げが出来たてと…………」


 今日はいつもより、多く売り込みに声を出しておりまぁす!


 やっぱり調理場に戻ると、沈黙に支配される。


 慣れたし負けないけど、気分がいいわけがない。


 黙々と、フライヤーの片付けをしていく。


「また、店長がタバコ吸っているんだけど」


 だからどうした、とは言わない。

 女王サマのトリセツには、『女王サマの発言を、否定してはいけない』ときっと書いてあるはずだ。


「よく、吸ってますもんね」


「しょっちゅうじゃない!」


 窓を拭いてた女王サマの手が止まる。


 長くなるのかどうか少し様子見てたけど、どうやら女王サマはご満足したようです。


 別に、店長だけじゃない。

 惣菜部門だったら、木村さん、糸田さんだってヘビースモーカーだ。

 レジの喫煙率に比べたら、ずいぶんマシだけど。


 さっさとフライヤー片付けて、値引きしに売り場に逃げたい。


「すみませぇん」


 ん? 学生バイト君が、売り場から呼んでいる――と、思ったら、もう女王サマは動いていた。


 名前は思い出せないけど、よく動くメガネ君だ。

 フライヤーを片付けながら、横目で少しだけ様子をうかがう。


 『わかった。で、……』――嫌な予感しかしない。


 時計を見れば、もう6時40分過ぎてる。

 フライヤーもキレイに片付けたし、値引に行ってこよう。逃げよう。


 静かに、かつ素早く女王サマとバイト君のいるスイングドアとは別のスイングドアへ。そもそも、床が油で滑りやすいホットの調理場を走るなんてとんでもないけど。

 

「いらっしゃいませ」


 しまった。

 値引きの機械、女王サマたちのスイングドアサイドにあったんだった。

 『女王サマになんか仕事押しつけられる前に、売り場へ脱出大作戦』あえなく失敗。


 悔しいけど、何もしないで戻るわけにもいかない。

 売れて隙間だらけになった売り場を整理して、戻る。


「黒崎さん、とんかつの値段が間違ってたって。朝の人もしっかりしてよね」


「じゃあ明日、伝えておきますね」


 別に女王サマが伝えてくれてもいいんだけど、それは自分の仕事ではないらしい。


 まったく、どうしようもない。

 自分が値段つけ間違えたら、言い訳して終わりなのに。

 言いたいことは、本当にたくさんある。あるんだけど、言えば言うほど腹が立ってくるんだ。

 言わないまま、心のなかで発散する。あるいは後日、犬猿の仲の岡野さんに愚痴って発散する。

 女王サマに直接言って、否定されてわがままな自論を展開されるよりも、よっぽど精神衛生上マシだ。


 妖怪口だけ女が何かまだ言ってるけど、怒っているけど、右から左へ聞き流す。


 うん。値引きしたい。もうすぐ、7時じゃん。



「お疲れ様でしたぁ!」


 ロッカー室を女王サマよりも先に出て、本日最大級のため息をつく。


 悪いけど、明日はわたし休みだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る