6月
名前の由来は
春の行楽シーズンが終われば、土用の丑のうなぎの日まで、特に売り出すようなイベントはない。
かと言って、気分がいいわけでもない。
それが6月。
「で、黒崎さんは
「どうって……、うまく仕事してると思いますけど」
「そうじゃなくて」
なんだよ。
わたしと入れ違いに稲葉が休憩に行った途端、アジフライを揚げながら木村さんに言われた。
「休みの日とか、一緒に出かけたりしないのってことよ」
「ないです」
そういうことか。
そりゃそうだよね。独身の男女がいれば、そういう話にもなるよね。
木村さんが揚げたアジフライをパックに詰めながら、わたしの心に一足早い暗雲が垂れこめてきた。
「花ちゃん、イケメンだし、ここで楽しそうにしゃべってるじゃない」
「いやいや、ここで1日7時間も一緒にいて、仕事以外の時間で関わりたくないですよ」
『えぇー』って、言われてもさ。
『もったいない』って、言われてもさ。
困るんですけど。
「それに稲葉さん、結婚したくないって、前に言ってましたよ」
「知ってるけどさぁ。若いからアレかなぁ」
知ってるなら、言うなよ。
休みの日は、家でのんびりしていたいんだ。
わたしだって、休みだからって遊び回ってた20代じゃないんだ。
おねぇサマたちからしたら、わたしは若いに決まってるけど。
さっさと値付けして、売り場に一時避難だ。
「いらっしゃいませ」
夕方のお客さんが増え始める前の午後4時すぎ。
「すみませーん」
アジフライを並べ終わって、商品を整理しながら時間を稼いでいると、後ろからお客さんに声をかけられた。
後ろから声をかけるお客さんって、正直、嫌いだ。
値引きしていると駆け寄ってくるお客さんと同じくらい嫌いだ。
振り返ると、いかにも近くの独身寮に今年来たばかりの二十歳すぎの男がいた。
「油揚げってどこにあります? オバサン」
ピキッ。
えぇ、えぇ、あんたらからしたら、スーパーの女性従業員は、みんなオバサンでしょうよ。
「油揚げですね。こちらになります」
でも、一回りも違わないのにオバサン呼ばわりされたくないからね。
せめて心の中は正直でいないと、やってられない。
油揚げの売り場まで、案内してさっさと戻る。
そういえば、アジフライをのせてた台車が出しっぱなしだった。
「いらっしゃいませ! ただ今、アジフライが出来たてとなっております。ぜひご利用ください!」
さすが、木村さんだ。パートリーダーだ。ちゃんと、アジフライを追加して売り込んでいる。
あのくらいしっかりとした人になれたらいいなと思うけど、同じくらい無理だと思う。
稲葉は農産部門の森田さんと休憩時間がかぶりにくくなってからは、ため息の数が減った。その分、わたしのため息が増えたかもしれない。
「黒崎さん、なんか疲れてます?」
「疲れてます」
『若いんだから』から始まる話は、本当に疲れる。
木村さんも帰って、稲葉と2人きり。
あー、帰りたい。
でもまだ、5時半だ。
おねぇサマたちの話を気にしてたらやってられないけど、すぐに切り替えができるほど、わたしはできた人間じゃない。
できた人間だったら、パートタイマーなんてやってない。
でも水分補給したら、少しだけ楽になった。休憩から戻ってから水分補給してなかったや。
「稲葉さんは、自転車で出勤してるんだよね。梅雨入りしたら大変じゃない?」
「その時は、歩きですから大丈夫ですよ」
あ、そういえば、近くに越してきたって言ってたっけ。
何の気なしに、今日最後のポテトコロッケを揚げてもらっている稲葉に話を振ってみた。
もちろん、木村さんの話をひきずらないように、だ。
しかし、会話が続かない。
冷蔵庫にペットボトルをしまったわたしに、稲葉の方から『前から気になってたんですけど』ときた。
「黒崎さんって、女優さんの名前に似てますよね」
「残念ながら、わたしの名前の由来は違いますぅ」
花に月でカヅキの稲葉に、気にされてたとは意外だ。
プラトレイを流しに運びながら、後で稲葉の名前の由来も訊いてやろうと決めた。
「わたしの母は、結婚する前から、男の子には『達也』で、女の子『瞳』って決めてたの。だから、女優さんの芸名にたまたま似ちゃっただけ」
「へぇ……。じゃあ、黒崎さんはレオタード着て泥棒になるんですね」
「なぜ、わかった!」
フフフと不敵な笑い声を上げて、稲葉はコロッケを売り場に並べていった。
「いらっしゃいませ」
稲葉の声を聞きながら、本当にどうしてわかったのか、気になってしかたない。
今まで、女優さんが由来と指摘されたことは何度もある。でも、お母さんが『達也』と『瞳』って決めてたってだけで、スルーできたはずなのに。
悔しくて、プラトレイをいつもより雑に洗ってしまう。
「ってか、黒崎さん。他に何があるんですか? 死んだ弟の代わりに甲子園目指すか、女怪盗になるかでしょ」
「母が好きだったんだから、仕方ないじゃん」
戻ってきた稲葉は、コロッケ用のフライヤーの電源を切りながら得意げだ。
「で、稲葉さんこそ、
ああ、と稲葉は肩をすくめる。
「ああ、俺、上に姉貴が3人いて、4人目も女だろうって親父が決めつけたから、
やっぱり、稲葉には姉がいたんだ。やけに年上のおねぇサマたちに気に入られていると思ったら、そういうことだったのか。
「ちなみに、一番上の姉貴が黒崎さんの名前の人たちに詳しいんですよ」
「納得」
するしかないだろ。
さらにプラトレイを流しに突っ込もうと売り場の方を振り返ったら、ご年配の男の人と目があう。
「ちょっと、行ってくる」
フライヤーを1台残して片付けている稲葉にひと言断って、そのお客さんのところへ行く。
「いらっしゃいませ。何か御用でしょうか?」
「あのさぁ、寿司注文したいんだけど」
寿司はわたしの担当じゃないから、融通をきかせることは出来ない。
「いつの注文でしょうか?」
売り場の掲示物にも書いてあるけど、予約注文は3日前までにお願いしている。でも、読まない人もいる。だから、一番初めに訊いておくんだ。
商品の話をした後で、明日とか言われると、お断りするのも心苦しい。
このお客さんは、日にちも余裕があって、数も決まってないから、相談しに来ただけだった。
「3日前までにご注文していただければ、大丈夫です」
本当はもっと余裕を持って、寿司担当の糸田さんがいる昼間に来てほしい。さすがに、そこまでお願いできない。
「そうか。……ん、わかった。また来るわ」
ふぅ。
でも、きっと、あのお客さん、ウチじゃ注文してくれないだろな。
そういう顔してた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます