第7話 「申し訳ないブヒ」

「ところで、さっきの口ぶりだとあなたは元の世界に帰りたいの?」


 それまでオレと雨野のやり取りを黙って聞いていたヴェスタが口を開く。


「エイルって女にも言われたが、当たり前だろ。オレの居場所はここじゃない。おかしいだろ。よその世界からいきなり拉致みたいに連れてきて見ず知らずのやつと結婚しろだなんて。冗談じゃねえよ」


「ウフフフフフ」


 ヴェスタは口元を押さえて上品に笑いだす。


「何がおかしいんだ?」


「ああ、ごめんなさい。気を悪くしないでね。でも普通はね、そんなことを言い出す人はいないのよ」


 ヴェスタの言葉にオレは鼻白む。


「どうしてだよ。いきなり連れてこられたら大抵のやつは思う感想だと思うぞ」


「だって釣竿は元の世界に未練のない人間を選んで、その中から相手を見つけてくれるものなのよ。だからあなたみたいに帰りたがる人は長い歴史の上で多分初めて。珍しいこともあるのね」


 それからまたヴェスタはおかしそうに笑うのだった。


「……そんなん知るかよ」


 オレはなぜか決まり悪くなり、口を尖らせてそう言った。


「でも、エイルはちょっと可哀想ね。あの子が私たちの中で一番儀式を楽しみにしていたから……」

ヴェスタが憂いのある表情を見せて溜息を吐く。が、それから間髪入れずにニヤリと口元を上げ、


「けれど、ロキはチャンスって思うかもしれないわね」


 退屈さを紛らわせる絶好のオモチャを見つけたと言わんばかりにニンマリとした。


「…………」


 誰だよ、ロキって。


 背筋に寒いものが走る感覚に鳥肌を立てながらオレは視線を変態椅子野郎こと雨野に移す。


「なあ、雨野よ」


「何だい?」


「お前の姉貴、すげえ心配してたぞ。帰らなきゃとか思わないのかよ」


「ないよ」


 迷いなく答える。


「泣きそうになりながらチラシ配ってたぞ」


「知らないよ」


 切り捨てるように言葉を吐く。


「毎日駅前にいたんだぞ」


「知らないってば」


「あのなぁ、あんな美人な姉ちゃんに不安な思いをさせてお前は心が痛まないのか?」


 オレも段々ヒートアップしてきて口調が強くなる。雨野は――




「あの雌豚の話をするんじゃねぇええええええっ!!!!」




 雨野はいきなりブチ切れた。目を血走らせて、そりゃもう激烈に。


 どうやらオレは彼の触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。


 よその家庭事情に深入りしすぎてしまっただろうか。オレがじわじわと後悔を覚え始めていると。


「ちょっと椅子、うるさいわよ」


 興奮する雨野にヴェスタが窘める台詞を放った。いくらなんでも今の状態でそんなことを言っても聞き入れは――


「申し訳ないブヒ」


 …………聞き入れは。


「今日は犬の日でしょ」


「わんわん」


 ころりと表情が変わり、満悦しながら舌を出す。


 …………。


 付き合ってられない。激しくそう思った。


 オレは一気に冷めた頭と、どこか遠くを見つめたくなった心境を携えてふらふらと歩きだす。


「あら、行っちゃうの? 一緒にお茶でもどう? お菓子でも食べてゆっくりしていっていいのよ」


「遠慮しておく。この空間はオレが安らぐには少々難易度が高い」


 同席の誘いを受けたがオレは速やかに断った。なぜならついて行ける気がしないから。


「まだ来たばかりだものね。いろいろ見て回りたいわよね。ではまたの機会にしましょう」


 ヴェスタの見当違いな推察を訂正することもなく、そのまたの機会が訪れないことを切に願いながらオレは場を後にした。

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