第42話「カクマジゲン、貴様は――」

(駄目だ、避けきれん……!)


 そんな、こんなところで自分は……。こんな、中途半端なままで終わってしまうのか? 待ってくれ、まだ何も成し遂げてはいないんだ。


 せっかく全ての想いを断ち切って前へ踏み出そうとしていたところだったんだ。


 刹那的に全身を駆け巡った死への恐怖からロキは反射的に目を閉じる。



(………………?)



「割と間一髪だったな。まあ、間に合ったからよしとするか」



 ここにいるはずのない、少なくともさっきまではいなかったはずの男の声が耳に届く。ロキは死後の世界とはこんなにも境目を感じることなく行き来するものなのかとあっけなさを覚えた。


「……ここがあの世なのか?」


 目を開きながら呟くと真っ先に視界に入ってきたのはカクマジゲンの憎々しい顔だった。どうしてこの男の顔が……?


「せっかく助けたのに死人気分でいるんじゃねーよな」


「……ん? ……うわっ!」


 なんと、ロキはジゲンに赤子を抱えるように持ち上げられていた。そしてアンナからは安全圏となる程度に距離の開いた場所にいた。


 あの一瞬でロキを抱えながらジゲンはこんなにも間合いを取ったのか? いや、そもそもジゲンはどのようにして自分とアンナの間に割って入ってきた?


「くっ、降ろせ!」


 不可解さを上塗りする屈辱に耐え切れずロキはジタバタもがくが、ジゲンにしっかりと身体を掴まれていて拘束を解くことができない。


 細身の体格の割になんて馬鹿力だとロキはジゲンの腕力に驚いた。


「貴様、なぜここにいるのだ!」


 体裁の悪くなったロキはそれを誤魔化すように喚く。


「なぜって、お前が呼び出したんじゃねーか。決闘だって言ってさ」


「確かにそうだが……」


 ロキが訊ねたのはジゲンがまるでこの場に跳んできたかのように唐突に現れたことについてだったのだが。


 まあ、自分もあまり周囲が見れる状態ではなかったし、接近に気が付かなかっただけかもしれない。


 ロキはそう思い直して一人頭の中で自己解決した。


「ああ、エイルのやつが手紙の内容見てめったくそキレてたぞ。後で謝っとけよ」


 ジゲンはロキを地面に降ろしながら、さらりと述べるのだった。


「エイルに読ませたのか!? 男同士の決闘の約束を他の人間に晒すとは、男の風上にも置けん輩だなッ!」


 地面に足を下ろしたロキは目を白黒させながらジゲンの服の裾を掴んで彼を揺さぶり、なんということをしてくれたのだと責める。


 エイルに決闘をしようとしていたことがばれたのはまずい。非常にまずい。彼女は勝気な性格のくせに暴力的な争いを過剰に嫌うのだ。


 ……ものすごく叱られる! つい先刻死にかけたばかりというのに、ロキの頭の中は一転してそんなお気楽な焦燥に溢れるのだった。


「仕方ねーだろ。オレ、まだこっちの字が読めねーんだから」


「なっ……!」


 悪びれもしないジゲン。ロキは閉口する。


 客観的に見れば内容を伝えないまま渡したアキレスやジゲンの識字能力をリサーチしていなかったロキにも落ち度がないとも言えない。


 だが、今の取り乱したロキにはそこに考えが回るほど広い視野を持っていなかった。


「字が読めないだと!? これだけこちらにいてまだその体たらくなのか!」


「体たらく? サボってるみたいな言い方すんじゃねーよ」


「毎日ぬぼーっと過ごしているから進歩がないのだ、貴様は!」


「うるせえ! 勉強しないで字が読めるとかそんなオカルトに染まってたまるかよ!」


 ……やんややんやと、緊迫したクーデターの最中に似つかわしくない掛け合いを繰り広げる二人を呆然とした面持ちでアンナは眺めていた。





(どうなっている……確かにロキは私の前にいたはずだ……)


 そして剣を振り落としたはずだ。なのにその剣はアンナの手元から失われ、今は行方知れず。


 さらに瞬きをした瞬間、ロキは刃の届かない距離に移動していた。それまで気配を微塵も感じなかった男に抱き抱えられて。


 城に送った部下は何をやっている。訓練を積んだ王国騎士が王族の子息子女に巻かれたというのか? 普通ならばありえないことだ。


 だが、普通でないならありえないことはない、この世の理の外にある常識。この次元に存在するものに限らないとすれば……。


 そう、例えるなら超能力。瞬間移動、テレポートのようなものが使えるなら?



「カクマジゲン、貴様は――」



 アンナは目の前に現れた障害物イレギュラーをどう対処すべきか、思考を巡らせ始めた。



※※※

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