異世界に釣られたら婿殿にされた件について
遠野蜜柑
プロローグ
それは完全完璧ってほどのもんじゃーなかったかもしれない。
だけどオレにとっては割と十分、満足のしていけるもんだった。
他人のモノサシで計ったら『そいつは随分、不幸だねぇ』とか言われるかもしれんが。
そんなのは知らん。
世間的に見たらどの程度に恵まれていたか、どの程度に幸せだったのかはわからねーがオレの基準においてはまずまずだった。結構に申し分がなかった。
理不尽なことに憤りを覚えたこともあったが、質を求め出すとキリがねーからな。
生きていればいいことも悪いこともやってくるもんだし。
嫌なもんがちらちら見えていても割り切っていける、悪くないと思える日常がそこにはあった。
オレはそういう世界で生きていた。
「また怖い顔してる」
朝の通学路。隣を歩く幼馴染の衣通姫巫そとおり みこが頭二つ分ほど低い位置からオレを見上げるようにしてそう言った。
「……普通にしているつもりだけど」
額を前髪と一緒に抑えながらオレは唇を尖らせる。
「でもここ、皺になってるよ」
姫巫はオレの前に回り込み、まるで衣類の具合を指摘するような言い回しで自分の眉間に人差し指を当てながらくすりと笑った。
そんなに怖い顔をしていたかねぇ。
どちらかといえば今朝は割かし機嫌がよいほうだったのだが。
贔屓のプロ野球球団は昨晩バッチリ勝ったし、目覚まし時計も一発でしっかり目が覚めた。
「じーくんは油断するとデフォルトでおっかない顔になっちゃうんだから。いつも笑顔を心掛けていないと駄目なんだよ?」
「笑顔である必要はないだろ」
常にニヤニヤしているやつもそれはそれで気味悪いと思うが。
ただ姫巫の言う通り、オレはどうやら無意識にしていると他者を威嚇するような表情になってしまう傾向があるらしい。
というか、表情以前に顔のパーツそのものが攻撃的であるようなのだ。
剃っているわけでもないのに薄く細い眉に吊り上がった三白眼の瞳。
への字に曲がって固く結ばれた口元。さらに赤みがかった特徴的な髪の毛の色もその厳めしさに拍車をかけているとのこと。
昔から喧嘩を売られたと勘違いした不良連中に絡まれることも数多くあったし、まあ見てくれがどうこうというのは事実なんだろう。
そいつらを撃退しているうちに、なんたらデビル(名称うろ覚え)とかいう二つ名を頂戴していたのは正直参ったが。
「もう、そんなんだから悪魔とか言われるんだよ?」
「……うるせーよ」
そう、そんなんだからオレは近所でも有名な問題児で極悪人という認識を貼り付けられていた。
校内でも浮きまくりで話しかけてくるやつは姫巫以外皆無。
他の生徒は目が合うとなぜか謝罪の言葉を口にする。
睨んでねーよ。
文句も特にねーっつの。
だが舐められて喧嘩を売られるほうがよっぽど面倒なので誤解を解く努力さして行っていない。
大体噂を聞きかじった程度で人を腫物にするやつらなんぞ、こっちから願い下げだ。
「つーか男は中身だろ。オレは胸の奥にピュアでベリーカインドなハートマインドがあるからそれでいいんだよ」
「そうだよね。本当はじーくんすごく優しいもんね」
「は、はぁ?」
ツッコみ待ちで言った発言を肯定されてしまいオレは面食らってしまう。ちなみにじーくんというのはオレのことだ。本名は加隈ジゲン。
下の名前をもじったむず痒くなるような呼び名だが、姫巫のほんわかとした口調で言われるとやめろとは言い難く、ついつい黙認したまま高校二年生の現在まで至る。
「だってじーくん、わざわざ歩いてわたしに合わせてくれてるじゃん」
「それは別に……」
本当のところ、オレは徒歩でないほうが楽に通学することができる。だが姫巫と並んで登校するためにあえて時間のかかる手段で登校しているのだった。
「別に、なぁに?」
「別に、こうやって姫巫と一緒に話しながら学校行くの嫌いじゃねえし」
俯いて、微妙に頬を紅く染めながら無言で肩を叩いてくる姫巫。
「どうして叩くんだよ……」
姫巫の爺さんの贔屓球団が助っ人外国人の逆転サヨナラホームランによって勝利し、昨晩はご満悦だったこととか、そんな他愛もない衣通家の茶の間話を聞きながらオレたちは高校までの通学路を歩いていく。
オレは小さい頃、姫巫の爺さんが教える剣道場に通っていたこともあり、姫巫の爺さんのことはよく知っている。
たまに衣通家に晩飯を食べに行くこともあるのだが、その時には野球中継を見ながら絶対に相容れない互いの贔屓球団についての論争を繰り広げ、取っ組み合いをする程度には仲が良い。
……あれ、仲が良いのか?
まあそれはそれとして『わしの目が黒いうちは孫はやらんぞ!』とか言ってくる件についてはいずれ話し合わなければならないと思っている。
あの爺さんがくたばるの待っていたらいつになるかわからんからな。
当分はピンピンしてそうなジジイだ。素直に待ち呆けていたらこちらもジジイになってしまいかねない。
「そういえばB組の雨野君、まだ見つかってないんだって」
オレが近い将来のことについてそこそこ真面目に考察をしていると、姫巫が思い出したようにぽつりと言った。
B組の雨野とは一ケ月前から行方不明になっている同級生の男子のことである。
美人の姉を持ち、本人もサッカー部のエースストライカーでイケメンという、神に愛されたようなリア充野郎だ。
性格も柔和で気配りができるため男女問わず友人も多い。傍目で見ていても納得の人気者である。
「……あいつの姉貴、駅前でビラ配りしててさ。正直見てらんなかったよ」
雨野は人の輪の中心に座る男でオレとは対極に位置する人間だったが、オレは別にやつを嫌いではなかったし嫉妬をしてやっかんでもいなかった。
嫌うほど付き合いもなかったし、多分雨野はいいやつだからだ。自分にないものを持っているというだけで敵視するのは実に馬鹿らしい。
だから、こうやって人並みに心配もする。まあ、あくまで人並みにだけど。ニュースで見た事故事件についてふと抱く同情と同レベルのものだけど。
「ねえ、じーくんはどこにも行かないでね? いなくなったらやだよ?」
なぜか姫巫は切なげな声音でそう言い、うるうると濡れた瞳でオレを見つめてくる。
「は? 何言ってんだ?」
あれか? 小学生が火事になったらどうしようかと不安がるのと同じあれか? そうそう起こりえない心配する必要もない状況を過剰に意識して無性に怯えてしまうやつ。
「いかねえよ。オレはずっとここにいるっつーの」
そう答えるとオレは姫巫の頭にがしっと手を乗せ、よく手入れされたさらさらの黒髪をがしゃがしゃと掻き乱した。
「ちょ、やめっててばぁ~!」
姫巫は嗜虐心のそそられる反応をし、オレは満足げにそれを見て笑った。オレは三年前に両親が職場の事故で亡くなってからは天涯孤独の身だ。
だが、幸いにも両親が残してくれた遺産のおかげで成人するまでは何も心配することなく暮らしていけるだけの蓄えはある。
そして血の繋がりのある家族はいなくとも、姫巫や姫巫の爺さんがいる。
現状に特段、不満はない。従ってどこかへ行くつもりはない。
家族もいないし友人もいないが、ちゃんと自分を理解してくれる人がいて大事にしていきたい人たちとの日常がある。
こんな毎日がずっと送れたらいいと、ただそれだけを思っている。多くは持っていないけれど大切なものに囲まれたこの日々が続いてくれたらと。
オレが願っていたのはそんなささやかなこと。
それ以外は何も望まない。
欲深くもないしきっと分相応な、ありふれた小さな願い。
だが、天の神様は気まぐれで残酷で。
そんな取るに足らない願いでさえも何の前触れもなく容易く引き裂くのだ。
――それは唐突に訪れた。
襟首を背後から掴まれて引き上げられるような浮遊感とともに地面から足の裏がふわりと離れたのはほんの一瞬の間のこと。
引っ張り上げられているその感覚は永続し、あっという間に街の景色は遠ざかる。
やがて下界がジオラマのような小さく現実味のない箱庭のように映りだし、高度を実感させる寒気が身を襲う。
(何が起こってやがるんだ――ッ!?)
オレはもやもやとした上空の白い雲と並んで街並みを俯瞰できる高さにいた。
そしてオレは見えない引力によってなおも天高くに上昇していくのだった。
※※※※
「じーくん?」
自分の頭に手を乗せていた幼馴染の感触が忽然と消え、姫巫は顔を上げる。
辺りを見渡すが誰もいない道路に返す声はない。
「ねえ……約束は?」
衣通姫巫の声は虚しくアスファルトの地面に響いた。
※※※※
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