第31話……マジで気持ち悪いやつだな、こいつ。
「いや、それはないぜ」
オレはアンナがもたらした可能性の提示に即断で否定をした。あまりの速攻のレスポンスに彼女は目を丸くする。
「世界を壊してとか、そういう泥を吹っかけて跡を立つのはパスだ。こっちはこっちでオレは案外気に入ってるんだ。平和だし、オレに敵意を向けてくるやつもいない。むしろ向こうより居心地がいいくらいだよ」
そう、オレはこの数日間でこの世界のゆったりとした温い雰囲気を悪くないと思い始めていた。
うっかりこのままでもいいのではないかと思考停止してしまうほどに。
だが、それで落ち着いてはいけないから今もこうして焦燥感が平穏の裏側で渦巻いている。
「だったら、君はなぜ……」
もっともなことを訊いてこようとしたアンナの言葉をオレは先読みして制する。
「だけど、ここには一番大事なものがない」
「……大事なもの?」
「こっちの世界に泥をかけられないのと同じで、向こうにも蔑ろにしちゃいけないもんがある。そっちのはこの世界での安穏な日々を放り投げてでも何にも代えられない大前提で、覆しようもないオレの基盤なんだ」
姫巫の存在。そいつは爪先と踵の位置を入れ替えることができないくらい絶対的で揺るぎないものとしてオレの中にある。
いつまでも傍にいてくれと、そう言った幼馴染。衣通姫巫が向こうにいる。
だからオレの居場所はいつまで経ってもここに定まることはない。
あちらの世界自体に未練はなくとも、だ。
「そうか、君はそういう人間か……」
何かに納得したようにアンナは呟く。そんなに説得力のあることを彼女に話したつもりはないのだが。
真面目に語るのは少々気恥ずかしく、かなり掻い摘んだ抽象的な情報しか出していなかったのに。
何をわかったのだ? 曲解されていなければよいが。
「私はこのまま隊舎に戻る。君も大人しく上階に帰るのだ」
階段を上り、二階層の踊り場に到達するとアンナは上階層を指差してオレに釘を刺すようそう言った。
「もし退屈なら書庫に行って何かしらの書物を読んでいるといい。少なくとも城の出入り口付近でふらふらされるよりはよほどいい。司書が遠征に参加しているから蔵書の貸し出しは無理だがな」
「ああ、そうかい」
字が読めないから行くつもりはないけど。とりあえず今日のところは大人しく引き下がるか。オレは階段を見上げて方向を定め、歩き出そうと足を踏み出す。
するとカツンカツンと靴の足音が響き、
「これは珍しい組み合わせだ」
上階から何を考えているのかわからないニヤケ顔を携えた銀髪の騎士が姿を現した。
「アキレス……」
アンナは口をへの字に曲げてあからさまに不機嫌な顔になった。
「何をそんなに二人で楽しくお話をしていたのか、ぜひ気になるところではありますね」
アキレスはニヤリといやらしく微笑み、階段を下りてオレたちのもとに近づいてくる。
「貴様には関係ないことだ。失せろ」
おお、何もそこまで言うことはないんじゃ……。よっぽどアキレスが生理的に嫌いなんだろうなぁ。
「アンナはもう戻るんだろう? 私に構わず行ってくれていいよ」
「フンっ、言われなくてもそのつもりだっ!」
アンナは怒気を含ませ、身を翻して廊下を歩いて去って行った。アキレスはそんな彼女の後ろ姿を微笑ましいものを見るような、ねっとりとした表情で眺める。
……マジで気持ち悪いやつだな、こいつ。
思わずぞっとしたね。変態的趣向の持ち主かよ。
「そうそう、実は私はジゲン殿にお渡しすべき物を預かってきておりましてね」
アキレスはごそごそと懐から一通の封筒を取り出した。
「ロキ様からです。お受け取りになって下さい」
手渡され、中身の便箋に綴られる解読不能の文字列を見てオレは眉根を顰める。
……うーん、さっぱり読めん。
「確かに渡しましたよ」
「はぁ……」
だから字読めねーっての。どうすんだ、これ。後でエイルに見てもらうか。
アキレスに頼るのはなんか癪だし。
今はとりあえず制服の上着ポケットにでもしまい込んでおこう。
「そういや現界教ってやばい連中が見つかったんだろ。国で最強の騎士様は何もしなくていいのか?」
仮にも騎士団隊長という役職についている男が、特にやることのないプーなオレと同じようにあちこちふらふら徘徊しているというのは随分と暢気なことだ。
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