第51話「お前にとって、この世界は本当に何もないものだったのか?」

『私は、貴様一人程度の障害で引くような甘い覚悟で立ち上がったわけではないッ!』


 意地の咆哮を響かせて、鋼の巨体はギシギシと軋みを起こしながら二本の足で踏ん張り立ち上がった。


「やっぱり駄目か」


 向こうでもこれで引き下がるやつはほとんどいなかったもんな。最初からそこまで期待していない。人生はやはり厄介なことばかりだ。


「……しゃあねえか」


 不穏な気配を見せ始めたアンナに辟易しつつ、オレは臨戦態勢に舞い戻る。


『押シ潰ス! スベテヲ潰セバッ……、何処ヘ行コウト関係ハナインダッ!』


 アンナは叫び、纏っていた鎧がさらに巨大化していく。


 その全長はみるみる伸び上がり、周囲にある木々をも遥かに超えるサイズにまでなっていった。


 五十メートルくらいはあるだろうか?


 高所にあるため裸眼では鎧の頭部が黙視できない。


 全体の大きさに舌を巻く。こんなもんが暴れたら城は間違いなく崩壊するな。



『ガアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!』



 もはや理性を保っているとは到底思えないような雄叫び。


 アンナは戦略も何もかもをかなぐり捨てて、その巨体を生かした高さからただ単調に殴りかかってくる。


 オレはその拳を次元の穴で受け止め、何も被害を受けない空間に衝撃を逃がす。これはアキレスの剣戟を回避した時にも使った技だ。


『クソッ! ナゼダッ、ナゼ!』


 連続で打ち込んでくるが、そのすべてを無効化させる。アンナは焦りが先行して攻撃の精度はどんどん落ちていく。


「……あんたにはいなかったのかよ。ムカつくと思ってる世界にも、大事だと思える人が」


 少しばかり悲しい気持ちになりながらオレは拳を握り、目の前に次元の穴を開いてそれを叩きつけた。


 オレの拳は開いた次元の穴に吸い込まれ、数十センチ前方の穴から飛び出す。そしてまたその先の穴に入っていく。


 穴を通り抜ける連鎖はアンナの元まで一直線に駆け上がっていき――無論、彼女の元に届くまでの時間差は拳を突き出した一瞬と同じで――鎧をも通り抜けて彼女の肉体そのものを狙い打つ。


 次元の穴を通り抜けて行けばいくほど速度は速くなり、相手側に行くダメージも増大していく。


 理屈や仕組みはわからない。だが穴を介せば介すほど威力は上がるのだ。


 狙いは腹。頭部から推察して検討した腹部の位置に力を込めた正拳を打ち込んだ。


 次元を超えた拳はマッハを超える……のかもしれない。モロに食らったアンナの痛みは半端ないはずだ。


 事実、彼女の纏っていた鎧は消失、いや、縮小していき等身大のそれに戻っていく。


 恐らくは使用者が能力の行使を維持できなくなって効力を失ったのだろう。


 つまり、それだけのダメージを彼女に与えられたということだ。


 対局が決したとみたオレは地面に仰向けに倒れたアンナに歩み寄る。


「お前にとって、この世界は本当に何もないものだったのか?」


「ふん、知らんな」


 呆然と空を眺めながら彼女はつまらなそうに言った。そんなもんなのか。お前は自分の生まれた世界で誰にも巡り合えなかったのか。


 ……オレは力を持っている。


 オレがその気になれば、そこに住まう人々を生命活動ができないようなところへすっ飛ばして全滅させることだってできるような強大な力を。


 無論、そこまでできることは誰にも口外していなかったけれど。喋っていたらオレは厳重な監視のもとで行動を制限されていたはずだ。


 オレにはオレを理解してくれる人がいた。


 そのおかげでオレはこの力を使って世界を壊さずに済んだ。姫巫がいる世界を壊せば、あいつが悲しむから。


 だから踏みとどまれた。一線を越えなくて済んだ。


 元の世界ではオレと同じくらい強力な力を持ちながらきちんと周囲に受け入れられているやつだっていたから、オレがこの能力のせいで友人ができなかったというのは甘えに過ぎないのかもしれないけど。


「……まだだッ。まだ私は負けてはいない!」


 オレが少々感傷的な気分に浸っていると、諦めたと思っていたアンナの瞳が力強く再点火した。そして未だ消沈して項垂れているロキの元へ狙いを定めて走り出した。


「……ちっ、わかんねえやつだな」


 瞬時に移動したオレは背後からアンナの左の肩甲骨付近を――ちょうど心臓のある辺りを――まっすぐ手刀で突いた。


 突き刺したオレの右腕は彼女の背中を抜けて胸部を貫通する。


「ぐはっ……」


 彼女の身体を通り抜けた手の平の中にはキューブ状の透明で小さい箱が握られており、そこでは真っ赤な心臓がどくんどくんと生を感じさせる脈動をしていた。


 もちろんこの心臓はアンナ・エンヘドゥ、彼女のものだ。


「あっ……あっ……」


 背中越しなので恐らく驚愕に彩られているだろう女騎士の表情を見ることは叶わない。ふむ、横着しないでちゃんと正面に回り込めばよかったかな。


 するりと腕を引き抜くとアンナはへなへなと腰を落としてへたり込んだ。


「安心しろ。別に抉り取ったわけじゃねえから死にはしねえよ」


 場所は異なっているが血管は繋がったままだし、断面も見えてるけど空間は凍結されてるから出血もない。


 ただ、あるべきところとは違うところで機能を果たしてるだけだ。

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