第55話あの人が本当に悔やんでいたのは、
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城の地下深くにある牢に反逆の徒、アンナ・エンヘドゥは収監されていた。
日の光も入らぬ地下牢は松明の炎だけが視界を維持する光源となっており、じめじめと湿気に溢れ黴臭い匂いが漂っていた。
「やあ、ご機嫌はいかがかな」
看守を務めている騎士に連れられてやってきたのは顔を見るだけで忌々しい、腐れ縁の男アキレスだった。
「こんな辛気臭いところにいて上機嫌になると思っているのか?」
アンナがとびきりのしかめ面で応対してやるとアキレスは「それもそうか」と今さら気づいたように言った。
「しかし彼はすごいね。惚れ惚れするよ。あの巨大化した君を倒すなんてさ」
「カクマジゲンはいかにもお前が好みそうなタイプだからな。お前のような偏愛者に目をつけられて同情するよ」
舌なめずりをしながら相好を崩すアキレスに露骨な嫌悪感を示しながらアンナは言った。
「ククク……。君を倒したことでより一層、彼を見る視線に力が入ってしまいそうだよ」
「お前がそんなでなければ私も――いや、なんでもない。……それよりも私の扇動した騎士たちはどうなった?」
「ん? それなら一様にその時のことを覚えていないと言っているよ。信じるかどうかはこれからの取り調べ次第かな」
「信じるも何も、やつらは王族と同じ方法で操ったのだ。真実であるかどうかは連中が一番よく知っていることさ」
「それが本当の話ならね」
アキレスの眼が鋭く光る。アンナは仏頂面で顔を背けた。
「おかげでこちらは騎士団の再編成で大忙しだ」
「それは結構。実にいい気味だ」
本当はその程度の損害しか与えられなかったことに酷い屈辱を覚えていたが、そんな内心を抑えてアンナは鼻で笑い言った。
「まあ、そこまで大したことにはなっていないからそのうち落ち着いていくだろうけどね」
彼女の腹の内を読み切ったかのような発言をアキレスはする。こういう人を食ったような物言いがアンナは昔から気に入らなかった。
こちらが一歩踏み込んでいこうとすると飄々と躱して真剣に向き合おうとしてこない。
一定の距離感を頑なに保ち続けようとする。そのくせふらっと気まぐれに馴れ馴れしい態度で接見して、人を惑わしてくる。
どういう間柄だと認識すればいいのかわからなくなるもどかしさが彼を苛立ちの対象へと昇華させるのだ。
その感情がどこからくるものなのか、アンナには一分ほどの見当がついていたが、いつも考えるだけ無駄だとして目を背けていた。そういう選択をしたことは間違ってはいないとアンナは失墜した今も思っている。
「これは差し入れだよ」
アキレスは何を思ったか腰に刺していた木刀を牢の隙間から差し込んできた。アンナがいかがわしげに見ていると、
「ああ。団長の許可は得ているよ」
「そういうことではない。牢にいる罪人に得物を与えるとはどういう意味合いだ?」
「君の剣技は唯一無二だ。代わりを見つけるのは難しく、失うには惜しい。万が一君の剣が必要になったとき、腕が鈍っていたら困るからね。これで鍛錬を怠らないように励んでほしい」
「たとえそのときが訪れたとしても、私が国のために剣を振るうことはない。余計な慈悲は無用だ」
アンナはそっぽを向き、牢内の床に落ちた木刀を拾い上げることはなかった。
慈悲とはまた違うんだけどな、とアキレスは苦笑する。
「……なあ、本当にあの人は自分が元の世界に帰れなかったことを悔やんでいたのかい? この世界に来たことを後悔していたのかい?」
「…………」
「あの人が本当に悔やんでいたのは、まだ幼かった君を置いて先に逝ってしまうことだったんじゃないのか?」
アキレスの言葉にアンナは無言を貫いた。
「……私たちでは君の心の穴埋めになれなかったということなんだよな」
「当たり前だ。この人形、王族に盲従するだけの愚かな人形風情が」
「そうか」
淡々と答えたアキレスのその表情はどこか寂しげに見えた。
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