第6話 その1
「ほんと、馬鹿みたい」
抑えた頬が、ひりひりとしびれる。熱を持った皮膚は、アリーの振り抜いた平手が渾身を乗せた本気の拒絶であることを、何よりも冷酷無情に勇へと突きつけていた。
「つまり、私だけが浮かれてたんだ。勇は今だって、何にも、なぁんにも解らないんだ」
子供が癇癪をおこしたように息を荒げ、ガラス玉のような涙を目尻に溜めて。アリーは、勇に理解できない何かを、二人の距離の隙間に見出している。
「なら、もういい。私だって、あなたのことはもう知らない。廊下ですれ違っても無視してやる。もし話しかけてきたら、ひっぱたく。今より強烈なのをお見舞いしてやる」
今まで一度も現されたことの無い、むき出しの敵意。彼女のどこからその感情が沸き上がり、どうして自分に向けられているのか。勇には、まるで理解が出来なくて。ああ、責めるべきなのは彼女を不本意に苛立たせてしまった自分の愚かさか。それとも、勇に弁解の機会を与えず、逆鱗の場所を未だ隠して示さない彼女の依怙地さか。
「……何とか、言ってよ」
アリーの問いかけが、静かで澄んだ声に乗って勇に届く。けれど、それはなぜか悲鳴のように鼓膜を震わせ、勇は耳を塞いで走り出したくなるのを必死に踏みとどまる。今逃げ出したら、「次の機会」は永遠に失われるだろうという確信的な恐怖が、勇の足に枷をはめていた。
「……アリー、その」
乾いた唇を震わせて、やっと呟く。けれども、その後が続けられない。何故彼女は、これほど悲しげな眼で自分をにらみつけるのか。なぜ、綺麗な眉の頭をこんなに苦しげに歪めているのか。疑問が泥のように沸き上がり、ねばついて喉をふさぐ。
酸素を失った鯉のよう口を開け閉めする勇に、アリーは背を向ける。腕でごしごしと目をぬぐいながら立ち去る彼女の後姿が殊の外に心をえぐり、追いかける為の気力を勇の足から奪った。彼はしばし立ち尽くし、天を仰いで自問する。
いったい、どこで間違えたのだろう。
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