第2話 その3

「あー笑った笑った。マジ面白かったー!」

「こらアリー、ユウに失礼だぞ……ぷぷっ」

「だぁーって、こっちの顔を見るなりいきなりだもん。捨て身のギャグだよー!」

「ふひっ……あ、いや、俺は好きだけどな? ああいうの」


基地の近くにあるエノテカ。円卓の隅に座った勇は、居心地の悪い思いでワインを煽った。大きな基地に近接する飲食店が大抵そうであるように、町の一角を占める石造りの古びた建物もまた、金曜夜の賑やかな喧騒で満たされている。ラフな私服で勇の両脇に座るイギリス空軍の二人もすっかり出来上がり、軽やかに笑って騒音の一員となっていた。勇だけが仏頂面だ。


「いやーさすがにアレは無いってー。限度超えてるってー」

「おいおい、折角俺がフォロー入れたのによー。まーやり過ぎなのはぶっちゃけ同意だけどー」


広くない部屋に椅子と机が詰め込まれているため、三人は文字通り膝を突き合わせている。アリーがTシャツ姿の上半身を楽しげに揺らすたび、ジーンズを履いた足の膝が勇を突いた。


「お前ら、俺をいたぶるのがそんなに楽しいか」

「んー? たのしーよねーニールー? ちょーたのしーよねー?」

「楽しい楽しい。タダ酒だからなおさら楽しい!」


 空になったグラスを掲げ、赤くなった顔をぐらぐら揺らすアリー。その横で余韻もへったくれも無くワインをドバドバ注ぐニール。糠に釘、豆腐に鎹、といった諺が脳裏を過る。勇はため息をつき、三時間前の自分を恨んだ。


       *


そりゃあ誰に責任があるかといえば、まあ自分だ。しかし情状を酌量する余地はある。


そもそも自分のような小市民がいきなりワールドクラスの超セレブと図らずも接点を持ち、おまけに事後それを知らされたのである。いわば振り向きざまに横っ面を張り倒されたようなもので、パニックに陥るのも当然だ。むしろすぐさま不敬に対する謝罪を決意した自己批判的精神と行動力は褒められたっていい。


だから、仕方ないのだ。いったいどうして、王女様に背後から「勇ー!」と周囲に響き渡る大声で奇襲をかけられるなどと想定できようか。彼の作戦は全ての局面において先制攻撃を前提としており、彼女の行動は全く想定の外側にあった。であるからして、以降の計画が瞬く間に羽を広げて脳から飛び去ったのは、己の責任というより避けがたい不運に原因を求めるべきだろう。俺は悪くない。


が、人々が求めるのは課程の良し悪しでなく結果の是非である。その観点からすると、残念ながら勇が度し難い失敗を犯したというのも、また事実として否定しがたい。イニシアチブを奪われた勇がパニックの中ではじき出した対応は極めて杜撰で問題のあるものだったが、判断力を失った脳は命令を止める事もままならない。結果、何が起こったか。


「やぁっとみつけた。さー約束だかんね、今日はパーッと飲ん」

「すんませんっしたあああああああ!」


一部始終を見ていたニールが後に語って曰く、「惚れ惚れするほど見事なジャパニー

ズ土下座だったので、ぜひ写真を撮ってネットにアップしたかった」との由。流石にそれは回避した。


「ごめんなさいごめんなさいまさか王女様とは知らなかったんですご無礼の数々は平にご容赦をなにとぞ命だけはご勘弁くださいぃぃぃ!」


 この辺、権力慣れしてない小市民の悲しさと言えよう。思い出しても顔から火が出る思いだ。さて勇の体たらくを目の当たりにしたアリーがどう反応したかと言えば、平身低頭していた身でその姿かたちを目にすることが出来なかったので知らない。が、思い返せば長い沈黙に続いた「くふっ」という空気の震えは、アリーの笑い声だったのだと思う。


とまれ、この時の勇にとって重要だったのは王女様から下される裁き以外になく、その点において、沈黙の後に出でた言葉はこれ以上ないほど王女様だった。


「……傾注アテンション!」

「は、はひぃ!」


 気分はお白州に引っ立てられて沙汰を待つ木端悪党そのもの、目をきつく閉じて額を床にこすり付ける勇へ、王女様は威厳たっぷりに言葉を続ける。


「ユウ・カマクサ! 貴様の朕への嫌悪すべき無礼なる態度は大英帝国の遍く威光への重大な挑戦であるゆえに、またいやしくも帝国の次期元首たる朕の名誉、之を賤しめ、之を侮慢するゆえに、本来ならば不敬と大逆の廉を以って帝国司法の下に宜しく審問へ付するべき所である!」

「そ、それだけは! それだけは平にご容赦を! 前科が付いたら父と母に申し訳が!」

「が、先の戦闘で貴様が格別の働きをした事実を朕は高く評価するものであり、またその放言が朕を蔑(さげす)の心根より寧ろ無知と無教養から出た事も特に酌量の余地があるだろう! よって沙汰に先行し、朕は宥恕と共に特別恩赦を行しめる事もやぶさかでない!」

「あ、有難き幸せ!」

「だが古来から言われるように、無料の昼食はないのである! しかして朕は恩赦にあたって一つ条件を与えるものであるから心して聞け!」

「なんなりと! 如何なる申し付けも我が身を賭して実現する所存!」

「……んふっ」


 突然の小さな笑い声に、思わず顔を上げる勇。


「……言ったね? 今何でもするって言ったよね?」


そこに居たのは、勇の前にしゃがんで小さく舌を出す「アリー」以外の何物でもなかった。


「じゃ、今晩のお酒代はぜーんぶ勇もち! 大英帝国は懐が深いから、それで許したげる!」

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