第2話 その4

結局、勇は不敬の代償として今月の俸給を他人の酒代に充てる羽目となった。

それでも初めはまだ気後れがあったが、ここまで悲惨な体たらくを見せつけられたら自然と敬いの気分も失せるというものだ。今やグデングデンな友人共の面倒臭い絡み方をどういなすかが当座一番の関心ごとである。彼らの酔いと反比例する財布の中身を想い、勇が明日からの懐具合を想像してため息をつくと、いよいよ目の座ったアリーがテーブルから体を乗り出す。


「んもぉー、ゆーうー! 辛気臭い顔しちゃだぁめー!」

「そーだそーだ。酒飲もうぜ酒」

「のめのめー!」 


ニールが勇の肩を叩き、アリーがワインを突きつける。こちとら実家に緊急支援物資を要請しなけりゃならないのに、気楽なもんだ。いっそ身を乗り出して勇に覆いかぶさるアリーの体たらくを写真に記録し「ザ・サン」あたりに売りつけてやろうかとも思うが、形のいい額を勇の鼻にグリグリと擦り付ける彼女を見ればみみっちぃ悪意も殺がれてしまう。


「……だぁーもう! わかった、覚悟は決めた。好きに食え! 俺も好きに飲む!」

「おおー、ユウってばぁ太っ腹ぁー! それじゃーあー、このチーズぅー、おかわりー!」

「あ、俺もワインもういっちょ!」


目を輝かせる二人。ええい、こうなったら好きなだけ食い散らかしてやる。やけくそ気味に生ハムを口へと放り込みつつ、頬を寄せてくるアリーから逃れる。その拍子、カウンターに据えられた液晶テレビのニュース映像が目に入った。


既に今朝の戦闘は世界中に知れ渡り、早速米ソの首脳が責任のなすりつけ合いを始めている。ホワイトハウスの黒スーツが「セルビアの挑発的行為とそれを支援するソビエトの態度について厳重且つ重大な抗議」をすれば、クレムリンの勲章オバケは「帝国主義がセルビアの素朴な民族的悲願を圧迫するのは国際協調主義からの不快極まる逸脱」だと反論。ついでに黒海艦隊の巡洋艦がセルビアのパイロット二名(無事脱出したらしい)を回収したと述べていた。


CNNの記者がしたり顔で解説するには、「セルビアとNATOとの偶発的な衝突であり、これまであった小競り合いの延長に過ぎない。すぐさま全面戦争につながるものではないだろう」とのこと。ロシア人と王女の存在は、どういったからくりか政治の闇へ飲み込まれたらしい。


 ちなみに当の王女様はと言えば、ワインをたっぷり口に含んで「くちうつしー」と勇に迫り、ニールに首根っこを掴まれていた。人懐っこいのは結構な事だが、自分の容姿が周りにどう見られているかもう少し自覚して欲しいところである。この童貞殺しめ。


「ところで勇、さっきから思ってたんだが」


 右手にオリーブの酢漬け、左手にアリーという格好のニールが、ふと話題を変えた。口の中に目いっぱいのサラミを蓄えていた勇は、アリーの手がワキワキと蠢くのを手で払いながらニールに視線を向ける。


「この店、やたら客層が多国籍だよな。基地の連中なのか?」

「ん、ああ……そうだろうな。ここ最近、NATOの部隊が一気に作戦展開ディプロイメントしてきたし」 


確かに彼の言う通り、店内は様々な言語が折り重なって一種無国籍の感があった。英語や伊語はもちろんの事、ドイツ語、フランス語、分類すらあやふやな恐らくは中東系の言語……。


「勇、お前こっち来てどんくらい経つ?」

「んー、大体一ヶ月くらいだけど……なんだよその顔は」


 こちらの頬にニールがぐんと顔を寄せ、勇は胡散臭いものを覚える。さわやかなイケメン顔に心なしか下種な感情が混じっているような気もするが、考え過ぎだろうか。


「一か月もありゃあ国際交流にゃ十分だろう。顔見知りの女子くらい、店を見渡せば直ぐに見つかるってもんだ。見つかるよな。見つかるに決まってる。誘え」


 考え過ぎじゃなかった。ニールの顔に浮かんだ見事な笑顔が怖い。


「えーなにーかわいー私じゃ不足だってのー? ちょっとユウ聞いたー? 失礼しちゃうー」


 卓の紅一点たるアリーが唇をツンと突き出して不満を表明するが、ニールも負けずに彼女へ指をつきつける。


「あのなアリー。ペアを組んでから一年、軽く百回は粉かけてんのに全部門前払いしてくれたのはどこのどいつだ? いくら美人だからって無駄な努力はもう御免だっての」

「あーそーねーほんとーしつこかったよねーもーお前はイタリア男かってーのー前世はトマトかオリーブオイルにちげーねーわー」


アリーが勇の肩に寄りかかって呂律の回らない様子で言う。こちらとしては王女様を百回に亘って口説く度胸に敬意を表し、彼のナンパに協力してやりたいところだ。が、急かすニールを押しとどめて辺りを見回すも知った顔はなく、肩を竦めてそれを伝える。


「まじで? もーつかえねーなー!」

「なにー? 友達いないのー? ぼっちなのー? 休日はお部屋で寂しく丸まってるのー?」


容赦ない精神攻撃に名誉と精神を著しく傷付けられ、ちょっと本気でへこんだ勇は、面子を保つべく反論を試みる。


「ち、違えーって。俺だって女友達くらい居るけど、そうじゃなくて」

「言い訳は聞かん! 男らしくない!」

「両院へ向けた我が尤も慈愛なる演説ぅ! 我が政府立法府の計画は虚偽の撲滅を第一の主眼に置くものであってぇーその趣旨を理解しない不届きものには厳罰をもって臨むことをぉー」

「いやいや、まて、話を聞け。何つーか、部隊間の交流が少ないんだよ」


 実際それは真実であった。この基地に赴任してからひと月、軍務や訓練は飛行隊単位で勝手に行っているし、実務上の交流も基地の偉い人以外は皆無。オフィスも別ならメールアドレスだって不明、基地内ですれ違う事すら稀である。オフィシャルがそんな状態だから、プライベートに至っては何をかいわんや。結局、各国のパイロットは部隊内の狭い交友関係に住み着いてしまう。国際色豊かなこの酒屋にしても、自分の部隊の友人が見つからなければあっという間に交流は絶たれるのであって、残念ながら今日は「見つからない日」だったという訳である。


「えー、それって大丈夫なのー?」

「実際、上の方じゃ結構問題になってるらしくてさ。二週間後の演習も状況を改善するために計画されたって話」

「ユーゴもキナ臭くなってるってのに、悠長なこった」

「私らおかげで死にかけたもんねー」 


 厳に箝口を命じられたにも関わらず大声で危ない話を口走るアリー。その後頭部を勇が慌ててハタき、彼女が「いったーい!?」と涙目でこちらを睨み、ニールがゲラゲラと笑う。そんなやり取りをしていると、店の扉が開いてチリンとベルが鳴り、途端にニールが首を伸ばした。


「おい勇、客だぞ。女の子か? 美人か? ああくそ、良く見えん」 

「まて、止めろ、前のめりになるな。そうそう都合の良い話があってたまるかっ、て……」


 店の入口へと視線を向けた勇は、思わず絶句してしまう。つまり、


「うわーお、美人の女の子!」


 アリーの呟きは、この場にいる全員の総意と思って間違いない。仲間も連れずに一人歩み入った女性の見目は、系統こそアリーと違うが、容姿という括りの中ではこの場で唯一比類しうる、凛々しい美少女に他ならなかった。長い茶髪をヘアゴムでざっくり纏め、背筋を伸ばして颯爽と席に着く姿が何とも様になっている。緑色の航空服を着、革地が眩しいG-1フライトジャケットの背中をパッチで埋めている所からすると、アメリカ海軍か海兵隊のパイロットだろう。ナイトフライトを終えたその足で飲み屋に繰り出したのだろうか。


 突然、勇の隣でがたんと音がする。振り向けば、喜色満面のニールが立ち上がって柄物シャツの襟を正していた。


「なあ勇、この基地における各部隊の共同作戦能力を向上させるため、忌憚のない意見交換をする必要があると思わないか? 俺は思う」

「まーたニールの病気が始まったよー。勇はこーなっちゃやだかんねーわたしだけみててねー」


 際どい冗談を言うアリー。勇は酒のせいだけでなく赤くなった顔を逸らし、照れ隠しにニールの背を叩いて勇気づける。二人の間に信頼の視線が交わされ、勇気ある男の出立を彩った。


因みに彼が背に受けている視線は友人のものばかりではなく、よく注意してみれば周囲の男共も息をひそめて成り行きを見守っている。美人の入店に浮足立ったのは皆同じらしい。


当の少女は我関せずとばかり、注文したウィスキーのロックで麗しい桃色の唇を濡らしている。グラスを傾ける仕草すら良く出来た映画のワンシーンのよう。纏った空気だけで相手の視線を奪う人間が、この世に存在するのだと勇は知る。


さて、たった一人の決死隊はついに美人の傍らへと辿り着いた。恵まれた容姿をフル活用し、これ以上ないほどの王子様的笑顔を浮かべるニール。が、美人は僅かに横目で一瞥だけし、すぐに卓上へ視線を戻す。道端の小石程度にも意識していないそぶりだ。挙動の全てが息を飲むほど美しいだけに、その無関心は尚の事心をえぐる。しかしそこはニールも百戦錬磨のイケメン。怯まず美人の卓に手を置き、無理矢理意識を向けさせた。


「こんにちは、お嬢さん。一人酒も良いものだけど、相手がいればもっと楽しいよ?」


 遂に放たれた一撃。辺り一帯が奇妙な緊張に包まれ、美人にいくつもの瞳が集中する。造化の傑作と言ってもまだ控えめなほどに美しい少女は、それらの視線すら絡め取って身体を着飾る宝石とし、命あるもの全てを虜にするような極上の微笑みを浮かべ、言う。


「息が臭ぇよファ○キンライミー大人しくお部屋に戻って小枝みたいなマス掻いてろマザー○ァッカーさもなきゃその糞まみれのケツ穴にスコッチ流し込んでアへ顔さすぞこのダボ」


 その瞬間、部屋の空気が比喩でなく凍りついた。先程まであれほど響いていた喧騒が一瞬にして消え去り、勇は真空に放り出されたかのような錯覚に陥る。


「……え、えと。ごめんね、ちょっと僕の耳がおかしな電波を拾ったみたいだ。だから、その」

「人の話は黙って聞けってビッチのママから教わらなかったかキンタマ男。それともテメェの頭にゃ脳みそ代りに出がらしの紅茶と糞が詰まってんのかコラ? ええ?」


今度こそ間違いなく部屋に響き渡った下品ワードのオンパレードに、流石のニールも言葉を失う。隣のアリーは顔をリンゴみたいに赤くしていた。周囲の連中も思い思いの反応をしているが、自分の耳に入ったものが信じられないという点においてのみ一致しているようだ。事態の爆心地にいる美人だけが、時間の止まった部屋の雰囲気を別に解釈したらしく、攻撃的な視線であたりをねめつける。


「お、何だ? やんのかコラ? いいぜ、こちとら泣く子を殺す海兵隊航空団のジェーン・ボルト少尉だ。○ァッキン空軍の性病ヘタレどもにゃ逆立ちしたって負けねぇかんなこのド腐れ」

「あ、ああ、ええええええと。ごめんよお嬢さん、ちょっと配慮が足りなかったみたいだ。いや、僕が言いたいのはさ、君もパイロットみたいだし、お互いこれから仲よくしようと」


加速度的に事態が悪化していく中、図らずも信管として炸薬を破裂させたニールは、果敢にも雰囲気を立て直そうと言葉を繋ぐ。それが問題の収拾を決定的に遠のかせるとも知らずに。


「パイロット? テメェ、パイロットって言ったか? オーライ、オーライ。つまりテメェは俺のお脳をキメキメのジャンキー並みに沸騰させてぇ訳だな。現時点を以てジョンブルのド頭をスイカみてぇにカチ割る事は確定したが、その前に一つお勉強だ。チ○カス詰まった耳の穴かっぽじってよーく聞けよこの腰抜け空軍ども、俺はパイロットじゃねぇ。アビエーターだ!」


 周囲を見回し、透き通った声で卑語交じりの宣言をする美少女。だが「航空要員アビエーター」というあやふやな単語の意味する所を掴みきれない勇は、二重の意味で反応に困ってしまう。


「……あ、あれだろう? 要はパイロットの言い換えだろう? 何か拘りでもあるのかね?」


 勇の疑問を解決してくれたのは近くの卓に居たフランス人であった。が、ひょんなことから達成された貴重な国際交流は、それ自体が燃料となって危機の度合いを悪化させる。


「……んん? なんだかとっても面白おかしい冗談が聞こえたぞ? 腰抜け空軍連中と我らが海兵隊の何が一緒だって?」


 大迫力の笑顔でフランス人の男へガン垂れる美少女。が、この頃になってくると皆も第一波の衝撃から立ち直りはじめており、フランス人もきちんと視線を受けるだけの余裕があった。


「い、いやしかし。呼び名が違うだけで、結局やっていることは一緒だろう」


 という一言もごく当たり前の感想に過ぎなかったが、「キメキメのジャンキー並みに沸騰」した美少女はいよいよ興奮の度合いを増し、喉の奥から絞り出すようなうめき声を出す。


 これはまずい。この流れはまずい。喧嘩騒ぎなど百害あって一利なしだ。早々の退散を決心した勇は、既にその他大勢と化していたニールを見る。彼も自分と同じ判断を下していたようで、目が合うと力強く頷いた。今もってF言葉のショックから立ち直っておらず頬に手を当てて放心状態にあるアリーの肩を叩く。彼女は勢い良く身を引き「ななななななに、なにする気!?」と狼狽しながら体を自分の手で抱いた。何とも初心な反応だが、今はからかう暇もない。


「おいアリー、落ち着け。出るぞ、長居は無用だ」


 それでも硬直しているアリーの腕を無理矢理引っ張り、出口を目指してそろりと一歩を踏み出す。が、二歩目に進む直前、背後で何かが乱暴に打ち落されるような音がし、勇は出した足を思わず引っ込めて振り返る。


「……よーしわかった。よくわかった。そこに直れカエル野郎。着艦もできねぇ空軍男に戦術航空機派遣tac air integrationで大統領のケツを踏んづけ続けた俺様が直々の教育をしてやるよ。拳でな」


美少女がウィスキーグラスを机に叩きつけていた。それだけでも冷や汗もんの見世物だが、更に勇を戦慄させたのは、足を止めた一瞬の間に出口への道が大量の野次馬で塞がれていたことだ。これで脱出は極めて困難になった。


そこに追い討ちをかけるよう響く、ゴトンという耳障りな異音。喧嘩を吹っかけられたフランス人が、その手に握ったワインボトルの底を椅子の背に強く当てる音であった。


「……おい、なんだねお嬢さん。世界に範たるフランス共和国空軍の中でも一等イケてるこのアントワーヌ・マルチェリ様を捕まえてカエル野郎とは結構な言いぐさじゃないか。これだから植民地の連中は野蛮で困るんだ」


 明らかな怒気を孕むその声音に、勇の背筋が寒くなる。指数関数的な曲線を描いて悪化するこの状況を、いったいどうすれば収集出来るというのだろう。額に手を当てて必死に打開策を探っていると、別のテーブルで誰かが動く。


「待てフランス人、美人に手を出す事は世界が許してもこのマリオ・ベルナルディが許さんぞ」


 イタリア訛りの英語で茶々を入れる男。あからさまなアピールは、正義感というよりも女性にいいところを見せたい下心に駆られている様だ。何故かおもむろにシャツのボタンを二、三個外して胸元を露出させるのは男らしさを主張したいのだろうか?


「僕も賛成だ。女性に手を出すのは見苦しいよ、フランス人」


 続いて奥からずいと歩み出たのは、スペイン国旗をフライトスーツの肩に貼った浅黒の男。彼もまた己への注目を優先順位の至上においている様子である。時折勇達のほう――より正確に言うとアリーのほう――を流し目に見るのがその証左だ。事態の収拾など眼中にないらしい。


「なんだね君たち。ファシストの軟弱者どもは大人しくサッカーだけやっていたまえ」

「おやおや、ジュードーかぶれのフランス人に由緒正しいスポーツの魅力はわからないようだ。なあスペイン人?」

「ああ、まったくだね。サッカー最強無比を誇る我が国に恐れをなしたと見える」

「……あ? 何言ってんの? サッカー最強と言えばカルチョだろうが?」

「……は? 意味不明なんだけど? マドリー差し置いて天辺名乗るとか馬鹿なの? 死ぬの?」


 一瞬にして新たな対立軸が生まれ、周りが無責任に囃し立てる。馬鹿はお前らだ。


「白人の連中はみんなそろって阿呆ばっかりね」


 深まる対立の中、また横合いから別の声。勇が泣きそうな思いで振り向けば、近くの卓にエキゾチックな浅黒い肌のトルコ人らしい少女が座り、冷めた雰囲気でグラスを傾けている。


「おい、聞こえてるぞトルコ女。お前らはヨーロッパに首突っ込む前に移民を引き取れよ」

「なによ、戦争となりゃ真っ先にケツ捲るフランス人に、女のお尻をおっかけ回すだけしか能が無いイタリア人。スペイン人なんて仕事より昼寝してる時間の方が長いんじゃないの?」

「「「なんだと!」」」


止せばいいのに妙な積極性を発揮する外野のお陰で、あっというまに店全体を巻き込んだ一触即発の緊張が構築される。複雑に入り組んだ利害が場の均衡を辛うじて保っているが、長くは持たないだろう。


「ヤバいな」


ニールが呟いた通り、事態は既に最悪行きの特急列車へと飛び乗って駅を出た。こうなったらおしまい、勇にできる事と言えば店の端っこへと移動することくらいである。そんな訳で身を低く屈め、睨みあいの輪から後退した彼は――机に思いっきり足をぶつけた。


 嵐の前の静けさに包まれていた店の中、勇は力学的な限界を超えてゆっくり倒れていく机を支えようと絶望的な努力をする。が、伸ばした手は終に届かず、ガラス製の皿が地面へと落ちるのをただ眺める事しかできない。


大音響。そこから先、事態がどういった経緯を辿ったのか、筋道を立てて説明することは極めて難しい。いくつもの出来事が連鎖的に反応し、意図のない偶発的な衝突が発生し、報復は報復を呼び、ものの十数秒の後、店内はあらゆる固形物が飛び交うけんか騒ぎの渦中にあった。


「馬鹿、お前のせいだぞ勇!」

「わかってる、わかってるさニール! けど仕方ないだろ、不可抗力だ!」

「いやぁちょっとゆうぅなんか血がぁ血が飛んできたぁよぉぉう!」

「落ち着けアリー、そりゃケチャップだ! だから抱きつくな馬鹿!」


 紛争地帯に取り残され、地面に伏せて不幸なすれ違いの連鎖をやり過ごす勇達。と、その視界に突然小さな影が転がり込んできた。


「わ、わぁー! ちょっとジェニー、な、なにこれ!? お店の中が、なんか大変!」


 見れば、可愛らしい声をした一人の少女が、件の海兵隊娘へ果敢に声をかけている。が、返ってきたのは流れ弾らしきタバスコの小瓶。直撃コースだ。勇が慌てて彼女を引き倒す。少女は一瞬目を白黒させたが、傍らに転がったタバスコで事情を理解した様子、小さく頭を下げる。


「あ、ありがとうございます……」

「気を付けて、立たないほうが良い。大西洋を挟んだ大戦争の真っ最中だ」

「そうみたいですね……えと、因みに喧嘩の原因って」

「察しはついてるみたいだが、君の身内だな」

「ですよねぇ……もージェニーのおばかぁ、あの子また隊長CO副隊長XOに怒られちゃうよぉー!」


 頭を抱える少女の仕草は、ハムスターのような小型動物を思わせる。周りの人間から可愛がられるタイプだろうなぁ、などと考えていると、横でごそごそ何かが動いた。振り向いた勇は、そこに見事な笑みを浮かべながら手櫛で髪をセットするニールを見る。


「お嬢さん、悩みがあるなら話しておくれ。きっと力になれる。僕はニール・ウォード。職業は王立空軍のWSO。気軽にニールって呼んでね」


 この危機的な状況下にあっても彼の美少女センサーはきちんと反応しているらしい。少女は優男の笑顔を困ったように見上げ、差し出された手をとりあえずといった感じで握る。


「あの、えっと、こんにちは。ウィルマ・ドリスコル、米空軍少尉です。そこで暴れてるジェーン・ボルト少尉のペアで、職業はEWO……って知ってます?」

「知ってる。電子戦機の機上装備を運用する人だよね。あ、私はアリス・ウィンザー。本業王立空軍のパイロット、副業英国王女。宜しくね、アリーでいいよ」


 いつのまにか混乱から回復していたアリーが答える。『副業』にやや驚いた様子の少女だが、ざっくばらんすぎる紹介に突っ込み時を失したのと、店全体の大騒ぎに飲まれてしまったらしく、それ以上のリアクションはなかった。戸惑い気味に握手をする少女の視線がこちらを捉えたので、何となく勇も手を差し出す。


「俺はユウ・カマクサ、米空軍少尉で五五五EFSのパイロット。皆からは勇って呼ばれてる。宜しく、ドリスコルさん」

「あ、よ、宜しくです。私もウィラでいいですよ……米空軍ですか。なら私と同じですね」

「そこ。確認したいんだけどさ、パイロットは海兵隊なのにEWOは空軍の人なの?」

「ああ、はい。我々はジェニーの部隊にアソシエートしてるんです。人員も運用も基本的に海兵隊で、空軍がそこに人を派遣するっていう……まあ、つまりは居候ですね」

 

アリーの突っ込みにウィラが答える。事情は理解したが、あの跳ねっ返りなパイロ

ットが空軍の人間と大人しくペアを組むとは思えない。勇はウィラに同情の視線を投げ、肩に手をおく。こちらの言わんとすることは正しく伝わっているようで、皆の視線が「ウィラのペア」に集中した。泣く子も黙る海兵隊の美少女様は、どこから調達したのかバゲットの束を両手に掴み、ズッキーニを得物にしたトルコ娘とドツき合っている。二人の足元を見れば、イタリア・スペイン・フランスのトリオが足蹴にされて伸びていた。


「まあ、部隊の皆さんとは結構仲良くやってるんですよ。ただジェニーは特別こだわりがあるというか、少し短気なところがあって。普段はいい子なんですけど……うーん、あの子これからやっていけるかなぁ……」


まるで不出来な娘を心配する母親のようなウィラの呟き。勇は喉元の「だめだろうなぁ」という言葉を、半ば無理矢理飲み込んだ。

 

――結局騒ぎはMPに見つかり、何故かその場にいた全員が連座で処分を受ける羽目になった。一ヶ月の減給は勇の懐に直撃し、今月のエンゲル係数は記録的な高さとなるだろう。ああ、幸せってなんなのだろうか。

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