第3話 その1
「まったく信じられない。ここまで酷いとは思わなかった」
基地の中で二番目に大きい多目的ホール。演習一日目が終わった今、参加パイロット達はマス・デブリーフィングなんて名ばかりの説教タイムをただ黙ってやりすごしている。壇上で悪し様に皆を罵っているのは強面の演習責任者、コゼニスキ米空軍大佐だ。
「本当に見事な戦果だよ。見事すぎて今すぐ諸君らの首を跳ね飛ばしたくなるくらいだ」
大佐の全身から発せられている毒々しいオーラは、彼が今回の結果を余程腹に据えかねている事の証左であった。まあ、演習の結果を考えれば当然とも言えるが。
何しろ全ソーティを終えた時点で攻撃目標はほぼ百%健在。対して
「はっきり言って諸君らには大変失望した。最早ここで反省すべき事はない。なぜなら反省すべき点が多すぎて何処から手を付けていいやらさっぱりだからだ」
大佐はそう言ったきり罵倒の言葉も尽きたらしく、スクリーンを背にして押し黙り、パイロット達を睨み付ける。視線に射抜かれた連中は皆一様に俯き、そこに浮かんでいる表情は見えない。が、胸の内にあるだろう感情は手に取るようわかった。
だって、仕方ないじゃん。
勇の確信を補強するよう、隣に座っていた同僚がため息を一つ。大佐の視線がこちらに向いたのは偶然で、沈黙の中に音がやたら響いたのとは無関係なのだろう。そうと信じながらも勇は一段深く俯き、隣の同僚を肘で突ついて諌める。が、同僚は大して気にする様子もない。逆に勇へ「早いところ終わらしてほしいよ。なぁ?」と小声で問いかけてくる余裕だ。
己の不出来を顧みない不真面目さは、傍から見れば随分と向上心のない態度に思われるだろう。が、勇はそれを口に出して同僚に伝える事が出来ない。
正直な所、気持ちは理解できるのだ。少なくとも、我々には我々なりの言い分がある――つまり、難易度は適切に調整されるべき、という至極まっとうな言い分が。
そもそも「バンド・オブ・ユニティ」はNATO各国の若手パイロットが参加する、陸海空統合作戦の体裁を取った演習だ。経験の浅い参加者に統合作戦の雰囲気を掴ませる、いわば入門編――そういう『難易度』の筈だった。
勇が異変を感じ始めたのは演習の始まる一週間前。基地の自席でノートPCに向かい事務作業をしていたところ、「重要」という文字の入った電子メールが送られてきた。送信元は演習責任者で、やたらサイズの大きな圧縮ファイルが添付されている。
メール本文を斜め読みしたが、いまいち趣旨が飲み込めない。『ネットワーク中心の戦いにおける個々の役割と全体の協働を知り』だの『戦場の霧を振り払う手段として正しい認識を得る事が重要で』だの『航空宇宙戦力の運用を理解するだけでなく航空作戦の原則を明らかにしておく必要が』だの、観念的な事ばかり書いてある。頭に入ってきたのは最後の一文だけだった。
『以上のねらいを実現するため、甚だ異例ではあるが、本演習では参加パイロットの意見を作戦立案へ積極的に取り入れる。諸君にはJFACC及びJAOCが逐次公開する航空行動立案周期(エアタスキングサイクル)の懸案事項に対して能動的に意見する事が強く要求される……』
要するに「作戦立案にパイロット達も協力しろ」という事らしい。おかしなことを言うものだ。通常、統合作戦における航空作戦の立案は
首を傾げながら添付ファイルを開くと、いくつものPDFが並んでいた。試しに
意味不明な単語の羅列を追いかけていくうちに訓練飛行の時間が迫り、結局その場は一旦保留にした。同じメールを受け取っていた部隊の同僚やアリー達と何度か話をしたが、皆の認識は一様に「なんだこりゃ」程度のもの。教官達からの音沙汰もその後なく、勇が件の位置づけを「保留」から「無視」にするまで時間はかからなかった。他の連中も今までに経験のない異様なプロセスに皆戸惑っているらしく、大抵は勇と同じ対応。そして瞬く間に一週間が過ぎ、演習が始まり――結果はご存じの通り。
そんな訳で、コゼニスキ大佐は目も当てられない結末の原因を一向に作戦へ意見しない参加パイロットの主体性の無さに求めて叱責の限りを尽くした訳だ。が、そもそも作戦策定の知識など露程もない新米たちが資料をポンと送り付けられたところで、一体どうしろというのだろう。パイロットの仕事は飛行機を飛ばすことで、書類とにらめっこすることではない。だから、そうだ。結果の責任は意味の解らない無茶をさせた上官たちにこそ求めるべきであって、自分達はむしろ被害者なのである――そんな思考が、無言のコンセンサスとなりつつあった。
「訓練は今後一か月続くが、この体たらくでは意義もない。訓練責任者を任されて長いが、これほどやりがいの無い仕事は初めてだよ。諸君らがせめて給料の一パーセント分でも働いてくれれば私のモチベーションも多少は戻るというものだが、望み薄かね……まあいい。次回訓練までに諸君らが反省し、仕事ぶりを改善するよう強く期待する。以上、解散!」
最後まで苛立ちを隠さなかった上官が、この上なく攻撃的に解散を告げて退室する。途端に静まり返っていたホールが雑音で満たされ、張りつめた空気を砕いていった。勇の耳に入る雑談、冗談、それらはおしなべて単なる解放の色を帯び、大佐の期待する反省は見受けられない。
「勇、戻んねーの?」
同僚にそう声をかけられ、一旦立ち上がりかけた勇は、だがすぐに尻を落とし「少し休んでくよ、先に行っててくれ」と答えた。同僚は強いて誘う事もなく、肩を竦めて部屋を出る。
勇は肘掛へ腕を乗せ、頬杖をつく。あえてホールに残ったのは、皆と軽口をたたき合う気になれなかったからだ。胸に滞る、もやもやとした違和感が処理できていない。
納得のいかない部分は腐る程ある。頭ごなしに叱られるのはいい気分でないし、弁解の余地もないまま責任を一方的に押し付けられてはたまらない。だが……実のところ、自分が吐く溜息の理由は、それだけでもない気がするのだ。
不快感の原因を説明できず、それがまた不快感の種となって勇の胃の壁に苛立ちの蔦を絡ませる。出所不明の感情をコゼニスキ大佐に押し付けられないのが、勇の性格にある難儀な所だ。
「いやー、すごいね。ここまでのワンサイドゲームは久しぶりに見たよ」
人が捌けて再び静寂の中へと立ち返りつつあったホールに、元気な声が反響した。驚いた勇が振り返ると、オルズ中佐が隣の椅子に座っている。
「ま、コゼニスキ大佐は怒るのが仕事だから。あんま真に受け過ぎてもいいことないよ」
彼女の顔からはデブリーフィング中に壇上で浮かべていた真面目分が一掃され、口元にいつもの優しい柔らかさを纏っていた。少なくとも、中佐は勇を叱るつもりじゃあないらしい。
「真に受けるっていうか……あんま納得してないんですよ、みんな」
勇の口からぽろりと本音が漏れる。彼女はその答えを予期していたように小さく笑い、片眉をあげて腕を組んだ。
「なるほど、納得していない。それは、勇くんも?」
「……まあ、はい」
「んふふ、そうかそうか」
小さくうつむき、含み笑いをする中佐。彼女は今回の演習計画に深く関わっておらず、どちらかというと外野席からフィールドを眺める立場だ。それ故、プレイする選手や監督の動揺を俯瞰して感じ取れるのだろう。だから彼女は、恐らく意図的に、思わせぶりな態度をとる。
「さてさて勇くん。本日の結果を踏まえて、これから君は何をするべきだと思う?」
藪から棒に、中佐が言う。勇はその意図を捉えられず、無言で首を傾げた。
「演習初日は大失敗。上司は『部下の呑み込みが悪い』と言い、部下は『上司の指示がおかしい』と言う。これから先の一ヶ月、ずっと同じことを繰り返して終わらせる事も出来るけど、勇くんは『納得していない』訳だ。それでは、なにが最善か」
中佐は言葉を切り、勇の肩をぽんと叩いて立ち上がる。台詞の先を告げるつもりはないらしく、出口へと向けて歩き出した。
「若者よ、大いに悩め。その先に答えを見つけるまで」
勇はどう反応していいかわからず、フライトスーツの袖をつまんで弄りながら中佐を見送る。彼女はホールのドアを開け――そこで一瞬立ち止まると、肩ごしに勇を振り返った。
「失礼。この場合は『若者たち』、かな?」
そう言ったきり、今度こそドアの向こうに姿を消した中佐。その入れ替わり、別の人影が入り込んでくる。
「はい見っけた! 一人目!」
近づいてくる小柄な少女は――見間違うはずもない、我らが英国王女その人である。何が一人目なのかも説明せずに勇の手を取った彼女は、そのままこちらをどこぞへと連れていくつもりらしい。無理矢理に引っ張られた勇は、立ち上がった拍子に膝を椅子の足へ強かぶつける。
「あっつ」
「あ、ごめん。だいじょぶ?」
「いってぇ……なんだよ、一体何の騒ぎだ」
痺れる脛をさすり、アリーの顔を見上げる。途端、彼女は待っていましたとばかり、胸を張って腰に手を当てた。
「決まってるっしょ、リベンジさ!」
「……リベンジ?」
勇がオウム返しに聞くと、アリーは雪のように白い頬を興奮の薄桃色に染め、綺麗な額に苛立ちの皺を寄せて不機嫌を主張する。
「そう、リベンジ! あのいけ好かないおっさん、我らがコゼニスキ大佐殿にね!」
「いけ好か……いやまあ気持ちは解るがな、相手は一応上官だし、あんまりそういうのは」
「ああもう今思い出しても腹立つ! あのおっさん! 私らの事ぼろくそに言ってくれちゃって! こっちにもプライドはあるんだっての!」
「だからさ、アリー、王女様。もうちっと小さな声で」
「何、勇もあのおっさんの味方!?」
「い、いや、そういう訳じゃないがな? 上官に聞かれたら面倒だし、もっと言うならアリーは自分の立ち位置というか、そこら辺を理解しないと大変な事に」
「うるさぁい! 私だって文句言いたい時はあるの! バーカバーカコゼニスキのバーカ!」
「わぁ止せ止めろ! お前のせいで米英の同盟関係が破たんしたらどうするつもりだ!」
NATOの中核を担う二国間の致命的対立を防ぐべく、王室関係者の不適切なコメントを押し止めた勇は、こめかみに流れる嫌な汗をぬぐう。昨今の英国王室は開かれた存在を標榜しているらしいが、このお姫様はいくらか開かれ過ぎのきらいがあるようだ。罵倒が小学生レベルなのがせめてもの救いか。
「いい、カマクサ=サン! ああも言われてだんまり決め込むアリー様じゃないのですよ!」
勇の手を口から外したアリーが、鼻息も荒く宣言する。意気込みは痛いほど伝わって来るが、それと彼女の「見っけた! 一人目!」がどう関係するのかは今もって不明だ。
「とにかくお聞きなさい!コゼニスキ大佐の鼻を明かす為に、我々は結果を出す事が必要です! だがしかし、個々人の努力では限界があるのも事実。そこで、私は考えました!」
疑問を察したわけでは無いだろうが、アリーがずいとこちらに向き直る。正直関わりたくはないが、目をキラキラさせる彼女の期待に押し切られ、半ば義務的に「……何を」と促す。
「勉強会!」
朗々と宣言するアリーは、まるでゴルディアスの結び目を断ち切ったと言わんばかり、己の思いつきに絶対の自信を持っている様子。しかし一方、勇はいよいよ面倒事の予感が確信に変わって溜息をつき、二人の姿は静かなホールに特異な感情的対照を成す。
「つまり! 若手同士が集まって切磋琢磨し、能力を磨きあげ、演習において最高の結果を導く! しかして我々はコゼニスキ大佐の驚き顔を指差しながら大爆笑してやるのです!」
なるほど、彼女は踏みつけられる程に強く根を張り、空を見上げて花を咲かせる心根の持ち主なのだろう。ある種前向きな態度をうらやましく思わないでもないが、勇とは馴染まない。
「なるほど、そりゃいい心がけだ。頑張れ、応援してる。じゃ、俺は部屋に戻るよ――」
「こら、逃げるなメンバー一人目!」
がっしと襟首を掴まれる。そんな事だろうと思った。が、勇は心を鬼にして彼女の手を振り払うと、振り返って断りの台詞を土産に置くべく口を開き――。
「……泣くよ!?」
――まずい。アリーは自身の性別が他方へ持つ特権的地位をフル活用するつもりである。が、勇とてそう何度も負け戦をする訳にはいかない。一度譲歩すればあとはなし崩し、だから最初が肝心だ。一段と心の防御を固くし、別れの言葉を告げようと――
「……あーそう、断るんだ! 断っちゃうんだ! いいよ、わかったよ! そっちがそういう態度ならこっちだってそれ相応の対応をするよ! 具体的に言うとお父さんに言いつけるよ!?」
ピタリ、と勇の体が動きを止める。親に言いつけるという脅しが効果を発揮するのは普通小学生までだが、アリーの場合は事情が違う。こいつの親父と言えばつまり、英国における名目上の最高権力者に他ならない。
「いいんだね!? 私本気だよ! うちのお父さん、娘の事溺愛してるんだからね! こうなったら大変だよ! 外務省は駐英大使を呼びつけて厳重抗議するしスコットランドヤードからはSASが出動するしMI6はジェームズ・ボンドを派遣するしベイカーストリートじゃホームズが復活するしTOPGEARじゃジェレミーがプロデューサー殴って首にされるんだからね!?」
最後の方は王室まったく関係ないが、涙目で捲し立てるアリーは本気だ。畜生、権力を笠に着るブルジョアジーめ。だがこの釜草勇、卑劣な脅しには決して
「あ、もしもしお父さん? うん、私。あのね、ちょっと話が」
「わかった、わかりました! やるよ、やりますよ! やればいいんでしょ!」
屈しました。だってこちとら由緒正しき中産階級、お上の命令は絶対なのだ。
「さっすがぁ! 勇ならそう言ってくれると思った! 大好き!」
電源の入っていないスマートフォンをさっさとポケットに入れ、抱き着いて体を密着させるアリー。天然か計算かわからない見事な手口にすっかりやられ、勇は毒気を抜かれてしまう。
「ええぃ離れろ。王女様が人を脅して復讐に協力させるとは世も末だよまったく」
せめて反骨精神だけは失わぬよう小言を言う。アリーは真珠のような歯を見せて悪戯っ子のように笑い――しかしすぐにそれをひっこめると、思いのほか真面目な顔を浮かべた。
「……あのね、思ったんだ」
アリーの白いこめかみが表情の変化に合わせてちらと動き、勇はその面影にふと思慮深い知性の心地よい香りを捉えた気がして、何となく背筋が伸びる。
「頭ごなしに責められる謂れはない――けど、だから私達が何にも悪くないってのは、やっぱ違うよね。全部相手のせいにして、ふてくされながらやり過ごしちゃ、いけない気がする」
アリーの言葉を聞いた瞬間、唐突に勇の心に小さな風が流れ込む。例えるなら自分の周りを覆っていたゼリーのようにねばつく空気が、雨に塵を洗われた後のよう爽快に晴れ渡ったような感覚。
勇は、不思議な感覚に少しばかり戸惑い、その理由を探してアリーの顔をまじまじ眺める。視線を受け止め小首を傾げる彼女の小さな口。そこから漏れた吐息が自分の喉を優しく撫で、そしてその瞬間、勇は直感的に理解した。
ああ、そうか。彼女の言葉は、マス・デブリーフィングからこっち、自分の胸を不愉快に濁らせていたものの答えなのだ。勇が息を止めてもがいていた理由。王女様はそれを見つけ、その先へと歩みを進もうとしているのかもしれない。
「……なるほどね」
決して不愉快でない、清潔なシーツにくるまる様な感覚を逃がさないよう、勇はそうつぶやいてアリーの顔を覗き込む。突然の凝視に戸惑ったらしいアリーが、なんともかわいらしく小首をかしげ、「んっと、なに?」などと聞く。
「いや。おまえと仲良くなれてよかったなって」
言ってから、随分気障な台詞だと気づく。が、まさか褒められるとは思っていなかっただろうアリーの勇を見る目が驚いたように丸くなり、ついで顔を赤く染め「……ん、んん!?」と奇妙に呻いたために、こちらの気恥ずかしさは目立たず済んだ。勇は不意打ちの思わぬ効果を見て、悪戯が成功した子供のような満足感を覚えながら「ほら。行こうぜ」と彼女を促した。
「……え、何かよく分らないけど……ま、まあとにかく!
照れ隠しだろう、わさとらしくおどけるアリー。それでも彼女の瞳は大きく蒼く、真摯な理想に満ちていた。今、その表情を間近に眺める特権は自分だけにあるという、その事が嬉しい。勿論、引き換えに失った望むべき平穏が、対価として相応しいかどうかは別の話だけれども。
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