第3話 その2

そんな訳で、てくてくと基地の廊下を歩く勇にアリー。その後ろには先ほど合流したニールの姿もある(姿の見えないアリーの所在を明らかにするよう上司から命ぜられた彼は、不幸にも自らの身を蜘蛛の巣へと捧げてしまった。アリーの鮮やかな手口――顔を合わせるなり拉致を敢行し、上司に「自己啓発の為に基地内で勉強」という真実だが後ろめたい報告を強いり、そのままメンバーへ強制加入させる――に勇は感心しきりである。「なんか面倒な事に巻き込まれたなぁ……」とはニールの弁だが、まあ、相手が悪かったとあきらめてほしい。平穏を破壊された今、勇は一人でも多くの道連れを求めているのだ)。


「当てはあるのか?」

 

勇が聞くが、腕を組んで唸るばかりのアリーから妙案が出る気配はない。早くも暗雲の立ち込め始めた計画に勇が不安を覚えていると、廊下の向かい側に見知った姿を認める。オリーブ色の飛行服に年季の入ったフライトジャケット。誰もが目を奪われずにいられない美貌。そして本性を知った人間のみが気付き得るガラの悪さ。ヤンキー美少女、ジェーン・ボルト海兵隊少尉である。後ろに従う可愛らしい小動物は、これまた見知ったウィラだろう。


「当て、見つけた」

「……おい待て、正気か」 


酒の席でヤンキー美少女が大乱闘を引き起こしたのはつい一週間前の事だ。が、アリーはずんずん歩みを速めて電子戦機のアビエーター達へ急接近。向こうもこちらに気付き、突進してくる少女に驚き足を止める。逃げ道のない廊下だ、二人はあっという間に捕まってしまった。


「こんにちは、ウィラ、ジェニー!」

 

呼びかけられたウィラは、アリーの勢い込んだ様子にたじろぎつつも「あ、こ、こんにちは」と挨拶を返す。一方、殆ど面識もない相手にいきなり愛称で呼ばれたボルト少尉は怪訝そうな様子でアリーを見返していた。


「調子はどう? 今日はこれからフライト?」

「ええ、ナイトで飛ぶ予定です。サードはないので、暫くは休憩ですけど」

 

問いかけるアリーに、ウィラが答える。一方ジェニーは何も言わず、値踏みするような視線を勇達の上に滑らせていた。その先が酒場での乱闘を引き起こした原因の一つ、ニールの姿を認めた途端、目つきの鋭さが五割増しになる。それに気付いたウィラが「ちょっとジェニー。またCOに絞られたいの?」と小声の忠告。ジェニーは視線を残したまま「……チッ」と舌打ちをする。その間、ニールは笑顔の上に冷や汗を垂らして固まっていた。さしもの色男とて爆弾美人にこれ以上関わる勇気はないようだ。


「……行くぞ、ウィラ。タマ無しの空軍共と仲良しこよしする暇はねぇんだ」

「こら、ジェニー。汚い言葉を使わない。それからタマ無しは私達も一緒。もっと言うなら、私は『空軍共』の人間だからね」

「うっせぇイチイチ突っ込むな。おめぇは海兵隊にいるから海兵隊で良いんだよ」

「はいはい、わかったから。あ、ジェニー! 待ちなさいって……」


面倒見のいい母親と反抗期の息子みたいなやり取りだ。案外二人の仲は良好なのかもしれない。あとウィラ、下ネタに耐性がある様子。とまれ、そんな風にして廊下を立ち去ろうとした海兵隊の二人組だが、そこにアリーが立ちふさがる。


「ウォッホン。あー、ストップ、チョイ待ち。えっとね、ジェニーが言うところのタ、タ、タマ……あー、えっと、『女性的』な空軍の人間から一つお願いがあるんだけれど」

「断る」

「勉強会に……えっ」

 

顔を真っ赤にしながら、それでもボルト少尉の流儀に従って注意を引こうとしたアリーの努力は、残念ながら功を奏さなかったようだ。言い切るまでもなく否決の憂き目にあった提案が宙ぶらりんとなり、アリーは口をパクパクさせている。助けを求めて視線を彷徨わせるものの、ニールは目を逸らして合わせないし、ウィラは板挟みにあって居心地の悪そうな様子。結果、この場でわだかまりなく発言できる唯一の存在となってしまった勇である。


「……まあ、そう言わずに話だけでも聞いてくれよ」

「そ、そう! 話だけでも」

「うっせえ黙れファッ○ンズベ公その可愛いお口にチン○スまみれのデ○マラぶち込んでヒィヒィ言わすぞコラ」

「チッチンッ!?」

 

下品な言葉のオンパレードにあっさり機能を停止したアリー。目にはすっかり涙が溜りパニック寸前だ。行動力は有り余ってるくせに、兎に角打たれ弱い奴である。


「とにかく俺は空軍連中の言う事なんざ死んでも聞かねぇ。陸でのんびり暮らしてる連中に指図を受けるくらいならな、ホワイトハウスからリンカーン記念館までコーンヘッドのかつらを被ってポトマック川の畔をムーンウォークしたほうがいくらかマシなんだよ」

 

随分口汚いお断りの言葉である。こうなったらもう諦めるしかない……と思いきや。


「……わ、わかったよ。所詮海兵隊のアビエーターさんはその程度って訳だ」

「……あぁん?」


意外や意外、ボルト少尉の不機嫌な声を引き出した反論の主はアリーであった。予想よりもずっと素早くハングアップから回復した王女様の、キッと相手を睨み付ける視線からは、不退転の決意が如実に見て取れる。勇はそこに不穏なものを感じて口を開こうとした……が。


「結果が出なかったら空軍に責任を押し付けて、自分は遠く離れた安全な場所でふらふら飛んでればいいんだもんね。さぞかし楽な仕事でしょうよ」

 

時既に遅し。捻りのない挑発は、しかし単純であればあるほどストレートに意図が伝わる。受け取り手が簡単な性格であれば猶更だ。


「……おいイギリス野郎ブリット。何て言った。お前、今なんて言った?」


 地獄の底からヌメリと逆流してきたような、冷え冷えと固い声音。押し殺された分ハッキリ響く台詞は、それだけ重量感のある一撃となって周りの空気に不穏の霧を広げる。だがアリーは目を見開いてボルト少尉を見据え、恐れを握りつぶして怯まない。


「な、何回だって言ってやる、暴れん坊の海兵隊員さん。貴方はただの御用聞き!」

「……よぅし、決まりだ。今すぐその可愛いおま○こプッシーにハンディ・フード・プロセッサーをぶち込んでやるよ。泣き叫んだってしらねぇ、ボロボロにしてやる」

「プッ……だっ、黙らないからね! 電子戦機のパイロットなんてEWOの運転手、あっち行ってこっち言ってはい次そっち! ブラック・キャブと同じだもん!」


 アリーの挑発を受けたボルト少尉が、握った拳を遂に振り上げる。ヤバい、全力パンチだ。勇は慌てて間に入ろうと手を伸ばす――その直前、アリーがずいと前に出て相手の懐に入り、ぶつける相手を失ったボルト少尉の拳が宙を空しくかき回す。


「っ……、このアマっ……」

「ねぇ!」

 

アリーの呼びかけは正に裂帛の気合。ボルト少尉はその思わぬ勢いに驚いたのか、ぴたりと動きを止めた。勇は体を二人の間にねじ込む寸前で足を止め、息を飲んで二人を見つめる。


「……ジェーン・ボルト中尉。貴方は誇り高き海兵隊員でしょう? なら馬鹿みたいに拳を振りかざすんじゃなくて、自分が義務を果たしているって証明して。演習はあと三週間。貴方が望めば、自分の価値を証明する機会は腐る程ある……お願い。礼服に入った血の赤い帯ブラッド・ストライプの意味を証明できるのは、貴方だけなんだよ」


 ボルト少尉は「誇り高き海兵隊」というアリーの言葉を聞いた瞬間目の色が変わり、振り上げた拳を腰のあたりにおろして下唇をぎりりと噛み、鼻頭に皺を存分溜めこんで凄む。


「フ○ック……もういい、おめぇみたいなブロンド馬鹿女には付き合ってられねぇ。

誇り高き海兵隊員はいつだって海兵隊員だ。『忠誠こそ我が名誉センパーファイ』のモットーの下に、言葉と行動で正しさを示す。命拾いしたな、ブリット」

 

そこで矛を抑えたのは、彼女の軍人たる矜持故だろう。アリーはうまい具合にその所をくすぐった訳で、その手腕はなかなかに見事である。


……ところで、見事と言えばもう一つ。言葉とは不思議なもので、受け取り手の解釈如何によって自在に姿を変える。そしてまた係る不確かさに付け込むのは一種の政治的常套手段であって、当然の危険性を認知できなかった迂闊さは、間違いなくボルト少尉の過失であろう。


「ありがとう。それじゃあジェニー、さっそくだけど、貴方の正しさを言葉と行動でぜひ示してほしいの。大丈夫、場所はもう確保してあるから。あっちの会議室」

「……あん?」

 

ボルト少尉は怪訝そうに首を傾げ、満面の笑みが張り付いたアリーの顔と、彼女に握られた己の手を見る。不用意な発言を決して見逃さず、勝利を確信しているアリーの自信を見た勇は、そっと肩を竦めた。


「よろしくジェニー。海兵隊魂、是非ご教授くださいね。みっちり、演習の間中ずっと」

「はぁ? ちょっとまて、なんだこりゃ。おい」


結局、その瞬間がボルト少尉の敗着であった。異変に気付いた時は既に万事アリーのペース、がっちり掴まれた手を振りほどくことも出来なさそうだ。「じゃ、行こうか」というアリーの掛け声に、暫時沈黙の後で瓢箪鯰のまま返事を返してしまった少尉は、ずいずい引っ張られて会議室へと消え、その後ろに同じくハテナマークを浮かべたウィラが何となくといった体で続く。


恥ずかしいくらいあからさまな挑発に本気の全力で乗っかったボルト少尉の単純な脳もさることながら、言わせたもん勝ちの当世を狡猾に泳ぐアリーへ、勇は畏怖の念を禁じ得ない。


とまれ、まずこんな塩梅で、ボルト少尉とウィラが名簿に加えられた訳である。

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