第2話 その1

てっきり強面の上官達や書類の山に迎えられるものだと思っていた。だが予想に反し、航空団司令部に出向いた勇が頂戴したのは、驚くほどあっさりとした口頭審問のみ。その上「本日は業務なし。休息を取り翌日改めて出頭せよ」なんて命令を賜ってしまった。


とはいえ温情が与えられたのは勇のみで、佐官・隊長・フライトリーダーと三拍子そろったオルズ中佐は口周りに酸素マスクの跡をつけたまま部隊幹部との会議へ突入している。


中佐が去り際に笑顔で言った「今日はゆっくり休みなー。明日は嫌でも忙しくなるんだから、ね!」という台詞に、初歩的なミスを重ねた勇への問責はない。正直な所、それが彼には返って辛かった。いっそ雷を落としてくれたほうがまだ楽なのに。


その上もっと気が重いのは、基地に着陸してからこっち、人に会うたび親愛のこもった賞賛、やっかみを浴びせられることだ。彼らに勇を追い詰める気などは毛頭ないのだろうが、その笑顔を見るたび、自分の不甲斐なさを思い知らされるような気がする。思いがけず得た休み時間にしても有効に活用する術はなく、こうなると生来の小心に伴う後向き思考を存分に発揮して自家中毒的に思考のドツボへ嵌りこむしかない勇であった。


「あ、すいませーん」


最早すれ違いざまの挨拶すら煩わしい勇は、何時の間にかロッカールームの隅に辿り着いていた。今の時間帯は日に何度かある訓練ピリオドの合間にあたり、部屋にも殆ど人気がない。ベンチに座って丸くなり、とつおいつと思考を捏ね繰り回すにはもってこいの場所だ。


「あれ……すいませーん」


今朝の戦闘を思い返すたび、情けなさと恥ずかしさで顔から火が出そうになる。オルズ中佐におんぶに抱っこ、何も出来ずにオロオロ飛んで、訓練中の学生だってやらないようなミスを何度も侵し、挙句機体に描く撃墜マークだけはちゃっかり二つも貰ってしまった。最悪である。


「すいませーん? え、なに、スルー? あの、ちょっとー!」


一番迷惑を被った筈のオルズ中佐が見せる気遣いもまた、針の一刺しとなって彼を苛む。彼女がいつ終わるともしれない会議に拘束されているのも、その責任の一端どころか半分くらいは勇にあるのに。いや、もしかするとあれは中佐による新手の嫌がらせなのだろうか。


「すいませーん、すいませーんってばー!」


……くそっ。中佐がそんな陰湿な事をする訳がないと知っていて尚、あてつけじみた勘繰りをする自分は、なんて卑怯者なのだろう。もうだめだ。自分は屑なのだ、カスなのだ、右利きが使う左利き用の缶きり程にも役に立たない存在なのだ。穴があったら埋まりたい……。


「……もぉー! 無視すんなー!」

「うへぁ!?」


 心中で開かれていた弾劾の会議に突如として背後から現実の声が加わる。面食らった勇が慌てて振り向くと、見慣れないフライトスーツに身を包んだ少女が半ヤードもない距離に立ち、腰に手を当てて苦笑していた。


「やっと気づいた。何度も声かけたんだよ? 私、いつも声大きいっていわれるんだけどなぁ」


 体を小さく傾け、下からこちらを覗き込む少女。その視線に射抜かれた瞬間、今の今まで自分を苛んでいた悩みにあっさり蓋がされ、勇はその透き通るような瞳の色に見惚れてしまう。


いや、我ながら現金なものだと思うけれども、勇とて健全な十七歳の男子である。頭がどんなに悩みで一杯だろうが、ひとたび女の子の瞳に自分の姿が映れば、とりあえず胸が高鳴ってしまうものなのだ。特に目の前でニカリと笑う金髪碧眼ショートヘア娘の容姿は控えめに言って絶世の美少女であり、並みの男子は赤面不可避……あれ、でもこの顔、どっかで見たような?


「まあでもいいや。やっと人が見つかった。三十分位歩いたのに人っ子一人すれ違わないんだもん。そろそろ足にもガタが来てたんだよね」


感じた既視感の出所を求め、少女を観察する勇。自分もこの年にしては小柄なほうだが、少女はそれより更に頭一つ低い。胸には「ALICE WINDSOR」というネームタグが張られている。アリス……ウィンザーと読めばいいのだろうか。


「でさ、聞きたいんだけど、今日の緊急発進任務QRAで飛んでたイーグルのパイロットさん達、誰だかわかる? ちょっとね、伝えたいことがあって」


右肩には王冠の付いたベルクロの部隊章。中心にコウモリが描かれ、「Ⅸ BOMBER SQADRON――PER NOCTEM VOLAMUS」の文字で縁取られている。見慣れない一本帯の肩章は、王立空軍の少尉が使うものだろう。


王立空軍第九飛行隊。同じ部隊の名を、勇は今日、無線越しに聞いた筈だ。


「……えっと、無言で見つめられると恥ずかしいからなんか一言くれると嬉しいなー、って。あ、もしや怪しい子扱いされてる? そういや自己紹介してなかったもんね、こりゃ失礼。今日から暫くこの基地でお世話になる王立空軍第九飛行隊のパイロットで、アリス・ウィンザーです。ENJJPTクラス十四‐七、ピチピチの十八歳。階級は少尉Pit Off、TACネームは――」

「――ミストレス」

「ん? あれ? 何で知ってるの?」


 首を傾げる少女。勇は腕を組み、どう種明かししたものか、と考える。


「あー、えっと。JSUPTクラス十四‐四、ユウ・カマクサ。階級はそっちと同じ少尉2d Lt。見てのとおり日本人だけど、今の所属はアメリカ空軍。五五五EFSのパイロットで、TACネームはファーストネームと同じ。因みに、ついさっきまではアロー五二のコールで飛んでた」


こちらを見つめる少女の、鈴を張ったような瞳が揺れる。そのまま数秒、二人の間に落ちた奇妙な沈黙の帳を破ったのは、少女の顔に咲いた満面の笑顔だった。


「すごい! 運命的!」


少女は勇に熱の篭った視線を向け、飛びつかんばかりの勢いで手を取る。突然手のひらに宿った柔らかな肌触りがひどく気恥ずかしくて、そこから逃れようと体を引く。が、彼女はこちらの腕を強くつかんで離さない。


「わたしね、貴方を探してたの」

「さ、探してた?」

「そう。ホントは駐機場で捕まえるつもりだったのに、基地に着くたび拉致されて着任報告やらなんやらで大あらわ。こちとら地中海をさ迷ってヘトヘトなのにね。ちょっとは労りが欲しいなーって感じ。さっきやっと開放されて、あちこち探し回ってたんだけど……」


 一息にまくし立てた少女は、そこで言葉を区切り、苦笑しながら「この基地、広い」と言う。


「でも、良かった。見つけられた。とにかくね、ずっと伝えたかったんだ」


少女は勇の手を握る力を強め、一歩前に出る。目の前に現れた顔は喜びに光り輝き、だから勇は、眩しくて目を細めてしまう。


「助けてくれて、ありがとう」 


……本来なら、感謝の言葉に自分が組み合わせるのは笑顔であるべきだ。けれども勇は、彼女の言葉を聞いた瞬間、己の体に宿っていた気恥ずかしさの熱がすうっと引き、代わりに押し寄せる罪悪感の波に呑まれ、思わず苦渋の溜息を漏らしてしまった。


「……俺は何の役にも立ってない。礼はいらんよ」

「あれ、照れてる? もーシャイなんだからー。こういうときは素直に喜べばいいの!」

「違う。本当に違うんだって。俺は何もしていない」

「……んん?」


 勇が強い口調で否定し、ミストレスの頭上に見事なハテナマークが浮かぶ。八つ当たりされた彼女は申し訳ないが、今の自分にとって、人からの賞賛は耐え難い苦痛であった。強盗に襲われた女性を見つけ、ただ泡を食って騒いでいたら救世主と勘違いされただけに過ぎない。だから嘘つきにならないために、言い訳を並べ立てる。


「そうだ。俺は編隊長の足を引っ張って、馬鹿でもしないミスをして、ロシア人にはいい様にやられて、なのに撃墜マークだけはついちまったダメ人間だ。屑だ、ゴミだ、蓋が開けっ放しで中身がカラッカラに乾いたウェットティッシュ程にも役に立たない男なんだ畜生……」


終いにはしゃがみこんで床に「の」の字を書きはじめる。なんだか色々どうでも良くなってきた。そうだ、いっそこのまま精神衰弱を理由に休暇を貰えばいい。うん、そうしよう……。


「ぬぅん!」


 突如として勇の頭上に力強い台詞が降り、暖かい何かがこちらのこめかみをがっしり掴む。


「どうりゃ!」


おっさんみたいな掛け声が可憐な少女の口から洩れたのだとは正直信じたくないが、他の可能性があるとも思えない。彼女は勇の頭を無理やり持ち上げ、ずいと体を近づける。


「な、なん」

「しゃらーっぷ! あなたは私を助けて、私はあなたに助けられた。私がそう思ってるんだから、そういうことにしときなさい! OK!?」

「いや、でもやっ」

「おーけー!?」

「お、OK!」

「――ん。宜しい」


勢いに飲まれ思わず頷いた勇。それを見た少女は一転、太陽のように明るい表情となり、彼の頭から手を外す。満足げにこちらを覗き込むその頬には、小さなえくぼが浮かんでいた。


「難しい顔しちゃ幸せが逃げちゃうよ。何はともあれ、笑顔笑顔。考えるのはそっから、ね?」


こちらの口角に親指を当て、むにっと引き延ばすミストレス。殆ど初対面の相手にするような行為では間違ってもないが、彼女の纏うイヌ科の人懐こさが馴れ馴れしさを感じさせない。毒気を抜かれてしまった勇は、無理矢理作らされたばかりではない笑顔を浮かべる。


「お、いいね、その顔。もう大丈夫かな? じゃ、仕切りなおし。うぉっほん――ユウ・カマクサ少尉。私を助けてくれて、ありがとう!」


わざとらしい咳払いをして言う彼女。その瞳は、やっぱり突き抜けるような青色をしていて。だけど勇は今度こそ、視線をしっかり受け止めようという気になる。


「どういたしまして、ウィンザー少尉」

「んへへ。よし。これで貴方も幸せ、私も幸せ、みんな幸せ」


不思議な少女だ、と勇は思う。初対面の相手と友人のように接し、気分が落ち込んでいる事を知れば真摯に励まし、笑顔にさせて、それを己の幸せと言って憚らない。彼女にかかれば、この世に幸せでない人間など消えてなくなるのかもしれなかった。


「って訳で、改めて宜しく。今更だけど、勇って呼んで良いよね? あと私の事はみんなアリーって呼ぶから、勇もアリーって呼んでくれるとうれしーな」

「……ん、わかった。宜しく頼む、アリー」

「よろしく!」


 アリーが差し出した手をしっかり握り、お互いのぬくもりを交換し合う。しばらくそのままでいたかったが、彼女は華奢な腕を勇の手からするりと抜き、背筋をのばして伸びをする。


「さて、これで目的は果たした事だし、今日の仕事はおしまい。にしてもこの基地、ホントに広いね。マーハムも結構なもんだったけど、それ以上だ」


 肩をすくめて手のひらをこちらに向け、胸の当たりで揺らす。驚きを表そうとしたのだろうが、その仕草はやはり小さな愛玩用の座敷犬を思わせる。


「そりゃまあ在欧アメリカ空軍のハブ基地だし、大抵の飛行場よりはデカイだろうな。気持ちはわかる。俺も最初ここに来たときは面食らった。あ、でも一回だけ横田に行ったことあるんだけどさ、この基地の更に三倍くらいあるんだぜ」

「え、ホントに? ここより? マジで?」


アリーが目を丸くしてあからさまに驚きを示し、その反応が楽しくて勇は調子に乗り始める。


「いやマジなんだって。もう基地っつーかいっそ街ぐらいの勢いで……」


そのうちどんどんと無駄話の枝が伸びて花を咲かせ、ものの数分で勇は彼女とのやり取りに夢中となっていた。話の内容といえば下らない事ばかりで、けれども不思議と笑顔が絶えない。あっというまに時間が過ぎ去り、ふと時計を見たらいつの間にか針が数十分も進んでいた。


勇もこれには流石に驚き、いい加減に切り上げようかと思ったが、楽しい時間を終わらせることはやはり中々出来が難く、ついつい話に戻って更に五分。勇が英国料理の大雑把ぶりを冷やかし、アリーが冗談っぽく頬を膨らませ、それに笑って顔を上げた瞬間。アリーの瞳に勇の影がはっきりと映り、彼女は言う。


「ねぇ勇。やっぱり、私達って相性いいと思うよ」


アリーの顔には、相変わらずの笑みが張り付いている。けれども、その裏腹には複雑な感情を宿している気がした。見えない糸にからめ捕られた勇は、少女の虹彩に試すような――もっと言うなら、試した所に望んだ答えが見つからなくて苛立つような、そういう揺らぎを見出す。なぜだろう、彼女の立ち姿に不思議な懐かしさを覚え、胸が戸惑いに震えている。


アリーは黙ってこちらの反応を伺っている。子供のように立ち尽くす勇は、何十分でも視線の槍を突きつけ続けそうな彼女へ、どんな言葉をかければいいのかがわからない。


「アリー! やっと見つけた!」


 二人の均衡の中へ突然誰かの声が割り入り、魔法を解かれた勇はこれ幸いと逃げるように意識を移す。アリーと同じタイプのフライトスーツを着た男がこちらに歩いて向かって来ていた。背は勇より少し高い。貴公子然としたその容姿に見覚えはないが、目が合ったので何となく目礼する。隣のアリーは「……げ、ニール」と気まずそうな苦笑を浮かべていた。


「ったく、聞き取りが終わった途端に飛び出すんだもんなぁ。おかげであちこち走り回る羽目になった。思いつきで行動する癖、どうにかしてくれよホントに」


 口調と裏腹、どこか楽しそうに言う男。アリーは後ろ髪に手を当て、悪戯が見つかった悪童のように舌を出す。親しげなやり取りに割り込めそうな余地はなさそうで、瞬く間に蚊帳の外へ置かれた勇が身の置き場に困って一歩引く。と、男が友好的な笑みを勇に向けてきた。


「ごめんな、こいつ迷惑かけなかった? 悪い奴じゃないんだけど割と面倒臭いタイプだからさ」

「……え、ちょっとニール、それひどくない?」

「いや、別に迷惑とかは……まあ、出会って二分で脳天鷲掴みされたくらいで」

「わし掴みって……ぶふっ、あっはっは! そりゃひでぇ!」

「い、いや違うっしょユウ!? そこはもうちょっと言い方あるっしょ!」


 男の親しげな雰囲気にほだされてつい気安い返事を返してしまったが、相手が気を悪くした様子はなかった。そのままの流れで勇はアリーに視線を向け、男の素性を求める。


「もー、いじめっ子どもめ……ん? なに? あ、そっか。紹介しないとね。こいつはニール・ウォード。一八歳の少尉。『バレット』って言ったほうが良いかな? 私のペアのWSO」

「よろしく、ニールと呼んでくれ。不本意ながらアリーとペアを組んでる。我儘な女主人(ミストレス)にはほとほと手を焼いててさ。そっちもパイロットだよな? よかったらウチのと交代しない?」


それを聞いてまたぶーぶーと反論をし始めたアリーを無視し、勇は差し出された手を握り返す。一瞬でこちらのパーソナルスペースに入り込み、けれどもそれが不快にならないタイプだ。


「まったく……あ、で、こっちはユウ・カマクサ少尉。日本人だけどアメリカ空軍に出向中のイーグルドライバー。わたし達の恩人よ」

「おーあんたが! あのイーグルの!」


 アリーの紹介を聞き、握った勇の手をぶんぶんと振り回すニール。しっかりとした作りのイケメン顔が笑い皺だらけになる。アリーといい、英軍には根明が多いのだろうか。曖昧な笑顔を浮かべながらそんな事を考えていると、更に一つ人影が増えた。


「あれー、勇くん?」


やや疲れ気味の声の主は、他ならないオルズ中佐である。やっと面倒な会議を抜け出せたのだろうか。少尉三人衆は中佐に敬礼、彼女も答礼する。


「どったの、こんなところで?」

「俺は休憩です。中佐こそ?」

「いや、あーゆう会議ってホント苦手でさ、トイレって嘘ついて抜け出しちったよ。だもんで勇くん、誰かに私の居場所聞かれても答えちゃだめだかんね……ところで、そちらの二人って」


 どうやら会議は終わった訳じゃないらしい。上司のサボりを聞かなかった事にした勇は、二人に手を向ける。


「彼女はアリス・ウィンザー少尉。彼はニール・ウォード少尉。二人とも王立空軍の航空要員で、例のパパ・ロメオ二四……」

「確保ー!」


 言うが早いがアリーとニールの肩をがっしり掴むオルズ中佐。その表情からは梃子でも離さないという覚悟が見て取れた。「確保」されたアリーとニールは首を傾げ、訳がわからないといった様子できょとんと勇を見る。訳がわからないのはこちらも一緒であるが、奇行の主は自分の身内だ。とりあえずオルズ中佐に「中佐、何事ですか。二人とも驚いてますよ」と聞く。中佐は「あ、ごめんごめん」とすんなり拘束を解いた。


「いや実はさ、会議でウチの偉い人が君らの話を急ぎ聞きたいとか言い出してね、誰が見たって思いつきなんだけど下っ端としては無視する訳にもいかないじゃん。でも赴任したばっかで連絡先もわからんし、どー探したもんかと思ってたんだよね。そんな訳で、申し訳ないけど私の上司のご機嫌取りの為に会議室まで連行されてちょーだい」


 中佐の必死さが中間管理職の苦労故だとわかってしまった以上、頭ごなしに責める事も出来なかった。確保された英国人二人も気持ちは同じらしく、アリーが「そういうことならご一緒します」と言いい、ニールも頷いて素直に従う意思を示す。


「いやー助かるよ。じゃ、十分後に第三会議室に集合ね。場所は案内板に書いてあるから」


 そう言って出口へ歩き始めたオルズ中佐は、しかし三歩ほど進んでふと立ち止まり振り返る。視線の先にアリーを捉えた彼女の顔は、極めて珍しいことに、僅かな戸惑いを含んでいた。


「えっと、一応確認だけど……普通に接していいんだよね?」


 勇にはその質問の趣旨が理解できず、何のことかとアリーを見る。が、彼女は中佐の言わんとするところをきちんと読み取っているらしく、困惑の様子はない。


「勿論結構ですよ、中佐。私は単なる新米少尉です、存分にこき使ってやってください」


オルズ中佐はそれを聞いて安心したように笑顔を浮かべ、腰に手を当てて肩をすくめる。


「了解。ごめんね、こういうのって慣れてなくてさ。じゃ、改めて宜しく」


そう言うオルズ中佐に、アリーも「こちらこそ」と返す。やり取りの意図をさっぱり汲み取れていない勇が首を傾げていると、ポン、と何かが肩におかれた。


「ま、そういうことだからさ。勇も仲よくしてやってくれ」


 ニールは何がどう「そういう事」なのか一切説明せず、ウィンク一つだけを残して勇から離れる。代わりにアリーがこちらへ寄ってきた。


「ところで勇、今日の夜ってひま?」


 暇かそうでないかで言えば、まあ暇であった。見栄を張る必要性もないので素直に頷くと、アリーは目を輝かせて勇に一歩近づく。


「イングランドからはるばる長靴の踵まで飛んできた私達にはね、十六歳からお酒が飲めるこの国で、是非とも慰労が必要なの。勇ならきっと哀れな英国人を最高のお店に案内してくれるって、私信じてるよ!」


 要は飲みのお誘いであった。あまり夜遊びしないタイプの勇でもなじみの店くらいはある。彼女らを連れて行くことにやぶさかではない――が、何となく悪戯心が頭をもたげる。


「んーどうすっかなー今晩はなーちょっと気が進まないなーめんどくさいなー」


 もったいぶって腕を組み、わかりやすく愁眉を作って俯きながら、他愛のない冗談にアリーがどう反応するかと横目で盗み見る、と。


「……えっと、冗談だよね? マジじゃないよね……あれ、マジ? ……え、ちょっと、泣くよ? 私そういうの結構気にするタイプだからね? 大声で泣くよ? 三日ぐらい立ち直らないよ!?」

「え、えっ?」 


思いのほか激しいアリーの反応に、今度は勇が戸惑う番であった。宣言通りというか、目には涙が浮かんでいる。隣ではニールがニヤニヤとやり取りの行く末を見守り、なんだか良くわからない状態であった。


「あっ、じょっ冗談! 冗談だ! 連れてくから、美味い店連れてくから!」

「ホント? ホントにホント? 嘘つかない?」

「ホント! ホントニホント! ニポンジンウソツカナイ!」

「約束だからね! 絶対だからね!?」 


アリーは何度も念を押し続け、最後は苦笑気味のニールに「ほら行くぞ。お前ホント妙な所で冗談通じないよなー」と背中を押されながら部屋を出ていった。

意外に打たれ弱いな、あいつ。シンパシーを覚えていると、ふと横合いからの視線を感じる。


「……なんすか? 中佐」

「……いやぁ、勇くんは案外物怖じしないタイプだねぇ」

「アリーの事ですか? あんなん、友達同士のじゃれ合いっすよ」

「おお、友達。友達ですか。いやはや、手の早い事。こりゃ勇くんの評価を改めないといけないなぁ。もしかして玉の輿狙っちゃってる? それなら私、全力で応援しちゃうよ」

「何かにつけて色恋沙汰にしたがるの、おばさん臭いっすよ……ってか玉の輿って、あいつ金持ちなんすか?」


 勇がそう告げた間、オルズ中佐は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。はて、おかしなことを言ったつもりはないのだが。


「もしかして……勇くん、彼女の事、知らなかったり、する?」


 勇の「おばさん臭い」に突っ込みが入らない辺り、余程の驚きだったのだろう。だが実際のところ、勇の知識にアリス・ウィンザー少尉の項目は入っていない。首を傾げて言外に無知を白状すると、オルズ中佐は「あー、やっぱり」としたり顔で頷く。


「まあそーだよね。知らない人は知らないよね。そっかそっか、知らなかったか」

「えと、中佐? なんですか、その顔。ニヤニヤして」

「んふ。んふふ。仕方ないなぁ、それじゃあ教えてあげよう。勇くんが慣れなれしーくアリーって呼んだり、イジメて泣かした可愛い女の子の正体。何を隠そう、あの子はね――」


 中佐はたっぷり溜めを挟み、俳優のように大仰な仕草で、告げる。


「――ユア・ロイヤル・ハイネス・ザ・プリンセス・アリス・マーガレット・アンジェラ。英国王の長女で、ウィンザー朝王位の法定推定相続人で、つまりは次の大英帝国女王陛下、アリス一世その人なのさ」

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