第4話 その3

以上、現在に至るまでの経緯である。


「とにかくもう雰囲気がヤバイ! 勉強とかそれどころじゃない! どーしよう!」

 

何度目かわからない「どーしよう」を叫ぶアリーに、勇は冷めた目を向ける。


「……実際問題、メンバーに協調する気がないんじゃどうしようもないだろ」

「……うう。そんな事言わないでよぅ」

 

途端、三日ぐらい水を与えられなかった花壇の花みたいにしおしおと萎れるアリー。先ほどまでの威勢はただの空元気だったらしい。


「第一さ、勉強会とか言いながらやってることは殆ど口げんかだったじゃんよ。あれじゃあ建設的な話なんて出来っこないだろ」

「ち、違う、違うんだよ? 別に喧嘩するつもりは無かったんだけど、なんていうかなぁ、売り言葉に買い言葉っていうか……うん、まあ、反省は、して、ます」

 

らしからぬ細い声になり、頭を垂れてしゅんとしてしまったアリー。その常ならぬ雰囲気を見て、すこし言い過ぎたかと思った勇は、「……いや、まあ誰のせいって訳でもないんだろうけど」とフォローする。彼女は弱々しく微笑んで返したが、その心にまで言葉が届いたかどうかといえば、俯いて前髪に表情を隠してしまった所を見ると怪しいものだ。


「……わかってるんだよね、自分が考えなしなの。我儘言ってみんなを振り回して、悪いと思ってる。でもさ……何もしないで固まってるよりは、いいと思って」

 

以前に同じような事を聞いた時、彼女の顔には向日葵のような笑顔が浮かんでいた筈だ。けれど今、同じ人間がまるで間違いを認める失敗者のように俯いている。


「あーあ。私こういうの向いてないのかなー……」

 

途方にくれたようにうなだれるアリー。その下にある地面が腐葉土のように崩れてずぶずぶ地面に潜っていくんじゃないかという位の落ち込みぶりである。勇は答えるすべを持たず、間をごまかす為にコーヒーをちびりと飲んだ。


どうにも上手くいかないもんだ――無言の内に進む時間をやり過ごしながら、心中で呟く。


一週間前、アリーが突然勉強会と言い出した時。これ見よがしに消極的な態度を取った一方で、実のところ、勇に確かに期待もあった。上官になじられて落ち込み、同僚の不真面目な態度に違和感を覚え。けれど彼女についていけば、そういう諸々の重みを吹き飛ばしてくれるかもしれないと思った。そして多分、勇以外も多かれ少なかれ同じことを考えていたはずなのだ。


例えばジェニー。口は悪いし態度も悪いが、見かけよりずっと議論に積極的だった。例えばニールやウィラ。なんだかんだで話し合いに参加し、意見を述べる場面は結構あった。みな、前向きに話をしようという意気込みを持っていたのだ。そうでなければ、あれだけ刺々しい空気の会議室へ律儀に集まる訳がない。

 

けれど、あるいはだからこそ、意見の衝突がお互いを意固地にしたのかもしれない。アリーは空回りし、ジェニーは態度を頑なにし、ニールとウィラは気まずい空気の中で口数を減らし、そして勇はおろおろと成り行きに押し流されていった。今や「期待」はすっかり陰へと隠れ、担い手になるはずの少女は自分の目前で途方にくれている。それが勇には何故だか無性に気に入らず、喉のあたりがもやもやと不快な感覚に絡みとられる。


……ああ、まずいぞ。せっかくの休日だと言うのに、またぞろヘタレの後ろ向き思考が顔を覗かせはじめた。朝のカフェに相応しい思考をしようと思えば思うほど、逆に胃の腑のむかつきが強まっていく。苛立ちを静めよう手を伸ばしたコーヒーカップは既に空となっていて、それがまた気に入らずにガシガシと頭を掻く。


「おやおや、景気の悪い顔で。どうしたのかね?」

 

突然、勇の心理をそのまま表現したような、ねっとりと湿度の高い声が耳に届く。顔を上げれば、皮肉屋のフランス人、マルチェリ氏がそこに居た。まったく、悪い時には悪い事が続くものだ。


「わざわざ休日にまで集まって、まさかここでも『勉強会?』。熱心な事だ」

 

勇もアリーもマルチェリ氏から視線を逸らし、拒絶を表明する。が、彼にとってその仕草は、己が達成した勝利の裏書きでしかないらしい。視界の端にある顔が嘲笑に歪む。


「いやはや、自己を高めるのは素晴らしい心がけだ。もっとも、その情熱が結果に繋がっていないのは何とも悲しい事だが。NATOの友邦としては残念でならないよ。ああ、全く本当に!」

 

マルチェリ氏のよく回る口を、勇は腹立たしい思いで見つめる。だが反論はいけない。熱くなっては相手の思うつぼだ。あえて火中の栗を拾う馬鹿にはなるまい。


「そもそも君たちのような海に浮かぶ小島の人間が何かを変えようとする事自体、身の程知らずと言えるのだよ。もう少し我々大陸のおおらかで懐深い考え方を見習えばいい。無駄な努力をした後の気分はどうだ? 活動的な馬鹿者ほど恐ろしいものはない、と言ったのはドイツ人だったか。連中もたまには良いことを言う。そう思わないか、『活動的な馬鹿』のお二人さん?」


この野郎――口まで出かけた言葉を辛うじて押し込む。さあ、勇。冷静になろう。自分は今、バイオリズムが悪いのだ。不愉快な時に不愉快な顔を見せられ、不愉快な気分が不愉快極まりなく強まってしまうのも、ただそういう巡りあわせというだけだ。こういう時は、そう、素数を数えるのが良いと聞く。あるいは羊でも――。


「反論も出来んか。ま、せいぜい己の無力さを恥じていたまえよ!」

 

――マルチェリ氏に肩をぽんと叩かれ、反射的に上がったアリーの顔が泣き出す前の赤ん坊みたいに歪んでいるのを見た瞬間、ぷっちん、という気持ちのいい音が頭の芯に響く。


「おうこらテメェ、そのファッ○ン汚ぇ手をどけやがれ!」

 

咄嗟にF言葉を使いこなせたのは、間違いなくジェニーの薫陶のたまものであろう。門前の小僧何とやらという奴だ。


「なっ……なんだね急に」

「ゆ、勇?」


大人しそうな日本人から罵倒されるとは思わなかったらしいマルチェリ氏は怒りより驚きの勝った顔を浮かべ、アリーも「きょとん」と音がしそうな表情になっている。だが実の所、この場で一番戸惑っているのは、断言するが勇自身だ。自分で自分のやらかした事が信じられない。何をしている、落ちつけ、今お前は「通行禁止」と札のかかった道を全力疾走しているんだぞ。


「いいかよく聞けよそこな白人野郎、お前がヘラヘラ何も考えずにお空を遊覧飛行している間な、俺達は頭ひねってお前らのお尻にミサイルが突き刺さらなくなるにはどうしたらいいか考えてたんだ。活動的な馬鹿? 大いに結構、利口な置物になるよかよっぽど上等だ。今に見てろよ。必ず俺達がコゼニスキ大佐をあっと言わせて、お前が俺達に教えを乞うようにしてやるからな。その時に吠え面かいて謝ったって絶対許してやらねぇぞ!」

 

勢いを増す口。それに連動して凍っていく背筋。まて、まて、まて。お前は啖呵を切って喧嘩を買い叩く考えなしの馬鹿であるより、むしろプライドを捨てても平穏を求める安定志向だったろう。止めろ、今すぐ謝って場を取り繕え……だが己の意志とは裏腹、勇の瞳はマルチェリ氏を敵意に満ちた視線で射抜き、指を胸に突きつけたまま動かない。

 

面罵されたフランス人は、その剣幕にかえって毒気を抜かれてしまったようで、赤ん坊が初めて海の色を知ったようこちらの顔を見つめている。勇は成り行き上自分から目を逸らすわけにもいかず、彼がはっと我に返って咳払いをするのを硬直したまま凝視する。


「ふ、ふん。つきあってられん。せいぜい無駄なあがきをすることだ。私は馬鹿共が馬鹿をする様を遠くから眺めさせてもらうとするよ。では失礼」

 

そう言い捨てたマルチェリ氏は、関わり合いを避けるようそそくさと退場した。残された勇は指を突き出した格好のまま固まり、それをアリーが珍しい動物を見るような目で眺める。


「勇……その、えっと」

 

アリーの呼びかけをきっかけに、やっと勇の筋肉が時ほぐれていく。そのままだらんと腕を垂らし、焦点の合わない視線が虚空を彷徨う。


「あのさ。今のってさ、もしかしてさ、私を、その、庇ってく」

「……ぬわぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うひぇっ!?」

「やっべぇよやっちまったよ絶対面倒な事になるよどうしようマジでどうしよう俺の考えなし馬鹿野郎うわあああ!」

 

アリーが驚くのもお構いなし、頭を抱えて唸る。ああホント何やらかしてんだ、やっすい挑発に乗っかってキレて衆目の面前で啖呵を切るなんて、自分の立場を追いつめるだけじゃないか。なんだ、教えを乞う様にさせてやる? 口は災いの元とはまったくよく言ったものだ。出来もしない事を勢いで約束するとか一番アカンやつだろう。

 

己への怒りを込め、両手で髪をガシガシこねくり回す。本当、最近の自分は頭に血が上りやすくなっている。特にここ数週間は立て続けだ。戦闘機の攻撃を受けたアリーをやけくそで庇ったり、フランス人の攻撃を受けているアリーをやけくそで庇ったり。つまりすべての原因はアリーに違いないのだが、その当人は勇の奇声に驚きぽかんとこちらを見つめるばかり……いや、訂正。彼女の顔には今、何故か満面の笑みが浮かんでいる。


「なんだよ。他人の失敗がそんなに嬉しいか」


いやまあ、どうせ何か冗談でも思いついたのだろうけれど。気力の抜けてしまった勇は騒ぎ立てる気にもなれず、義務的に入れた突っ込みの反応を待つ。


「……うん。うれしい。すごくうれしい」


なので。アリーがそう、あまりに気持ち良く断言するものだから、勇は彼女の失礼へ抗議するタイミングを全く逸してしまう。


……ま、まあ。つまり普通ならデコピンの一つでも食らわせる所、無傷で切り抜けたアリーの手腕はさすが美少女の面目躍如という事だろう。言い換えるなら美人は得、という奴だ。


「また、貴方に守って貰えた。本当にうれしいの。ありがとう、私のナイト様」

 

そして、これである。澄んだ空色の瞳にからめ捕られた勇は、何時だって骨抜きにされてしまう。本当に、美人は得だ。


「……さぁて、勇のお蔭で目が覚めた! ウジウジしてたって始まらないし、やったるか!」


男の純情を弄ぶ悪女は、こちらの戸惑いなど知らず、元気いっぱいに宣言する。先ほどまでの塞ぎ込みぶりなどまるでなかったかの如く、浮かんでいるのはいつもの笑顔。やっと頬の赤みが引いた勇は、それを見て小さくため息をつく。まあ、彼女が元気を取り戻せたのなら自分の暴走にも少しは意味があったのかもしれないと慰めにもなろう。


「そんな訳でカマクサ=サン。これから忙しくなりますよ? なんつったって『コゼニスキ大佐をあっと言わせて』? フランス野郎が『吠え面かいて謝』って『俺達に教えを乞う』ようになるくらいの大活躍をしなきゃいけない訳ですから? ま、あれだけ大口を叩いたカマクサ=サンなら余裕でしょうけれど? そこんとこどうなんすか? ん? どうなんすか?」

 

勇はアリーの額に全力デコピンを食らわせ、己の浅慮を恥じた。元気すぎるのも考え物だ。

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