第4話 その2

七日目は休息日だ。演習は休み、フライトも基本的に無し。基地の隊員たちは休日を各々好きなように過ごしているようで、人影はまばらだ。だがそんな緩やいだ空気の中、勇はどっと疲れた気分で基地内のカフェ「イーグルズ・ネスト」に居た。


「どーしよう!?」

 

目前に座るアリーは困り顔と表現するほか無い、眉間にしわを寄せ垂れがちな目を無理やり吊り上げた表情で言う。ついでにちょっと涙目だ。


「……どうしようって、何が」

 

上下ジャージの部屋着姿で、目じりを拭いながらつぶやく勇。とはいえ彼女が言わんとしている事は大体予想がついている。あえて聞いたのは自分の予想が外れるよう祈ってのことだ。だが残念な事に、ぴったりしたジーパンに長そでシャツというラフ出で立ちのアリーは、勢い込んで前のめりになりながら予想通りの事を言う。


「勉強会! どーしよう!?」

 

何がしかの解決を得られるのではと期待するように、こちらじっと見つめるアリー。だが勇はそれへ答える気がおきず、ため息を飲み込むために紙コップに入ったコーヒーを啜った。


       *


ここ数日を思い返せば、勇はストレスの嵐に翻弄される大海の小魚であった。


連日の演習における青軍の成績は悪化こそすれ改善の糸筋は露程にも現れず、コゼニスキ大佐の目ばかりがつりあがる。それでも時間を見つけてはこまめにメンバーを招集したアリーだが、それら一連の「勉強会」にしたって実があると内容はとても言い難かった。


課題だけは山のように見つかるのだ。それは良い。だがその解釈と解決が求められたとき、メンバー、というよりアリーとジェニーの意見は鋭く対立した。


例を挙げよう。まず敵対領域における電波妨害。攻撃隊が赤国領空内へ侵入する際、青軍は各空域に電子戦機を配置し赤国IADSに電波妨害を行う。だが赤国防空部隊はしばしば侵入した攻撃隊に対して妨害をかいくぐって攻撃を行い、青軍は作戦遂行に支障をきたしている。


この課題に対して各々の意見は次の通りだ。まずジェニー。「ストライクパッケージが敵対領域への適切な侵入方法を選択していない。電波妨害は万能でなく、効果的な運用には防衛対象の協力が不可欠である。にもかかわらずストライクパッケージは理解しがたい単調さで敵対空域へ侵入し、あまつさえ同じルートを数日間選択し続けた。結果として攻撃隊は自らを高いリスクに晒し、ディフェンシブSEADやEW部隊の負担が増大している」


対してアリー。「ルートについては政治的理由から速度・高度・時間・方位に至るまで厳格な指定が入っており、限られた選択肢の中で少しでも効果的に攻撃を行おうと思えば侵入方法が単調になるのは避けられない。そもそもストライクパッケージ側もこれらの制限によって作戦目標達成のため攻撃部隊の大規模化を余儀なくされており、その意味では被害者だ」。


また、例えば目標識別。その設定上、本演習は戦域に非戦闘員と民兵が混合しており、極めて緻密な敵味方識別が必要だ。だが高度一万五千フィート上空から小型双眼鏡やターゲティングポッドの電子光学的画像越しに地上を眺めたところで、お手製カチューシャロケットの発射筒や機関銃搭載のテクニカルを民家の物干し竿や廃品回収の運送トラックと見分けるのは難しく、正確なIDが著しく困難になっている。


この時もまた二人の意見は対立した。アリー曰く、「根本的な原因の一つにSEAD/EWの積極性のなさがある。現状、既知のSAM陣地三十二か所のうち無力化が確認されているのは僅かに四。目標識別を行うためには低空へ降りるのが最も確実だが、IADSの脅威が健在な状態では自殺行為だ。またJSTARSやU-2などのISR機もIADSのシグナルを探知できずミッション中止となる事が何度もあり、攻撃隊の任務遂行に著しい問題が発生している」。


ジェニーが反論して、「敵軍がSAMの壁を作って積極的に活動しているならともかく、現状赤軍IADSは活動が非活発で分散秘匿が行われている。また敵は地下通信網を用いて遠隔地の遠距離レーダーやシステムを連携させており、無力化をより困難にしている。そのような状態でSEAD/EWが出来る事は多くない。そもそもSEADの成功には適切なISR情報が不可欠であり、問題の根源はむしろ正確な情報がタイムリーにあげられていない事である」。

 

険悪な空気の中、お互いが揚げ足取りのように揶揄するというやり取り。おろおろするウィラ。首を振って呆れるニール。決死の覚悟で二人を制止する勇。ますます意固地になるアリーとジェニー。負のスパイラルが連日続き、雰囲気は悪化の一途を辿っていた。既にアリーとジェニーは喧嘩が主目的となり、ウィラもニールも二人の剣幕に圧倒されてどんどん椅子が後ろに下がる。ここまでくると勇も仲裁に入る勇気などなく、ただ首をすくめて悪夢が過ぎ去るのを待つしかない。最早勉強会の崩壊は時間の問題と思えた。というか、我ながらあのキリキリ音を立てて凝固していく空気の中でよく今まで逃げ出さずに耐えたと思う。自分を褒めてあげたい。

 

だからそんなふうに過ぎ去った数日の後、勇は今朝の目覚めを心底満喫していた。本日は訓練なし、即ち勉強会もなし。終日自由が堪能できる。ああ、これからの十数時間は久々に穏やかなひと時となるだろう。今こそは実家から送られてきたアニメの山を崩すべき時に違いない。

 

勿論、勇の考えはけだし浅はかと言う他なかったのだが、それが証明されるまでは更に十五分が必要だった。即ち勇がふと尿意を覚え、トイレへ行こうと部屋の扉を開け、そこに私服姿で仁王の如く立つアリーの姿を認めた、正にその瞬間までの十五分である。


「おはよう勇! 今朝の調子はどうだい!」

「…………お、おう。まあそんなに悪くない、けど」

「それはよかった! じゃあちょっとついてきて!」

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