第8話 その4

思惑通りだ。ユーゴスラビア防空軍ブドヴァ・バール管区司令官のデヤン・グルビッチ大佐はニヤリとほくそ笑んだ。


ロシア製長距離捜索レーダーサイトの地下に造られた防空指揮所は古い空調のせいですこぶる居心地が悪いが、今はそれも気にならない。正面の大型プロジェクタスクリーンにはレーダーが捉えた侵略者どもの位置が克明に映し出され、やはりソ連から得た最新鋭の地対空ミサイルが迎撃を始めている。幸いなことにミサイルはロシア人の売り文句通り機能したらしく、直ぐに数機の撃墜が報告された。スクリーン上の光点が損害にひるまず馬鹿正直に進路を維持しているのは連中なりの意地かもしれないが、無駄なあがきだ。

 

熱狂的な大セルビア主義者のグルビッチとしては、民族の悲願を子供じみた陣取りゲームの札として扱うロシア人に助けを求めた祖国のやり方に不満が無いわけではないが、今は贅沢も言うまい。「ベオグラードを中心としたユーゴ」という当然選ばれるべき姿を否定し、それどころかクロアチア人やアルバニア人やボスニアのイスラム教徒、そういった偉大なるセルビアに寄生するゴミ虫どもへ過大な権利を付与した傲慢なるアメリカとその腰巾着どもに鉄槌を下せたのだ。これ以上の喜びはないだろう。


「目標番号二十、撃墜を確認。これで十二機目です」

「よろしい。そのまま続けろ」

 

更に数機が空から引きずり落とされて消え、グルビッチの気分を高揚させる。普段あれだけ威勢のいいヤンキー共も、いざとなったらこのざまか。まったく、やはり私は正しかった。上層部の臆病者どもは卑怯なアメリカの事を必要以上に恐れているが、穢れなき愛国心の正義に鍛え上げられたセルビアの敵ではない。連中も我が民族の優秀さを思い知っただろう。これに懲りれば勇敢なるセルビアに余計な手出しをすることもなくなる筈だ。ああ、大セルビア万歳! 


「あの、大佐殿」

「……なんだ。報告は手短にしろ」

 

心中で鳴りやまぬ喝采を浴びていたグルビッチは、栄光の時間を遮られ不愉快な気分になる。部下は皆無能ばかりだ。後でしっかり教育してやらねばならない。


「先ほどからレーダー画面に乱れが見られます。おそらく電波妨害かと」

「今更か? まあいい、対電波妨害手段実施。各高射隊とも連携、一匹たりとも敵を逃がすな」

「いえ、ですが……その」

「報告は手短にと言っただろう。貴様はその程度のこともできんのか」  

「あの……実は、つい先ほどから第一防空大隊との連絡が取れなくて」

「なら出るまで呼び出し続けろ! それくらいの仕事はしたまえ!」

 

歯切れの悪い回答にグルビッチは苛立ちを募らせる。全く、出来ない人間の上に立つと苦労する。おおかた防空大隊の連中も戦火に浮かれて気を抜いているのだろう。怠慢もいいところだ。祖国を守るべき兵士がこの体たらくとは。風紀の刷新が必要だ。後で纏めて譴責してやる。


「……大佐殿」

「なんだ、出たか」

「……第一大隊以外の部隊も連絡が取れません。管区内の防空陣地が軒並み通信不能で」


その報告を聞き、大佐も流石に違和感を覚えた。一か所ならともかく、複数ある管区内の施設が全て? 何がしかの異常を検討する必要がある。しかし、まず攻撃をうけた可能性はリストから消そう。侵略者はSAMの脅威となる場所に到達するよりも先に無力化している。これは確実に確認済みだ。通信は有線だから妨害の影響も殆どない筈である。サイバー攻撃? その徴候があるという連絡はなかった(セルビアのサイバー部隊はアメリカと互角の装備を持つ唯一の存在だ)……となると、やはり怠慢としか考えられない。けしからん。


「シェニツァに連絡。迎撃機を追加で上げ防空監視強化。それと高射隊の責任者は全員更迭だ」

「それが……たった今、シェニツァとの通信が途絶しまして、直前に、その……攻撃を受けている旨の通信が」

「……何だと?」

 

グルビッチが思わずそう聞き返すも、部下は不安げに目を泳がすばかり。不安を感じたグルビッチは、手元にある暗号電話から受話器を取ってシェニツァをコールする。スピーカーから漏れるのは、不通を示す電子音。まさか……何かの間違いだろう。我が防空システムは侵略者どもにきわめて有効な打撃を与えた。敵の攻撃部隊の半数を撃墜したのだ。残余の機で効果的な反撃など出来るわけがない。にもかかわらず、我が方に、損害が出ている? これではまるで――侵略者どもが、地獄からよみがえったようではないか。


「……全部隊に状況を確認させろ! 何が起きてるか把握するんだ!」


部下達が慌ただしく無線のボタンを切り替え、管区内の拠点に何度も応答を呼びかける。しばしの時間があり、報告された結果は絶望的だった。全て応答なし。何処も、何処からも。


次の瞬間、バツン、という破裂音と共に、グルビッチの視覚が失われる。いや、違う。指揮所の電力が喪失したのだ。目の前にいるはずの部下すら姿が見えず、非常灯の薄明かりだけが辛うじて薄赤い光を漏らしている。


「なんだ! クソ、こんな時に停電か! 早く予備電源に切り替えろ、今すぐ!」

「だ、だめです、切り替えられません! 全電源系統が失われています!」


くそ、ここにいても無能共が無為な報告をするだけだ。苛立ちが頂点に達したグルビッチは、部下に一言「外に行く!」と告げて殆ど反射的に指令所から離れ、上階へ上り始めた。こうなってしまったら信用できるのは自分の目しかない。長い階段を息切しながら登り切り、カードキーを通して頑丈なドアを開ける。


飛び込んできたのは、夜明けの薄明かりに染まる空。そして……青白い火花。変電施設が、明らかに異常なスパークを放っている。茫然とその光景を眺める彼の足元に、何かがあたる。拾い上げれば、銀色の小さなケース。BLU‐114/Bという刻印が入り、中には髪の毛のように細い糸が詰まっていた。


遠くから爆発音。反射的に顔を上げれば、夜空の一角を、オレンジ色の光が染めている。あちらは……たしか、第一防空大隊の展開地域がある方角だ。


「……何が起きている。誰か、この状況を説明できるものはいないのか! 誰か! 答えろ!」

 

遠くから響く雷鳴のような飛行機のエンジン音だけが、グルビッチの問いに答える。

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