第8話 その3
オペレーションズ・デスクから現状の説明を受け、勇は駐機場へと続くドアをくぐる。夜の静けさは肌に張り付く夏の大気を満たし、着慣れた装具のガチャリと鳴る音が遠くまで響いた。
指定の発進時間まで……あと十数分。限られた時間の中で、自分は出来るだけの準備をしたと思う。ここまで来たら、やってやるだけだ。
「早いね」
先ほど勇が出てきたのと同じ場所から、アリーがニールと共に歩いてきた。開いたドアの向こうを見れば、勉強会メンバーの仲間達もオペレーションズデスクに集まってきている。
「じっとしてられなくてさ……お前らもか?」
答えず、肩をすくめるアリーとニール。三人で肩を並べ、穏やかな風の走る音を背景に立ち尽くしていると、やがて仲間達もやってきて同じように勇達の周りへ並んでいく。東の空にほんの少しだけ姿を現した明るみが、僅かずつ星の瞬きを覆っていく様を眺め、しばしの無言。こういうとき、それを破るの誰だか、勇はよく知っている。
「――そうだ。みんなに、これあげる」
予想通りの人物が、空色の瞳をくるくると動かしながら前に出て、皆の間を歩き何かを手渡していく。最後に勇の前に立ち、小さな塊を握らせた。笑顔のアリーに見つめられながら手の中を覗くと、小さなチョコレートの包みが一つ。
「まだ食べちゃだめだかんね。全部が終わって、祝杯を挙げるときまでとっといて」
腰に手を当てて言うアリー。何かの映画で、同じようなやり取りを見たことがある。任務の成功を祈って、ポケットに一本の葉巻を忍び込ませるパイロット達。すべてが大成功に終わった時、彼らはそれに火をつけ、勝利の紫煙を燻らせるつもりでいるのだ。
「……ま、葉巻よかチョコレートのほうが俺達らしい、か」
勇が言って、アリーが小さく笑い、それが仲間に伝染していく。歌うようなざわめきの中で、一人ひとりが顔を見ながら頷きあう。信頼の確認。大丈夫、自分達ならやれる。お互いにそう信じあえることの心地よさ。多分、皆も同じものを感じているはずだ。
「ヘイ、勇。ジョン・ウェイン。おめぇがリーダーだ、出撃の号令をかけろよ」
ジェニーが悪戯っぽく言い、勇は苦笑する。そういう役回りではないと思っていたのに、気づけばこんな扱いだ。まあ、面と向かってリーダーと言われるのは……悪い気分でもない。
「……さて、諸君。本日の任務は次の通りだ。セルビアの連中をぶちのめして、オルズ中佐をかっこよく助けて、最後に揃ってチョコレートを食べる。以上、何か質問はあるか」
どこぞの大佐宜しく鉄仮面を装って皆を睨みつける。仲間達は破顔して頭を振り、誰かが「にてねぇー!」と突っ込む。笑顔の波が収まるのを待って、勇は肺いっぱいに空気を吸った。
「よろしい。それでは――全員、出撃!」
応! と見事に揃った答えがあり、皆それぞれの愛機へと向かっていく。勇もそれを見送り、自身に割当てられた機体へと歩く。
機付整備員へ敬礼、握手。手渡されたチェックリストに目を通し、問題が無いことを確認してサイン。機体の周りをぐるり一周して目視チェック、すべて正常。機付整備員達は機体のコンディションをよく保ってくれている。
機首左側のタラップに取り付き、操縦席に滑りこみながら機器パネルをチェック。INSモードSTOR、IFFマスターモードNORM、マスターアームSAFE。予定飛行経路を記録した「ブリック」と呼ばれるデータ移送カートリッジをレセプタブルに挿入する。
整備員がハーネスを締め付け、それを合図にエンジン始動手順を開始。エンジンマスタースイッチ及び
スロットルのフィンガーリフトスイッチをアップ、右エンジンをJFSと接続。エンジン回転計の針がゆっくりと目盛を読み上げ始める。再度火災警報テスト、正常に作動。
スロットルプッシュ、出力十八%位置。JFSの金切り音が一瞬途切れ、直後に一層甲高く荒ぶり始める。警報パネルテスト、ランプがいくつか点灯。EMER BST ON、BST SYS MAL。タービン回転数が二十三%に達したところでインレットダウン、
バイザーの向う側、駐機場のあちこちに白く強い航法灯の光が明滅し始めている。鉄の獣たちが御者の鞭に答えて目覚めたのだ。エンジンタービンが咆哮して輪唱のように重なり、アルトからメゾソプラノ、そしてソプラノへ上り詰めながら夜明けの空の静けさを破っていく。
インカムから漏れ聞こえてくる地上管制の指示。猛獣使いの掛け声に合わせて、ひときわ甲高く嘶いた獣が、一頭ずつ前へと進み出でていく。それはまるで、巨象の群れ。勇も付き従う一頭となって、
地上の夜はまだ明けない。だが、その先にある空は、もう新しい一日を見つけているだろう。勇は、漆黒の一本道の先にある朝日へと飛び込んでいく。
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