第8話 その8

『勇! 目標を振り分けるソート北側の機を攻撃せよノース!』

『了解、目標捕捉ロックド北側の敵機ノース!』


 ウィーゼル二三の指示に従い、目標を割り振られた目標を捕捉。ウィラのおかげで敵の電波妨害は弱まっているが、ある程度距離を詰めなければ命中は期待できない。エンジン推力最大、間合いを狭める。と、距離三〇マイルで急激にフランカー二機が方位を変更。直後、レーダーから消える。


『しまった、反応喪失フェイデッド! ビーム位置に持ってかれた!』


 ウィーゼル二三が焦った声を出す。いかに高性能なレーダーだろうと、ドップラーがゼロになる位置の目標を探知することは出来ない。だが、それはあくまでレーダースコープから消えただけという話。敵は必ず空を飛んでいる。ならば、探せば見つからない道理はない。勇は機体の機首方位をずらし、レーダーのスキャンレートを上げる。


『ウィーゼル二四、レーダーに感有ヒット!』


 大当たり。敵は当たりを付けたとおりの場所を飛行していた。最後の探知より数千フィート高度が上がっているのは、姿をくらました間にこちらの頭を取ろうと準備していたのだろう。


『こっちじゃ見えない! 勇、指揮権を一時的に委譲するプレス!』


ウィーゼル二三からの命令へ反射的に『了解!』と叫んだ勇は、責任の重みを感じる暇も無く編隊の前に出た。操縦桿を引き、高度を上げ、レーダーに映る一機のフランカーに対する攻撃位置を……まて、一機? 


おかしい、先ほどまで敵機は二機編隊を組んでいた。機動中にはぐれたのだろうか。いや、こちらの位置を正確に読んでビーム機動に寄せるような凄腕の連中だ、それはありえない。となると……囮か!


直感的に機体を反転させ、地面側を頭に向けてキャノピー越しに眼下の空へ目を凝らす。一瞬だけ視界の端を掠めた二つの光を追いかけ焦点を合わせてみれば、高速で動く青白い筋は、間違いない。双発機がアフターバーナーを点火させている、その炎だ。


勇はじっと目を凝らし、目標の姿形を頭上の黒い大地から縁取ろうとするが、まだまだ薄暗い払暁の空は目標のシルエットを捉えられるほどの光量を持たない。レーダーの視野角から外れているためIFFは当てにしない方が良いだろう。もしあの機体が付近を飛ぶ味方戦闘機なら、と思えば迂闊に攻撃もできないが、まあいい。何も電子装備だけが敵味方識別の手段ではないのだ。勇は咄嗟の判断で無線のスイッチを入れ、叫ぶ。


『ウィーゼル二四より空域全機オンガード、今アフターバーナーを使っている機は十秒だけ切ってくれ!』


 即座に皆から反応があり、数秒後、アフターバーナーを焚いている味方機は空域から消えた。そして、勇の視界に居る奴は――まだ、炎の尾を引いて飛んでいる。

 

間違いない、低空の機体はフランカーだ。高空の一機を囮に、水面下から此方の顎を食い破ろうとしていたのだろう。だが、そう簡単にはやらせない。


『ウィーゼル二四、低空ロー目標視認タリー捕捉ロックド! ウィーゼル二三、高空目標に対応せよソートハイ!』

『ウィーゼル二三、振り分け了解高空目標ソーテッドハイ!』


 ここまで敵機が離れていると、僚機との連携を保って一機ずつ対応する事は難しい。勇はウィーゼル二三に高空の敵機へ対応することを指示し、自身は低空の機と一対一の勝負を挑みにかかる。操縦桿を強く引いてスプリットS機動。高度を一気に落としつつ、フランカーの頭を抑える。強烈なGが体を座席に押し込み、瞬間的に加速度計が一二Gを記録。

 

レーダーを自動捕捉に切り替え、ボアサイトモード選択。目標ロック、直ちにAIM‐120中射程ミサイルを二発発射。だがフランカーもこちらに気付いたらしく、巨体がぐらりと揺れ、一気に機首を上げて力任せに上昇を図る。


フランカーのサトゥルンAL-41F1Sエンジンは有り余るパワーで機体を起動させ、勇の放ったミサイルをいともたやすく交わすと、反撃とばかり中射程ミサイルを放つ。今度はこちらが逃げる番だ。イーグルのプラット&ホイットニーF100‐PW220エンジンはフランカーのそれより推力が低いが、位置エネルギーを生かしてその不利を相殺しつつ加速。チャフとフレアを撒き散らしながら防御動作を行う。勇の機の主翼下を闇の中から現れたミサイルが走り去り、遥か遠くでオレンジ色の火球になる。おとりのフレアに食いついてくれたようだ。

 

お互い第一撃を交わし、二機は至近距離で交錯する。勇は捕捉モードをボアサイトからHMDスーパーサーチに変更、短射程ミサイル選択。サイドワインダーのシーカーが即座に電気冷却され、レーダー連動スレイブモードで起動する。

 

HMD越し、縦横無尽に空を駆け回る鶴を、勇のイヌワシが荒々しく追う。お互いが絡み合うよう踊り狂い、重力加速度で足の裏に溜っていく血が重い。


敵の後姿を探して機体を捻り、頭を取られないよう高度を上げつつ旋回。右手側やや上方、バイザーにターゲットボックスが入り込む。フランカーはこちらの背後を取るべく旋回勝負を仕掛けてきた。勇はエンジン温度と燃料残の数値にちらと目をやり、多少の余裕がある事を確認してからスロットルをプッシュ、操縦桿を乱暴に引きつける。失ったエネルギーを無理やり取り戻す大推力旋回、二機は再び向き合う。

 

相手の機影に視線を向け、レーダーロックを待つ。だがトーンを得る前にフランカーはひらりと翼を傾け、ミサイルのシーカー覆域を飛び出した。再び航跡が空中に重なる。

 

お互い接近した状態での格闘戦。すれ違っては振り返り、またすれ違ってを繰り返す。最新鋭の装備を持ったマッハ二級の戦闘機がリヒトホーフェンの時代と変わらない一騎打ちを演じ、勇は息を切らしながらフランカーの後を追う。脳は壊れた蛇口のようにアドレナリンを放出し、Gの洗礼が全身の毛細血管を破るチリチリとした皮膚の痛みすら心地よく思えてくる。

 

ピリリリリ、とレーダーミサイルの攻撃警報。チャフとフレアを発射して回避。これは牽制、本命は続いて来るはずのIRミサイルだ。恐怖を抑え込んで惑わされまいと目を見開き、予想通りに飛んできた槍の一本を寸での距離で躱す。何度目かわからないすれ違いざま、一瞬だけ大きくなったシーカートーンに急かされるよう、反射的にミサイルを発射。獲物へ食いついたかに見えたガラガラヘビは、しかしフランカーの腹をかすめて朝焼けに消えた。

 

お互い決め手を欠いたままの膠着状態。勇はそれを打破するため、相手が背を向けた隙を突き一気に上昇を図る。高度差を付けて逆落としに襲い掛かろうというこちらの意図を読んだに違いないフランカーもまた、一瞬だけ遅れて上昇を始めた。

 

お互いほぼ同高度を保ったまま、背中合わせにぐんぐんと空の果てへ。徐々に二機の距離が近づき、そのうち相手パイロットが飛行服の肩に張ったワッペンすら読み取れるほどになる。

 

奇妙な密集編隊。これはチキンレースだ。先に根負けしたほうが撃たれる。

 

実用上限高度は二機とも似たようなものだが、上昇率は推力重量比に優れたフランカーのほうが上だ。このままでは良くて相討ち、悪ければフランカーに頭一つ抜け出され、上から齧り付かれるだろう。勇は絶望的な気分で相手を見上げる。ダメだ、勝てない。

 

こうなったら、いっそ体当たりでもしてやろうか。またぞろ自暴自棄の思考が飛び出し、勇はそれを妙に冷えた頭で検討する。フランカーを排除すれば、少なくともヘリは逃げ切れるだろう。もちろん勇は脱出をしない。一人助ける度に一人要救助者が出るのでは無限ループだ。勇の殉職を家族は悲しむだろうが、オルズ中佐がきっと真摯な戦死報告を書いてくれる。それに英雄的な自己犠牲行為は上手くいけばメダルオブオナー、残された家族の名誉は守られ遺族年金その他お得な特典までついて来るはずだ。

 

よし、やろう。そう決心した瞬間から心中は驚くほど穏やかになり、末期の台詞を考える余裕すら出てきた。やっぱり伝統に則ってバンザイを叫ぶのが良いだろうか。それとも映画を参考に「ハローボーイ! アイムバアアアック!」としたほうが良いかもしれない。だがまてよ、これは宇宙人相手じゃないと締まらないな――。

 

――その時。勇の胸ポケットから、何かがポロリと零れ落ち。

 

轟音と震動に支配されたコックピットの中、それに気付けたのは、多分奇跡なのだと思う。

 

射出座席の背もたれに引っかかった小さな塊を手に取って覗き込めば。

 小さなチョコレートの包みが、掌の中で「約束を守れ」と勇に言った。

 

……ええい、くそ。本当にあのお姫様は、こちらの心を絶妙のタイミングで揺さぶってくる。


勇はニヤリと口元に笑みを浮かべ、やけっぱちの自己犠牲思考を頭の中から振り払う。わかったよ、それじゃあ、諦める前に一つ悪あがきをしてやろうじゃないか。良くて勝率一分の賭けだが、少なくともゼロではない。

 

首を上げれば、相変わらずピタリとこちらに寄り添うフランカー。勇は穴が開くほどそいつを見つめ、機会をうかがう。さあ、タイミングが命だ。まだ、まだ、まだ。深呼吸しながらその時を待ち構え……そしてフランカーが推力を増し、こちらの頭を取ろうと前に出た、まさにその瞬間。勇はスロットルを限界まで引き絞り、一気に速度を落としにかかる。エアブレーキ全開、フラップ着陸位置、ついでに脚まで下げようと思ってそれは流石に思いとどまる。


急激に抵抗を増した機体がギシギシと嫌な音で鳴く最中、吹き飛ぶように遠ざかっていくフランカーのパイロットがこちらを見て首を振るのを、勇は確かに見た。大方「狂気の沙汰」とでも思っているのだろう。その通り。空戦中に自ら運動エネルギーを捨てるなど、両手に松明を掲げてガススタンドを練り歩くようなものだ。しかし、勇はその狂気にこそ活路を見出した。急減速の結果、ほんの一瞬だけフランカーの真後ろに陣取る時間を得たイーグルのミサイルシーカーが、巨鳥の排熱をはっきり捉える。

 

さあ、最後のチャンスだ。これを外せば今度こそアウト。速度と高度を回復する暇もなく、反撃に出たフランカーに容易く喉笛を食い千切られるだろう。頼んだぞ、とチョコレートを握り締め、シーカーを解放アンケージ。シーカートーンは嘶き続ける。


『ウィーゼル二四、短射程ミサイル発射フォックストゥー!』


 コールと共に発射されたミサイルが一直線にフランカーのエンジンへと吸い込まれ、数秒後、勇の視界を閃光が覆う。反射的にブレイク、網膜に焼き付いた光の残滓を瞬きで追い払い、ついさっきまでフランカーの居た場所を見る。

 

そこにあったのは、劫火に焼かれる巨鳥の亡骸と、紅白に塗り分けられたパラシュート。国際救難周波数二五四ガード越しに、フランカーのパイロットがどこかしらへ救助要請をしている。


「…………勝っ、た」

 

勇はまるで実感のないまま、その光景を暫し見つめる。


『サンディ二一、海上に到達フットウェット! 今しがた派手な花火が見えたが誰がやった!? まさか一人助けたってのにまた一人助けが必要になった訳じゃないだろうな!?』

『ウィーゼル二三、こっちのフランカーは落とし損ねたが追い払った! 勇は、ウィーゼル二四は無事か!?』


 勇の安否を問う声がどこからか届き、それから何故か無音が続く……ああ、そうだ。自分が答えなければいけないのだ。そう考える事にすら時間を要するほど疲労困憊していた自分の体に鞭を打ち、無線のスイッチを入れる。


『……こちらウィーゼル二四、敵一機撃墜スプラッシュワン。自分は五体満足です。やってやりましたよ』


 答えながら機体を水平飛行に戻すが、胃から待っても返事が来ない。なんだ、ねぎらいの言葉一つぐらいあってもよいものだが。寂しいものだと勇がため息をついたその時。


『……こぉぉぉぉのファッ○ン馬鹿野郎が! 心配かけさせんな畜生!』

『本当ですよ、寿命が縮まりました!』

『同じくだわ! でも結果を出したのは流石リーダー、私に子供が生まれたら名付け親になる権利をあげる!』

『おい勇この野郎お前ばっかりナンパのネタ増やしやがって! うらやましいぞ!』

『右に同じく! でも可愛い女の子紹介してくれたら許してあげるよ!』

『フン、軟弱な日本人だが今回は賞賛に値する!』

『ホントお前最高だよこのムービースター! アリー、お前もなんか言ってやれ!』

 

畳みかけるように無線からあふれる仲間たちの言葉。トラフィックの増大で無線が混信気味になる中、勇は碌に返事もできずこそばゆい気持ちを持て余す。仕舞いにはついさっき救出されたばかりの直属上司まで『んふふ、勇君てば人気者じゃなーい。良い部下を持てて鼻が高いわー』とか言い出したものだから流石に辛抱ならず、無理やりにでも話題転換をするべく『ちゅ、中佐。ご無事で何よりです。お怪我はありませんか?』と割り込む。


『んもー健康健康! お腹が空いて溜んないよ、なんせMREが美味しいって思えちゃうぐらいだもん、相当だよね! あ、そうだ基地に戻ったらまずやらなきゃいけないと思ってたんだ、MBタイクラブの入会申請! ……ん、でもACES2ってマーチンベーカー製じゃなかったよね? あれ、どうしよう! 折角ネクタイもらえると思ってワクワクしてたのに!』

 

うん、いつも通りの中佐だ。明るい声に心底安心しながら、勇は基地への帰還ルートへと進路を取る。キャノピー越しに見る空の夜は既に明けきり、雲海が朝日を反射して、勇の周りを飛ぶ仲間たちの機影をくっきりと照らし出していた。データリンクで確認するまでもない。参加全機、無事に帰還。


『……よかったね、勇。みんなで一緒に、チョコレート、食べられるね』


 ぐずり、と鼻をすすりあげる音が、アリーからの無線に混じる。感極まった顔を思い浮かべながら、勇はしかし、それをからかう気にならない。今、皆はどんなに気の利いた饒舌よりもしっかりとお互いの意志を通じ合わせているのだ。その涙の喜びも、等しく例外ではない。


 ヘリを中心に、仲間達は勝利の隊列を組んでわが家への帰途へ着く。アドリア海の朝焼けを浴び、キラキラと光る翼の美しさを、心行くまで堪能しよう。それが自分達への御褒美だ。


『――ああ、私は不愉快な地上の束縛から正に解放され、銀翼の笑顔を従えて空に踊る』


 アリーの柔らかな声が、空を行く仲間たちの間に響く。そうだ、この詩だ。勇を空へと連れて来てくれた、美しい詩だ。


『太陽へと昇り、散り散りに広がる雲の歓喜に満ちた転回へと加わって、夢中にすら夢見ない数百の事を成し遂げ、高き空の、陽の光の静けさの中を、廻り、昇り、揺れるのだ』


 誰もかれもが、聞き入っていた。この場所の素晴らしさを、彼女の謡う言葉の一つ一つに見出し。ガラス細工のようなきらめきを壊さないように。


『私はそこに漂い、喝采を上げる風と共に駆け抜け、熱を持った機体を足場のない空のホールに躍らせる』


 彼女はそこで、言葉を区切る。今この時間を、堪能するように。


『……これはね。大昔、まだ戦闘機がプロペラで飛んでいた時代に、十九歳のパイロットが書いた詩。私は、一緒に飛ぶ仲間達のための詩だって思ってるんだ。綺麗な空を眺めて、みんなでそれを綺麗と思えるって、とても素敵だから』

『タイトルは?』

 

勇が聞き、アリーは少し間を置く。


『――高高度飛行ハイ・フライト

 

高高度飛行ハイ・フライト。いい題だ。勇は掛け値なしにそう思い、アリーの朗読に再び耳を澄ます。


       *


――昇る、昇る、遥かに熾る忘我の蒼へ。


私は風の通う高みへと立つ、自然な優雅さを保ちながら。


そこは雀も、あるいは鷲さえも決して辿り着けぬ世界。


凪いで浮かぶ心地を抱き、未だ侵されぬ空の聖域を踏みしめ、


私は手を掲げて触れたのだ、主のみ面に。


自分たちには、これからも色々なことが起こるだろう。けれども、困難にある時は、思い出せばいい。この空の、高い空の美しさを。同じものを見ている仲間たちを。そうすれば、きっと乗り越えられるはずだ。

 

高高度飛行ハイ・フライト。勇はもう一度、その言葉を口ずさむ。

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第555遠征飛行隊奮闘記 ハイ・フライト! @Raikkonen1

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