第3話 その3
結局それ以上メンバーは増えず、会議室の戸が閉められてプレートが「使用中」になった。
「ま、でも。五人集まれば十分だよね」
アリーが腕を組んで皆を見回す。部屋の中心を占領していた事務机は横に除けられ、代わりに車座になった五人が膝を詰めて居座っている状態だ。辺りを見回せばニールが苦笑を浮かべ、ウィラが思いのほか真剣にアリーの顔を眺め、そしてボルト少尉はふくれ面。それでも腹立ち紛れに退席はしない妙な律義さがおかしく、勇は思わず浮かんだ口元の笑いを手で隠す。
「……んだよ」
「いや、別に。ま、お互い犬にかまれたと思って諦めようぜ、ジェニー」
「……黙れ黄色猿。おめぇと仲良しこよしするつもりはこれっぽっちもねぇぞ」
攻撃的な態度はそのままだが、意外や意外、ダメ元の愛称呼びを特に嫌がるそぶりはない。
「ああ畜生、気分わりぃ……いいかエテ公。ボルト家は三代前から代々海兵隊の要職に就く誇り高き軍人一家で、テメェらみたいなウンコ糞ガキ空軍の連中とは格が違うんだよ、覚えとけ」
「はいはい、わかりましたよー」
勇はおざなりに返事を返す。因みに二人を陥れた英国人の少女が三代どころか十八世紀から英軍最高司令官を務める一家の出という事を、どうやらジェニーは知らないままらしい。この場での家柄自慢が史上考え得る限り最悪の自爆行為であると彼女が気付くのは何時だろうか。
さて、勇とジェニー親睦を深めている間に英国王女は椅子をガタガタと輪の中心に引っ張りこみ、皆の視線を十分に集めた頃合いで空咳を一つ。
「みなさん。お集まり頂いてありがとうございます。今回お声がけさせて頂いた方々は何れも活力あふれる若手の皆様で有りまして、皆一様に高い志を持ち、次代を担うべく……」
「御託を聞いてる暇ぁねぇんだよ。要点を話せファッ○ン糞ビッチ」
ジェニーがカタカタと貧乏ゆすりをしながら、不機嫌そうに言う。長口上をバッサリさえぎられたアリーはシュンとして項垂れたが、それも一瞬。直ぐ気を取り直したらしく顔を上げる。
「うぉっほん。知ってのとおり、演習初日の結果はまあ酷いもんでした」
随分ざっくりまとめたものだが、振り返れば確かにそうとしか言いようがない。
そもそも、今回の演習「バンド・オブ・ユニティ十六」は「民族浄化を企てる赤国に対し、その行動を阻止すべく青連合軍が軍事行動を行なう」という設定で行われ、シナリオに副って任務を割り当てられる長期演習だ。青軍は若手、赤軍はベテランで構成。地上軍も含めて赤軍はソ連製兵器を模している(モノによっては第三国から入手した本物をつかっているらしい)。
初日は「開戦初撃」を模した任務が割り当てられ、大体次のようなシナリオで進む予定だった。まず沿海域の艦船、潜水艦、及び赤国領空外を飛ぶ戦略爆撃機が巡航ミサイルを発射、敵の主要戦略拠点を破壊。その混乱に乗じて
ごく標準的なそのシナリオを、しかし勇達はまったく遂行できなかった。敵
……まあ、「ひどいもん」としか言いようがない。因みに勇はもっぱらストライクパッケージの制空部隊担当。アリーとニールは攻撃隊や
「けどほら、だからこそ改善の余地はあると思うの。教官たちの目に物見せてやろう、ね!」
「目に物っつっても、具体的にどうすりゃいいんだよ」
そう言ったのはニール。手を頭の後ろに当て、体を背もたれに預けている。
「だから勉強会。今日の結果をよく検討、その上で明日の作戦をどういう風に進めればいいかアイデアを出し合う。これを続けていけば、最終日には精強無比なプロフェッショナル集団が出来上がってるって寸法よ! どうこの完璧なプラン!」
アリーは言い切ると会議室の中心で両手を広げ、鼻高々に胸を張った――が、来るべき満場の喝采は一向に聞こえてこない。その表情は沈黙のうちに曇り、不安の表情が代わりに浮かぶ。
「あ、あれ。ダメ?」
上目づかいに周りを見るアリー。ニールは肩をすくめて「お好きにどうぞ」と投げやりな態度。ウィラも今いちピンときていないらしく、愛想笑いで場を誤魔化している。ジェニーに至ってはハナから無視してスマホを弄る始末だ。
勇の脳裏に浮かぶのは、先ほどのマス・デブリーフィングに満ちていた不平不満。『そもそも演習の作りが悪いのだから、こちらが何をしたところで暖簾に腕押しだ、意味がない』――多分、皆の考えはそんな所だろう。
「あんまり気乗りしねぇなぁ……」
ニールがぽつりと漏らす。ウィラは「あ、えと、私は良いと思いますけど」と取り繕うように言い、ジェニーは例によってガン無視である。因みに勇はといえば、もちろんうつむいて目をそらすしかない。奥ゆかしく和を貴び遠慮を知るニホンジンの限界と言えよう。
「ま、まあまあまあ。習うより慣れろ、百聞は一見にしかず。まずはやるだけやって
みようよ! という訳で意見募集! 本日の演習で気になった事を上挙げてください! 早いもの勝ち!」
明らかな空元気で声を張るアリー。当然、口を開くものなどいるはずもない。長く深い沈黙が場を硬直させる中、彼女のこめかみから冷や汗が一筋垂れる。
「……さっ、最初に発言した人には特別ぷれぜんとっ……え、えーと、あっ、これ! チョコレート! 何かポケットに入ってた!」
引き続き、胃が痛くなるような無音。アリーの珠のように滑らかな肌が脂汗で一層輝く。重苦しい空気に場が染まる中、その停滞を打ち破ったのは、この場で最も意外な人物であった。
「……おいブリット」
「はいジェニー! 私信じてた! さあさあ何でも仰ってください! あとチョコどうぞ!」
アリーは救世主を見つけたかのようにジェニーの手を掴んで縋り、ドロドロに溶けたチョコの包みを握らせる。が、それを一顧だにせずつき返したジェニー(チョコが欲しい訳ではなかった様である)は、吐き捨てるよう告げた。
「何が問題かだって? はん、いいぜ。聞きたいなら教えてやる。演習が酷ぇ結果に終ったのはな、お前ファッ○ンクズ空軍が糞と糞を糞で割った糞からだよ」
今度会議室に訪れた沈黙は、先ほどまでと明らかに質の違うものだった。数瞬の後、ジェニーの横に座るウィラが「こ、こら!」と慌てた小声で諌めるが、彼女の口は止まらない。
「初日の二十四時間で実施された百十一ソーティのうちで目標攻撃まで持っていけたのは八ソーティ。その数少ない成功の内六ソーティは赤軍による復旧の可能性があるため再攻撃の要あり。SAMの目くら撃ちに騙されてスパイクもされてないのに兵装を捨てること数知れず。近接航空支援じゃ敵のコンボイと誤認して難民満載の民間車両を誤爆すること三回。一方製油施設の攻撃じゃあ満杯のタンクを無視して空のタンクに殺到。あの
よく回るジェニーの口を、「ファッ○ンクズ空軍」は四者四様の態度で見る。ウィラは目を手で覆って首を左右に振り呆れたように溜息。ニールは勘弁してくれという様子で顔をそらし。アリーは勇に後頭部を見せているので表情こそ知れないものの、その背中は辛辣な言葉を受けるたびにピクリと震えている。
実のところ、ジェニーの言っている事は全て正しく真実であって、口こそ悪いがよく見ているものだと勇は感心したくらいだ。だがしかし、人にはそれぞれ立場があり、それに基づいた意見や言い分があるのが当然である。そしてまた、円滑な交流を図るにあたっては伝え方の工夫も勿論必要だ。仮に、議論に際してそれらの斟酌を怠ったとしよう。するとどうなるか。
「……そっ、そこまで言う事ないじゃん!」
ほら、こうなる。椅子から勢いよく立ち上がったアリーは頬を赤く染め、明らかに頭へ血を登らせていた。
「攻撃の失敗は元々の
「けっ、出たよチキン共の責任転嫁! 俺らが仕事してねぇだと!? 場所もわからねぇ数もわからねぇおまけに
「『エンハンスド』ペイブウェイっつってんでしょ! あんまりウチの事馬鹿にするとハリアー返してもらうからね!」
「んだと! テメェ海兵隊の守護神を奪いやがったらだたじゃおかねぇぞ! この際F-35は諦めるんだな!」
「残念でしたぁーF-35の後部胴体と一部システムはBAE製ですぅー!」
キャンキャンとほえて暴れる小さな家犬アリーと、歯をむき出しにグルグル唸って威嚇する武闘派野良犬ジェニーのドッグファイト(だんだんと子供の喧嘩みたいになっているが)。ちなみにニールはすっかり飽きて輪から一歩離れ、「ねぇウィラ、今晩空いてる? よかったらメシでも。勿論おごるからさ」とウィラを口説きにかかっている。ウィラは「あ、ごめんなさいちょっと予定入ってるんで」と即断で拒絶しながら、視線を喧嘩している二人の方へ。どうにかして間に入ろうとするも、剣幕を見て躊躇している様子だ。勇はウィラをニールの魔手から救うという体で椅子を持ち彼女へ近寄る。実際の目的は勿論避難だ。が、それがかえって場の注目を引いてしまったらしい。
「あ、ねぇちょっと勇!」
「おいこらエテ公!」
二匹二対の野性を纏った視線に射すくめられ、車のヘッドライトに突如照らされた子猫のように体が固まる勇。すがる思いでウィラとニールを見るが、二人は先ほどまでの冷たいやり取りを露程も感じさせない仲睦まじさで雑談に全力投球している。くそう、この薄情ものめ。
「勇! ジェニーってばひどいよね!貴方も何か言ってやってよ、空軍の一員として!」
「おいジャップ、テメェのお国は海兵隊が守ってやってんだぞ! わかってるだろうな!」
「い、いや俺
「ちょっとジェニー、勇のこと勝手に誘惑しないでよ! 日本と英国はアジアおよび欧州におけるそれぞれ相手国の尤も重要なパートナーなんだから! 渡さないよ!」
「二枚舌の詐欺師連中が良く言うぜ、ジャップと合衆国の同盟がアジア太平洋地域における平和・安全保障・安定の礎であることは火を見るより明らか、そっちこそ引っ込みやがれ!」
美少女二人が自分を巡って争っている様は実に感動的だ。涙が出てしまう。
「獲物の取り合いだな。アリーとか完全に依怙地になってるし」
「ジェニーも相当頭に血が上ってますよ。ああなったら暫く手が付けられません」
他人事のようなニールとウィラのコメント。ホントに涙が出てしまう。誰か助けて。
「……諸君、廊下まで声が響いている。静かにしてくれまえ」
勇の祈りが通じたのか、突然会議室の入口から聞き覚えのないフランス訛りの英語が届く。ああ、これは地獄にたらされた蜘蛛の糸だ。針のむしろから逃げ出す為に、勇は殊更大きく「あ、すんません!」と言いながら、声の方へ小走りで向かう。
「いやあ、少しヒートアップしちゃって。俺のほうからも強く言っておくんでココは一つ」
扉に寄りかかって皮肉げに首を傾げ勇の弁解を聞く白人男性。その顔にどこか見覚えがあると思って眺めれば、この間の乱闘騒ぎでジェニーにつっかかられたフランス人――アントワーヌ・マルチェリとか言っていたか――ではないか。
「ふん、日本人か。相変わらずヘラヘラして何を考えているかわからんね。こんな時間に君たちは何をしているのだ?」
「えっと、勉強会……?」
答えるウィラの語気が弱々しく自信なさげなのは、実際勉強会らしいことなど何もしていないという事実を鑑みているからだろう。マルチェリ氏はそれだけで現状を把握したらしく、蔑むように鼻を鳴らす。
「勉強会? はっ、我々フランス空軍の足を引っ張る野蛮な島国と植民地が、今度は徒党を組んで勉強会か。ま、無駄な努力を重ねるのは構わんが、とにかく少しは慎みを持ってくれたまえ。我々のオフィスが近くにあるのでね……おや」
奥の方で睨みあっている美少女二人へ目を向けたマルチェリ氏。視線に気が付いて振り向いたのはアリーが先だが、おっつけジェニーもこちらを見やる。
「あ、どーも……えっと、こんにちは?」
のんきにマルチェリ氏へ挨拶するアリー――先般のけんか騒ぎがどのような発端だったか、その時に顔を赤くしてパニックに陥っていた彼女は知らない。が、その背中を押しのけて前に出たジェニーは違う。因縁浅からぬフランス人に向かい仁王の如く立ちはだかって腕組みし、恐ろしい程綺麗な顔に恐ろしいほど凄味のある笑顔を張り付ける。遠くから眺めるだけで小便漏らしそうな迫力だが、マルチェリ氏もひるまず皮肉気に口元をゆがめて受け立つ積りらしい。
「おやおや、誰かと思えば海兵隊の馬鹿女じゃないか。その節はどうも世話になりまして」
「こちらこそ、ファッ○ンサレンダーモンキー。チーズ臭ぇお口に手ぇ突っ込まれて噴水みたいにゲロまき散らかしたくなきゃとっとと失せな」
「黙りたまえ植民地人。貴様みたいな頭の足りない女が使う英語は聞くに堪えん」
「んだと!」
「なんだね!」
「ま、まあまあまあ!」
間に挟まれていた勇は成り行き上仕方なく二人をブレーク。マルチェリ氏には「悪いね、ホント」と頭を下げ(こういうときは下出に出るのが一番楽だ)、ジェニーに向き直る。
「ほらジェニー。海兵隊の合言葉。センパーファイ、だっけ? 手は出すなよ、頼むから」
これ以上厄介ごとを増やしたくないというただその一念を以って獣の前に身を投げ出す。我ながら無茶をしたものだ。が、その甲斐あってかジェニーは歯をむき出しにしながらも何とか矛を収め、席へと戻った。マルチェリ氏はそれを見てふん、と一つ息をつく。
「一つ言っておくぞ。貴様らみたいな馬鹿共が教官の無茶な要求に付き合うと、我々が煽りを食う。こういうのは適当にやり過ごすのが一番だ。そうすれば上も『無茶』な事は言わなくなる。我々が無駄な苦労をする必要もなく『適切な』量の仕事をこなせるようになる訳だ。ま、その程度の頭も回らないような木偶の坊が何人集まったところで大した事も出来ないだろうがね。せいぜい無駄なあがきをしていたまえ」
人の神経を逆なでする事に心血を注ぐ人間が時たま居るが、このフランス人はまさしくそういった人種らしい。去って行く彼の背中に向けて額に青筋を浮かべたジェニーが中指を立て、ウィラとニールも不快感を隠さず見送る。最後にアリーが唇を突き出して「なに、あの人。感じわるー」と言い、マルチェリ氏について皆の評価が出揃った。
――そして結局、その日の「勉強会」で出せた結論はこの一つのみであった。ジェニーは興ざめしてしまったようで最早議論を続ける気がないとばかり無言を貫いていたし、ウィラとニールはもとから積極的に議論を求めるつもりがない様子。アリーの呼びかけだけが空しく場に響くという拷問みたいな空気の数分があり、耐え切れなくなった勇の「ま、まあとりあえずさ、もう少し演習を進めて、各々課題をみつけりゃいいんじゃないか?」というコメントを最後にさまざまな禍根を残して場は解散した。
人、これを先延ばしと呼ぶ。
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