第7話 その4

物事が目まぐるしく進む様を指して「ジェットコースターのような」と表される事があるが、ここ二十四時間の勇ほど「ジェットコースターのような」時を過ごした人間はいないだろう。そしてジェットコースターがそうであるように、当初の助走はごくごく穏やかなのだ。


順を追って話そう。昨晩の飲み会でアリーとの過去における接点を見出し、自身を苦しめていた人間関係上の不和に無矛盾の証明を与えることが出来た事で状況は大きな進展を見た。即ちアリーは面識のある相手から「初対面でござい」と扱われた事に酷くご立腹なのである。まあ当然だ。恥じて恥じ過ぎる事のない大失礼を働いた勇に対するアリーの怒りは最もである。


非がこちらにあるのは明らかである以上、まずは誠心誠意謝罪するのが人として最低限のマナーであろうし、アリーとこのまま険悪でいるのは勇としても頗る辛い。そんなわけで自他ともに認めるヘタレビビりの気質に鞭を打ち、意を決してアリーへと果敢に立ち向かったのが今朝方七時過ぎ、朝食後のこと。


「……な、なあアリ「うるさい黙れこっちくんな」

 

その後二時間で都合四度ほど同じやり取りを繰り返した。自席で座り込む勇の周囲に菓子の山が築かれたのは、やり取りを間近に見た同僚たちが同情してお供えしてくれたらしい。一人などはこちらの顔を見て「大丈夫か? 死人のほうがまだマシな顔色してるぞ」とご丁寧に気遣ってくれたが、勇はそれに答える余裕もなく一人頭を抱えるしかなかった。ああ、あのアリーが。いつも誰にでも屈託のない笑顔を向けるアリーが、間違えて冷凍庫でなく冷蔵庫に入れてしまって結果ドロドロに溶けきったアイスを発見した時のような視線をこちらに。


そういう訳で早くも打ちひしがれた勇は、今こそ自分の人生における最も憂鬱な瞬間だと思っていたが、実のところそれは彼に与えられた最後の穏やかな時であったのであり、コースターはレールの頂点へ着々と上昇を続けていた。登り切れってしまえば当然あとは落ちるだけだ。


今朝一発目の訓練は戦闘捜索救難CSAR。勇も救難哨戒RESCAPを行う予定だったので、沈む気分に鞭打って注意事項をメモしていたところ、誰かに肩を叩かれた。振り返れば満面の笑みを浮かべたオルズ中佐が立っていて、「ちょっとこっちに」と有無を言わせず部屋の外へ引っ張り出される。「なんですか、今ブリーフィング中ですよ!」という抗議の言説は「ブリ」まで告げたところで遮られた。何者かに猿轡を噛まされたからだ。そのうえ目隠し、手足にロープ、ご丁寧に耳栓まで詰め込まれたのだからパニックにならない方がおかしい。しかし「何者か」達は暴れる勇を手荷物の如くあしらってどこかへと運び出す。


やっとそれらの枷が解かれた時に勇が見たのは、H‐60系ヘリコプターのキャビンを埋め尽くす何人ものごっつい海軍軍人とオルズ中佐。窓の外は見渡す限り森と草原。状況の正しい認識に重大な障害を感じていた勇へ、笑顔のままのオルズ中佐が告げる。


「おめでとーございます! 勇君は見事『狐役』に当選しました!」

 

端的な説明で分かったことと言えば、何も分からないということくらいだ。中佐はそんな勇の反応を逐次満足げに眺める。


「というわけで勇君、君にはCSAR訓練の一環として撃墜されたパイロットの役をしてもらいます! 作戦中にSAMの餌食になった勇君、命からがら降り立った場所はなんと敵支配地域のど真ん中! 周囲は憎き敵兵をひっ捕まえようと血眼になってる民兵や正規兵で一杯! もし捕まっちゃったら変なお薬打たれてアッヘアへのずっこんばっこんです! ていう設定!」

 

楽しそうに何を言うのだこの人は。


「勇君の任務はただ一つ、赤国の兵隊から逃げ切って救難機サンディと合流する事! そこのバッグに一通りのサバイバル装備が詰めてあるから無くさないようにね! 一応無線装備HOOK112にも入ってるけど発信は厳禁だよ逆探知されるから! 回収の準備が整うまでは待機、危険が迫った時は無線で逃げ道の指示出すから聞き逃さないように!」


 マシンガンのような説明を何とか頭の中で繋ぎ、最低限の事情は理解する。要するに自分は狐狩りの獲物として選ばれた訳だ。そういえば噂に聞いたことがある。NATO統合演習には伝統的なサプライズイベントがあり、ランダムに選ばれたパイロットが有無を言わさず過酷なサバイバルを体験させられるらしい、と。話を聞いて生贄に捧げられる間の悪い誰かへ僅かな同情を示したその時の勇は、自分が「間の悪い誰か」にカテゴライズされているという事をすっかり忘れていた。


「あ、あとこれは私からの個人的ミッションなんだけど! 今回、勇君の他にもう一人『狐』がいます! その子と仲良くしてちょうだい! 私このあとCAPで暫くお空の人になるから、帰ってくるまでに成否をレポートとして纏めること!」

 

唯でさえ混乱しがちな勇の頭のストレージに、この上なくファジーな指示を押し込む中佐。その趣旨を聞き返す余裕もなく、勇は屈強な兵隊のなすがまま装具を括り付けられる。


「準備出来た? じゃ、いってらっしゃい! 健闘を祈る!」

 

そう言って中佐は勇を開け放たれたドアの縁に立たせる。眼下に広がる草原は遠近感を狂わせるが、ぴょんと飛んでぽんと着地出来るような高さでない事だけは確かだ。頬が引きつるのを感じながら振り返ると、そこには笑顔のロードマスター。がっちりと勇の背中をホールドし、「いきますよ! いち、にの……」とカウントを始める。ちょっと待って、という懇願は終に言葉にならず、「さん!」という無慈悲な合図が放たれた瞬間、勇は鳥になった。


「ちゃんと仲直りするんだよー!」

 

中佐の言葉が吹きすさぶダウンウォッシュに掻き消える。短い人生を儚んだ勇だが、直ぐに背負ったパラシュートが自動開傘したおかげで地面に人型の穴を開けることはせずに済んだ。ゆらりゆらりと地面へ着地、傍らにサバイバル装備の入ったバッグが落ちる。しかし中身を確認する間はほとんどなかった。陸軍らしい兵隊たちが「ウーアー!」と雄叫びをあげながらモトクロスやハンヴィーを駆って遠方より近づいてきている。明らかに殺る気だ。


『レッドフォックス〇一、ネプチューン。危険な状態です。指示に従って移動してください』

 

バッグに入った無線から男性の声が響く。おそらく無人機あたりがこちらを監視しているのだろう。発信は厳禁、という中佐の指示がある以上聞き返すわけにもいかず、勇はひたすら声に従って東西南北を走り回る羽目となった。この指示というのがまた曲者で、ある時は木の上に登らされまたある時は崖を逆落としさせられ、ハリウッド映画ばりのアクションを演出してくれる。こういうのは他人がやるのをポップコーン片手に見るから楽しいのであって、当事者になればたまったものじゃない。そして勇が悪態をつく間にも陸軍の兵隊どもはノリノリで演習レンジ内を跳梁跋扈し、もはや世紀末の様相を呈している。


必死に駆け回っているうちに気が付けば日も沈み始め、いい加減に休憩が欲しいと思っていたところ、折よく無線から『暫く現場にて待機』の指示。ようやく一安心した勇がうっそうと茂る森の中でどたりと尻をついたところ、背中に何かの気配を感じた。野生動物だろうか。肉食性なら食われてはたまらない、とおそるおそる振り向いてみると。


「「………………」」

 

目があった。誰って、アリーと。


まるで理解が追い付かず、勇は無言で相手を眺め続ける。多分アリーも似たような状態だろう。口をぱかりと開け、路地裏で人に姿を見られた子猫のよう、首をかしげて固まっていた。


『レッドフォックス〇一、ネプチューン。グレイフォックス〇一との合流を確認しました。周囲に危険はありません。現在救援を準備中、別命あるまでその場から動かないように』

 

無線が淡々と勇に告げ、プチリと切れた。それきり森は夕闇の静けさに包まれ、見つめあう二人の影を濃く重ねる。

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