第1話 その3

早期警戒管制機スターゲイザー、アロー五一。チェックイン。認証符号オーソニシケーションシエラ・タンゴ』

『アロー五一、スターゲイザー。レーダーコンタクト、IFF正常応答スイート。チェックインを確認』


 作戦領域に到達。中佐の通信に、スターゲイザーの空中戦闘補佐官ABMが答える。報告手順に従い淡々と初期情報を伝える声は、若い女性特有の耳に通る高音だ。


方位基準点確認アルファチェック貴機基準真方位BRAA九〇/五五。周囲状況伝達ピクチャー、二グループ。横十海里に散開アジマス十北側集団ノースグループ基準点真方位ブルズアイ……』


 事務的ではっきりしたABMの口調は、何となく委員長とか綽名したくなる。が、今はそんな冗談を言う暇はない。貰った報告を基に位置関係を整理する。フランス製のミラージュF1とソ連製のフランカー戦闘機が二機ずつ四機、正面ホットより接近中。おそらくセルビア人の操るユーゴ空軍機だろう。


現在、敵味方不明ボギーとの距離は百二十海里(二百二十キロ)程度。途方も無い数字に思えるが、六、七分もあれば目視できるまで近づいてしまう。空の戦いは足が速い。風防の外に広がるエメラルドの海と濃紺の空を楽しむ暇など一インチもなく、勇の視線は多機能カラーディプレイのシンボルに釘付けされている。米空軍の標準データリンク規格であるリンク16を通じてイーグルのMIDS‐LVT(3)ターミナルが受信した情報は、スターゲイザーの報告とぴったり一致していた。


『はい、じゃあ勇くん。戦域の交戦規定に基づいて目標識別をお願いします。出来るよね?』

「……え、俺っすか?」

『うん、勇くんです。他に誰がいるのさ』

「いやまあそうですけど……それ中佐の仕事じゃないっすか?」

『私は隊員の自発的成長を促す教育指針を取っているのです。拒否してもいいけど、その場合勇君は今月いっぱい私の膝の上でデスクワークね』


 有言実行を地で行く中佐である。やると言ったら万難を排してやるだろう。一部の人間は喜んで抗命しそうだが、生憎と勇は堂々羞恥プレイが出来るほど座った肝を持っていない。大人しく『対応します』と答え、太腿のペーパーホルダから領空侵犯用チェックリストを取り出す。


さて、まずは目標捕捉だ。レーダーパネルを操作、範囲捜索RWSモードで起動。パルス反復周波数をインターリーブに設定。探知距離は百二十海里。垂直状況ディスプレイに敵味方不明を示すシンボルが四つヒットした。イーグルのレーダーが持つ非協同型目標識別NCTR能力は、対象をフランカーとミラージュであると判定。『潜在的敵性脅威ポジティブエネミーインジケーション』に認定する。


敵味方識別装置IFFをモード一、コード五二に設定、スイッチを押して質問電波発信。応答なし。念のためモードをCCからNORMに切り替えてもう一度発信。全モード・全コード反応なし。『非友好存在ラックオブフレンドリー』に認定。続いて国際緊急周波数二四三ガードで警告を発信。応答なし。動きもなし。


「スターゲイザー、アロー五二。敵味方識別手順キル・チェーンは全て不適合」

『了解しました。敵味方不明機ボギー敵性存在バンディットに認定。引き続き迎撃を……ん?』


 唐突な疑問符を最後に、ABMの言葉が途切れる。送信状態になったままのマイクに耳を澄ませば、複数の人間が小声で相談をしている様子。勇が事態を確認しようと無線を発信する直前、慌しく『待機してくださいスタンバイ』と告げられ、一方的に通話が切られる。


何が起きたかは把握できていないが、良い方に進んでいるとも思えなかった。胸焼けのような違和感を体の内側に覚える。こういう状況は精神衛生に悪い。


『あー、アロー、スターゲイザー。新たな至近脅威確認ポップアップスリート自機基準真方位BRAA三五〇/一四、高度一五〇、対象基準方位角斜め前フランクで南方向に直進中サウス、シングルコンタクト、スペード』

『一四海里? わお、近いなー』

『すみません、対象がずっとレーダーの死角にいたんです』


ABMの声は無線越しでも分かる程に強張っている。無理もない。とんでもない至近距離に敵味方不明機が突然現れたのだ。この期に及んで平静に甘んじられる楽天家なら、空軍より稼げる職場がいくらだってある。


『しゃーない。近いほうから接触しよう。勇君、フラッシュIFF、モード三、七六〇〇』


 オルズ中佐が言う。モード三の七六〇〇。国際的に取り決められた、『通信不調』を意味するスコーク番号。ABMが「IFF応答なしスペード」を宣言した後では、あまり意味のある行為とも思えないが……まあ、命令は命令である。素直に質問電波を発信。


「……あれ、応答確認しましたスイート。スコーキング・モード三、七六〇〇」

『え、スイート?』


ABMが素っ頓狂な声を無線に載せるが、質問電波を発信した勇自身、同じ心地でディスプレイのひし形シンボル――IFFモード三の正常応答を意味する――を見つめていた。


『セルビア機は北から飛んでこない。迷子の西側機じゃないかな。出力が弱くなってるんだよ』


 彼らの戸惑いを余所に、中佐があっけらかんと言う。ほぼ同時、イーグルが対象を「トーネード」と判定した。英国や西ドイツで運用されている戦闘攻撃機だ。

狐につままされた心地のまま、勇は対空システムのマスターモードを目視確認(VI)に変更。HMDに小さな点が表示され、目標への合流コースを指し示す。コンピュータの誘導に従って飛ぶこと数十秒、HMDの向こう側に小さな影を見つけた勇は、「ビジュアル・コンタクト」と宣言。オルズ中佐に続いて機を旋回させ、二機で挟み込むよう接近。


 視界に入った灰色のシルエットをじっくり眺める。機首にあしらわれた青地に赤のラウンデル、タンデム複座の可変翼戦闘機。間違いない。英国王立空軍(RAF)のトーネードGR4だ。


「スターゲイザー、アロー五二。トーネードが一機ワン・トーネード当該機の国籍はナショナリティ連合王国と思われるユナイテッドキングダム

『了解しました……えっとですね、たった今報告が入りまして。RAFマーハムからジョーイア・デル・コッレに移動中のトーネードが一機行方不明になっているらしく』

 

ABMが報告するのと同時、トーネードのパイロットと兵装システム士官(WSO)がこちらを向いた。パイロットは勇の機影を見つけて安心したように手を振り、その後ろでWSOがジェスチャーを始める。その意図するところは、『無線送信に問題』及び『指示した受信周波数に変更を求む』。特定の帯域のみ送信できているという事だろうか。勇は無線のモードセレクタをチャンネルからマニュアルに変え、示された数字どおりの周波数に無線チャンネルの一つを合わせる。


『こ…らは英…王……軍、コール…インはパパ・ロメオ二四。聞こえます?』

『ありゃ。女の子』


 同じように周波数を変更していたオルズ中佐が、拾った無線を聞いて面白がるように言う。彼女の言うとおり、トーネードのパイロットは軽やかで弾むような女性の声をしていた。別に今時珍しいものでもないが、勇は何となくその声音に引っ掛かりを感じる。うまく言葉にできないのだが、敢えて言うなら……懐かしい、ような。


『……へーい。ねーえー。返事してー。私結構メンタル弱いんだからねー。これ以上放置プレイされたら泣くよー』


 トーネードのパイロットが焦れた様に言い、勇は自分の役目を思い出して意識を切り替える。


「あ、ああ。すいません、泣くのは待ってください。こちらアロー五二、応答を確認しました」


『……おおぅ、通じた! やった通じた! うっひょー良かった助かったぁ!』


 トーネードのパイロットが一段声を高くし、勇は慌てて無線の音量を下げる。見れば彼女は操縦席で両手を突き上げ大仰に体を揺らしていた。その姿に苦笑しつつ、まずは会話を試みる。


「パパ・ロメオ二四。お取り込み中に申し訳ないですが、現状を報告してもらえますか?」

『へ? ……あぁそうか、こりゃ失礼。王立空軍第九飛行隊所属、パパ・ロメオ二四。TACAN、INS、GPS完全不調ベント。通信部分異常シック。いやー馬鹿みたいな話なんだけどさ、航法系がいきなり丸ごと故障した上に無線のツマミがとれて周波数変えられなくなっちゃったんだよね。もーいい加減アドリア海で海水浴かなーとか思ってたところ』

 

切り詰めた発音やRの抜けた語尾など、単語の端々に英国上流階級独特の言語的特徴容認発音がある。良いとこのお嬢さんなのかもしれないが、親しげな語り口はとっつきにくさを感じさせない。


『と言うわけで、貴方は私の救世主なのですよ。お礼を言わせて。ありがとう』


 直球の物言いと、バイザー越しにもわかる真っ直ぐな視線。その合わせ技に気恥ずかしさを感じた勇は、助けを求めてオルズ中佐を探す。が、いつの間にか二機の後方に陣取っていた中佐は、風防越しに見える頭をわざとらしくそっぽに向けていた。ええい、スパルタ教官め。


「……ええと、パパ・ロメオ二四。これより貴方を誘導します。我々の指示に従ってください」

『アロー五二、パパ・ロメオ二四。了解、そちらの誘導に従います。あ、でもその前に一つ。貴方のTACネームって聞いていいかな?』


 いきなりの問い合わせに、勇は戸惑って機体の動きを止める。TACネームとはパイロットが持つあだ名みたいなもので、通常は編隊内での交信に用いられる。別部隊の人間同士が使うというのはあまり聞かない。ちなみに勇のTACネームはそのまんま『ユウ』、オルズ中佐は『ボウロウ(軍刀)』。別に教えて不味い情報ではないものの、常にないことを行うのは何となくすわりが悪い。彼女の意図が見えずに勇が答えあぐねていると、再び無線が飛んできた。


『ごめんごめん、こういう時は言いだしっぺからだよね。私はミストレス。後ろはバレット。後ろからの挨拶は後ほど。彼はマイクも落ちてるの』


WSOが無口だったのはそういう事か。合点する勇に向け、『バレット』がひらひら手を振る。その向かい側では、オルズ中佐もサムアップをしていた。


……まあ。これまでのやり取りから判断するに、目の前にいる女主人と従者のコンビは、悪い連中じゃないのだろうし。上司の許可も出た以上、躊躇う理由はないか。


「……OK、ミストレス。俺は勇。よろしく頼む」


 慣れない自己紹介を手短に済ませると、ミストレスは少しの間、何かを見極めるよう、イーグルのキャノピーに視線を寄越す。謎の沈黙に勇が多少の息苦しさを感じ、取りあえず天気の話でもしようかと思い始めた時、彼女がコックピットの中で動いた。


『ユウ……ね。うん、いい名前。私、好きだよ』


突然すぎる告白は、一瞬だけ想像してしまったような急ごしらえのロマンスなどでなく、ただ初対面の人間に向けた親愛の挨拶なのだ。分かりきった事実を自分に信じさせるため、ごく健康な自意識を持つ勇は相当な努力を要した。そんな彼に追い打ちをかけるよう、ミストレスは突然、酸素マスクとヘルメットを外す。


――瞬間、さらりと流れた金色の髪は、太陽の光を受け、麦穂のように輝いて。

だから、風に靡く白い服の裾も、空を示したあの白い指も。

そこに居る空色の目をした少女と、確かに繋がっているのだ、と。


『勇くーん。ちょっと近すぎるかなー』


 オルズ中佐の警告が、彼の意識をコックピットへと引っ張り戻す。気がつけば、二機の戦闘機は翼が重なり合わんばかりの距離にあった。あわてて機体をトーネードから遠ざける。


勇は一度深呼吸をし、再びトーネードのパイロットを見た。幻影の中に見た白い服は実際の野暮ったいフライトスーツと似ても似つかないし、色こそ確かに金色の髪も、流れる、なんて表現からは程遠い、うなじで切りそろえたショートヘア。ただ、冗談みたいに整った顔の、その瞳だけが、記憶と同じ空の色だった。


『よろしくね、私のナイト様?』


勇の戸惑いを余所に、ミストレスがヘルメットをかぶり直して楽しげに無線を飛ばす。その声がかつて夢に住んでいた少女と重なり、勇は慌てて頭を振った。先ほどの幻覚じみた出来事といい、どうも自分は疲れている様だ。着陸次第休暇を申請しよう。十中八九却下だろうけど。


『スターゲイザー、アロー五一。さて、どうしよっか。パパ・ロメオ二四のお守りをしながらバンディットに対応するのは正直キビシーんだけど……増援は期待できるのかな?』

『ネガティブ。近場で飛べる機は全て訓練で出払っています。イタリア空軍とアビアノの五〇FWにスクランブルを発令していますが、どちらも到着には暫くかかるでしょうね』

『了解。まいったなー……』


二〇〇〇年代前半の東西緊張緩和を受けて、米軍はイタリア南部の常設航空団を軒並み非活性化させており、ジョーイア・デル・コッレの格納庫も長い間イタリア空軍の練習機に占領されていた。今回のユーゴ危機に際し米軍は慌てて部隊の再配置を決定したが、事前配備計画AEFローテーションを無理矢理組み直したため未だ作戦機すら満足に都合出来ていないのが現状だ。


『こちらパパ・ロメオ二四。で、私達は結局どうすればいいの?』

「……あー、パパ・ロメオ、失礼、ミストレス。あとどれ位飛べそうだ?」

『ん? えっとね、残燃料報告ホワイトステートフュエル、ベース・プラス二・一。あんま余裕ないかも』

『スターゲイザー、アロー五一。空中給油機の準備をお願い』

『手配済みです。ただMk三二装備の機が近場で準備出来なかったので、少しお時間頂きたく』

「……逃げ切れそうにはないっすね」

『だねぇ……しゃーない。パパ・ロメオ二四、アロー五一。申し訳ないんだけれど、野暮用片付けるまで少し待機して貰ってていいかな?』

『あ、はい、了解……えっと、何か問題でも?』

『うん、まあちょっと。詳しい説明は勇くんから宜しく』

オルズ中佐の言う「隊員の自発的努力を促す教育」(またの名を無茶振り)にも流石に慣れた勇は、「了解」とだけ告げて淡々と無線スイッチを入れ、ざっくりとした状況説明を行う。全てを聞き終えたミストレスの『……ヤバくない?』という端的なコメントは、現状を的確に表す簡にして要を得た至言といえよう。勇も全く同感であった。


「そんな訳で、まず俺らは国籍不明機のほうを片付けてくる。それまで待機していてくれ」

『了解。お手伝いしたい所だけど、バゲージポッドだけじゃ無理そう。大人しくしてるよ』


一通りの通信を終え、勇は首の辺りを手で撫でる。とても楽観できない状況だが……いやしかし、どんなに自分のヒキが悪いとはいえ、そこまで続けざまに当たりを引く事はない筈だ。確率的に言えば次は流石に幸運の番に違いない。そうさ、トラブルはこれで終わり。明日からは望んだ平穏が手に入る。だから、うん、大丈夫。そう己に言い聞かせ、僅かに残った勇気を必死に奮い立たせる。


(大丈夫……だよな?)


酸素マスクに覆われた口が、声にならない呟きを漏らす。自問に答える者はおらず、勇は糸で吊るされた短剣を頭上に見上げるような心地でスロットルを押し出した。


そこにハサミを入れようとしている神様の姿に、彼はまだ気づいていない。

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