第4話 その10
長広舌が終わった途端、皆の口から溜息とも感嘆とも取れぬ不思議な呼吸が一斉に漏れた。まあ、一夜漬けのまとめにしては良くできたほうだろうと自負している。あとは皆がどう受け取るか、だ。勇はことさら背筋を伸ばし、皆に「以上。質問は?」と問いかける。
「……なあ、勇。おまえ、もしかして一晩でこれを纏めたのか?」
レジュメを手に取って聞いたのはニールだ。質疑応答の一発目としてはやや大人しめな問いに、勇は多少拍子抜けしながらも安堵する。いきなり致命的な矛盾を突っ込まれたりしたら俺の胃が持たない。
「まあな。何か不備があったか? 突貫作業だったからなぁ。そこは許してくれ。後で修正する」
「いや、違う違う。そうじゃなくて――お前、結構根性ある奴だったんだな」
イケメンスマイルを面と向かって向けるニール。不意にこれをやられたら世の女性どもは心奪われずにいられないだろう。同性の勇ですら少しグッと来てしまった。
「中身は良くまとまってると思うし、言っていることも理解できる。すごいよ。お前、実は熱い男だったのか? 能ある鷹は爪を隠すのか? そういうの嫌いじゃないぜ」
べた褒めしてくるニールも大概暑苦しい。勇は気恥ずかしさに目をそらし、照れ隠しの笑いを浮かべる。
まあ、らしくないのは本人だって自覚していた。だが、勇は昨晩から自分の中に宿っている静かな興奮に追い立てられるまま、体と頭を動かし続けている。
後付でよければ、理由は色々挙げられるだろう。フランス人相手に啖呵をきって後に引けなくなった。もともとオタク気質で一つのことが気になると突き詰めずには居られなかった。一旦追い詰められると後先考えずに突っ走って吹っ切れてしまう。
それと、挙げるとすればもう一つ。
「……私、お父さんにお願いして勇に
興奮した様子で椅子から乗り出し、飛び掛からんばかりの姿勢を取るアリーに影響されたというのも、多分ある。
とまれ、世の中には褒め殺しという言葉もある訳であり。本人に悪気はいのだろうが、英国人王女の賞賛に全身がむず痒くなってきた勇は、無理やり彼らの言葉を遮って話を続ける。
「ま、まあ。兎に角。今説明した内容を前提とし、今後の演習において我々が提案できる改善案についてこれから議論をしたいと思うんだが、どうだろう? ほかの皆の意見も聞きたい」
ホワイトボードから離れて問いかけると、最初に反応したのはサビハだ。ぺらぺらとめくっていたレジュメを膝の上に置き、艶やかな黒髪を撫でて小さく首を振る。
「……ああ、腹が立つ。こんな簡単なことなのに、今まで気付けていなかったのね。結局コゼニスキ大佐の言ってることは正しかった。私たちは、馬鹿だった」
悔しそうに臍を噛むサビハ。彼女の気持ちは勇にも痛いほど分かる。「先生」から出された意地悪な問題の罠にまんまと嵌った自分のふがいなさ。勇が昨晩、資料を見直しながらずっと感じていた苛立ちが、彼女の言葉に集約されている。
「……うん、でも、説得力はあります。私達が出来る事をする価値も、あるように思える」
とウィラ。彼女は口元に手を当てて資料を読み込み、何度も確かめるように頷いている。
「いいんじゃないかな? どうせダメでもともとだし、やるだけやってみようよ」
「おう。これで結果が出れば俺たちゃ一躍ヒーローだ。当然の帰結として女の子にも」
「モテモテだね!」
ラテンの色ボケ二人は相変わらず。そんなわけで、意見を表明していないのはあと一人。
「……はっ、あら捜しだけは得意なんだな。お里が知れるぜ」
ジェニーが投げ捨てるように言い、場の雰囲気がぴりりと固くなる。だが勇は怯まない。彼女は何を言うにもまず皮肉から入らずにはいられないのだ。この数週間でいやというほど思い知った仲間の性格を、今さら失礼だとも思わなかった。
「なんだ、知らなかったのか? こう見えても俺は筋金入りのオタクなんだ。ねちねち他人の落ち度を突っ込むことにかけては自信がある」
自信をもって言い切る勇。よどみない反論を受けたジェニーは、険しい眼つきで勇をじっと見つめる。ここで目をそらしてはいけない。勇は美しい切れ長の目をあえて渾身の力で見つめ返し。そして、そこに彼女の意思を見つける。
「……オーライ、わかった。おめぇの船に乗ってやる」
そう言って、ふと和らいだジェニーの表情。角の取れた顔の、笑みと言って差し支えないだろう変化を目の当たりにした勇は、瞬間、息を止めてしまう……くそ、忘れていた。黙ってさえいれば極上の美人なのだ、彼女は。
「だがな、これで結果が出なかったらただじゃおかねぇぞ。アブグレイブよりキツイ海兵隊式の拷問で体中の穴っつー穴から糞をひりださせてやる、覚悟しとけ」
澄んだ笑顔がジェニーの顔にあったのはほんの数秒で、いつも通りの憎まれ口があっというまにそれをかき消してしまう。名残惜しく思いながらも、勇は慣れ親しんだ態度で答えた彼女を頼もしく思う。口は悪いが、根は結構熱い奴なのだ。いや、彼女だけじゃない。多分、ここにいるのは皆が皆、熱い奴だ。
「……よし、決まりだな。じゃ、まずは今後の方針について認識を共有しよう。今説明した通り、指導官たちは作戦立案の最終段階、中でもエアタスキングサイクルの作りを意図的に間違え、それをご丁寧に俺達に配布してくれている訳だ。なので、俺たちがするべきはその資料を読み込み、問題点を見つけ出し、上に報告して『改善』を促す事。それでいいか?」
賛同を求めて視線を皆の上に這わせる。ま、ここに反論のある奴はいないだろう……と思いきや、ジェニーが何だか凄みのある笑顔で勇の視線を迎撃する。
「いや、まてまて。そんな優等生みたく事を運んだんじゃ面白くねぇ。今までさんざコケにしてくれたんだ。こんどはこっちが奴らを驚かせてやろうじゃねぇか」
……はて、なんだろう。皆が団結して目標に向かうという、こんなにも晴れ晴れしい場面なのに、何故か不吉な予感が胸に宿る。が、勇はそれを押し殺してジェニーの言葉を促した。
「つまりな、一発目、教官に黙って事を進めんだよ。なーんも知らないふりをして、粛々と準備。で、作戦が始まったらこれ見よがしにATOの不備を改善した行動を取る。今まで糞の山としか思ってなかったルーキーたちの華麗な変貌にコゼニスキは度肝を抜かれ、ションベン漏らして俺らの前に倒れるって寸法だ」
クヒヒと邪悪な笑いをもらすジェニー。やる気満々だが、それだと返って上官たちの覚えが悪くなるだけでは……。
「いいわね。是非やりましょう。あのコゼニスキ大佐が驚く顔、待ち遠しくてたまらないわ」
が、勇が反対を伝える前にサビハが立ち上がってまさかの賛成意見を述べる。そういえばこいつ、大佐のこと大っ嫌いとか言ってたな。思わぬジェニーへの加勢に勇が反論を組み立てきれないでいる中、さらにラテンコンビが声を上げる。
「面白そうだ、やろう。世の中少しくらいワルのほうがモテるっていうし」
「よし乗った。時代はヒールって事だな」
流れに取り残された勇は、怪しげな雲行きに狼狽する。皆に火がついたのはいいが、ちょっと火勢が強すぎるというか、燃やしちゃいけないところが燃えている気がする。勇はストッパーを探してあたりに視線を彷徨わせる。が、席に座ってうつむいてじっと黙っていたアリーが突然立ち上がり、熱い視線でジェニーを射抜いて勇の希望を粉砕した。
「ジェニー。あなたも最高。素晴らしいよ、海兵隊万歳だよ」
「なんだ、てめぇもやっと俺様の素晴らしさを理解したか。なかなか見所あるじゃねぇか」
お互いに歩み寄り、がっちりと握手を交わす。ちょっと待って、ライバルがお互いを認め合うみたいな雰囲気を作らないで。引っ込みつかなくなっちゃうから。
「ま、がんばれよリーダー」
「こういうのは言いだしっぺが仕切らないといけないですからね」
いつの間にか勇の両隣に立っていたニールとウィラが、止めを刺すようにポンとこちらの肩を叩く。明らかに面白がっている様子であった。なんてこった、ニールはともかくウィラは味方だと思っていたのに……この娘、見た目に反して意外に性根が逞しいぞ。
「おっしゃぁ、やったるぜ! 打倒コゼニスキ! ガン・ホー、ガン・ホー、ガン・ホー!」
ジェニーが高らかにこぶしを突き上げ、アリーがそれに続いて「がんほー!」と叫ぶ。多分意味は分かってない。
こうして勉強会の秘密作戦はなし崩しに裁可され、リーダーの肩書を背負ってしまった勇の双肩に、早くも重い責任がのしかかるのであった。
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