第6話 その2

アリーの様子が妙だ。勇がそう思い始めたのは、秘密作戦から数日経った頃である。それまで人懐っこい犬のように笑顔で駈けずり回っていた彼女が、時折憂鬱な顔をするようになった。


 本人に聞いても、「へ? いや別に?」と惚けるばかりだったが、こう何度も続けばまさか気のせいとも思えない。しかめっ面の理由が分かれば友人として話し合う事もできようが、勇には思い当る節がなかった。それどころか、最近の勇とアリーを取り巻く状況はこれ以上ない程に良好と言えるのだ。演習結果は先日の一件以来ロケットのようなの勢いで向上しているし、噂を聞いた若手パイロットたちがどんどん勉強会に合流した結果、今や会議室を二つぶち抜きで使うほどの大所帯となっている。

 

余談だが、参加希望者の中には勇に啖呵を切らせたマルチェリ氏もいたのであるから驚きであった。勇の顔を見たマルチェリ氏は、バツの悪そうに目をそらして曰く、

「ふ、ふん。君たちが余りにも騒がしいものだから気に障って仕方がないのだがね、烏合とはいえ数が揃えば簡単に散らすこともできん。ならばいっそ獅子身中の虫となり君らを教導してやる義務があるのであって……」云々。そんな事を言いつつ、いざ勉強会となれば他のメンバーにもまして生き生きと参加をしているのが良くわからない。しばらく付き合って勇が出した結論は即ち次の通りで、要するに好きな子にわざとちょっかい出してやり過ぎて泣かせて引っ込みつかなくなるタイプなのだろう。男のツンデレなど全くもって嬉しくないが、こいつに煽られなければ現状はなかったのも事実である。差し引きゼロなら水に流そうと寛大さを示した勇であった。


閑話休題。とまれ、アリーを不安がらせる要素など何一つ無い筈で、だからこそ彼女の曇った顔が余計目につく。そんなふうに勇がのどに引っかかった小骨を持て余している間にも、こちらに対するアリーの態度は徐々に悪くなっていった。


例を挙げよう。例えばメンバー有志が集まり近場の店を占領した日の事。良い具合に酒の回った皆々が、一番優れたアクロチームはどこかという話題で白熱していた時だ。


「それはやっぱりバーズでしょう」、「待て待て待てウィラ。おめーとは長い付き合いだがな、こればっかりはブルーズに決まりだろうがよ」、「どっちも力技頼りだな。最高はフレッチェに決まり!」、「数が多けりゃいいというものではない! ヨーロピアンスタイルのアクロはパトルイユ・ド・フランスが至高! 異論は認めん!」、「うるせーおめー時々パトルイユスイスと区別つかなくなるんだよ!」、「パトルイユスイスぅ? F-5なんて骨董品を飛ばしているロートルと一緒にしないでくれたまえ!」、「あらあら? なぁに? それはつまり我らがターキッシュ・スターズに喧嘩売ってるってこと?」、「その、パトルーラアギラもたまには思い出してくれると……」、「え? スペインにアクロチームなんてあったっけ?」、「ですよねー……」、「まーまーここはひとつ、アローズが最高って事で」、「「「ジョンブルは黙ってろ!」」」。


 ありがちなお国自慢が続き、それなら是非自分も参戦と手を挙げたまでは良かったが、ここで誤解が生じる。「じゃあ俺はブルー……」と我が国の誇るアクロチーム、ブルーインパルスを推薦しようとしたのだが、控えめな主張がいけなかったのか、隣に座るジェニーが途中まで聞いて勘違いをかました。「ブルーズ! なんだ猿、ケツの穴のちいせぇファッ○ン空軍野郎にしちゃ珍しく骨があるじゃねぇか!」上機嫌にこちらの肩を抱くジェニー。ここ最近の彼女はずいぶん勇と打ち解けてきて、こういった衒いのないやりとりも珍しくない。仲良きことは素晴らしき哉、ただもう少し羞恥心を持ってほしいものだ。彼女の意外に大きな胸が、ちょろちょろ体に触れてくる――アリーやオルズ中佐もそうだが、自分の周りの女性パイロットはなぜこうもスキンシップが好きなのだろう。


とまれ、場に流された勇は「いやいや違う」と今更否定するのも憚られ、いつの間にか空軍の裏切者扱いされてしまった。一つの兆候は、逆隣に座ったアリーのコメントが、他メンバーのそれと比して語気に異様な強さを籠らせていた事だ。もっとも、酔いの回った勇の耳でそれを聞き分けることは難しかっただろうが。


その内に興の乗ったジェニーが突然立ち上がり、即興のタップダンスを始めた。これがまた見事なもので、皆やんやの大喝采。古い映画を思い出した勇も、素直な感想として「すごいな。まるでジンジャー・ロジャースだ」と誉めそやした。するとジェニーは美少女然とした、何時もの皮肉な笑いとは違う表情で勇に近づき、上気した頬をぐいと寄せる。


「じゃあテメェはフレッド・アステアだな。ほれ、壁にへばりついたお花じゃねぇんだ、俺の相手をしろよエテ公!」


そういう訳で無理やり椅子から引っ張られ、不格好なダンスを一通り踊らされること暫く。苦笑いとともに席へ戻った勇は、そこでやっと、アリーが例の不機嫌な顔を浮かべている事に気付いた。だがその時が普段と違ったのは、アリーが誤魔化しを挟まなかった事だ。


「……勇ってさ、誘われたら誰とでも踊るの?」


 突然の問いかけになんと答えていいかわからず、そのまましばし、無言で見つめあい。


「……なんて。はは、ウソウソ。今の忘れて。なんでもないから」

「……お、おう。そうか」


 それ以上の追及がなかったのを幸いとばかり、アルコールに侵された勇の脳はこの出来事を記憶から都合よく消した。難題らしきものを見れば尻に火が付くまで先送りする勇の悪癖が見事に炸裂した訳であるが、今考えるとこの場で何がしかの追及をするべきだったかもしれない。


また、こんなこともあった。一日のカリキュラムをこなし、暇を持て余した勇が、勉強会メンバーの溜まり場と化した会議室にノートパソコンを持ち込んで自習に勤しんでいた時のこと。


資料の山から目を離して一服し、息抜きがてら日本のブログなどを流し見していた彼は、ふと興味深い見出しを見つけた。「アメリカ軍の女パイロットが美人すぎてやばい」。ほほうどれどれ。こちとら米英土他の綺麗どころを日ごろから眺めて目を保養している身だが、世の中にはまだまだ美少女パイロットがいるのであるか。下世話な興味を抱きつつページを開き……。


「おうコラ猿。勤勉なるネイバル・アビエーターの前でサボりたぁ中々のクソ度胸じゃねぇか。その勇気をたたえてフニャチ○の先っちょにロケット弾(ハイドラ70)をぶち込んでやるよ」

「……っと。なんだジェニーか」


フライトを終えたジェニーが勇の肩に肘を置き、冗談めかしてモニターをのぞき込んできた。


「なになに……、アメリカ、軍、の、パイロット、が、きれい、すぎ、て? はっ、この童貞エロ猿めが盛りやがって。右手がイカ臭くて適わねぇよ」

 

わざとっぽく顔を顰めてこちらのこめかみを小突くジェニー。だが勇は一つの驚きのために気を利かした返しが出来ず、代わりに間抜け面を晒してジェニーへ振り向く。


「お前、日本語読めるのか?」

「あん? ああ、そういや話してなかったか。親父が一時期岩国に赴任しててよ、くっついて暫く日本に居たんだ。多少の読み書きはできるし、自己紹介くらいなら話せるぜ」

 

いきなり直立したジェニーが「ハジメマシテ、じぇにふぁー・ぼるとデス。ドゾヨロシクゴゼマス」と片言に話す。ハリウッドが勘違いした日本人宜しく、手を合わせてのお辞儀付きだ。


「はは、こりゃご丁寧に。見事なもんだな」

「おうよ。だから……」

「ん?」

「おめーが隠れてヘンタイをオカズにマスカキしてんのだってお見通しだ!」

 

いきなり勇に覆いかぶさり、マウスを奪うと画面をスクロールさせる。勇はじんわり温かいジェニーの肌に目を白黒させて成すがまま揺さぶられ……と、急にジェニーの動きが止まる。


「……ハ。ったく、その、なんだ……ええいくそ、このエテ公」

 

彼女らしからぬ歯切れの悪さに、どうした事かとディスプレイを覗けば……なんのことはない、美人パイロットとして紹介されていた写真はジェニファー・ボルト少尉その人であった。まあ、確かに綺麗にゃ違いないし、写真に性格は映らない。ウィラと並んだ数葉など、並みのリクルートポスターよりよっぽど訴求力があるだろう。


「こないだ部隊に来てた連中はこれか……ファ○ク、肖像権の侵害だ。訴えてやる。五億ドルはふんだくってやる」


などとブツブツつぶやくジェニーの顔は、ぶっちゃけ赤い。照れているのか恥ずかしいのか。普段はウンコチンコ言ってるくせに意外と純情な奴だ。


「天下のジェニファー・ボルト少尉にも可愛いところがあるじゃあないか」

 

こちらがからかうと、ジェニーは無言で席を離れ、部屋を出ていった。これはいい、暫く弄ってやろう。ニヤニヤと笑いながら勇が考えていると、二人の横で始終会話に入らなかったアリーが、能面のような無表情で勇を見ている。


「……………アリー? その、どうした」

「……私も、日本語、少ししゃべれるよ。勉強したから」

「……お、おう? そうか?」

「うん。……アリガト、ゴザイマス」

「……ああ、どういたしまし、て……?」

「……そんだけ」


まだある。あれは先日の昼飯時だ。ここ最近でいつの間にか成立した慣例として、勉強会参加者は都合がつけば昼食を同席している。その時はたしか勇の他にも数人がグダグダたむろしていて、無謀にもマリオとハビエルが正面に座るジェニーへちょっかいを出していた。大方アリーやウィラ、サビハあたりの綺麗どころから軒並みフラれ、容姿だけなら先述の三人に勝るとも劣らないジェニーをターゲットにしたのだろう。とはいえ彼らが出合い頭に繰り広げた大喧嘩を知る勇である。「懲りないなお前ら」と男共を茶化したのだが、二人は見事なハーモニーを奏でて言うのだ。


「「美人に多少の棘はつきもの!」」

 

ジェニーは心底面倒そうに「うるせぇ。失せろ。死ね」と顔を反らし、それでも男共はあきらめずに適当な美辞麗句を並べる。節操のなさもここまでくれば見事であるが、確かに気持ちはわからないでもない。ここ最近の激務に食後の眠気が重なり半ば朦朧とした思考の中、勇は目を半分閉じ、頭の中でつぶやく。ほんと美人だなんだよな、こいつ。


「……な、なんだよ。お前も色ボケどもに充てられたのか?」

 

突然、ジェニーが言う。なにがと瞼を開けば、これは珍しい、彼女が狐につままされたような顔をしていた……というか、彼女だけでなくその場の全員が似たような顔で勇を眺めている。


「……もしかして、俺、なんか言ってた?」

「……無自覚かよ。いよいよ救えねぇな。夢遊病の気でもあるんじゃねぇか」

 

何てことだ、頭の中で留めていたつもりが口に出していたらしい。これはまずった。ニールあたりの色男ならともかく、自分のような草食系が言うべき台詞ではない。周りは揃って「どう反応していいかわからない」という顔を浮かべているのに加え、ジェニーが妙に大人しいので一層いたたまれない。「猿に褒められたって嬉しかねぇよ、このファ○キン……その、フ○ッキン」と歯切れも悪く、余程呆れているのだろう。加えて随分顔が赤く、まるで酔っぱらいだ。流石に昼間から酒は飲んでいないだろうから、恐らく勇の馬鹿げた台詞に「聞いたほうが恥ずかしい」の心境なのだろう。穴があったら入りたい。

 

その場の全員が曰く言い難い居心地の悪さを堪能する中、隣に座るアリーが突然、勇の脛を蹴る。最初は偶然かと思ったが、彼女は目を合わせないで足の先ばかりアグレッシブに勇へとぶつけ続けるので間違いなく意図的だ。


「……なんだよ」

「私は?」

「……は?」

「私、割とよく美人って言われるんだけど」

「…………ああ、まあ……それに異論はない、けど……えっと?」

「……なんでもない!」

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