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2023年9月17日
「ゴッドファーザー」下巻の巻
「ゴッドファーザー」下巻の、ソニーの愛人が手術をしてどうこうのあたりは、さすがに通俗的興味で引っ張っているように感じられた。要するにエロと暴力で引っ張っているのかと……。 しかし、冷静によく考えると、この人物の視点を通じて、長男と次男と三男の関係を再整理しているパートなので、この部分によって物語が立体的に仕切り直されている。 つまり、軽そうに見えるが、複雑な人間関係のハブになっている重要人物なのだ。これは長編を書く際のテクニックとして、学ぶべきものがある。 この人物のおかげで長男は粗暴なだけではなく、次男も臆病なだけでない人間なのだと分かり、やがて次男の関わるカジノは三男の運命にも大きな影を落とすことになる。 でもって、その後はマイケルのパートになって、こっちはシチリアに潜伏中なのに若い女の子に一目ぼれ、という展開である。 これも不必要に見えなくはないが、女の子がソニーの愛人と性質的にうまく対になっているので、合間にマフィアの誕生の話や、水に関する利権や警察の腐敗、マイケルが次第に凄みを帯びてくる話題が絡む。ここまでで下巻の半分くらい。
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2023年9月16日
「ゴッドファーザー」と「ハムレット」の巻
ヴォネガットの創作について書かれた(ヴォネガット自身ではなくて、別の人が書いた)「読者に憐れみを」という本はパッとしない内容だなと思いながら読んでいたが、構成をくしゃみに譬えた部分は面白かった(p.307)。 その直前の「葛藤」から「決断、行動、解決」といった説明も聞き飽きた話だが、読みながら突然、「ゴッドファーザー」はマイケルの立場から見れば「ハムレット」にそっくりだなと気づいた。 「父を殺された息子が復讐を遂げる」というのが「ハムレット」と「ゴッドファーザー」に共通のあらすじで、いずれも主人公はしり込みする。しかしミッドポイントで「主人公が人を殺して、引き返せなくなる」のも、その後で「いったん国外に出されて、そこで殺されかける」という中盤の展開も同じ。これは気づかなかった(もちろん、枝葉の部分は異なる)。 文庫の解説では「ゴッドファーザー」=「忠臣蔵」説が書かれており、それはそれで理解できる。
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2023年9月15日
むしろ「後書き」を先に読んでほしいの巻
「蛙の子は~」の後書きを書いてみると、読者は読む前にこれを読んだ方がわかりやすいので、積極的に勧めた方が親切な気がしてきた。 2,3日前までは「こういう風に読んでほしい」「こういう風に解釈できる」というガイドがないと読まない、読めないというのは読者の甘えである……、という気がしなくもなかったのだが、考えを改めた。 一方、作者側が「何も説明しなくても、読者はきっとわかってくれるはず」として黙っているのは毅然とした態度で、しかも正論に見えるが、実際のところそれは、時間に追われていて、他にも無数の娯楽がある読者への甘えではないかという気もする。 作者は「自分の作品に優先的に時間を割いてくれ!」と要求できるものだろうか。人気作家ならともかく、カクヨムでそれは通用しないのでは。 カフカやジョイスなど、古典的な作品すら、まったく解説が無い状態で読んだら面白いものかどうか、かなり疑問である。そう考えると、読む前に、ある程度の情報を与えるのは悪いことではない。 情報があるとないとでこう変わる、という例としてちょうど今日、ワインに関するニュースを見かけた。評価のうんと低かったワインが、そのことを隠してエントリーした品評会で金賞を受賞したとのこと。 本来は評論家が、消費者のためにある程度は正確な判定を下し、ガイドするべきだが、未知の作品を前にした時、評論家はしばしば当てにならない。 そう考えると小説の場合、書き手がある程度は解説しないと、誰もついてこない訳で……。アマチュアは尚更……。 結論:むしろ「後書き」を先に読んでほしい! https://kakuyomu.jp/works/16817330662926334835
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2023年9月14日
「後書き」を書きましたの巻
いま少しずつ公開している「蛙の子は~」は、いよいよ明日の午前3時頃に完結します。 で、わかりにくいところもある話……、というよりカクヨム内にも外にも似たような話がほとんどないような小説なので、「この人は何でこんなことを書いているの?」という疑問を持たれた方も多いかと……。 そこで、これを書くに至ったいきさつやら何やらを「後書き」として最後に付けました。人によっては「後書き」を先に読んだ方がわかりやすいかもしれません。 先に「こういう風に読めば理解しやすい」というガイドを手にするようなもので、読者を甘やかしているようですが、実際のところ私も本を買う前、読む前にアマゾンのカスタマーレビューを見たり、読書メーターの感想を読んだりしますから。 逆に「何も説明がなくても、きっと読者はわかってくれるはず」という態度にしても、それはそれで作者が読者に甘えているのでは……、とも考えました。 それから昨日、崇期さんからコメントをいただきまして、「どこの国であれ、伝承や昔話が海を越えて同じ様相をしている」というくだりには驚きました。私が先月まで書いていた作品が、まさにそのあたりに根っこの部分で関係している話だったからです。 やはり鋭い読者はいるもので、ノーヒントで次の作品(未発表)のことまで見抜いてしまう。作者としてはたいへん嬉しくもあり、怖ろしくもあります。
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2023年9月13日
前日譚と後日譚の巻
「ゴッドファーザー」は一作目も名作だが、二作目はそれ以上に名作だー! という評価は、私が中学生くらいの頃(公開しておよそ10年後くらい)には、ほぼ定着していた。 私は素直に「前日譚と後日譚をあわせて続編を作るとはすごいな!」「ヒットしたから続編を作ろう、といった安易な続編じゃないぜ!」と感心していたのだ。 しかし、原作の「ゴッドファーザー」を読んでみると、上巻の最後の10%くらいは「ヴィトがのし上がるまで」という半生記になっている。 いかにも「ミッドポイントだー!」と言いたくなるレストランの場面の後、「気になる続きの、その前に……」というタイミングでこれが入ってくる(ちなみに歌手の話も入っていて、けっこう長い)。 で、下巻の冒頭は婚約者のところに警察が行って、「実は……」とあの場面の間接的な続きになる。この絶妙の呼吸、動と静の対比、過去と現在の間合いの取り方。つまり、もともとパート2の要素は原作に含まれていたんですね。 でもって、それとは関係ないですけど映画の役名で「ソロッツォ」になっている人物が原作では「ソッロッツォ」になっているのは不自然すぎる。「ロ」の前に小さい「ッ」が来るのは変で、どうやって発音しろというのか。
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2023年9月12日
「男はつらいよ」理論の巻
あと数日で完結します。 ↓ 「蛙の子は鯰の孫」 https://kakuyomu.jp/works/16817330662926334835 基本的に同じ話の繰り返しなので、途中の回から読んでも、頭から順番に読んでも、最初と真ん中と最後の方だけ読んでも、ほとんど変わらないです。 「男はつらいよ」シリーズと同じです。 前々からそういう話を書いてみたかったので、実現できて嬉しいですね。
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2023年9月11日
「ゴッドファーザー」の魅力の巻
原作の「ゴッドファーザー」を最初からきちんと読むと、想像していたような俗っぽい感じではなく、様々な要素がある。 まず、映画版から入った者としては、キャラクターそれぞれの裏設定ともいうべき情報が面白い。 映画ではトムという人物の魅力の多くは、俳優ロバート・デュヴァルの存在感や抑えた演技力で代弁されている。しかしこの人物の幼少期からのいきさつを知り、この人の立場が銃撃事件の遠因でもあると知ると、やはり今まで見えていた像よりも鮮明に見えてくるものがある。 さらに興味深いのは構造で、主人公が前半はヴィト・コルレオーネ、後半は人物が多いので誰に焦点が絞られるか不明な中で、次第に三男に絞られてくる。 こうした構成は、読者としてはごく自然に読めるし、受け止められるが、整理して「つまりはこういう話」という風にまとめにくい。 王道的でありながら変わった構成になっている。ヴィトという大人物の持つそれぞれの性格を割り振って、弁護士のトム、長男、三男、と三つの筋が並行して語られるという状態が、いわば第一幕になる。 そこから三男に焦点が絞られて、ミッドポイントがあって……、という流れはごく一般的だが、枝葉が豊かなので、その場その場が面白すぎるというか。有名な馬のあたりなど、刺激が強すぎて理性が吹っ飛んでしまう。 他に気づいたのは「国家よりも家族よりも友情が大切だ」という論理と倫理で、世の大半の物語は当然の如く「愛が最も尊い」なんて言って澄ましている。あるいは「お国のため」「企業のため」要は「金のため」で進んでいくのに対して、逆に新鮮味がある。古くてかえって新しい。 この映画を初めて観たのは中学生くらいではないかと思うが、その後も度々観返して、今また新鮮な気持ちで「分析しきれなさ」に手を焼いているというのは真の名作の証ではないだろうか。半世紀も前の小説が新しく感じられる。
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2023年9月10日
よく似た二人の巻
「道頓堀の~」と「ゴッドファーザー」を並読していて気付いたのだが、この二作は扱う年代の幅が広く、しかも重なっている。 イタリア系移民がアメリカでマフィアとして裏社会でのし上がっていく過程と、伝統的な江戸川柳の流れが庶民的な大阪でじわりじわりと広がって親しまれて育ってゆく過程を描いており、いずれも途中に大きな戦争が入る点を含めて、よく似ている。 その中心人物となる岸本水府は1892年生まれで、調べてみると小説のドン・コルレオーネは1891年生まれという設定で、ほぼ同じ年齢なのであった。
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2023年9月9日
ミッドポイント鑑賞会の巻
図書館で小説「ゴッドファーザー」の上下があったので借りてみると、映画のミッドポイントにあたるシーンが真ん中(上巻の最後の方、および下巻の冒頭)にあって「やっぱり!」と思う。 この映画の前半はタイトルの通り「ゴッドファーザー=ドン・コルレオーネ(=マーロン・ブランド)」という等式がガッチリできているが、後半はそれが揺らぎ、ひっくり返され、結論が出るという方向に進むので、対称性がはっきりしている。だからミッドポイントも明解である。 ツイッターのまとめサイトで「ローマの休日」の構造を分析したものも読んだ。これもやはり「ミッドポイントはこれだ!」という象徴的なシーンがある。 白黒映画の「奥様は魔女」もつい最近、見直したのだが、これもど真ん中にはっきりしたミッドポイントがあった。これはコメディなので、主人公の魔女の計略が「大成功するつもりが大失敗」に転じるという、急転直下型とでもいうべきものだった。 失敗というより「ドジを踏んだ」というか、微笑ましい失敗で、ここだけでなく話のどこもかしこもチャーミングに出来ているので、「うちのパパがローマ帝国を破滅させたのよ」なんていうセリフまで可愛らしい。 もしこの手の失敗が「ゴッドファーザー」の中間部にあったら、もうそこでお終いとなる。コメディは失敗からかえって面白くなるので、むしろ成功してはダメなのであった。
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2023年9月8日
「道頓堀の雨に別れて以来なり」の巻
読みかけで放置していた田辺聖子の「道頓堀の雨に別れて以来なり」を少し読み返したら、生き返るような心地になった。読みかけで放置していたというのは、何しろ上中下巻で厚さが結構あるので、京極夏彦が泣いて逃げ出すみたいな長さになっているからである。 この本は副題に「川柳作家・岸本水府とその時代」とあり、つまり川柳作家たちの明治・大正・昭和を描いた群像劇なので、評伝の中に小さい評伝がいくつもあって、かつ川柳が大量に引用されているアンソロジーという側面もある。 そういった要素はもちろん面白いのだが、個人的には漢字とひらがなの書き分けをもっと柔らかい雰囲気にしたいと思っているので、そのあたりの興味もある。 田辺聖子の文章は、威張りもせずへりくだりもせず、柔軟で正確な印象を受ける。それでいて、読者を包み込むような温かさがある。 もうひとつ文章の話をすると、「私」が書いているのだから、いちいち「私は」と書かなくてもいいような気がする。しかし、文脈によって「私は」「私が」「私も」はカットしない方が良いケースも多々ある。そのあたりの匙加減も気になるところ。 とにかく久々に本を読んで「広い、大きい、豊かだ」という印象を強く感じた。中学生くらいの頃はそう感じる機会が頻繁にあったように思うが、今はむしろ「狭い、小さい、貧しい」と感じる本が増えてしまった。 しばらくこの本の中に籠っていたいほどなので、頭をリセットさせる意味でも、金土日はこの本に集中してみたい。 岸本水府の川柳はこんな感じ。 ↓ 大阪はよいところなり橋の雨 友達はよいものと知る戎橋 電柱は都へつづくなつかしさ お土産はいらぬと母は送り出し 恋せよと薄桃色の花が咲く 汚れてはゐるが自分の枕なり ことさらに雪は女の髪へ来る 友だちは男に限る昼の酒 寝たら牛になるならそれもよしと寝る 四十年かかつて酒は毒と知る
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2023年9月7日
創作と殺意の巻
noteで「第14回創元SF短編賞」について触れた記事があり、宮澤伊織による選評を読んでみたら為になった。 http://www.webmysteries.jp/archives/32418024.html 個々の作品の長所や短所の指摘はもちろん、最後の部分にもいいことが書いてあったので、少し引用すると、 ↓ 今の世の中、創作は誰でもできる。特に小説は言語が使えるなら本当に誰にでも書けるのだ。そんな中、特に商業で小説を書こうという人間が、頭一つ抜けるような、力のある作品を書くために必要なのは、情熱、執念、愛、狂気といった言葉で表現される、誰にも真似できない何かだ。 私はそれを殺意と呼ぶが、とにかく「この題材では自分が一番凄いものが書ける」「このネタで自分以外書けなくなるくらい全部やりつくしてやる」「仮にこの作品から二次創作がどれだけ生まれようとも自分が一番強い」「この作品で全員ぶっ殺してやる」「何もかも焼き尽くしてやる」「めちゃくちゃにしてやる」というくらいの気持ちで臨んでほしい。 ↓ 「殺意」という表現は、穏当ではないが感覚としてはよく分かる。 私もたとえば「読者を喜ばせたい」「楽しませたい」という意識はあるのだが、それよりずっと破壊衝動に近い何かが、かなりの割合で創作行為には含まれている。
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2023年9月6日
自作の続きを思いつくの巻
今、一日で二話ずつ「蛙の子は鯰の孫」を公開していて、ほぼ半分くらいまで来ている。 https://kakuyomu.jp/works/16817330662926334835 全29エピソードのうち(最終話だけ少し分割したので、カクヨムでは全32話にしている)、ちょうど真ん中のエピソードが「15」になる。 これを半年ぶりくらいに読み直すと、いかにも折り返し地点という気がする。書いていた時よりも、少し遠くから自作を眺めているうちに、何となくこの話の続きが書けそうに思えてきた。 理屈としては「男はつらいよ」と同じようなもので、毎度おなじみの展開が繰り返されるだけなのだ。 「だけ」と言ってもそれがほんの少しずつ変わってくるので、その後の変化も含めて「こういう風に書けるのでは?」という方向がぼんやりと見つかった。 という訳で「将来、書くべき作品リスト」にひとつ作品が増えたのは大変めでたい。
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2023年9月5日
単行本(安い)<文庫本(高い)の巻
仏教関連の本を読んでいたら、水上勉の「一休」は素晴らしいとあったので、調べると「一休」「良寛」「沢庵」など、仏教関連の文庫が何冊か出ている。 水上勉には「禅とは何か」という総合的な本もあったので、こちらも調べると文庫では1,000円くらいである。ところが単行本で「水上勉自選仏教文学全集」の1巻にこれが入っており、他にも何作か収録されていて古書だと280円(+送料350円)くらいであり、こちらの方がずっとお得ということになる。 こういうことは最近、少しも珍しくない。川端康成や泉鏡花の場合、絶版になっている文庫がうんと高くて、20-40年前くらいの単行本や、全集(揃い)の方がずっと安いケースすらある。 しばらく経つとまたこの傾向は変わるかもしれないが、古い文庫よりは単行本の方がずっと安いのだ。 私の中学生頃の感覚だと、文庫の値段は薄くて180-250円くらい、普通の厚さで300-400円くらい、びっくりするほど分厚いもので800-1000円くらいが限度だった。それが今ではそれぞれ二倍以上になっているので、そりゃ本が売れなくなるわなと思う。 *ちなみに水上勉の「禅とは何か」は職場近くの図書館にあったので借りてきた。
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2023年9月4日
誤字脱字、誤用のご指摘は……の巻
先日、登場人物の名前を間違って書いてしまい、ご指摘を受けてたいへん感謝しております。 基本的に私は、他の人の誤字脱字、誤用ははっきり見えたとしても指摘しないんですよね~。 しかし、自分が指摘していただくのは大歓迎です。 間違いを見落としていること自体が、 「もう自分ではカバーしきれない、チェックできる量を越えている」 という証拠ですからね。 でもって、プロフィール欄にその旨を書くようにしました。 言い訳をすると、ある程度の量を越えると、もう文章というのはチェックしきれないほどの情報量になってしまうんですね。 近況ノートもすぐ気が付いた間違いはすぐに直しますが、これはせいぜい200~800字くらいですから。 人間の注意力や思考力には限度がある。原稿はその限度を越えてしまう量になることもある。そういうことです。 その量というのは、私の経験ですとA5サイズの文章ばかりのZINEで100ページくらいから怪しくなりますね。小説の場合は、原稿用紙換算で100~200枚以上は、かなり怪しくなります。
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2023年9月3日
「物語消費しすぎ地獄」の巻
津村記久子の短編「地獄」を読んだら、生前にドラマ、映画、小説、その他あれこれの「物語」を消費しすぎた罪によって主人公が「物語消費しすぎ地獄」で罰を受けるという話だった。 これは結構、身につまされる鋭さを持っている。 フィクション以外の、他人の人生の修羅場(例えばスポーツの中継や、歴史的事件の映像など)を「物語」として消費して楽しむ、という罪などは、格別にフィクションを消費していない人でも該当するのではと思った。 その罪状の「罰」というのがあれこれあって、この部分は漫才として書き直せばM1グランプリの決勝ネタとして出しても、そこそこ行けるのではないだろうか。この人は漫才どころか、ゲームブック形式の短編まであるので侮れない。 とにかく「地獄」は私の理想の短編と言ってもよいくらいの出来で、それならなぜ今まで読まなかったんだろう、と不思議に思うほどだった。 一つはタイトルのセンスが何か微妙に私とは違うことで、もう一つは「高野文子っぽいが違う人」のイラストが表紙を飾ることが多いからだと気づいた。以前、「あっ、高野文子の絵だ」と感じて手に取って、「えっ!違う人なんだ……」と軽いショックを受けたことがあったのを思い出した。 作者本人の責任ではないにしても、イラストが微妙な所で「偽物感」を与え、それを見る人に「騙された感」を植え付けてしまう。これは結構、怖いことである。
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2023年9月2日
ジャンルなき子の巻
「蛙の子は鯰の孫」を公開しました。 https://kakuyomu.jp/works/16817330662926334835 だいたい一日で2つのエピソードを公開する予定です。 旧石器時代の話ですけど、「ジャンル」をどれにするかで悩みました。 「SF」や「ミステリ」でないのは明らかで、「恋愛」「現代ドラマ」でもない。どこにも入らなければ「その他」でいいや、と思いましたが、どうもそこに入れるのも詐欺みたいな気がしてきたので、後ろめたい気になりつつ、最終的には「歴史・時代・伝奇」にしています……(オドオド)。 「ユーモア小説」というジャンルがあればそこですけど、ないんですね。 しかも「残酷描写」「暴力描写」「性描写」は「ない」と言い切れない内容なので、「有り」を選ばないとダメという状況です。 一体、どこまでカテゴリー的に悩まされるのか。 自分はカクヨムに生息しながら、どれだけアウトサイダーなのか……。 「家なき子」は可哀想ですが、自分は「ジャンルなき子」ではないのかと……。 ちなみに以前考えたペンネームで「柿くけ子」というのがありましたね……。
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2023年9月1日
津村記久子などの巻
津村記久子の短編を少し読んで、あまりにも平易な言葉で書かれているので感心してしまった。 「人はうどんが好きだし、私もうどんが好きだ。そしてうどんは飽きることがない。」 これが「うどん屋のジェンダー、またはコルネさん」の書き出しだが、この先もずっとこんな調子で、気取りや自慢や卑下がほとんどない。ごく自然体、ごく平熱、ごく普通、といった感じで、かといってもちろん下手ではないのだ。 それどころか、太宰賞に始まって、芥川賞、川端賞、先ごろはついに谷崎賞、と、純文学系の文学賞獲得マシーンのようなコースを歩んでいる。 それだけの内容があるのに、なぜこれまで読んでいなかったかというと、どうも本文は自然体なのにタイトルの付け方に癖があって、それで避けていたように思われる。 「このタイトルはちょっとなあ……」 と思うような作品はたいてい波長が合わないものだが、この人は例外なのであった(エッセーでは「やりなおし世界文学」を読んでいて、これも素晴らしい)。 純文学作家の書く小説の場合、結末辺りで展開がグダグダになり、物事が有耶無耶になり、人間関係や「その後」が曖昧なままで終わっても「まあ、純文学だから仕方がない……」という諦め癖が読者の側に付いてしまっているが、この人はそういう責任放棄っぽい感じがなく、きちんと盛り上がってくれるのだ。 ところでジェンダーといえば、ちくま文庫の「どうにもとまらない歌謡曲: 七〇年代のジェンダー」も面白くて、夢中になって読んだ。 桑田佳祐の歌詞の分析で「男が歌っているはずなのに女言葉が紛れ込む」という技術は確かにその通りで、納得するというより目から鱗がいくつも落ちた。 ただ横浜あたりの不良言葉では、「~のよ」「~だわ」「~のね」という表現はごく自然に話されているのではないかなと思った。 例:「この単車、こないだ100万円で買ったのヨ」 「あいつ、遅刻するとか言ってたんだワ」 こんな感じで、ごくごく普通にヤンキー的な言葉の世界では男女の壁が消えているのでは。 ジェンダーに限らず、時間や手紙といった小テーマもあり、「そういう意味だったのか!」と驚かされることが多い本だった。
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2023年8月31日
8月の終わりの巻
今日で8月はお終いになる。 今月初めは書きかけの創作で5万字を目指しつつ、半分ほどまで書けていた状態だったので、完成できるのかどうか不安に思っていた。そのことを考えると、よく最後まで書けたなと感心するほど。 長めの創作を書いていると、ある時点から「完成できるのかどうか」とか「急に意欲が減少したらどうしよう」といった不安が湧いてくる。自分で薄々は気づきながら、いい加減に書いて済ませてしまう、というのも怖い。 「裏切るのも自分で、裏切られるのも自分」という変な関係だが、そういうことは結構あり得る。 しかし幸いにしてそうならなかったし、過去最長で、質的にも隅々まで満足できる結果だったので、とりあえずまた次に向かえる。 一応、来月は次のための準備をして、可能であれば年末までにまた5万字くらいを目指したい。
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2023年8月30日
そっくりさん物の巻
パロディやキッチュに関する本を読んでいたら、急に高山羽根子の小説「如何様」の話になって、これが「出征から戻って来た夫が別人だった」という話らしい。 普通は「奥さんだったら、本人か別人だか分かるだろ!」というツッコミが入るところだが、ろくに会わずに結婚して、すぐに出征になったようなので、これぞという決め手がないという。 こういうそっくりさんの出てくる話が私は好きで、別人になりきっている側の心理を想像するとドキドキする。 分類すると「そっくりさんコメディ」「そっくりさんシリアスドラマ」「そっくりさんホラー」など、探せば結構あるかもしれない。 ちなみに私が好きなのは映画「デーヴ」と「ジャック・サマースビー」である。
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2023年8月29日
お礼と予告の巻
何と、昨日は「沈黙と静寂の会」にレビューをいただきました。 「今まで見たどんな言葉でも形容できないもの」 「通常の物語の構造の一歩上をいく、この小説だけの構造があります」 https://kakuyomu.jp/works/16817330662166023222 など、おそらく書きにくいレビューだっただろうなと同情したくなるような、ご苦労がしのばれる有難いレビューでした。 でもって、1~3月に書いていた作品も近々、公開するかもしれません。 こちらは原稿用紙3~5枚くらいのエピソードが30話くらいで構成されているので、毎日少しずつ、おやつタイムや通勤通学の電車内、あるいは就寝前に少し読む、といった感じで読まれてほしいものです。 半年ぶりくらいに読み返していますが、読みやすく、親しみやすく、ユーモアがあるのでお楽しみに。
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2023年8月28日
メチャクチャなことを書きたいの巻
自分が何かを書く動機というのは、やはり「ふざけたことを書きたい」「メチャクチャなことを書きたい」という要素が結構ある。 ところが馬鹿々々しい話や、奔放な空想を描くと、すぐに「辻褄を合わせなければ」と考えてしまう。 これはよくないが、普通に「作品」として考えると着地点を無視して飛びっぱなしにもできない。 作品ができてから「我ながら畳み方を上手くできたよなあ」「きちんと着地が決まったよな」などと満足できると、それがまた腹立たしい。 イライラしつつ「もっと滅茶苦茶にしてやる!」と鼻息を荒くする段階が、また次の創作につながるという……。 (初めに戻る)
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2023年8月27日
三幕構成(15ビート)を考えるの巻
ますます三幕構成や、ミッドポイントや、その後のたとえば「迫り来る悪い奴ら」「すべてを失って」「心の暗闇」といった段階に興味を感じるようになった。 昨夜もDVDで「アポロ13」を観たのだが、そのあたりの定石の通りで、模範演技でも見ているかのような作品だった。 「SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術」の15ビートという段取りは、70-90年代のハリウッド映画によく当てはまるが、それだけでなく、もっと古い時代の日本の純文学とか、海外のミステリや児童文学にも当てはまりそうな気がする。 自分としては、さらにもう少し視野を広げて考えたい。お話作りというより、ある情報を伝達するための効果的な法則として考えると、ノンフィクションや評伝、場合によっては自伝にも当てはまるように思えてきた。
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2023年8月26日
小説家に求められる資質の巻
小説家に求められる資質を考えてみると、大雑把にはこんな感じだろうか。 A・愚直で勤勉で、細かい点に見落としがないよう努める真面目さ。計画性。諦めない粘り強さ、辛抱強さ。 B・他と異なる視点から物事を考えようとする独自性。破天荒、狂気、非常識、へそ曲がり。外へずれようとする気質のようなもの。アウトサイダー性、夢想的。近道を発見したがる。はぐれ者。孤独への耐性。皆と仲良くしなくても一人でいられること。 C・読者への配慮、気遣い、もてなし。サービス精神、奉仕する態度。仕える喜び。思いやり。皆の喜びを自分の喜びとする。健全な社会性。皆と一緒、とまではいわなくてもある範囲内で円満な関係を築ける。 まとめると、「真面目で不真面目」「反社会的で社会的」「頑固で柔軟」とでもいった、矛盾した人物像ができあがる。 これらの要素のうち、どのようなバランスで自分の特性を伸ばすか、その時々に応じて出し入れできるか、といった統合能力も必要である。 数学者ガウスの有名なエピソードに「1から100までの整数の和を答えよ」と先生に命じられて、すぐに良い方法を見つけた、というものがあったが、このエピソードのような「変っているが妥当で手間のかからないアイディア」を思いつく能力が、創作家には必要と思われる。一般的な作家像としても「何かをひらめく」「アイディアが豊富」というのはよくある。 ところが、そうした力だけでは小説は書けない。 むしろ、その数学者と同じクラスにいて「1+2+3+4+……」と、無我夢中で計算している愚直な生徒のような資質もまた必要だし、その立場(いわばモブキャラ)の心理を正確に把握できるか、表現できるかどうかも重要である。 と同時に「先生のキャラクターを、もっと意地悪にしてはどうか?」と主人公を引き立てる演出プランを考える資質も問われる。 そう考えると、「人格的、能力的な幅広さ+自己を含めて客観視する能力」みたいなものだろうか。 「そんな万能の天才がいるか!!」と言いたくなってきた。
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2023年8月25日
完成した後でそわそわするの巻
やっとひとつの作品ができて、いきなり次に取り掛かるのは難しい。頭がまだ落ち着かないので、本を読むにも何かを書くにしてもそわそわしてばかりだ。 仕方ないので、日記を読み返して創作の過程を振り返ると、本当に少しずつ作られていると分かる。一ヶ月半をかけてチビチビと、最終的なプロットができるまでに二ヶ月半もかかっている。 何をどのように考えたか、という痕跡が一応は読み取れるが、詳しくは自分でもよく分からない。毛虫とさなぎと蝶の段階は区別できるにしても、さなぎの内部でドロドロしているものの動きまでは分からない。 「井上ひさし全選評」という広辞苑のような分厚い本があり、これは読んでいて面白い。ためになる。
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2023年8月24日
執筆日記 ついに完了の巻
とうとう原稿を送ったので、この創作に関しては終了となった。 最後になって「ノンブルを必ずつけよ」という注意書きに気づいたり、「キャッチコピーを書け」という条件のために用意したコピーが151字になってしまい、150字にする(他の人は20-30字くらい)など、多少のトラブルはあったが無事に送付できた。 今回、一応は長編といえる(ぎりぎり本一冊にはなるくらい)分量を書けたことで、どのような変化が自分の中に生じただろうか。 ・二次的な興味やアイディアが幾つか生まれた。たとえば有名なあの作品を読んでみようとか、仏教や精神医学に関する興味など。 ・新種のモチベーション、書いたことも読んだこともない形式の発見など。これは今後の作品にも反映できそう。 ・(漠然としたアイディアは前々から持っていたが)はっきりと「これ」を書くと決めてほぼゼロの状態からプロットを考えて二ヶ月半、執筆に入っておよそ一ヶ月半で完成できたというペースを体でつかめたこと(今年の1-3月も同じくらいの量は書いたが、質が異なる)。 ・掌編や短編を書く時期がはっきりと終って、これからは原稿用紙200-300枚くらいのものを書けそうな感触を得たこと。 ・安直なミステリで安直に扱われる「死」ではなく、死ぬべき運命の人物を「生」に引き戻せたこと。ある意味、「反(アンチ)ミステリ」的な点。 ・これを書き終えたら、燃え尽きて何も思い浮かばなくなり、書けなくなるのでは? という不安があったが、それは払拭されたこと。むしろ、元気になった。 次の作品は「これを書こう」と思い続けていたアイディアがあったのだが、その要素を生かしつつ別のものに練り直そうかと思っている。漠然と新しい方向へ進めそうなので良かった。
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2023年8月23日
執筆日記 タイトルから考えるの巻
今回、とりあえず完成した作品はもう推敲の余地がないので、今日か明日くらいに提出しようかと考えている。 やれやれと思って、この後はゆっくり休養……、とする余裕もあまりない。 次作をどうするかをあれこれ考えつつ、中井久夫に関する本を読んでいたら「世界における索引と兆候」という論文について触れた箇所があり、このタイトルには魅力を感じた。 タイトルから小説を構想するという手は、前々から自分がやっている方法のひとつで、今も、それがどういった話なのかは分からないが、タイトルだけを漠然と抱えている状態のものが幾つかある。 そういった取っ掛かりを与えてくれるタイトルとは、自分のためだけの、特殊な一行の詩のようなもので、それがどんな話になるのか、どういう事を言いたいのか、登場人物は誰で、いつの時代なのかも曖昧である。 しかし、ある時にパッと別の何かと結びつくことがある。「世界における索引と兆候」にはそれに近い感触がある。これをそのまま使うかというと難しいが、たとえば「配給における索引と兆候」というタイトルの本があったら、何だか気になる。 タイトルでいうと「そして誰もいなくなった」は(原題との関係はともかく)、このフレーズ自体が非常に良い。以前にも「創作論のメモ」で書いたが、そういうフレーズだけを考えてみるというのも創作の第一歩としては面白いかもしれない。 ランダムに俳句や短歌の一部分を切り取って「タイトルになるかどうか?」だけを検討するというのも良いかもしれない。
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2023年8月22日
執筆日記 推敲とはの巻
推敲とは、いわばサッカーの試合が終わった後で選手が、 「あのパスをもっと強めに蹴っていれば……」 「あそこでもう少し早めに引いていれば……」 「あのマークをもっときつめにしておけば……」 といった反省を、その場、その時点に戻ってデザインし直せるようなものだ。 将棋だって「待った」は反則である。ところが、小説の推敲とは「待った」を何回してもOKということになる。 つまり、サッカー選手にとっては自在に「時間を戻せる」ようなもの、棋士にとっては「待った」を使い放題のようなものだ。 なぜ、これほど良い条件を与えられていながら良くできないのか。もうそれは、許されるものなら(大抵は許されている)限界のそのまた限界まで推敲し、磨くべきではないのか。 とは言うものの、さすがにまる4か月も同じ作品について考えていると、限界もこのあたりかなと思えてくる。しかも、やけにピッタリと、ページの頭に「第〇章」が落ち着くようになって、内容的にも外見的にも完成が近づいた感が出てきている。 とりあえず最終的にはPDFで提出するので、いったんPDFにして、またそれを読み直している。
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2023年8月21日
執筆日記 書き終えてからの巻
ある作品を書き終えると、やはりあれこれと思う所がある。 今回、5-8月で書いたものは、もともと「〇〇〇が鬱病になったら?」という発想がきっかけになって書き始めたのだが、「鬱病になる人」という人物像、つまり言い換えると「意欲が湧かない」「やる気が起きない」「することに意味を見出せない」という人物像こそ現代において、自分にとって書く価値があるように思える。 そもそも、自分には「やる気満々で、スポーツの大会で優勝を目指すような主人公」はまず書けない。 結局、今回は「鬱病」については書かなかったのだが、こうしてまた振出しに戻ったので、またそこから始めるのも一つの手である。 「死ぬように運命づけられている人物を助ける」というのもまた、大きなテーマとしてある。これは副次的に出てきた要素だが、小説家として「売れたい」「何々賞を取りたい」という動機よりも、より強く、太い動機になるのでこれも再検討したい。 一応、あと数日は推敲するべきと考えていて、くだらないセリフや会話でもメモしておきながら、そのまま本文に書きそびれていたものがある。
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2023年8月20日
執筆日記 一行増やし、減らしの巻
「章と章の切れ目は一定の行を空ける」という構成にしてみると、急にページの区切れが変な感じになって、一枚の紙の最後に「第4章」という3文字だけが来てしまうこともある。 そこで、その前を一行増やすとか、二行ほど減らすなどの必要が生じる。 これを書き足したり減らしたりしているうちに、表現が磨かれることがあるので、そういう直しもそこそこ楽しい。やりがいがあるというか。 夜は、山田風太郎の「笊ノ目万兵衛門外へ」を久々に読み返した。 「私は人間の諸行動を笑わず、嘆かず、呪うこともせずにただ理解することにひたすら努めた」 (スピノザ『国家論』) 山田風太郎の小説には、この人間観に通じるものがあるような気がする。「ひたすら努めた」ですらなく、ごく自然に目に映り、ごく自然に理解したという力みのなさが感じられる。 山田風太郎の小説は、いつも欲望や暴力や奇想が大きな渦を巻いていて、それでいて静謐で穏やかな視線がある。文章も素っ気ないほどで、いかにもやすやすと、さらさらと書いたような自然な文章である。
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2023年8月19日
執筆日記 寝ても覚めても推敲の巻
「やっと第一稿ができた! 少しは休むか……」 と、ホッとしていたのもつかの間、やはり内容が気になってくる。 「Aさんの目からBさんの行動を後から見直すと、どう見えるんだろう?」 「その時、本物のCさんはどこで何をしているのだろう?」 「Dさんの悪さというのは、つまりいじめの首謀者より傍観者の方がよほど罪深いということか」 「Eさんの悪さとはつまり、自民党の推薦で立候補するタレント議員のようなものか」 「Fの悪行は、いわば過去に遡って、永久にループしながら罰せられているということか」 などと客観的な目であれこれ見直し、再検討していると、修正・補正すべき箇所があちこち出てくる。 文章そのものに関しても、スティーヴン・キングは確か30%くらい削って完成させるというが、自分も3%くらいはカットすべき表現が見えてくる。 とりわけ主語の「〇〇は」「◇◇が」に関しては、カットしてしても意味が通じるので、すっきりさせたい。
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2023年8月18日
執筆日記 画竜点睛の巻
第5章の最後に、ある人物の日記を入れるはずだったのだが、書くべき内容が薄いように思えて、「頭が疲れていたので保留のまま→無くていいや」という判断を経て、空白状態で完成としておいた。 しかし「一連の事件のそれぞれの局面はその後、どのように見られるのか?」を書けばよいと気づき、やはり某人物の視点から再構成して書いてみた。 こうするとミステリ的な面白みが増すし、書いてみたら本当に最後のピースが埋まったように感じられた。 これで本当に第一稿はお終い。書き終えたというより「考え終えた」という感じがする。あとは書き足すにしても細かい修正をするくらいではないか。 休みたいのに、そわそわして気が散ってしまう。仕方ないので昨年末に書いた短編をカクヨムで公開することにした。 https://kakuyomu.jp/works/16817330662166023222
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2023年8月17日
執筆日記 40×40のフォーマットに移すの巻
昨夜は「ローラーガールズ・ダイアリー」を観た。 同じ青春ものと言っても「台風クラブ」は偶然性が高く、再現できない何かがかなり含まれる作品だが、こちらは型にうまく嵌っており、実際、この作品以前も以後も、似たような作品は多い。そういう面を批判する人にはあまり良く見えないかもしれない。 自分はどっちも割と好きなので、便利といえば便利な性格である。 これは小説にも言えることで、純文学志向だからエンタメはすべて✕、あるいはエンタメ好きだから純文学はどれも✕、とはならない。 しかし生活費を稼ぐとなると、どうしても似たような路線を型通りに作る羽目になるんだろうなと考えると、嫌だなとは思う。 今日は第一稿を40字×40行のフォーマットに当てはめて、全部で何枚になるかを確認してみた。 結果としては61枚になったので、規定の「40×40で50枚」はクリアしていたのでひと安心した。 しかし普通に計算すると、56000字は400字の原稿用紙で140枚である。 それが40×40なら4分の1になりそうなものだが、つまり35枚ほどのはずなのに、余白のせいか61枚になるのだ。 これをまた400字で割ると、やはり余白が含まれるためか240枚ほどになる。100枚も変わってくるのは意外だが、結果としては書き足す必要がなく、良かった良かったといったところ。
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2023年8月16日
執筆日記 第一稿が完成の巻
昨夜は「台風クラブ」を見て、おそらく二度目か三度目のはずだが実に面白かった。 おかげで生き返ったような気持ちになり、今日でとうとう第一稿が完成した。総文字数は56,660字。 明日からは少しずつ推敲して、書き足して、整える作業になる。 日記を振り返ってみると4月30日にこのアイディアを書こうと決めて、翌日いきなり「こういう問題をどうするんだ」と悩み始めている。 それでもかれこれ5,6月でプロットを考えて、7月半ばまでずれ込んで、7月13日あたりから本格的に書いて、8月16日で第一稿ができたのだから、まあまあ良いペースではないだろうか。
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2023年8月15日
執筆日記 およそ53,000字になるの巻
昨夜は頭を少し整えるために「バガボンド」の70人斬りのあたりを読んだ。その後、どうにか第5章の難所を書けたので、めでたい。終章も少し書き足しをする。 いよいよ残り僅かで第一稿は完成する。 2章と3章は、飛ばし飛ばし書いていて、まだ空白の部分が残っている。ほんの2,3行でもいいので、とりあえず埋めて、後で継ぎ足ししていくことにしたい。 午後になって、第2章もどうにか書けた。昨日からカウントすると4,000字くらい書いたらしい。 これで残りは第3章の冒頭のみ。 総文字数は53,260字になった。
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2023年8月14日
執筆日記 48,900字までの巻
第5章を少しだけ書いて、総文字数は48,900字まで来た。 およそ一ヶ月でここまで到達できて、登山でいうと頂上が見えてきた段階になった。 あとは場面でいうと4つくらい、2,3,5章の書きにくい箇所が残るのみで、3章もやっと「これ」を書けばよいという細かい考えがまとまった。 暑さのせいか頭が働かないので、劇団ひとりのアドリブ要素の多いドラマ「横道ドラゴン」を見る。 https://www.youtube.com/watch?v=mBA70V8SEM4 世間で話題になっている映画やドラマには何となく気持ちが離れてしまうが、これは気持ち的にぴったりで、ヒコロヒーが急に出てきたのでとても嬉しい。
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2023年8月13日
執筆日記 第5章を少しずつ書くの巻
昨夜は第5章のクライマックスを書こうとしたものの、夜8時から12時頃まで、だらだらと何も書けずに時間を潰す。 全体のクライマックスの場面は、主要人物だけで十人はいる上に、意外な人物が再登場するので書きにくい。 そこで、漫画家が大雑把な絵(人物の顔は十字)を描いて構図やコマ割りを決めるように、文章を書く際も段落単位で、 (時間と外の様子、中の様子) ↓ (大広間の様子) ↓ (そこへ入ってくる人々の様子、先にAグループ、次がB、C) ↓ (Aが難癖をつけてBと罵り合い) ↓ (Cが何々の話題を持ち出して説明) といった形で、後で書く文章の順番、内容の指定だけを書いておく方法もいいなと思いついた。 シナリオでいう箱書きを小説の段落単位で行うような形なので、流れを正確にイメージできるし、精密な文章を「書けない」というスランプ気味の時でもこれなら進めることができそう。 すぐに書けそうなセリフ(例:会話のやりとり)や、決定的な描写、たとえなどは一応、忘れないように押さえておくつもりでメモ風に書いておく。 こういうやり方で文章を書くというスタイルは見聞きしたことがない。エッセーやその他の文章を書く時にも応用できるので、もっと試してみたい。 この方法のおかげで、朝早く起きて2,000字ほど書けた。もう少しで第5章は完成しそう。 何と、今回でこの近況ノートは1000回目になった。原稿用紙2000枚分くらいは書いているのではないだろうか。
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2023年8月12日
執筆日記 第4章が書けたの巻
2日半ほど休んだので、このまま休み癖がつくと何かを「書こう」という気力がゼロになりそうで恐ろしい。 おそるおそる続きを書いてみると、すぐ調子が戻って、数百字ほどちょいちょいと書いただけで第4章が完成した。 今日と明日は、可能であれば第5章のクライマックスをよく整理して書いてみたい。その後、書き残している2,3章を埋めれば第一稿はほぼ完成する。 昼間は図書館で「ソッカの美術解剖学ノート」を借りて少し読む。 https://www.ohmsha.co.jp/book/9784274507151/ これはイラストを描くために必要な知識として、人体の仕組み、意味、役割、関節や筋肉の形状、バランスなどについて講義した本。前々から読みたかったし、いま書いている内容と無関係で、見慣れない言葉が多く出てくるので、執筆の息抜きにはとても良い。知らないことを知る面白さがある。他に五木寛之「私の親鸞」など。
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2023年8月11日
執筆日記 あえて休みつつ考えるの巻
あえて休むために「君たちはどう生きるか」を見たが、あまりにも都合よく作られた話で、やはり宮崎駿の老いを感じる一方で、「まだ若い」のか「老いて衰えている」のか判然としないほど奔放な面もあり、一概に悪いともいえない。 自分が創作に没頭していて、厳しい眼で見過ぎてしまっている気もするが、都合の良い生まれの主人公が、都合よくどこかへ導かれて、うまいこと助けてくれる人が次々と現れて、うまいこと成功する話、と見えてしまう。 設定の匙加減をもっとタイトにしないと、ゆるゆるの空想的なお話にしか見えない。しかし自分の作品も、誰かの作る他の作品も、他の宮崎作品もみな含めて、要はフィクションにつきまとうご都合主義をどこまで導入、許容するかという壁に当たってしまうものだ。何でもリアリティ重視ではつまらないし。 と考えつつ、帰りに本屋で仏教関係の本を読んでいたら、ちょうど辻褄がうまく合わせられるような文句を発見した。これは気味が悪いほどピッタリな文句なので、いま書いている作品の中に埋め込んで入れることにする。
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2023年8月10日
執筆日記 あえて休息日の巻
ここ数日、やけに書きすぎて、捗りすぎているのであえて休む。 自分は文章を書きすぎると、アドリブで出てくるアイディアや、調整するための目配りができなくなるので、そこそこの余裕をもって書きたい。 さいわいペース的にはやや余裕があるし、分量としてもおそらく十分なので、「あえて休むのだ!」と気合を入れて休む。 図書館で借りた本で村上龍の「ユーチューバー」を読むが、のびてしまったラーメンのようで、困ってしまう。 井上ひさしの演劇論の本もあったので読む。批評としては面白いのだが、自身のアイディアを披露するとなると急に退屈になる。この人の選評集はたいへん面白いので、そのうち「創作論のメモ」で取り上げたいと思っている。 どちらもいま一つなので、山田風太郎の「伊賀の散歩者」を再読する。何度目になるかわからないほど読んでいても、読み返すとやはり名品である。
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2023年8月9日
執筆日記 45,600字になったの巻
早朝、第4章の終わりを書く。 悪事の相談をして、某が入ってきて出て行って、また悪事の相談の続きをする。悪事のアイディアが膨らんで、ここはよく書けた。 いったん寝て起きたら、第5章の始まりは悪人が善人になりすまして「相変わらず、馬鹿か?」と挑発することを思いつく。 「どうせ馬糞でも踏んで、滑って転んで、豆腐の角に頭でもぶつけたんだろう」などと言う。 考えてみると、 「誤解している善人A vs 誤解されている善人B」 で口論になっても、少しも面白みがない。これでは加害者と被害者が自分の立場を説明しているだけになってしまう。 「誤解している善人A vs 善人Bに成りすましている悪人C」 これだと悪人がAに対して、勝手に悪口を言いたい放題の場面になる。 で、悪いことを言えば言うほどその後が盛り上がるとなると、書く方もノリノリで思いっきり悪口雑言を書けるので楽しい。気味が悪いほど愉快な気分で、スラスラと罵り合いを書けた。 おかげで予想外に筆が進んだし、書きにくいと思っていた場面が急に生き生きして、いいことづくめになった。 総文字数は45,600字で、ついに目標の90%に達する。
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2023年8月8日
執筆日記 また少し書くの巻
ある人物の独白の部分、書いてみたらそこそこ書けた。昨日の書きかけ部分と足してまあまあの形になる。 総合計で42,400文字になった。目標の5万字の84%まで来ている。登山でいうと8合目である。 こうして記録を付けていると、平均して一日でせいぜい2000文字くらいが限度のようで、それが3日も続くともうフラフラして脳みそが灰になった気がする。 以前にも感じたことだが、フィクションの場面をあれこれ書いていると、何かの刺激になって、急に大昔の記憶が蘇りやすくなるらしい。 先日は「鉄腕アトム」が完結した後に書かれた短編を思い出した。 それは未来の反政府的ヒッピー風の男女が、博物館に収蔵されているアトムに助けを求めて、再び電源を入れて復活させるという話で、意識を取り戻したアトムは一瞬である秘密を見抜いてしまう。 なぜかその、「じっと二人を見るアトム」という場面の空気を思い出したんですね。こういう風に一瞬の間とか、静けさとか、距離や場所の記憶というのは、実は大変な量で自分の脳みそに入っているものだろうから、何があっても意外ではないのだが、不意に出てくるとびっくりする。
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2023年8月7日
執筆日記 40,000字になったの巻
第4章の5までは書けたので、6.7.8を書ければ第4章はとりあえず完了する。 文字数は4万字に達した。あと1万字ほどで、ほぼ全体が埋まりそうなので嬉しい。 ところで私はいわゆる鉄道趣味というのはよく分からなくて、世間を騒がせるニュースにしても、 「鉄オタが写真を撮るために巻き起こした、迷惑行為の数々!」 といったたぐいのものを読んで「へーそうなんだ」と思う程度の関心しか持っていない。 しかし、たまたま図書館に行ったら「今ではありえない鉄道迷場面」という写真集があって、ひと通りパラパラ見ただけでもなかなか楽しいものだった。 タイトルの通り、今はもう存在しない慣習や行い、特別鉄道の様子や風景を紹介している。 一写真で見開き2ページ分を使っているため、本全体のテンポが一定で、リズム的にもわかりやすい。帰宅して調べてみると、似たようなコンセプトで「失われゆく国鉄名場面」「滅びゆく鉄道名場面」と、既に何冊かが出ている。 実際、あまり知識がないにもかかわらず、いかにも「かつて存在していた風景」という印象を強く受ける写真ばかりで、そういう説得力のある「リアルな過去」「本物の過去」の光線を浴びたようになる。 文字を介して何となく想像する過去とは、ひと味もふた味も違う何かを得たように思う。それは実感として体にも心にも来るたぐいの何かである。小説を読んだり書いたりするためにはかなり有益な本ではないだろうか。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000005192.000005875.html
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2023年8月6日
執筆日記 第4章を書くの巻
第4章を飛ばし飛ばし書いていって、7割くらいは埋めた。 会話のやり取りを書いていると、説明不足でもう少し膨らまして書かないとダメな部分が見えてくるし、書き足しながら思いつく変なアイディアもある。 今日は「リュートをウクレレのように弾く」とか、変な歌を歌う場面とか、追加で思いつく。 盛り上がりの山の頂点ではないにしても、変な手紙によって大勢が混乱するという場面なので、書いていて楽しい。 今のペースを崩さずにコツコツ書いていけば、書きにくい箇所も次第に埋まるだろうし、文字数も目標の5万字には届きそうな手ごたえを感じる。 とりあえず今日の午前と午後に少し書いたので、総文字数は39,100字になった。
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2023年8月5日
執筆日記 心身ともに快調の巻
昨日はきちんと休んだおかげで、心身ともに快調になった。 予定では2,5章をきちんと書くつもりでいたが、手つかずの第4章を大まかにでも書いておかないと落ち着かないので、今日と明日は一行でも二行でも、第4章の1-8に手を付けることにする。 今日はたまたま「毒の入った杯に〇〇を入れる」という場面の不自然さについて考えていて、〇〇でなく「オリーブの実」にしたらどうか、と思いついた。 こういう漠然とした思い付きであっても、よく調べてみるとうまく嵌ることがある。今回はうまく嵌った。偶然に近い思い付きがよい方向に進む時は、調子がよい証拠といえる。
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2023年8月4日
執筆日記 あえてここは休むの巻
8月6日までに第3章を書き終える! 8月13日までに第4章を書き終える! 8月20日までに第5章を書き終える! というのが大まかな目標だった。 しかし、仕事でやや遠方まで行って帰って来たので、今日はちょっと書くのは休みとする。 前回「あえて休む」と書いた日が7月28日なので、こういう日が週に一度くらい入ってもよいのだ。 第2章:もう少しでお終い〇 第3章1-4:まだまだ△ 第3章5-9:ほぼ完成◎ 第4章:まだまだ✕ 第5章:もう少しでお終い〇 土日でなるべく第2,5章を片付けて、来週は3章、その次は4章を書く予定。
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2023年8月3日
執筆日記 33600字の巻
断片的に書いていた第5章を書き足して、整理して、およそ3900字になった。 細かい点で、「これは昼なのか、夜なのか」とか「後から話題に入ってきた某さんは、この話題をどう受け止めるのか」など、少し調整する。 第2章で苦労しているのに、気分転換に第5章を書いていったら作業が捗った。あまり疲れたという感じもしないし、淡々と、楽しく愉快に執筆したい。 総合計は33600文字になった。 ところで昨夜はコロンボの最初期の作品「殺人処方箋」を見た。 シリーズ制作前の第一作で、舞台劇が元になっているという。 明らかに腹の中で思っていることとセリフに食い違いがあり、圧力をかけてくる犯人と、それでものらりくらりと、かわして入り込む老獪なキャラクター像が既に完成している。
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2023年8月2日
執筆日記 29,000字になったの巻
第2章の空白部分を書いて、第3章の空白部分を書いて、総合計で29,000文字ほどになった。 昨夜は図書館で借りた「アニメーションの脚本術」で押井守が褒めていた映画「アウトロー」を「以前にも見た気がする」と思いつつ見直したが、遠方から5人を射殺する冒頭の建物の感じや、倒れる人の位置関係ではっきり思い出した。 その後も断片的に覚えていたが(カーチェイスの後で人ごみに紛れるなど)、ほぼ忘れていたので楽しめた。 以前見た時も良い印象を持った記憶がある。しかしこれは「ボーン」シリーズかとばかり思っていて、記憶の引き出しがごちゃごちゃしているのであった。 女弁護士役のロザムンド・パイクは、サスペンス系の映画にけっこう出ていて「ゴーン・ガール」など良作が多い。と言っても「ゴーン・ガール」の細部もすっかり忘れている。
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2023年8月1日
執筆日記 突飛でおかしな行為の巻
昨夜は疲れて、早めに寝てしまった。 その分、久々によく眠れたので、ある気がかりな部分は眠っているうちに整理がついた。終章を少し手直しして書き足す。 以前、三谷幸喜の「HR」で、客席にいたお客さんが「あっ!」と声をあげた場面があった(ある人物が、別の人物のかつらを取ってしまう)。 この場面はいいなあ、と前々からずっと気になっていたのだが、それに匹敵するくらい突飛でおかしな行為を書けている、と気づいた。これは良い面の気づきである。 また別の課題もあって、人物Aは何を後悔しているのか、書かなければいけない。しかし、もともと身勝手な人間なので書きにくい。「身勝手な人間の懺悔、後悔」を書くのは難しい。 文字数は総合計で27400文字になった。
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2023年7月31日
執筆日記 書くのが難しい場面の巻
頭から順番に書いていくと、ここは少し書きづらいと感じる場面が出てくる。 そこで飛ばし飛ばしに、第2章で行き詰まったから少し第3章、第4章を書くとか、あるいはエピローグを書いたりする。 しかし結局、書きにくい場面は残る。 そういう時は、 ・場面を2つか3つに分ける ・人物を減らす ・「なぜ難しいのか」を箇条書きにする ・「最低限これを書く」という内容をピックアップする などを試みると効果がある。 特に箇条書きは、問題点を整理できてよい。 今日はそれでも書きにくいため、この場面に登場するLとGのコンビについて、他の章での登場場面や終章で語られる末路などを書いてみた。 特定の人物の登場場面だけを、時間順に書くのもひとつの方法である。 7月最後の日、終章をすべて書けた。どうも第2章と第3章は書きにくい。 総合計で26280文字。
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2023年7月30日
執筆日記 25,000字まで到達の巻
第3,4,5章を飛び飛びに書いて、総合計ではおよそ25,000文字ほどになった。 序章:5600 第1章:8900 第2章:4700 第3章:4000 第4,5章:未集計 終章:2200 おそらく5万字まで行けば既定の枚数には達するはずなので、50%まで来た。 「創作論のメモ」に書きたいことが増えてきて、いったん予約投稿をしてもまた追記したくなる。次回分もやはり同じ。
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