原作の「ゴッドファーザー」を最初からきちんと読むと、想像していたような俗っぽい感じではなく、様々な要素がある。
まず、映画版から入った者としては、キャラクターそれぞれの裏設定ともいうべき情報が面白い。
映画ではトムという人物の魅力の多くは、俳優ロバート・デュヴァルの存在感や抑えた演技力で代弁されている。しかしこの人物の幼少期からのいきさつを知り、この人の立場が銃撃事件の遠因でもあると知ると、やはり今まで見えていた像よりも鮮明に見えてくるものがある。
さらに興味深いのは構造で、主人公が前半はヴィト・コルレオーネ、後半は人物が多いので誰に焦点が絞られるか不明な中で、次第に三男に絞られてくる。
こうした構成は、読者としてはごく自然に読めるし、受け止められるが、整理して「つまりはこういう話」という風にまとめにくい。
王道的でありながら変わった構成になっている。ヴィトという大人物の持つそれぞれの性格を割り振って、弁護士のトム、長男、三男、と三つの筋が並行して語られるという状態が、いわば第一幕になる。
そこから三男に焦点が絞られて、ミッドポイントがあって……、という流れはごく一般的だが、枝葉が豊かなので、その場その場が面白すぎるというか。有名な馬のあたりなど、刺激が強すぎて理性が吹っ飛んでしまう。
他に気づいたのは「国家よりも家族よりも友情が大切だ」という論理と倫理で、世の大半の物語は当然の如く「愛が最も尊い」なんて言って澄ましている。あるいは「お国のため」「企業のため」要は「金のため」で進んでいくのに対して、逆に新鮮味がある。古くてかえって新しい。
この映画を初めて観たのは中学生くらいではないかと思うが、その後も度々観返して、今また新鮮な気持ちで「分析しきれなさ」に手を焼いているというのは真の名作の証ではないだろうか。半世紀も前の小説が新しく感じられる。