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「鳴海仙吉」の巻

「ゴッドファーザー」を読み終える。上下で850ページほどあるので、一日100ページほど読める日もあれば20~50ページくらいの日もありで、10日ほどかかった。

映画のラストでドアが閉まる場面は完璧な終わり方と思える名場面だが、小説ではその後にもエピローグ的な章があった。家を出たケイとトムの会話になって、結局はマイケルがドンを継いだように、ケイも義母のような存在になるという形で、夫婦の関係を並行させることで終わる。

もともと義母の態度に理解しがたい点を感じていたケイが、まさに「運命を受け入れる」という終わり方なので、映画版の「冷たい拒絶を受ける」「うかがい知れない夫の一面を見る」で終わりではない。

読み終えて気づいたのだが、いったんマイケルの顔半分が悪相になり、それを手術で元に戻すというのは「元に戻ったものの、その間に内面はかなり変わっている」ことを示唆している。「鬼滅の刃」で仮面をかぶった人物があちこちに出てくるのに比べると、けっこう高度な技ではないだろうか。全体的に対比や、時間的なずれを含む構成が多かった。


その後、伊藤整の「鳴海仙吉」を読む(第4章まで)。こちらは戦後間もない頃の北海道を舞台にした皮肉なユーモア小説で、目が覚めるほど面白い。批評は読んでいたが小説は勝手に「つまらなそう」と思っていたのは間違いだった。しかし、10代や20代で読んでも理解できなかっただろう。

とりわけ「シェイクスピア談」は期待した以上の完成度だった。自慢げに、演説風に自説を述べる教授と、それ以外の教授の見栄の張り合いのような会話の応酬に主人公の意地がぶつかり合い、多重推理もののような仮説とその否定が繰り返される。

「ハムレット」「ヘンリー四世」「リチャード三世」あたりの話題で、エリザベス朝の裏話や、「ハムレット」のモデルになったハムネットの話題も出てくるので、自分のために書かれたようなものだった。

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