ヴぁんぷちゃんは安い

 お腹を満たして、喉を潤した次の日の昼頃。

 太陽の光が天敵な吸血鬼らしく、ルーミアは睡眠をとっていた。

 日照権など殆どないに等しい、ジメジメとしたボロアパートのカーテンを締め切られた、日光を完全に遮断した自室で、布団の中に包まりながら、すーすーと可愛らしく寝息をたてている。

 束の間の静寂。

 久方ぶりの安息。

 それを破るように、空気の抜けたような間抜けなインターホンの音がなった。

 布団は一度だけピクリと動いたが、それだけで再び中から寝息が聞こえてくる。

 そんな彼女に、我関せずと言わんばかりにインターホンは何度もなり続け、二桁に達した頃にようやく、ルーミアは鬱陶しそうに布団の中から這い出てきた。

「誰よ一体……眠ってたのに……」

 寝ぼけ眼を擦りながら、おぼつかない足取りで玄関に向かい、まだ寝ぼけているのか、太陽の位置を確認したりせずに、おもむろにドアを開いた。

「どちらさま?」

 果たして、そこにいたのは――廊下に立っていたのはゾンビだった。

「……」

 半目のまま何度か瞬きをして、ルーミアは信じられないと言いたげな表情で言う。

「私、確か昨日二度と来るな。と伝えたはずだけど?」

「うん、そうだね」

「そうだねって、じゃあどうしてあなたはそこにいるのかしら?」

 相変わらず、当たり前のように人を煽ってくる死体である。

 怒っているという事を全身で現すように、ルーミアは床をしきりに小さな足で蹴りながら、心底見下す視線(実際は下から目線)で、せせら笑うように言う。

 端的に『私の視界から消えろ』と言われているような状況で、しかしゾンビはそれを気にすることなく、持っていた袋をルーミアに差しだした。

 大きさはそれ程でもなく、縦長で、ルーミアの腰ぐらいまでの長さの袋だ。その閉じ口には大きな赤いリボンがあしらわれている。

「……なによこれ」

「お詫びに」

 袋を半目で睨むルーミアに、ゾンビは端的に答える。

 どうやらプレゼントをあげるから(品物を献上するから)許してください、と言いにきたようだ。

 さすがの行動的ゾンビでも、ルーミアが怒っていることは理解できたらしい。

 その次の日に、しかも吸血鬼の睡眠時間である昼頃に(人でいうと深夜の訪問客)やってきたりと、誠意が感じられない所とか、やっぱりまだ理解しきってはいないようだけど。

 ともかくプレゼントである。

 久方ぶりの献上品。

 格下から機嫌を取るために渡されるそれが大好きなルーミアは、心中では素直に喜んだ。

「へ、へえ。可愛いところもあるじゃない。まあ、物によっては許してやらないこともないわね」

 なんて、喜びを内心に留めておきながら、少し上擦った声をあげながら、ルーミアはプレゼントだという袋を受け取った。

 感触は少し固いが、そんなに重たくない。まさか木刀とかだったりしないだろうか。だったらすぐに試し殴りができそうだ。

 少し不安感が脳裡をよぎるが、ルーミアはそのまま赤色のリボンをほどいて、中身を取りだした。

 それは傘だった。

 雨を防ぐ雨傘ではなく、日の光を防ぐ日傘。

 黒色の生地にフリルがあしらわれた、さながらルーミアがいつも着ているゴスロリチックなドレスにそっくりな、コウモリ傘だった。

「か……っ!」

 かわいい! と思わず言ってしまいそうになったルーミアは慌てて、口を両手で塞いだ。

「コホン……ま、まあ良い趣味をしているんじゃない。悪くないわ」

 目をキラキラ輝かせながらルーミアはさっそく日傘を開いて、くるくると回してみせる。

 小柄なルーミアには少し大きめだが、そこまで重たくないし、振り回す程度のことぐらいは出来そうだ。

 そんな事はしないけど。

「気に入ってくれた?」

「ふ、ふん。まあまあね」

 口元をニヤけさせながら言うルーミアを見てから、ゾンビは笑ったまま胸の前で手を合わせた。

「よし、じゃあ行こうか」

「いく?」

 唐突のお誘いに、傘を振りながらそのデザインを見ていたルーミアは、きょとんと小首を傾げた。

「いくって、どこに? 言っとくけど私は吸血鬼よ? 日が出ている間は外に出れないのよ」

「日傘があるじゃないか。せっかくだし、使いたいでしょ?」

「ん。ま、まあね」

 日傘を畳んでから、少し恥ずかしそうにルーミアは頭を少し俯かせる。

「確かにあるのに使わないのは少し酷よね。それで、どこに行くのかしら?」

 そのもっともな質問にゾンビは前々から準備していたらしい速さで、答えを返してきた。

「寿司を食べに行こうよ」


***


 寿司。と聞いて一応外国製の奇っ怪な生物であるルーミアの目は輝いた。

 四方が海に囲まれた小さな島国だからこそ、全国津々浦々に伝わったのではないかと勝手に推測している、俵型のおにぎりに魚の切り身がのったあれ。

 そもそもの話、ルーミアはその『寿司』を食べるために、日本にやってきたのだ。

 まあその時は、門前払いを喰らってしまったのだけど。


 どうやらその寿司屋には複雑なドレスコードのようなものがあるようだった。

 次来るときは適当な人間に魅了チャームをかけて行こうと思っていた矢先、退魔師を名乗る人間たちに狙われるようになり、それは少しばかり延期していたのだ。

 まさか、海を渡った先にまで自分の情報が広がっているとは思ってもいなかった。

「とは言っても、行くのは回る方だけどね」

「回る方?」

 さっそく日傘をさして外に出ているルーミアは、小首を傾げた。

 ――寿司がドリルみたいに回るのかしら? 変なの。

 期せずして日傘を手に入れる事が出来た今、ルーミアは日中でも外にでる事ができるようになった。

 しかも色々なお詫びに寿司を食べさせてくれると言う事で、さっそくルーミアはいつものゴスロリ風のドレスを着て、外に繰り出していた。

 ゾンビがお詫びにとプレゼントしてくれたそれは、彼女のお気に入りのドレスによく似合っていて、彼女は上機嫌にそれをくるくる回している。

 人通りの少ない深夜と違って、当たり前と言えば当たり前なのだが、日中は人通りも多く、当然、時代錯誤な格好をしている女の子であるルーミアは、結構な人の視線を集めている。

 しかしそんな視線には四百年慣れ親しんできているルーミアと、そもそも人の視線を気にするなんていう人間らしい機能のないゾンビは、全く気にする様子もなく歩き続ける。

「回転する方っていうのはつまり、まあ、安い方って意味かな。高いのは回転しない方」

 安い方、と聞いて少しだけムッとしたプライドが高いルーミアだったが、そこでふと、前々から気になっていた事を試してみようと思い立った。

「ねえ」

「ん?」

 呼びかけに答えて、ゾンビはルーミアの顔を見るべく、視線を下に下げる。

 ルーミアは日光に当たらないよう気を配りながら日傘を傾けて、ゾンビのその生気のない目を見やる。

「私は回らない方の寿司が食べてみたいんだけど、ダメかしら?」

 ルーミアは口元を緩めながら言い寄る。

 ゾンビはしきりに瞬きを繰り返してから。

「それはさすがに無理かな」

 と返してきた。

 ルーミアは残念そうにため息をつく。


「やっぱり効いていないのね」


「なにが……?」


魅了チャーム

 吸血鬼であるルーミア・セルヴィアソンは、幾つものスキルを有している。

 その中でもルーミアが一番重要視していて、尚且つあまり好きではないスキルに『魅了チャーム』がある。

 彼女と目を合わせることが条件で発動するスキルで、それを受けた対象は思わず彼女に屈服したくなり、彼女のために行動をするようになる。

 つまり否定を許さない、操り人形をつくるスキルだ。

 効果はそれほど長くは持続はしないが、目をみるだけで発動するそれは強暴だ。

 その能力を存分に利用して、ルーミアは今まで吸血行為を楽にしてきたし、古城に住んでいた頃は、それらに身の回りの世話をさせて生きてきた。

 しかし、それ故に、彼女は他人からの純粋な好意というものを受け取った事がなかった。

 彼女だって吸血鬼であるが、それ以前に一人の女の子だ。四百年も生きてきた間に何度か色恋に目覚めたことはあったけれど、それ全てがこのスキルによって阻まれてきた。


 本物の好意と、偽物の好意。

 彼女にはこの違いが分からないでいた。

 魅了チャームがあるからこそ、誰彼構わず心を掴む能力があるからこそ、彼女は本物の恋を知れないでいた。

 ――こいつなら。

 不意にルーミアはゾンビの横顔を見る。

 行動的ゾンビ。

 分解すれば人ではないと分かる哲学的ゾンビ。

 分解しなければ人ではないと分からない哲学的ゾンビ。

 魅了チャームなんていう、他人の意識という、永遠の不可侵エリアに侵蝕出来るスキルを持っている彼女にとっては『自分以外が実はプログラムなのではないか』というシュミレーション仮説並にどうでもいい思考実験の存在である彼だけど――そんな彼だからこそ、彼女は恋を学べるかもしれなかった。

 ――まあ。

 ――そんな事を思える意識があれば、私の魅了チャームに引っかかるんだろうけど。

 全く、なにもかもムカつく男だ。

 血が無かったり、意識が無かったり、魅了チャームが効かなかったり、正に自分の天敵のような男だから更にムカつく。

 せめて何か役に立てばいいのに。

「ああそうだ。今回はお詫びだから、もちろん支払いは僕がだすよ」

 前言撤回。

 とても役立つやつだ。


***


 安いほうの回る寿司がある店は意外と近くにあった。

 ルーミアが前に入ろうとしていた、回っていない店と違って、ファミレスのような気兼ねなく入れるような見た目をしていて、人も沢山並んでいる。

 その一時間ぐらいは並びそうな長蛇を怪訝な目で眺めながら、ルーミアは面倒臭そうに言う。

「まさか、あの列に並ぶとかないでしょうね?」

「まさか。ちゃんと予約済みだよ」

 ゾンビは長蛇の横を縫うように抜けて店に入っていき、ルーミアもそれについていこうと思ったのだが、ここでひとつの問題が生じた。

 吸血鬼には様々な弱点が存在する。

 日の光はもちろん、ニンニクや匂いの強い香草に金属の杭。特に銀製のものは苦手。

 炎の治癒にはいささか時間がかかる。流水の上を跨いだり、泳いだり出来ない。

 十字架や護符、聖餅や聖水――つまり、宗教的象徴が苦手。

 くだらないものだと、 種などを見るとその粒を集めなければ気が済まない、縄の結び目を解こうと躍起になるという習性があったりもする。

 とは言っても、ここには種もないし流水もないのだから、困ることもないと思うのだが……。

「予約していた――ですけど」

 ゾンビの偽名も聞こえないぐらい、焦っていた。

「承っております。六番の席へどうぞ」

「はい。じゃあ行こうかルーミアさ……あれ?」

 ゾンビは首を傾げた。

 ルーミアは。

 いまだに店の中に入れないでいた。

 店の入り口のドアを恨めしげに睨みながら、日傘のグリップを力強く握りしめて、唇を噛みしめている。

「あれ、入らないの?」

「……入れないのよ」

 吸血鬼の弱点。

 初めて来る場所に限り、招かれないと入ることができない。

「あの、お客さま? お連れの方が予約されておりますので、入っても大丈夫ですよ?」

「……分かってるわよ」

 招き入れられ、縛りの消えたルーミアは、ふう、と息を吐いて店の中に入ってから日傘を閉じた。

 店には窓が幾つもついていたが、その殆どは広告によって塞がれていて、日光は中に入ってきていないようだった。

 それを確認してからルーミアは先に入っていたゾンビの隣に移動する。

「大変だね、吸血鬼は」

「ええ、これだけは制約のないあなた達が羨ましいわ」

 あの席だよ、とゾンビは店の端にある席を指さした。

 ルーミアはその席の前に移動して、驚愕の声をあげた。

 レーンの上で回っている寿司を見て、目をキラキラ輝かせる。

「え、なにこれ!? 寿司が回ってる!」

「回ってるって僕伝えたはずだけどな」

「こんな感じだとは思わなかったのよ」

「どんな感じだと思ってたの?」

「…………」

 ドリルみたいに回ってるとか、皿自体が回ってるとか思っていたのは、まあ口にださない方がいいだろう。

 コホン、とルーミアは咳払いをして興奮している頭を落ち着かせて、席についた。

 ぐるぐると回る俵型のおにぎりに魚の切り身がのった食べ物。

「ね、ねえ。これって勝手に取っていいものなの?」

「後払いだからね。好きなものをとって大丈夫だよ」

 それを聞いて安心した。

 ルーミアは早速目の前を巡るましく回る寿司から『マグロ』を手に取った。

 寿司の中で定番の品だとどこかで聞いたことがあるからだ。

 マグロがのった皿を自分の手前に置いて、その刺し身の上に机の端に置いてあった醤油をかけた。

「それそうやってかけるんじゃないんだよ。別の小皿に用意しておくんだよ」

「し、知ってるわよ。けどこっちの方が楽でしょ」

 自分のミスを認めたくないルーミアは少し頬を赤くしながら、マグロを口の中に放りこんだ。

「あ、そう言えばここの寿司は基本的にワサビがはいってるけど大丈夫?」

「……んーっ!?」

 口の中に何とも言えない、ツーンとした独特の辛味が広がった。

 鼻の中をすーっと通っていく、マスタードとかと違う変な辛味に、ルーミアは思わず口を抑えで悶える。

「こっ、これがワサビっ!?」

吸血鬼になってからというもの、日頃日柄外に出ることが異常に少ないインドアヴァンパイア、わさび初体験。

「あれ、辛いの苦手だった?」

「い、いえ。少し驚いただけ……あら?」

 水で口の中を洗い流すように飲んで、口元を紙ナプキンで拭きながら、ルーミアは首を傾げた。

 ルーミアの前の席にはゾンビが座っているのだが、彼はゾンビらしく『死体しか食べられない』はずなのだが、どうしてか、普通に鯖の寿司を食べていた。

「あなた、食事を取れないんじゃなかった?」

「うん? ああ」

 ゾンビは最初、何が言いたいのか分かってなさそうだったが、自分の持っている鯖の寿司を見て、得心したようで。

「これも突き詰めれば死体だから、大丈夫大丈夫」

 まあ確かに、刺し身――つまり魚の切り身も突き詰めれば、新鮮な魚のバラバラ死体ではあるのだけど、それを皆で楽しく食べている場で言うのはいかがなものかと思う。

 ――そういう気配りが出来ない所が、意識がない。という事なのかしら?

 よく見てみれば彼の前に置いてある皿には俵型のご飯だけが残されていた。

 もったいない。

「それより、ワサビが苦手なら注文する?」

「だから別に辛いのは平気だって……注文出来るの?」

「この液晶画面でね」

 試しにとゾンビはデザート類からアイスを注文してみせる。

 少し時間が経つと、レーンの上にあるレールの上を新幹線の形を模した機械が、上にグレープ味のアイスを載せて走ってきた。

 ゾンビはそれを取るとルーミアの前に置いた。

「はい、どうぞ」

「……寿司以外にこんなのもあるのね」

「あとうどんとかもあるよ」

「へえ」

「本当に来たことないんだね」

「悪い……? 日中は一歩も外に出れないのよ」

「悪くないよ。それでなにか頼むものある? トマトジュースとかもあるよ」

「いやよ、あんな血もどき……二度とごめんよ」

 ルーミアは近くにあったメニューを手にとって思案する。

 一瞬、『ハンバーグ』なんていうもはや寿司ではないものに目が惹かれたりしたが、子供っぽく見られそうだからやめた。

 そもそも自分はそんなキャラではないはずだ。

 最近なんだか色々醜態を晒してきたけれど、みすぼらしい姿を見せてきたけど、無様な姿を見せしめてきたけど、自分は吸血鬼なのだ。

 そろそろ自分を思いだそう。

 始まりである始祖の眷属。

 四世紀生きてきた『百識の吸血鬼』。

 高貴で高潔で高傑で皇血な吸血鬼。

 それが自分――ルーミア・セルヴィアソンのはずだ。

「さて」

 適当にメニューを一巡してから、ゆっくりと優雅に片付けて、頭の中に残っている情報をしっかりと吟味して、子供っぽく見えなくて、なおかつちょっと通っぽいものを選択しよう。

「『ハンバーグ』を、お願いできる?」


***


 美味しかったです。

 もう別に寿司で食べなくていいよね、みたいな無粋なツッコミが入るのは分かっているけど、やっぱり普通に美味しかったです。

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