ラミアーちゃんは、大嫌い

 フリークショーは終わりの時間を迎えていた。

 客たちは眠い頭をなんとか動かしながら、ぞろぞろとフリークショーを後にする。

 その流れに逆らうようにしてフリークショーの中心、つまり大きなテントが張ってある場所にルーミアと不楽は戻ってみると、その袖に停めてあるキャラバンに人だかりが出来ていた。

 そのそうそうたる面々を見るに、フリークショーのスタッフたちと見て、まず間違いないだろう。


 なにをしているのだろうか。

 ルーミアは首を傾げてから、人だかりの一番後ろで己の首を持ち上げて、キャラバンの中を覗き込んでいるカラに話しかけた。


「何してるの?」

「あ、ルーミアちゃん」

「首を遠くに放り投げるわよ」

「それはさ少し困るなあ、ん、でも生首が飛んできたらさみんな見てくれるよね。うーん、悩むなあ!」

「地面に埋めるわよ」

「サヘルちゃんがさ、キャラバンの中に引きこもっちゃったみたい」

「……はあ?」

 考えられる中でおおよそこの変態が一番嫌がるであろうことを口にすると、あっさりと教えてくれた。

 ルーミアは素っ頓狂な声を上げてから、人だかりの間からキャラバンの中を見る。

 窓のカーテンは全て閉められて中を覗くことは叶わない――が、中に誰かいるらしいという事はなんとなく分かった。


 引きこもっている。

 その理由をルーミアは尋ねることはしなかった。

 その理由を、彼女は見ているのだから――。


「……団長」

「ああ、ルーミアさん」

 人だかりの一番前にいる一つ目の団長の元にルーミアは向かう。

 一つ目の団長の大きな目には『心配』の二文字が浮かんでいる。

「誰か中に入ってどういう状況か確認した?」

「それはもう何度か試しました」

 一つ目の団長は、少し申し訳なさそうに言う。


「ですが誰が話しかけても『出てけ』の一点張りで……」

「それへほへへのならひひはろ、ひろひろなものほなへへくふひ」

 一つ目の団長の隣にいるロッヅは黄色いボールをがじがじと噛みながら、なんか口にした。

 何を言っているかはさっぱり分からないけれど、なんだか一人だけ遊んでもらってたみたいだった。

 本当はそんな訳ではないのだろうけど。


「ふうん……」

 と、ルーミアは曖昧に頷いてみせるも、彼女――エマ・サヘルが引きこもっている理由に心当たりがないわけではなかった。

 あの一件。

 毛布を奪われ、自身のコンプレックスを晒すはめになったどころか、庇ってきたように見えた人間からも傷を抉られたあれ。

 不楽ではない限り、確かに引きこもりたくなる気持ちが分からなくはない。


「ここにいる面々はみんな追い払われたの?」

 ルーミアはキャラバンのドアや窓に張り付いている魑魅魍魎たちを指さすと、一つ目の団長は苦々しい表情で頷いた。


「せめてどうして引きこもっているのか理由が分かればなあ……」

 ドアの隙間から中を覗き込もうとしている偉は思ったことをそのまま口にする。


「理由、ね……」


「んん? もしかしてルーミアちゃ……さん。サヘルが引きこもっている理由を知ってる?」

 恐らく顔に出ていたのだろう。

 ドアの横にある窓から中を覗き込んでいた旭は、ルーミアの顔を見ながら尋ねた。


「まあ、知らない訳じゃあないけど……」

「芸をしている時、彼女、毛布が脱げちゃったんだよ」

 言っていいものだろうかと、ルーミアが数瞬迷っているうちに、不楽が口にしてしまった。

 とは言っても、彼女が言おうとしたのはその後の『下を見ることで優越感を覚えるタイプの彼女』についてだったのだが、不楽は心的ショックが大きいものよりも、見た感じショックが大きそうなものを選んだようだった。


 それを聞いた団員たちは揃いも揃って「ああー」と、合点がいったというふうに声を上げた。


「ったく、あいつの自分嫌いもここまで来ると病気だな」

 肩を落として、頭をポリポリと掻きながらクロクは言い、旭と偉は腕を組みながら頷いた。


「ねえ、こんな事前にもあったの?」

 一つ目の団長は少し考えてから答える。

「いえ、今回が初めてだと思いますが」


「そう……」


「それでどうするよ」


「置いておいたほうがいいんじゃあないのかな。傷心気味の時は」


「それはちょっと困るわね」

 旭と偉はの会話に、ルーミアは挟み込んできた。

 実際のところ、サヘルが引きこもることで一番実害を得ているのはルーミアだった。

 真夜中に催されたフリークショー。

 それが数時間の営業の後に終了したということは、もうそろそろ日が昇るという事である。

 あの忌々しき太陽が。


「ああ、そうか。ルーミアさんは吸血鬼だから」


「じゃあどうするよ。もう全員追い出されたんだぜ。もう一度行くか?」

 一度追い払われた後に、もう一度、ぬけぬけと相手の前に姿を見せるというのは、なんだか気まずい話だ。

 全員が全員、考え込むように腕を組んで唸る。

 そして全員が全員、同じ考えに至ったのか、全員の視線が不楽とルーミアに向けられた。


「……ちょっと待ちなさい」

 カラだったら喜びそうなそれに、そんな変態性のないルーミアは、表情筋を引くつかせた。


***


 ギイッ、と音を立ててキャラバンのドアはゆっくりと開いた。

 部屋の中はまるでルーミアが住んでいた部屋のように薄暗く、中に足を踏み入れた不楽は目を細める。

 一度追い出されているから入りづらい。

 だからまだ追い出されていないルーミアと不楽は、サヘルへの説得を頼まれた訳だけれど、しかしそれはルーミアには不可能な事だった。

 吸血鬼は招かれないと部屋に入ることは出来ない――ゆえに人を招こうとしていない引きこもりがいるキャラバンの中にルーミアは入ることが出来なかった。

 だからこそ、不楽が中に入ったのだが――。


 薄暗く、音もない静かな部屋の四隅に、エマ・サヘルはいた。

 いつも通り全身を毛布でくるまり、自身のその姿を隠している。

 大蛇のニナは、そんな彼女を守るかのように、その周りを囲うようにとぐろを巻いている。


「……」

 不楽は一歩進む。

 その時キャラバンが少し揺れ、ニナがこうべをもたげた。

 チロチロと舌を出して、威嚇をするように不楽を睨む。

 しかしそんな事を気にも留めず、不楽はサヘルに近づく。ニナは舌を震わせ音を鳴らし、今にも襲いかかろうとした時、サヘルの腕がニナの頭を撫でた。


「いいよ、ニナ。ありがとう」

 ニナの頭を撫で、毛布はもぞもぞと動くと、頭と思われる場所が持ち上がった。


「ああ、あんたか」

「悪かったかな」

「……いや、別に」

 なんだか口ごもっているように――何かを言おうとして呑み込んだように聞こえたが、その理由は不楽にはさっぱり分からなかった。

 精々、舌でも噛んだのかなと思った程度だ。


「出てって」

 と、前置きも脈絡もなく、サヘルはそう言い放った。

 不楽は「うーん」と唸りながら顎に手を添えて首を傾げる。


「それは無理かな」

「どうして」

「きみを外に連れ出すように、僕は命令されたから」

「誰に?」

「外にいるみんなに」

「……そう」

 隠せと言われていないからあっさりと白状した不楽に、サヘルは俯きながら返した。

 なんというか、物寂しげな感じだった。

 もちろん不楽にはそんな感情の機微なんてものは分からない。

 分からないがしかし、どことなく妙な感覚を覚えた。

 見覚えがあるのだ。どこかで同じような感じの人を見たような。


「あ」

 と、ひとつの答えに辿り着いた不楽は声をあげる。


「なに」

「似てるんだ、ルーミアさんに」

「はあ?」

 サヘルな怪訝な声をあげる。

 毛布に包まり、顔は目の周りが微かに見える程度にしか分からないのだが、それでも充分に理解できるほどに、もの凄く嫌そうな顔をしている。


「なんであいつと私が似ていると言われないといけないの」

「事実だから仕方ないよ」

 不楽は、自身とサヘルでニナを挟み込むような形になるようにして座った。

 ニナは不楽のことを威嚇することなく、こうべを下ろしている。

 しかし完全に油断しているわけでもなく、どこか不楽を観察しているようにも見えた。


「小馬鹿にされた気分よ」

「あはは」

 不楽の背後にあるキャラバンのドアが派手な音を鳴らしながら勢いよく開いてすぐ閉じた。

 ドアノブを捻った音もしなかったし、外から強い力が加わって無理矢理こじ開けたようだった――蹴飛ばしたようだった。


 自分の近くまで転がってきたドアノブのパーツを見ながら、不楽は思った。

 犯人は考えるまでもなく、彼女ルーミアだろう。


「ルーミアさん、怒ってるみたいだね」

「あんた達いつもこうなの?」

「え、あ、あ、ん、んーん?」

 不楽にしては珍しく、少し混乱したように目が泳いでいた。

 サヘルは不審そうに不楽を見る。


「なに、壊れたロボットみたいな反応して」

「えっとそのいつもっていうのは、僕が創られてからずっとって事?」

「二人でいる時ずっとって事」

 まさかそんな解釈をするとは思っていなかったサヘルは、強く言い返した。

 ようやく彼女も、不楽と二人っきりで話すその面倒臭さに気づいたようだった。


「あーうん、そうだね。イエスでもあるし、ノーでもあるかな」

「なにその曖昧な答え」

「だって僕は元々、ルーミアさんを退治する為だけに創られたんだから」

「……は?」

「ルーミアさんを殺すために創られたんだ」

「いや、言い直さなくても分かるから……え、え、なに。どういうこと? あんたはあいつを殺すために?」

「そうだよ」

 突然の、想像の斜め上を行く返答に、サヘルはあからさまに混乱を見せる。

 不楽は何ともなさそうに言いながら、左腕を横に伸ばして、その腕を覆う袖を捲くった。


 様々な人の死体を継ぎ接ぎして創られたゾンビ――フランケンシュタインの化物である彼の体は、異常なほどに普通だった。

 どこにも継ぎ接ぎの跡がない。

 まるでピースとピースとの隙間が見つからない、一枚の写真にしか見えないパズルのように、綺麗に継ぎ接ぎされていた。

 不楽はそんな腕の一部を摘んだかと思うと、おもむろに引き千切った。

 ぶちぶちと音をたてて、筋肉繊維が切れる。

 サヘルは爬虫類のような目を見開く。


「あ、あんた何をしてるの!?」

「ほら、血が流れていないでしょ」

 サレルが声を荒げても、不楽はマイペースに話を続ける。

 確かに引き千切った腕の断面は、筋肉が剥き出しになり、血管はだらりと垂れているものの、その管から血が漏れ出る事はなかった。


 次に不楽は、自身の手を貫手の形にして、自分のこめかみにぶっ刺した。

 不楽の頭に、自身の腕が突き刺さる。目が一瞬、変な方向を向いた。

 その状態のまま、不楽は口を動かす。


「僕には活動している脳髄はない。腐っていて、朽ちている。僕は死んでいて、血液が流れていないから。ああ、あと、だから心臓も動いていないよ。血液を流す必要はないからね」

「……」

 唖然。

 呆然。

 サヘルの口は動かなかった。


「ルーミアさんより力が強くて、血が流れていなくて、意識もないから魅了チャームも効かない。対吸血鬼、吸血鬼を殺すためだけに創られた存在。それが僕だよ」

「で、でも……」

 こめかみから貫手を引っこ抜いたのを見てから、サヘルは若干気後れしながら、おずおずと言う。


「それじゃあどうして、あんたはあいつと一緒にいるの?」


「それは僕がルーミアさんに殺されたからだよ――そして生き返されたから」

 はなから死んでいる不楽が殺されて、生き返った。という表現を使うのはいささかおかしな感じではあるがともかく――彼はあっさりと言った。

 不楽は自身の首を指さす。


「どう殺されたかは分からないけどね。この首を斬ったか、頭を潰したか、抉ったか――分かるのは首を破壊されたという事だけ」

 さすがにゾンビとは言え、首を斬られたら死んじゃうからね。と不楽は言った。

 どうやら死体ロボットの活動を司る中枢マザーボードは頭にあるらしかった。


「そうして『ルーミアさんを殺す予定だった僕』は殺されて『ルーミアさんの眷属としての僕』として、生き返った――つまりルーミアさんは僕のプログラムを無理矢理書き換えたんだよ。命令を聞く主を、敵である自分にね」

 その時の話、詳しくする? と不楽は尋ねる。

 サヘルは首を横に振った。


「……つまり今ここにいるのは、決してあんた自身の意志じゃあなくて、あの吸血鬼に命令されたからってこと?」

「そうだね」

「……つまんない奴」

「そうでもないよ。今の僕にとっては、ルーミアさんと一緒にいることが目的だからね。それをきっちり果たしている今は、うん。楽しいよ」

 楽しいと思うべき状況なんだと思うよ。と不楽は付け足す。


「でもそれは命令でしょ? 一緒にいろっていう命令。あんたの考えじゃあない。あんたの思いじゃあない」

「うん、そうだね。じゃあルーミアさんの命令を守ることが目的だ。知ってる? ルーミアさん、ああ見えて凄く寂しがり屋なんだよ」

 今度は壁が蹴られた。

 キャラバンは大きく揺れて、不楽は「おとと」と声に出しながら床に手をついて体を支える。


「なんだか最近、ルーミアさんの足癖が悪くなってきた気がするなあ」

「そりゃああんたと一緒にいたらね」

 その性格上、人を哀れむことをあまり良しとしないサヘルも、さすがにこれには哀れんだ。

 少しだけだけど。


「そうかな」

「そうよ。あんたはもっと自分のマイペースさとか、周りの心情をおもんばからない性格とかどうにか……出来ないか」

 言っている途中で言っている事の非現実さに気づいたサヘルはすぐに自分の意見を取り消した。

 おもんばからないからこその不楽なのである。


「……」

 毛布の隙間からのぞく爬虫類のような目は、不楽の顔を見る。

「ねえ」

 そしておもむろに声を上げる。

「あんた、私を始めてみた時、驚きはしたけど、気味悪がりはしなかったよね」

「そうだね」

「そんなあんたに質問――あんたさ、私のことをどう思う?」


***


「どう、思う……?」

 サヘルの質問に、不楽は首を傾げる。

 どう思うとはどういう事か? という感じの反応だった。


「あんたは私のこの姿のことを、どう思うって聞いてるの」

 サヘルは自身の体を包んでいた毛布を脱いだ。

 上半身は人間の形をしていて、下半身は蛇の形をしている姿が露わになる。

 爬虫類のような目をしていて、その周りは鱗に覆われている。

 傍から見ると、顔の周りがひび割れているようだ。

 さっきまで自身の体を包んでいた毛布を掴んでいる腕も、びっしりと鱗に覆われていて、人である所を探すよりも、人ではない所を探すほうが手っ取り早いような見た目をしている。


「私を、どう思う?」

 サヘルはもう一度尋ねる。

 ニナは不楽を見たまま、動かない。


「どうって」

 不楽は少し迷うような素振りを見せてから。

 実際は迷ってなんかいないだろうけど。

「おかしな所は何一つないと思うけど」

 と、答えた。

 サヘルは目をつむって少し黙り込む。


「……どうして」

「どうしてって」

 不楽はどうってことないように、事実だけを述べる。


「だって君は人間じゃあないよね」

「……え?」

「君はラミアー、だよね。今の今まで自分の種族を名乗っていないから言い切れないけれど、少なくとも人ではないよね」

 人である所を探すほうが難しくて、人でない所を探すほうが簡単だ。

 さもありなん。

 そもそも彼女は人間ではないのだ。

 人間ではない奇っ怪なるもの。

 ならば、彼女のそれはシマウマと人間の類似点を探すほど無意味なもので。

 シマウマが人間と姿形が違うのだと悔やむほど、馬鹿馬鹿しい。


「……だったら何よ。何が言いたいのよ」

「きみの質問は僕が『死体で出来ている体』を嫌がるほどどうしようもない話だって事」

 彼が創られる時にベースとされた『フランケンシュタインの化物』は、その醜悪な死体で出来ている体を嫌がり、否定していたけれど。

 しかし、そう言った気持ちのない不楽は、それをあっさりと否定する。


「……それはあんたが人型だからでしょ」

 しばし黙ってから、サヘルはそんな事を口にした。

 なんだかとても悲しそうに。


「それはあんたが人の姿をしているから言えるの。後ろ指を指された事のないあんただから言えるのよ」

「クロクや旭や偉はどうなるのかな」

「……え?」

「彼らだって人の姿をしていないよね。人だけど、人の姿をしていない。サヘルさんの意見から言うと、彼らも気持ち悪くて気味が悪いものだって事になるよね。サヘルさんはみんなの事も気持ち悪いと思っているのかな」

「そ、そんな訳っ!」

「そっか。じゃあどうして、サヘルさんは自分の事を気持ち悪いと思うのかな。どうしておかしな所は一つもないと言ったら否定するのかな」

 慌てて否定するサヘルに、不楽は指折り確認をしながら尋ねる。

 良心も慮る心も何もない不楽は気になった事をそのままに、ずけずけと聞く。


「サヘルさんは自分のその姿を気持ち悪いと思っている。気味が悪くて、気分の悪いものだと思っている。だからいつも毛布を被っている。そうだよね」

「そ、う……だけど……」

「その理由は自分の姿が人の姿をしていないからだとサヘルさんは言った。けど、同じく人のシルエットをしていないクロクや旭や偉は気持ち悪いと思っていない」

「……当然でしょ」

「でもこれは明らかに矛盾してるよね」

「だ、けど……」

「ねえ、サヘルさん。本当に自分の姿が人じゃないから自分の事を気持ち悪いと思ってるの?」

「だ、だから……そう……って……」

「爬虫類が嫌いだから。と言う事でもないよね。だってサヘルさん、大蛇ニナを飼ってるんだし」

「ちがっ……そう、けど……」

「ねえ、どうして。僕には自分を嫌いになる。という事はよく分からないから、言葉にして教えて貰わないと分からないんだ」

「う、あ……か、から、あ……」

「サヘルさんはどうして、自分が気持ち悪いと思えるの?」

「不楽」

 いつの間にか。

 質問をする側とされる側が入れ替わっていたその問答に水を差すように、ルーミアがキャラバンの外から不楽の名前を呼んだ。

 キャラバンのドアはさっきルーミアが蹴飛ばした時に壊れていて、半開きになっている。

 それでもルーミアは縛りがあるからか、キャラバンの中に入ろうとせず、腕を組んでそこに立っている。

 ルーミアは『やっぱりこうなるか』と言いたげな、苦虫を噛み潰したような表情で言う。


「やりすぎ」

「ルーミアさん」

「私は彼女を外に出せと命令したの。決して心を折れとは言ってない」

「……」

 サヘルは俯いていた顔を、ゆっくりと持ち上げた。

 その少し疲弊しているようにも見える虚ろな目は、ルーミアのいるドアの方を見た。

 そこには――ルーミアの後ろには、クンストカメラの面々がキャラバンの中をのぞき込んでいた。

 誰一人とて、キャラバンの中に入ろうとしていなかった。


「……うふ」


 と。

 サヘルは口元を釣り上げて、笑った。

 まるで、顔にひびが入ったようだった。


「うふ、うふふ、うふふふ……」

「ん、あれ。何か楽しいことでもあった?」

「楽しいこと? ううん、ただ、凄く滑稽なことが分かっただけ」

 不楽の的外れな意見にも、サヘルは笑いながら返す。

 その表情はどこか吹っ切れたように見えた――どこか壊れているように見えた。


「あんたさっき、私がどうして自分の事を気持ち悪いと思っているのか。って聞いたよね?」

 ――誰も私に近づいてくれないからよ。


「……え?」

 不楽は首を傾げる。

 いやいや、みんな近くにいるじゃん。と言いたげだった。


「みんな、みんな。近くに来てくれない。声の届く所まで来てくれない。みんな、みんな。私の本心に気づいてくれない。みんな、みんな。私を見てくれないっ!」

 だからという訳ではないのだろうけど、彼女はそう言い直しながら叫んだ。

 まるで日頃の鬱憤を晴らすかのように。


「私はこの見た目が嫌いだ。気持ち悪くて気味が悪いこの姿が嫌いだ。その見た目と折り合いをつけているあんた達とは違うの」

 頭を抱えるようにして叫んだサヘルは、ルーミアをじろりと睨んで、不楽を一瞥する。


「すごく気分が悪かった。あいつに見た目を馬鹿にされて、すごく嫌だった。誰かに知ってほしかった。話したかった。慰めてほしかった。だけど、誰も私の話を聞いてくれなかった。出てけって言ったら、本当に出てって、最終的には部外者こいつに頼るし……なんで、なんで誰も私の話を聞いてくれないの? 私は、このサーカスには必要ないの?」

 そんな事はない!

 そう、誰かが言い返したりはしなかった。

 言い返せなかった。

 彼女の悲痛な糾弾に、不楽を除く全員が呑まれてしまい、何一つ、言葉を発することが出来なかった。

 その事実が――誰も否定してくれなかった事実が、サヘルの心を更に傷つける。

 もうどうしようもないぐらい。徹底的に。


「なんで気づいてくれないの。なんで分かってくれないの。私はすごく嫌だったって話したかっただけなのに、たったそれだけなのに。それだけなのに……私のことを気にしていないから!? 見ていないから!? だったら、だとしたら私は――あんた達にとって私は……っ!」

 いつの間にか流れていた涙に気がついたサヘルは、言おうとしていた最後の一言を呑み込んで、鱗に覆われた腕で目をこするように涙を拭った。

 そして真っ赤になった目をクンストカメラの面々に向けて叫んだ。


「あんた達みんな、みんな、みんな、みんな……大ッッ嫌いだ!!」


***


 叫んだサヘルは、そのままキャラバンの中から飛びだした。

 去っていった。

 それをクンストカメラの面々の誰もは追いかける事をしなかった。

 追いかけなかったし、追いかけれなかった。

 サヘルの泣き顔と叫びが、思いの外、彼らの心を動揺させた。揺れ動かせた。

 声をかけられないほどに――動けなくなるほどに。


 みんな、みんな、みんな、大ッッ嫌いだ!!

 その言葉だけが、何度も彼らの心の中を反響し続けた。

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