ヴぁんぷちゃんは逃走する

 ルーミアが住んでいるボロアパートの背後に、ゾンビが住んでいるマンションはある。

 それはボロアパートと同じところに建っているとはにわかに信じられないほどに、比べるのがおこがましいほど巨大で、首が痛くなるぐらい見上げないとその全体像を捉えられないぐらい高くて、このマンションがいかに『上流者』向けなのかを辺りに知らしめているようだった。

「本当、死体の癖にどうしてこんな所に住めるのかしらね」

 そんなマンションを首が痛くなりそうなぐらいの角度で見上げながら、ルーミアは毒を吐いた。

「あれ、僕がここに住んでいるって教えてたっけ」

 そんな毒に文句を言う訳でもなく、会話を繫げながらゾンビはルーミアの横を抜ける。

「あなたがここに入るところを見たの」

「なるほど」

 半地下になっている一階部分に入ったゾンビは、ポケットの中から鍵を取りだす。

 パスワードを打ち込むパネルの右下についている鍵穴に差し込んでからパスワードを打ち込んだ。

 二重ロック。

 さすが上流者向けだ。

「最近のマンションならこれぐらい当たり前だよ。物騒だからね、最近」

 ぴっ、という電子音と共に、玄関ホールに続くドアが開いた。

 玄関ホールはそれだけでもルーミアの部屋よりも広く、床は大理石らしきもので敷き詰められていて、四隅には銀製の天使か何かの彫刻が置かれている。

「成金趣味丸出しね」

「実際、ここに住んでいるのは成金ばかりだよ」

「それはあれかしら。自分が金持ちだとでも言うつもり?」

「否定は出来ないかなー」

「出来ないのね」

 げんなりとした表情のルーミアの方に向き直して、ゾンビは彼女を招き入れるように頭を深く下げながら腕を大袈裟に動かす。

「どうぞルーミアさん。お入りください」

「……ありがとう、けど、あなたのその態度の事を慇懃無礼(いんきんぶれい)というのよ」

 呆れ顔にでため息をつきながら、縛りの消えたルーミアは玄関ホールに入る。

 畳や石造りの床とはまた違う感触と冷たさに、少しばかり違和感を覚える。

「こっちだよ」

 ゾンビの案内で、途中トレーニングルームやワインセラー、駐車場に続く道のある廊下を抜けて、突き当りにあるエレベーターに乗り込む。

 エレベーターには降りる階を指定するボタンがついていなかった。

 どうするのだろうかと見ていると、ゾンビは先ほど使っていた鍵を、ボタンの代わりに設置されていた鍵穴に差し込んだ。

 するとエレベーターら指示もしていないのに勝手に動きだす。

「最近のエレベーターは防犯目的で、自分が住んでいる階にしか止められないように出来ているんだよ」

「へえ」

 へえ、と言ってみたけれど、これは普通に知っていた。知っていたけど、見るのは初めてだった。

 彼女の知識はあくまでも知識に過ぎず、言ってしまえば知ったかぶりに過ぎない。

 だからこうして知っているはずの物の実物を見ても、気づかないことも多かったりする。

 分かっているのに、分かっていない事も多い。

 気づいているのに、気づいていない事もある。

 ゾンビの住んでいる部屋はかなり上の方にあるらしく、エレベーター内に微妙な空気が流れる。

「ルーミアさんってさ」

 驚くことに、沈黙を破ったのはゾンビだった。

 とは言っても、沈黙に耐えられなくなったみたいな感傷的なそれからではなく、話が途切れたから次はこれを言おう。みたいな打算的なそれだけど。

「お礼を言えたんだね」

「なに、首をはねてほしいの?」

「首をはねられたらさすがに死ぬかな」

「ゾンビが死ぬ。というのも中々変な表現ではあるわね、あなたもう死んでいるじゃあない」

「じゃあ活動停止かな?」

 ――まるでロボットね。

 ――いえ、あなたの場合はアンドロイドの方がいいのかしら?

 ルーミアはゾンビの戯言に、呆れた風にため息をつく。

「じゃあどうして人の神経を逆撫でするような事を言ったの?」

 そう聞いてみたものの、よくよく考えてみたら遠慮とか配慮とかそういった事をしないタイプだったことを思いだした。

 とはいえ、文句を言った後に訂正するような事ができないルーミアは、まるでそれに気づいていない風を装う。

「ルーミアさんって、他人に下に見られる――というか、下手に出るのを極端に嫌っているじゃん」

「今だってそうよ」

「だから、お礼なんてまず言わなかったはずだよ」

「……」

 ――まあ、確かに。その通りね。

 ゾンビの言うことを認めるのは癪だけど、癇に障るけれど、気に喰わないけれど、確かにその通りなのかもしれない。

 初めて会った時、腹を空かせて、喉を乾かしていて泣いていた時に生首をもらった時だって、お礼を言わなかったどころか、取られないように警戒していたし、なんならその後に支離滅裂な理由で逆ギレしたりもした。

 ……。

 思い返してみると、中々どころか、かなり感じの悪い出逢いだった。

 これがもし立場が逆だったら、ルーミアはゾンビと二度と会わなかっただろう。逆じゃなくとも二度と会いたくなかったけど。

 しかし、いつのまにやらこうして話したり、相手の家に遊びに行く程度には仲良くなっているし、お礼を言う間柄になっている。

 気を許しているという事だろうか。

 死体に、この彼に。

 魅了チャームのきかない、へりくだったりせずに自分と同じ目線に立ってくれる存在に私は――。

 ルーミアはゾンビの方に首を動かした。

 視線に気づいたゾンビは首を傾げる。それにつられてルーミアは表情を緩める。

「僕の顔になにかついてる?」

「いえ、ただちょっと思い出しただけ」

 久方ぶりの、もうすっかり諦めていた事。

 それを思い出しただけ。

 ルーミアは口元に手を当てながら笑って、何がなんだか分からないゾンビは楽しそうな彼女を見て首を傾げた。

「とっても嬉しいことをね」

「そっか」

 ゾンビは意味の分からないまま曖昧に返事をした。

 それに合わせてエレベーターは二十六階で止まった。

 ドアが開き、ゾンビとルーミアは廊下に出る。

 廊下の窓から見える夜の世界は、ルーミアの家の窓から見える殺風景と違って、遠くの山の麓まで見える大パノラマで、ルーミアはもう負けん気をおこす気力も起きず、窓に手をつきながら感嘆の息を吐く。

 ――あ、アパートが見える。

 視線を下という下にぐいんと下げて、他人から見ると『反省』をしている芸達者な猿みたいな格好になって、ようやく見えた我が家を見て、ルーミアは少し安堵する。

 安堵して、あんな豆粒みたいな家に自分は住んでいるのかと、現実の世知辛さにひどく落胆した。

「ここが僕の部屋だよ……あれ、なにしてるの?」

「気にしないで」

「そんなにへばりついても窓は食べられないよ」

「どれだけ私は食い意地張ってると思ってるのよ」

 いや確かに、食事を渡したら泣き止んだり部屋に入れたりとそう思われても仕方ない行動は多々とってきたけれど。

 ――そういえば、あの時貰ったペットボトルどうしたっけ?

 1.5リットルのペットボトル四本に詰められた血液。

 あの時は確か生首分の血液で小腹も空いていなかったから部屋の四隅、一番涼しい場所で保管しておいてあるはずだ。

 そろそろ飲んでおかないと腐ってしまいそうだし、明日家に帰って飲もうなんて適当に考えながらルーミアはゾンビのいる場所に向かう。

 二六〇三号室。

 どうやらそこがゾンビの家らしい。

 ゾンビはドアの鍵をあけてからゆっくり開く。

「あんまり広くないけど、ゆっくりしていってよ」

「この部屋が広くないというのなら、私の家は物置かしら?」

 嫌味をいいながらルーミアは部屋の中を覗き見る。

 人が入ってきたのをセンサーで感知すると自動的に電気がつくシステムらしく、玄関から続く短めの廊下を間接照明が淡く照らし、その先にある居間は比較的明るめの光で、部屋中隅から隅まで照らしている。

「ふうん、これが間接照明ねー……結構いいじゃない」

「そうかな、中途半端に暗くて困るんだけど」

「ま、あなたからしたらそうでしょうね」

 本でしか見たことがなかったものをマジマジと眺めているルーミアに、ゾンビはえらく空気の読めていないことを言う。

 きっと彼と一緒に美術館とかに行っても凄く楽しくないんだろうなとかルーミアは考える。

 本当、どうしてこんな性質なのに図書館にいたのだろうかとルーミアは考えようとしたのだが、それは次に目に入った物によって中断される。

 いや物によって。ではないか。

 なぜならば、ルーミアの視界に入ってきたそれには、ゾンビが恐らく毎日を過ごしているはずの部屋には――物がなかったのだから。

「え……?」

 ルーミアの部屋には家具が足りない。

 生活をするのに必要最低限な分にも達しないぐらいに物が足りない。

 日常生活が多少困難になる程度しか家具もなく、部屋は片付いているというより、片付ける物がない。そんな感じの部屋だ。

 しかし。

 ルーミアの部屋の数倍あるであろう部屋には

 一切合切、一個たりとも、木目のフローリングの上には、過去現在未来、物が置かれる様子というのが全くをもってなかった。

 引っ越ししたてのように、物が置いてなかった。

 足りないとか、不足しているとかじゃなくて――ない。

 広くて大きくて広大な部屋の中には、何もなかった。

 いや。

 かなり正確に言えば、申し訳程度に証言すれば、携帯の充電器が一個、床に直接置いてある。

 置いてあるけど、その程度で家具が置いてあるとは描写出来ないし、逆にここで生活していることを証明しているようで、更に気持ち悪かった。

 気持ち悪い。

 ルーミアは素直にそう思った。思ってしまった。

 奇妙すぎて、珍妙すぎて、異質すぎて、吐き気がするぐらい気持ち悪くて、近寄りがたかった。

 居間へと続く廊下から先に、一歩も進めないでいた。

「あれ、ルーミアさんどうかした?」

「あ、いえ……」

 先に部屋に――さも当然の如くその部屋に入っていったゾンビが、一向に部屋に入ろうとしないルーミアに尋ねる。

 ルーミアはそれにすぐ返事を返そうとしたが、呂律がうまく回らない。脳が空回りして、うまく言葉に出来ない。

 それでも、なんとか、どうにかして吐きだすようにして出てきた言葉は。

「私、家に忘れ物をしてきちゃった」

 誰が聞いても嘘だと分かる一言を残して、ゾンビの家から逃走した。

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