ヴぁんぷちゃん、図書館へ行く
さて、次の日である。
血液以外で久方ぶりに腹を膨らますことが出来た(喉はまだ渇いている)ルーミアは機嫌よさそうに鼻歌を歌いながら日の下を闊歩していた。
もちろん、吸血鬼であるルーミアが準備も何もなしにそんな事をすれば、降り注ぐ日の光にその身を焼き尽くされてしまう。
だからそうはならないように、ルーミアはゾンビから貰った、いつも着ている黒のドレスによく映えるこうもり傘をさしている。
しかし、今日のルーミアの服装はいつも着ているドレスではなかった。
胸元にあしらわれた大きめのリボンが特徴的な白色の服に、くるぶしまで届くロングスカート。全体的にゆったりとした、長時間座っていても疲れないような服装だ。
今から行くところの為に新調した服で、まだ汚れ一つどころかシワ一つついていない。
鏡に映ることの出来ない彼女は、その服装の確認も出来ないでいたのだけど、まあ自分の事だから似合っていることだろう、と彼女らしく考えていた。
実際、確かに似合ってはいるのだけど、なんと言えばいいのだろうか。『発表会に着ていく背伸びしている服』のような印象を他人に抱かせる感じだ。あともう何歳か成長すれば、文句なしなのだが……。
「まったく、二日連続で寝不足よ……」
小さくあくびをしながら、もっぱらインドア派な白い肌の吸血鬼は愚痴を吐くが、しかしその愚痴もどこか嬉しそうだった。
それはそのはず、ルーミアは今、日本に来てから数年もの間行きたかった場所に行こうとしているのだから。そりゃあ多少――二日三日生活リズムが狂っていても、機嫌はよくなる。
そんな彼女は――少し背伸びした服装に黒色のこうもり傘をたずさえたルーミアは、自分の家から数十分歩いた先にある図書館の前に到着した。
「ここが沢山本がある場所ね……!」
ルーミアは少し上擦った歓喜の声をあげながら、図書館の玄関を見上げる。
彼女が生まれた四百年前には、今と比べて室内の娯楽というものがかなり少なく、日の下に出ることが出来ない彼女は、退屈な生活を過ごしていた。
そんな彼女が選んだ趣味が『読書』であり、いつしか彼女は愛読家になっていた。
ジャンルなんて適当に、とにかく読んで読んで読みまくる乱読家。
ただ、日本に来てからというもの彼女の活動時間――つまり夜に開いている図書館や本屋が近くになく、ここ数年、彼女はろくに本を読むことすら出来ないでいた。
前に襲った女が『電子書籍』なんてものを持っていて、それを使って読んでいた時期もなかった訳ではないのだが、紙をめくれない、めくる音もしないし、紙とインクの匂いがしない。
なんだか『読書』をしているという感じがしなくて、あんまり進んでしたい方法ではなかった。
やはり本は紙とインクに限る。
例えかさばったり、場所を取ったり、重たかったりと、なにかと不便でもだ。
だからまず、司書員に案内されることで縛りから外れ、図書館に入る事が出来たルーミアは大きく息を吸った。
大好きな紙とインクの匂いが入り混じった空気が鼻孔をすーっと通り抜けて、思わず顔を緩めてしまう。
平日の昼頃という事もあってか、騒がしい子供の姿は見えず、利用客は暇を持て余している老人だけで図書館の中は静寂で満ちていた。
BGMは紙の擦れる音だけ。
実に読書に最適な空間だ。
閉じて纏めた日傘を傘置きに置いて、ルーミアは本を読むためにソファと机が並べられているスペースを抜けて、奥にある本棚が並んであるスペースに移動する。
外から見た時からかなり大きな図書館だとは思っていたが、本棚の数も半端ではなく、横は視界に収まりきらないほど。奥に何列も続いていて、子供が見ると先には何もないんじゃないかと不安がってしまいそうなぐらいだ。
先がないほど並んでいる本棚なんて、読書家である彼女からしてみれば、天国以外のなにものでもないのだが。
天井丸々をくり抜いたように吹き抜けになっている天井を見上げれば、二階、三階にも、一階に負けず劣らずの数の本棚が設置してある。
これだけ本棚があれば、まだ彼女が読んだことのない本もたくさんある筈だ。
一般図書に、大衆小説、漫画に絵本にライトノベル(初めて見るジャンルだ)なんて沢山の本が並んでいて、思わず手にとって熟読したい気分に陥るが、それをなんとか我慢して、ルーミアは頭上に設置してある道案内のボードを頼りに、目的の場所に移動する。
ルーミアが行こうとしているのはオカルトエリア。自分たちのような奇っ怪なものたちの文書だったり、
本当は哲学的分野とか心理学の本が並んでいる場所に行くべきなのだろうが、あくまでも彼は自分のことを『行動的ゾンビ』だと例えただけであり、まさか本当に、自分が思考実験の産物であるとは思っていないだろう。
彼は確か『造られた』と言っていた。
バラバラの身体を繋ぎ合わせて造られたゾンビ。
ならば彼は、最近主流になりつつある『パンデミック型』のゾンビでなく、昔から存在している――原義の意味でのゾンビなのだろう。
祭祀型の、
ここまでくれば、大抵の人が分かるだろうが、彼女、ルーミア・セルヴィアソンが今日図書館に来たのは、決して本を読みたいからではなく(勿論その意図が全くないと言えば嘘になるけど)ゾンビについて調べるためだった。
昨日一昨日としきりに遊びに来るあの死体に辟易していたルーミアはどうにか彼を追い払えないかと画策していた。
どうも彼と遭ってからというもの、調子が良くない。
それは彼と寿司を食べに行ってからというもの特に顕著になっていた。
理由は全く分からないが、とにかく心臓が締め付けられているように痛かった。
きっとこれはゾンビのせいだと、そう決めつけたルーミアは、ゾンビ対策の為に資料を探しに来たわけだった。
だったのだが。
オカルトエリアについてみると、そこには眉唾ものの酔狂で妄誕の目立つ本よりもよっぽど詳しく調べることが出来そうなサンプルがいた。
つまり、ゾンビがそこで立ち読みをしていた。
「げ」
「ん、あれ。ルーミアさん」
露骨に嫌そうな顔をしているルーミアに気づいたゾンビは、読んでいた本を閉じてからルーミアに話しかけてきた。
ジョン・ポリドリ作。『吸血鬼』
『始祖』が自分について書かれた本だと、謂わば私の伝記のようなものだ。と本を読んでいるルーミアを見かけるといつも自慢してきた本だ。
吸血鬼の始まり。
一切の不純物のない、混じり気のない、世界で唯一の純粋な吸血鬼。
そう言えばそれが鬱陶しくて、一度ルーミアは『あなたが先か。本が先か』なんていう『鶏が先か卵が先か』みたいな質問をした事があった。
――なんて答えてたかしら?
確か、どっちでもよくないか? だった気がする。
どっちでもよくねえよ。
自分たちが妄想の産物なのか、実物のある実態なのかを分ける重要な要因なのに。
というか、その本はあなたの伝記じゃないの?
「今は昼だけど、眠らなくてもいいの?」
「昨日一昨日と真っ昼間に叩き起こしている男のセリフ?」
「あはは、それを言われるとキツいな」
とゾンビは肩をすくめる。
ルーミアは気持ち悪いものを見るような目で彼を睨みながら。
「図書館は夜には閉まっているでしょう」
「あ、そう言えばそうだね」
「だからこうして、眠いのも我慢してきているの」
「へえ、本が好きなんだ」
「人並みにはね」
果たして吸血鬼である彼女が『人並み』なんて言葉を使っていいのかは定かではないけれど、とにかく、話しかけてくるゾンビに適当に返事をしつつ、ルーミアはオカルト本が並んでいる本棚の呪術に関する本が並んでいる場所を探して、ゾンビの本を取ろうとして、気づく。
ゾンビが目の前にいるのにゾンビ対策の本を取るというのはどうなんだろうか。
いや。別にゾンビに対して遠慮とか配慮とかしている訳ではないのだがO型の人を前に『O型の欠点診断書』みたいな本を手にとって見せつけているような、そんな意地悪さがある。
相手はゾンビなのだから『行動的ゾンビ』なのだから、そういう心配は無用の長物ではあるのだけれど、それでも根はいい子はルーミアは少しだけ気が引けて、咄嗟に、近くにあった適当な本を取ると、足早にその場を立ち去った。
その後、本を読むためにソファと机が置かれている場所に移動するまでに気になった本を取れるだけ取って、ソファに腰を下ろした時には、本の山は、その身丈よりも高く積みあげられていた。
「さてと……」
そんな本の山を前にして――血を前にした時よりも嬉しそうに、目を爛々と輝かせながら手をこすり合わせて、本を読み始めた。
推理小説はなんだか登場人物に奇をてらったキャラが増えているような気もしたが、まあやはり面白かった。
まるで算数の問題を解いているような感覚で人を殺していく登場人物たちの早計さも相変わらずで、ルーミアは少しだけ安心した。
本を読み勧めていく中で、意外と面白かったのはライトノベルというジャンルだった。
奇をてらったどころか、精神障害を疑りかねないぐらい奇想天外で支離滅裂なキャラクターたちが繰り広げる、謂わば『何でもあり』なジャンル。
異能力バトルだったり、ゲームの中で遊ぶだけの話だったり、なぜかこちらの世界よりも数段文明レベルの低い異世界に飛んでいったり、果ては主人公の周りに可愛らしい女の子が集まるだけの本もあった。
中でも吸血鬼が普通に日光の下を歩いていたりしたのはさすがのルーミアも驚いた。
――始祖でさえ歩けなかったのに。
――いや、始祖だからこそ歩けなかったのかしら?
純潔だからこそ。純血だからこそ。純真だからこそ。
百パーセント吸血鬼であるがこそ、彼は吸血鬼の弱点というものを全て持っている。
つまり逆を言えば『吸血鬼の血が異常に少ない吸血鬼』ならば、日の下を歩くことも出来るのかもしれない。
果たしてそれが吸血鬼と言っていいのかは甚だ疑問ではあるが。
疑問。
そう言えばこのジャンルの本を読んでいて気になった事がもう一つあった。
――どうして
まるで様式美だと言わんばかりに、裸体を晒す彼女たち。その文の隣ではここぞとばかりに全力で書かれたイラストがあったりした。
シリアスな話でもコメディタッチの作品でもそんな共通点のあるなにやら不思議なジャンルだった。
とはいえ、基本的にはシリーズ物が多く、気に入った幾つかのシリーズは借りて帰ろうと画策しながら、読み終えた本を新たに積み上げた本の山に積み重ねて、まだ読んでいない本に手を伸ばした。
メアリー・シェリー作。フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス。
さっきゾンビと会った時に適当にとった一冊だった。
一人のマッドサイエンティストがつくりだした優れた肉体と人の心と知性を持った、醜悪な見た目の『化物』の話。
いや、この話はマッドサイエンティストが人に語っている形式で綴られているのだから、『化物』をつくってしまったマッドサイエンティストの話、と言った方がいいのだろうか。
「そう言えばこの話、吸血鬼と同じ時期につくられたのよね」
ディオダディ荘の怪談談義。
レマン湖畔に詩人バイロン卿が借りていた別荘で5人の男女が集まり、それぞれが創作した怪奇譚を披露しあった出来事だ。その中で『吸血鬼』と『フランケンシュタイン』は創作されたらしい。
妙な話もあるものだ。
事実は小説よりも奇なりというが、本当らしい。
ペラペラとページを捲りながら、小説を読みふける。
――しかし。
――死体から創られたというのに、心があるなんて不思議な話ね。
まるで人の心なんていうものは、感性というものは電気信号にしか過ぎないと言っているようでなんだか虚しい気分だ。
人の心は電気信号ではないということはあの行動的ゾンビが証明しているというのに。
感覚とか、感性とか、そういったものが抜け落ちた存在。
感情はないし感性もない。
楽しいとか悲しいとか苛々とかと余りにもかけ離れた存在。
超現実主義者の合理主義。
生きる屍は夢を見ない。
そんな風に、ゾンビの生態について反復していると閉館のアナウンスが流れた。
「ええ、もう終わるの?」
閉館アナウンスを聞いて、ルーミアは露骨に落胆の声を上げながら、読み上げて積み上げた本の山を持ち上げて、それを本棚に戻すと、ついでに面白かったシリーズの続刊を何十冊かとって、それを借りると持ってきていたバックの中に詰め込んで、図書館の外に出た。
外はすっかり日が暮れていて、日傘を刺す必要もなさそうだった。
「ずっと本を読んでたね」
「ここは図書館よ? 本を読み続けるのは当然でしょ」
玄関の外に、ゾンビはいた。
どうやら彼も、この時間まで本を読み漁っていたらしい。
適当に返事をして、その横を抜けるようにして帰ろうとしたルーミアだったが、ふと、足を止めて振り返り、ゾンビと向かい合った。
首を傾げるゾンビに、ルーミアは眉をひそめながら尋ねた。
「あなた、どうして図書館にいるの?」
考えてみれば、おかしな話だった。
笑うし、泣くし、考察したりするが、楽しめないし、悲しめないし、苛々出来ない彼が、感情感性のない彼が、どうして本を読もうと思った?
超現実主義な、現実を現実として捉える事しか出来ない彼にとって、本の文章は、人の心に訴えかける文ではなく、ただの文字の羅列に過ぎないはずなのに。
どうしてわざわざ、
圧倒的違和感。湧き出る疑問点。
探って疑って疑るルーミアに対してゾンビは。
「さあ、そういえばどうしてだろうね」
行動的ゾンビらしからぬ、曖昧な答えを返すのだった。
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