わんことラミアーちゃん

 天井にいたのはカエルだった。

「あんたが団長を助けたっていう吸血鬼か。意外と小さいんだな」

「お望みならば、あなたよりも大きくなれるけど?」

 不機嫌さを全く隠そうとせずにルーミアが睨むと、キャラバンの天井のふちに寝っ転がっている男は「悪い悪い」と全く悪びれずに笑った。


「シルク・ドレイクだ。サーカスの演目じゃあ『フロッグマン』なんて呼ばれてる」

「安直ね。私はルーミア・セルヴィアソン。ルーミアで良いわ」

「僕は不楽。よろしく、シルクさん」

「おう、よろしく。団長、二人を団員に紹介するのなら、運転を代わろうか?」

「ありがたい、今日中につかないといけないから、早めに頼むよ」

「お安い御用さ」

 シルクはそう言うと、天井からを伸ばし、運転席のドアを開くと、カエルというよりヤモリを想起させる動きで、運転席に入っていった。


「あのドア、死んでも触らないわ……」

 少し湿っているドアの取っ手を、ルーミアは心底汚いものを見るような目で見ながら、呟く。


「さあさあお二人方、とりあえず車内の方へ」

 一つ目の団長はキャラバンのドアを開き、二人を中に招き入れる。

 縛りが消えたルーミアはキャラバンの中に足を踏み入れる。

 キャラバンの中は思いの外広く、部屋の四隅にはサーカスで使うのであろう小道具が山のように積み上げられている。


 部屋の真ん中にはとぐろを巻いた大蛇がいて、丁度人を口に含んで呑み込もうとしている最中だった。


「……?」

 大蛇の口から人の下半身が伸びている。

 大きさからして小柄な――子供だろうか。足がバタついているのを見る限り、大蛇は踊り食いにじょうじているようだった。


「あー、こらこらサヘル。またニナにロッヅを喰わせて! さっさと離してあげなさい」

「そいつが悪いの、そいつが」

 ルーミアの後ろから慌ててキャラバンの中に踏み入った一つ目の団長は、大蛇ニナの方ではなく、山のように積み上げられている小道具の方に向かい、叱りつけた。

 無論、その小道具の山がゴーレムでもない限り、小道具に話しかけ、あまつさえ叱りつけるような酔狂な事はしないだろう。

 その陰に誰かいるのだろうか。

 そうふんだルーミアは、ひょいと体を伸ばすようにして、陰を覗き見て、ぎょっと驚いた。

 そこにいたのは、一人の少女だった。

 黒髪の少女。

 年は十四、五ぐらいだろうか。

 全身を毛布で覆っていて、そこから顔だけをのぞかせている。ぱっと見、まるでダルマのようだ。

 のぞかせている顔は、少し大人びていて、気怠そうな雰囲気がある。


 ただ、彼女はどう見ても人間ではなかった。

 彼女の目は、細長い黒目に大きく見開かれていて、まるで爬虫類のような目をしている。

 その目を囲うように、彼女の顔は鱗で覆われていた。


 そんな少女――サヘルは、ルーミアの視線に気づいていないようで、毛布の中から手を出して、その目を指さした。

 その手もまた、大蛇のような鱗に覆われていた。


「私の目をまたバカにした。どう考えてもロッヅが悪い」

「そんなことで丸呑みにさせなくても……とりあえずロッヅを吐き立たせて」

「……分かった。ニナ」

 ニナ、と呼ばれた大蛇はのそりとこうべをもたげて、口に含んでいたロッヅを吐きだした。

 唾液とかそういうのでべちょべちょになっている少年が出てきて、ルーミアは体をびくつかせる。


 吐きだされたのは、サヘルよりも一回り小さな少年だった。

 残切り頭の茶髪は、蛇の唾液によって頭に張り付き、少年の背丈を更に小さく見せる。

 ゲホゲホと咳き込みながら、鼻を動かし、自身を覆う異臭を吸い込んでしまったのか、鼻をつまみながらはね上がった。


「ぺっぺっ! すぐそうやってニナに頼るのはズルいぞ反則だ!」

「ニナは私の半身だからいいの。それより、大蛇ごときに丸呑みにされる狼男の方が問題だと思うけど?」

「んなにー!?」

 蛇と犬は睨み合う。

 というか、いがみ合う。

 今にもまた喧嘩を始めそうな二人を見て、一つ目の団長は顔を隠すように手をやった。

 どうやこの子供二人の喧嘩は日常茶飯事らしい。

 と、二人に負けず劣らず――それどころか、この場で一番小さくて子供らしいルーミアが考えていると、一つ目の団長は呆れていることを全く隠そうとしていない口調で言った。


「二人とも、今大切なお客さんが乗っているから、もう少し大人しくしてくれ……頼むから」

「「お客さん?」」

「「ぬ」」

 二人は仲良く声を揃えて、同じように口をへの字に曲げてから、ルーミアと不楽の顔を順繰りに見て。


「「誰?」」

 それはこっちのセリフだと、ルーミアは内心呟いた。

 キャラバンは止まっていた間のロスタイムを埋めるように、少し速めの速度で走りだした。


***


「それじゃあ、一人ずつ紹介しますね」

 一つ目の団長は二人の子供の肩に手を当て、自分の前に引き寄せる。

 肩がぶつかりかねない程の距離に並べられた二人は、不快そうにいがみ合っている。

 その様子がまるで姉弟喧嘩を見ているようで、ルーミアはくすり、と笑った。

 それが癪に障ったのか、少年はじろり、とルーミアを睨む。


「なに笑ってんだよ」

「気にしなくていいわ。それとあまり近寄らないでくれる? あなた、まだ臭いわ」

 近づいてくる少年を、ルーミアは鼻をつまみながらつっぱねる。


「なんだお前偉そうだな。俺よりも小さいくせに」

「偉そう、じゃなくて偉いの。あなたよりもずっとね」

「そんなチビのくせにか?」

「……人は見かけによらないのよ」

 人はだなんて、果たして、ルーミアが使っていい言葉かどうかははかりかねるけど。


「チビチビ人の気にしていることを……」

 そんなルーミアの呟きは聞こえなかったようで、少年はルーミアを子供を見るような目で見たり、匂いを嗅いだりする。

 一つ目の団長は一度咳き込む。


「彼はロッヅ。ロッヅ・セルスト。狼男です。歳は見た目相応に十歳。このサーカスで最年少です」

 見た目相応に、という一言は果たして必要なのかと言われかねないけど、ルーミアや不楽の例があるように、奇っ怪なるものには、姿というのはあまり当てにならない節がある。

 むしろ彼らのように、歳相応に育っている方が珍しいのだ。


「ロッヅのヅはツにてんてんだからな、間違えるなよ」

 そんな注意を残して、ロッヅはルーミアから離れた。

 異臭が離れて、ルーミアはちょっとだけほっとする。

 一つ目の団長は次に、サヘルと呼ばれていた少女の背中を優しく押した。

 サヘルは肩越しに団長を見てから、渋々と言ったふうに。


「エマ・サヘル。歳は十四」

 と名乗った。


「あなたは?」

「私? 私はルーミア・セルヴィアソン。歳は……あなたよりも四百年ぐらいは長く生きてるわね」

「へえ、おばあちゃんなんだ」

 ぴくり、とルーミアの目尻が動いたのを気にも止めず、その蛇のような瞳を気怠げに動かして、ルーミアの後ろにいる不楽の顔を見た。


「あなたは?」

「僕?」

 不楽は自分の顔を指さす。

「僕は不楽。フランケンシュタインの化物。またはゾンビ。歳はまだ創られたばかりだから、ゼロ歳かな」

「へえ、俺よりも年下か。へえ、へえ、へえ」

「うるさいバカ犬」

 後ろで騒ぐロッヅに、サヘルは振り返ることなく言う。


「ふらく、ふうん。変な名前」

「けど、大事な名前だよ」

「まず変な名前を否定しなさいよ」

 ルーミアはかかとで不楽のすねを蹴った。

 いたた、とすねをおさえて笑う不楽と、不機嫌そうに鼻を鳴らすルーミアを見て、何かを察したのか、サヘルはもう一度ふうん、と頷いてみせる。


「あなた達二人ってどういう関係?」

「眷属」

「下僕」

「あそ、私からは以上」

 サヘルは言いたいことを言うだけ言って、一つ目の団長の元に戻っていった。

 なんだか、変な子だ。

 そんなことを考えながら、気になっていたことを聞いてみた。


「ねえ、どうしてあなたは毛布を被ってるの? 暑くない?」

 現在日時は六月の中旬。

 梅雨特有のじめじめとした、纏わりつくような暑さは、キャラバンの中でも変わらず、レースやフリルがふんだんにあしらわれた黒色のドレスを着ているルーミアも、少し汗ばんでいる。

 そんな暑さの中、毛布で全身をくるんでいる彼女の格好は確かに不思議ではあった。

 ただ、それについては言及しなかったほうが正しかったかもしれない。

 なんせここはフリークショー。見世物小屋で働く奇っ怪なるものたちが乗っているキャラバンだ。

 異常で異質で異形なものばかりの場所だ。

 そこでまるで、全身を隠すような、自身を見せないようにしている者に対して理由を尋ねるのは、配慮が少し足りなかった。

 藪をつつけば蛇が出てくる。

 突かないことが正しい事もある。


「……うるさいな、人型は」

「え?」

 ポツリと、サヘルは呟いた。

 それに続くように、ニナは舌を震わせて音を出しながら、ルーミアを睨んだ。


「いいよニナ。怒らなくて」

 サヘルはニナの頭を撫でる。

 その声はこころなしか冷え切っているようにも聞こえる。

 実際、ニナから視線を外し、ルーミアたちを見る目は明らかに冷え込んでいた。


「……まあ、団長がこのキャラバンにのせるほどの大切なお客さんのご要望なら仕方ないか」

 はらり、とサヘルはくるんでいた毛布を脱いだ。

 その下は裸体ではなく、きちんと服を着ていた――服だけは。

 彼女はズボンを履いていなかった。

 スカートも履いていないし、なんなら下着さえつけていなかった。

 そもそも彼女が履けるようなものがあるのかどうかも怪しい。

 なぜなら、サヘルの下半身は、蛇だったからだ。

 大蛇のニナと同じような、すらりと伸びた尾っぽが、彼女の下半身だった。


「……」

「驚いたでしょ、今」

「……そんな事は」

「隠さなくていいよ。もう何万回も浴びせられてきた視線だから、分かるんだよね」

 たんたんと言いながら、サヘルは床に落とした毛布を拾う。


「普通の社会なら、全身を隠しながら生きることはまず不可能だからね。でも、このフリークショーなら、それが出来る。だから私はここにいる」

 拾い上げた毛布で全身を覆う。

 自身が嫌いなものを、毛布で隠す。


「まあ、あんたは普通よりはそこまで気持ち悪がってなかったし、多分、仲良くなれると思う」

 と。

 毛布にくるまって、顔以外の全身を隠したサヘルは顔を上げてルーミアの後ろにいる不楽を見た。


「あなたは気持ち悪がらなかった」

「僕?」

「驚きはしたけど、気味悪がりはしなかった。そんな人、初めて。ねえ、どうして?」

「どうしてって」

 不楽は少し悩む素振りを見せてから。

「そういう風に創られているから、としか言いようがないなあ」

「……へえ」

 サヘルは微笑わらった。

 注視しないと気づけないぐらいの、微かな笑み。

 それになにか感じ取ったのか、ルーミアは不楽とサヘルの間に割って入った。


「羨ましい?」

「……なにが」

「自分のどうしようもない欠点を、特に気にすることもなく受け入れてくれる人がいて、羨ましい?」

「……べつに。あんたみたいに誰かと一緒にいないといけないほど、私は弱くないから」

「ん?」

「あ?」

 あんたとは仲良くなれると思う。とはなんだったのか。

 途端に険悪な雰囲気に包まれた二人は、背的にサヘルは見下すように、ルーミアは見上げるようにして、その間で火花が散りかねないぐらいに睨み合う。


「うん? キャットファイトか?」

「コウモリと蛇。どっちも猫とは言い難いけどね」

 壁に寄りかかりながら眺めていたロッヅはそういう風に言って、その近くに歩いていった不楽は、なんとものんきな風に返すのだった。

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