三つ編みは答える
狛谷柴が誘拐された日から、数日が過ぎた。
昨日の夜がフリークショー『クンストカメラ』公演最終日。
つまり、今日は荷物を纏めて、街を出ていく日である。
団員たちは広めの空き地の中に設置していた大きなテントや出店を片付けるべく、右へ左へと、歩き回っている。
そんな中に一人、鉄骨を背負いながら地面に倒れているものがいた。
傍から見れば鉄骨に押し潰された事故現場のようにしか見えないが、実際は、片付けるべく並べていた鉄骨の下に潜り込んでいるだけで、事故とか、そういうことではない。
暗くて狭いところが妙に落ち着くのだそうだ。
犬だ。
「ロッヅ」
「……なんだよ」
「落ち込むのはいいけどよ、そろそろ這い出ないと本当に潰れちまうぞ?」
クロクが鉄骨を山の上に置きながら言うと、鉄骨の下からロッヅの声がする。中々奇妙だ。
「……地面掘って穴つくってるから、大丈夫
「いや、そこに穴を掘られると、鉄骨が崩れそうで困るんだが……もしかして、片付け作業が遅れればいいとか考えてるのか?」
「そ、そんなわけなないだろぅ!?」
「考えてるんだな」
「考えてねえ!」
鉄骨の下からにゅっと頭だけをだしたロッヅは、クロクに向けて叫んだ。しかしクロクはニヤニヤと笑ったままだ。
「そうだよなあ、片付けが終わるってことは、この街から離れるってことだもんなあ。狛谷ちゃんとも、もう会えないってことだもんなあ」
「……っ!!」
顔を真っ赤にしたロッヅは、髪の毛を逆立てながら、顔を引っ込めた。
クロクは鉄骨の山を、コンコンと叩く。
「そんなに寂しいのなら、会いに行けばいいじゃあねえか。連絡先を聞いてくるとかさ」
「……俺、スマホとか持ってないぜ?」
「公衆電話で話せばいいだろ」
「公衆電話?」
「おっとまさかのジェネレーションギャップ」
緑色のやつだよ。とクロクは言った。
「あれなら、電話をかけてもらうことは出来なくても、電話をかけることはできるだろう」
「う、う、う……ううぅぅぅぅぅ!!」
ロッヅは鉄骨の山の下で、変な呻き声をあげた。
それはなんだかまるで、鉄骨の下敷きになっているように聞こえなくはないけれども、ただ、鉄骨の下で頭を抱えて唸っているだけである。
「なんだよ。電話番号を聞きに行くぐらい簡単だろ。片付けもしないでずっと唸ってるだけなら、ちゃっちゃと聞きに行って来いよ」
「……無理だよ」
「なんでだよ。別に、家が遠くにあるって話じゃああるまいし」
「……だって、嫌って言われたし」
「なんだ、お前。振られてたのか」
「ぬぅぅうぅぅぅぅ……」
「ロッヅをいじめるなよークロク」
「いじめてねえよ!」
鉄骨の底から、うううう。とすすり泣く声がする。
ちょっとした怪奇現象みたいだ。
薄暗くてひんやりとしたあなぐらの中で、ロッヅは足を折り畳んで、甕壺に埋葬されている死体みたいにうずくまっている。
クロクの言う通り、電話番号とかを聞けば、この街から出て行っても、話すことはできるだろう。
しかし、ロッヅは踏ん切りをつけることができないでいた。
一応何度か、クロクの言う通り、狛谷の家に向かって、さよならの挨拶ぐらい、していこうかと思っていた。
でも、行こうと思い立つたびに、足が止まって、いつの間にか、こんなところに隠れていた。
あの日。狛谷を助けに行ったあの日。
ロッヅは、ケガをしている彼女を見て、我を忘れて、暴れまわってしまった。
それは、彼女がケガをする前に助けに行くことができなかった自分に対して嫌気が差したからでもあったし、あのデブが許せなかったでもあった。
――そういえば、あのデブ。何者だったんだろう。
色々あった事情を、結局、何一つ知らないで突撃しているバカは、今更ながらそんなことを思う。
思ったけど、どうでも良かったのですぐ考えるのをやめた。
あいつは悪い奴で。
俺は彼女を守り切れなくて。
俺は彼女に恐がられてしまった。
事情とか、設定とか、あらすじとか、ストーリーラインとか。
よく分からないことが色々あるけど。
この事実は、揺るがない。
あのとき、はねのけられた手のひらをぼうっと眺める。
血とか肉とか死とかが色々ひっついていたであろう手のひら。
確かに、恐かったろうな。と今更気づく。
今更過ぎて、もう遅いんだけど。
狛谷に会おうと思うたびに、あの時の彼女の顔がちらついて、どうしても向かうことができないでいた。
多分。嫌われてる。
絶対。恐がられる。
悲しいかな、それを受け入れてなお、狛谷の元に行くだけの勇気も無謀も、ロッヅにはなかった。
そんな顔を見るぐらいだったら、そんな顔をさせるぐらいだったら。
もう二度と会わない方がいいに決まっている。
そうは思っているものの、会いたい。という気持ちもあるわけで。
こうしてロッヅは、鉄骨の下で悶々としているのである。
いつの間にか、近くから人の気配が消えていた。さっきまでいたはずのクロクの足が見えない。呆れて、片づけを再開したのだろうか。
そう思っていると、また。
コンコンコン。
と、鉄骨を叩く音がした。
――後ろにいたのか。
「だーかーらー。俺はここから出ないし、片付けも手伝わないからなっ!!」
小馬鹿にしているのか。と、ロッヅは頬を膨らませながら、顔をにゅっと出して――赤面した。
「おっと」
鉄骨のそばに立っていた人は、スカートをおさえて、ふざけた調子で、一歩後ずさった。
――白。
なにが。とは言わないけれど。
「いやあ、ビックリした。ビックリした。ロッヅくんが鉄骨の山のところにいるとは聞いていたけれども、まさか下に隠れてるとはね。痛くないの? なんて。まあ、大丈夫だから大丈夫なんだろうけど」
「……あ、え……え?」
「なんだいなんだい。鳩が豆鉄砲を食ったような。犬がドックフードを投げつけられたような顔をして。私がここに来ることがそんなに不思議なことかな。助けてくれた、恩人のもとに来ることが。まあ、そんなことよりもまずは一言」
口をパクパク動かして、呆然としているロッヅにその人――狛谷はにまあ。と笑いながら言った。
「ロッヅくんのエッチ」
***
「やあ、よかった。ギリギリ間に合ったよ。ケガの方はね、もうとっくに治ってたんだけど。お父さんを説得する方が結構大変でね。前、絶対に外を出歩くなと言われてたのに出て、しかも、誘拐されたりケガをしちゃったりしたから、まあ、当然と言えば当然なんだけどさ。それでも酷いよねえ。それじゃあロッヅくんに会いに行けないじゃあないか。助けてくれた子に挨拶のひとつぐらいさせてくれてもいいのに、ねえ?」
突然現れた狛谷とロッヅは、鉄骨の山からキャラバンの中に移動した。
さすがに、日の当たる場所で立ったまま話すのもつらいだろう。ということだ。
狛谷とロッヅは向かい合うようにして座っている。
窓のカーテンは閉じられていて、電気がつけられている。
昼間なのだから、カーテンを開いて、電気を消せばいいではないか。と思われるかもしれないが、このキャラバンの中で、今、吸血鬼が眠っているのだ。
太陽の光なんていれようものなら、炎に包まれた少女が、憤怒の表情で殺しにやってくる。
「昨日ようやくね、この式? っていうの? このお札をくっつけて、門限までに絶対に帰ってくるのなら、行ってもいい。って許可を貰えたのさ。まったく、おかしな話だよね。このお札を貼っているときに誘拐されたわけだから、これが役に立たないことは既に証明されているっていうのに、というか、これを貼ったら襲われたのだから、むしろこれをつけている方が危険なんじゃあないかっていう疑いすらあるのにね。まあ、でも、これでここに来れるというのなら、安いものだよ。どうせ、お父さんのことだから、私の後ろをついてきたりしているだろうけど」
狛谷は座ったまま、前のめりになって、服をちょっと引っ張って、背中に貼りついている
確かに背中にはぴったりと――若者らしくない表現ではあるけど――湿布みたいに貼りついている。
服の隙間からちらりと見える白い肌に、ロッヅは思わず目をそむけた。狛谷はにまぁ。と笑っている。
いや、決して素肌を見て、そういうのに免疫がないから、目をそむけているとか、そういうわけではない。決して。
そう見えるかもしれないけど。そうとしか思えないだろうけど。実際その通りなんだけど。
ロッヅはそこだけじゃあなくて――方にぐるぐると巻かれた包帯を見て、目をそむけたのだ。
包帯は綺麗なモノだった。血とかは滲んでいない。
その下は、狼男に噛み千切られていて、ぽっかりと穴が空いている。
肩の骨まで食い荒らされた、痛々しい痕だった。
助け出した後、外で狼男の死屍累々と共に待っていた吸血鬼の血によって回復させたと聞いていたが、その包帯を見るに、まだ完全に癒えてはいないらしい。
「吸血鬼の血でケガを治したって聞いたときは、そういう名前の漢方とか、そういうものがあるのかなとすら思ったぐらい非現実的なものだったけどねえ」
狛谷は、包帯を巻いている肩をぐるぐると回す。
「でも、やっぱり本当なんだよね。もう全然痛くない。あんなに痛かったのに。お父さんはうちに代々伝わる、この霊験あらたかな包帯のおかげだって言うけど、絶対血のおかげだね。しかし、どうなんだろう。吸血鬼の血で回復したということは、今の私の体には、微量ながらも、吸血鬼の成分が入ってるってことだよね。いつの間にか吸血鬼になっていたりするのかな」
「そ、それはないって、あいつ言ってた」
「あいつ?」
「吸血鬼。ルーミア。そこで寝てるやつ」
ロッヅは部屋の隅の方にある布団を指さした。
掛け布団は、人がひとり入っているぐらい膨らんでいる。
狛谷はわお。と声をあげる。
「命の恩人その二がそんなところで寝てるなんて。ははあ、だからこの部屋は暗いんだね」
「だから、少し静かにな」
「おっけー。それで、どうして私が吸血鬼になることはないの?」
「吸血鬼が吸血鬼をつくるときは、完全に、完璧に殺して、吸血鬼として復活させようと思わない限りないんだって」
「なるほど、確かに。そうじゃないと、吸血鬼が沢山増えて、大変だもんね」
「知で体の傷を治した程度なら、しばらく太陽の光が痛かったり、歯茎から血が出にくくなるぐらいの、それぐらいの影響しかないんだって」
「それは便利だ」
道理で、歯槽膿漏が治ってるはずだ。ラッキー。と狛谷は笑った。
前向きだ。言うまでもない、ポジティブな考えだ。
「そういえば、ロッヅくんも大けがしてたよね。それも、吸血鬼の血で治してもらったの?」
「うん」
ロッヅは苦々しい表情で頷いた。
正直、あの、眼球が眼窩の中でもごもごと蠢くように再生していく、奇妙で奇異な感覚は、もう二度と味わいたくない。健康が第一。
「へえ、あの大ケガもこんなに綺麗に治るんだ。お父さんがひた隠しにしていたから、妖怪変化とか化物とか怪異とか奇っ怪なるもの? だっけ? については、まだ正直、よく分かってないんだけど、こんなに凄いのなら、退治したりするより、仲良くなった方がいいんじゃあないかな。いやでも、吸血鬼って、人を食べるって聞くしなあ」
「……なあ、狛谷」
「ん、なんだい? 最近は私の名前を間違えなくなったよね。偉いねえ。嬉しい限りだよ。私は」
「どうして、ここに来たんだ……?」
絞りだすような、小さな声。
目をぎゅう、と瞑りながら、どうにか発することができた声。
「どうしてって」
狛谷は、小首を傾げて、なんでもない風に答えた。
「さっきも言ったじゃあないか。助けてくれた子に、恩人に、お礼を言いに来たんだよ」
それともなんだい。と狛谷は続ける。
「私は、助けてくれた子にお礼も言わないような、薄情なやつだと思われていたのかい?」
「え、あ、で、でも、その」
言葉がうまく出てこない。
頬を一回両手で挟み込むようにして叩いて、大きく息を吸う。
「あの時、狛谷は、俺を、恐がってたから……手をはらいのけて、恐がってたから」
「あ、あ~……」
ロッヅがどうにか、途切れ途切れに言うと、狛谷は困ったように苦笑いを浮かべながら、ぽりぽりと頬をかいた。
「いや、そのね、あの、別にあれは悪気があったわけじゃあなくてね、あの状況だったら皆そうなるよって……いや、うん。違うね。言い訳だねこれは。実際、私は恐がった。うん、そうだ。まず私は謝罪をするべきだ。謝らなければならない、罪を犯したのだから」
ごめん。と。
狛谷は頭を下げた。
突然のことに、ロッヅはぽかんと口を開いた。
「私はとても悪いことをした。申し訳ないことをした。命がけで助けに来てくれたきみを、あろうことか、はねのけてしまった。私は、きみに嫌われても仕方ないようなことをした。本当に、ごめん!!」
床に額を叩きつけんばかりの勢いで、狛谷は大きく頭をさげた。
ようやく意識が追いついたロッヅは、深く深く頭を下げている狛谷の前で、あたふたと両手を振る。
「どうして狛谷が謝るんだ! 違う、違う。俺が悪い! 恐がらせちゃった俺が悪い!」
「違うね。全然違う。私が悪い。恐がってしまった私が悪い。全ては私の結果だ。良いも悪いも私の結果だ。誰にも奪われてたまるもんか」
「じゃ、じゃあ俺のことは恐くないのか? 嫌ってないのか?」
「ぜーんぜん」
「な、なんで?」
「そりゃきみ、決まってるよ。どれだけきみが、『私がきみのことを恐がって嫌っている』と思い込んでいたとしても、私の意見は変わらないよ――私は、きみのことが大好きだ」
チクタクチクタク。
ぽくぽくぽくぽく。
…………。
口をぽかんと開けて。呆然としていて。
暫く硬直していたロッヅの顔は、一気に真っ赤になり、熱せられたヤカンみたいに、湯気を頭の上から噴きだした。
「す、すすすすすすすすすすす好きぃ!?」
「そうさ大好きだ。きみみたいな男の子が、違う。男の子なきみが。違う。きみみたいなきみが好だ。私は、きみが、好きだ。なにか不都合でもある!?」
口早に言い切った狛谷は、ひゅっと息を吸って、何度も呼吸を繰り返す。
頬は少し上気していた。その頬が赤い理由が、告白のせいなのか、口早に話したせいなのかは、ロッヅには分からない。
ふう。と息を吐いて、狛谷はにこりと笑った。
「これが、私の答えだよ。あの日の、きみの告白への答えだ」
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