わんこは、逃げない
失意消沈している――元気だけが取り柄であり、元気だけの存在だと言っても過言ではない馬鹿でアホな小さな狼男を描写し続けてもしかたない。
狛谷とロッヅの視点を一旦切り上げる。
「……ロッヅたちでていったね」
「じゃあ、私たちも出ましょうか」
盗聴器でロッヅと狛谷の話を聞いていたルーミアは、伝票をもってレジへと向かった。
「なんだ。おごってくれるのか?」
クロクはにまりと笑いながら言う。
ルーミアは鼻をならした。
「そんなわけないでしょう?」
伝票をレジの前に置く。それを手に取るために視線をさげた店員に、ルーミアは眼を向けた。
「いくら?」
ルーミアが尋ねると、店員の男はにっこりと笑った。なにかに憑りつかれたような、惹きこまれたような笑みであった。
「お代なんて結構ですよ」
「そう、ありがとう」
ルーミアが笑い返すと、店員の男は頬を上気させてとろけたような表情に変わった。
後ろにいるクロクが「うわぁ……」とひいたような声を上げているが、ルーミアは気にも留めずに店員に向けてしゃがみ込むように指で命令した。
店員の男はひざまずく。傍からみれば、子供の相手をしている気のいい店員に見えなくもなかった。
ルーミアは店員の男の首元で匂いを嗅ぐ。
頬を緩めてから、男の耳元で呟いた。
店員の男の表情は明るくなった。まるで初めてできた彼女の家に案内された男子のようだった。
ルーミアは店員の男にひらひらと手を振りながら店の外にでた。まだ日傘が必要な時間帯だ。黒い色の日傘で太陽の光を遮る。
日は傾いて落ちるように移動し始めている。
歩いているルーミアの隣にクロクは立つ。
日傘によって顔は見えない。
きっと、目を見ないようにしているだろう。
「なに、私さっさと帰りたいんだけど」
「どうせまた後ろからついてくるんだろう?」
クロクは笑いながら軽口をたたく。
「店員になに言ってたんだ?」
「夜。私のもとに来なさい。そういったのよ」
ルーミアは答えた。
「そろそろノドも渇いてきたしね」
「血を吸うのか……」
「なに、吸ってほしいの?」
ルーミアは日傘を傾けて、クロクの顔を見上げながら牙をちらつかせた。
クロクはやはり目をそらしていた。そらしたまま、ひらひらと手を横に振った。
***
チクリ、チクリ。
ルーミアとクロクの背中を見ながら、なんだかよく分からない表情で、なんだかよく分かっていない表情を晒している青年がいた。
不楽である。
――またあれだ。
自分の胸を掴みながら、不楽は首を傾げる。
二人が並んでいる姿を見ていると、どうしてか心臓に針が刺さっているみたいな痛みがはしる。
そもそもこれは痛みなのだろうか。
不楽の心臓はそもそも動いていないし、不楽の体は痛みを知らない。
そうでなければ、気軽に腕をもいだり頭に手を突っ込んだりもできないはずだ。
だったら。
痛みではないとしたら。
『これ』は一体なんなのだろうか。
『これ』は一体なんなのだろうか。
今までで二度、『これ』は起きている。
今と――阻塞旭と偉が眷属になった時。
共通することは、ルーミアにプラスなことがおきたことだろうか。
寂しがり屋の吸血鬼が、誰かと一緒にいるときか。
――だから。
――どうして、
分からない。分からない。分からない。分からない。
……。
整理をしよう。
自分は誰だ。
――不楽。自分という存在を証明する名前は『不楽』。
自分はなんだ。
――眷属。吸血鬼ルーミア・セルヴィアソンの眷属。
自分はなんのために存在している。
――寂しがり屋の吸血鬼の隣にいる。一緒に居続ける。
それだけ?
――それだけ。それだけのために僕は存在している。
だったら。
だったら。
――今はもう、いらないんじゃあないのだろうか?
――会ったときよりはもう、寂しくはないはずだから。
チクリ、チクリ。
痛みはまた強くなった。
それはまるで、至った結論を否定しているような。そんな感じ。
――僕は、どうしたらいいのだろうか。
いらない存在ではなく、必要ではない存在ではなく。
必要であり、不可欠である存在でいるためにはどうしたらいいのだろうか。
眷属として。
不楽として。
一緒に居続ける者として。
彼女の隣に立ち続けなければならない。
彼女の隣に、誰かが立つのではなくて。
彼女の隣に、自分が立つ。
そう、つまり。
特別であるためには――。
「不楽?」
ひょこり。と。
自分の顔を覗き込むように見上げてくるルーミアの顔が不楽の視界の中に入ってきた。
眉がさがっていて、まるで壊れたテレビの心配をしているような表情だった。
そこで不楽は、いつのまにか自分が立ち止まって俯いていたことに気がついた。
ルーミアは訝しむように、目を細めて不楽の顔を見やる。
「なにかあったの?」
「いや――」
不楽は返事をしながら自分の状態を確認する。
四肢五体無事。
痛みもなにもない。
チクリ、チクリという痛みも、もうなくなっている。
「――なんでもないよ」
にこりと、空っぽの笑みを向ける。
ルーミアは疑問が残っていそうな表情だったが「そう」とだけ言って不楽の斜め前に立った。
「ほら。はやく行くわよ。これから色々、やらなくちゃあいけないことがあるんだから」
「ルーミアさんはこれからキャラバンに戻るんじゃあないの?」
「調べ物があるから、図書館に寄るわ」
「図書館に行きたいだけだよね。それ」
「そんなわけないでしょう。調べものよ。これからに必要なことを調べるの……まあ、時間があまったら色々読みたい本もあるんだけど」
最後の方はごにょごにょと誰にも聞こえないような小さな声で呟きながら、胸のあたりで両手の人差し指をくるくると回す、寂しがりやな吸血鬼に、不楽は口元を緩めながらその隣に立った。
鈍感な二人は気づかない。
気づいていない。
自分たちの関係の変化を。
***
夕方になり、門限があるという狛谷は家に帰っていった。
「今日は楽しかったね。また、遊べるときに遊ぼうね」
満面の笑みでそう言ってくる狛谷に、しかしロッヅは同じく満面の笑みで返せたか自信がない。
記憶もない。
気づいたときにはフリークショーに戻っていたし、気づいたときにはキャラバンの中に入っていた。
「よ、よう。おかえり」
デートの終わりを確認してからロッヅよりもはやくキャラバンに帰ってきていたクロクたちが、息も絶え絶えに汗をにじませながら、恐る恐る話しかけてきたが、今のロッヅにそれに違和感を覚える余裕も返事を返す余裕もなかった。
まあ、余裕があったとしても、違和感は覚えなかっただろうけれども。
それがロッヅだ。
ふらふらとキャラバンの中に入ってきたロッヅは、声をかけてきたクロクの方を少しだけみると、そのまま糸が切れたみたいに倒れた。
受け身もなにもしていない、床との激突。
ビターン! と大きな音がする。
「……大丈夫か?」
倒れたまま微動だにしないロッヅに、クロクは恐る恐る尋ねた。
ロッヅは体をゆっくりと動かして、あおむけになった。額と鼻が真っ赤になっていたが、泣いている理由はそれではないだろう。
「恐いって言われたあぁぁ……」
ぶわっとロッヅは滂沱の涙をこぼす。
うええええ、という泣き声がキャラバンの中を蹂躙する。クロクは周りの団員たちと目を合わせてから泣き続けるクロクに話しかける。
「気にするなよ。別にお前が恐いと言った訳じゃあないんだからさ。『私は人が嫌い』と同じぐらい、当てにならないやつだよ」
明らかにそこで見ていただろうと言わんばかりな発言だったが、やはりロッヅに気づく様子はない。
ロッヅはクロクの方を向いて、鼻水をすする。
「でも、『虫が嫌い』っていうやつは大体どんな虫も嫌いだろ?」
「ん、まあ……そうだな?」
言い返せなかった。ロッヅの目は更に潤む。
「あーあ、クロクがロッヅ泣かせたー」
「なっ、いやっ、最初からこいつ泣いてただろう!?」
旭と偉がからかうように言って、クロクは慌てたように声を荒げて振り返った。
「こわいっていわれたーーっ!!」
「で、でもよ。まだお前が狼男だとは伝えていないんだろう?」
「い、言ってないけどさぁ……」
ロッヅはぐずりながら鼻をすする。その鼻の中は鼻水でつまっているのか、声も鼻声になっている。
「だったらまだお前が嫌いだとは言っていないだろう。早とちりしすぎだ、落ち着け」
「……う゛ん」
クロクがなだめるように両手を前につきだしながら言うと、ロッヅは目と鼻を何度か腕でこすった。鼻水が腕にひっついて糸ができあがる。クロクは困ったように笑う。
「とりあえずまず鼻をかめ」
「わかった……」
ちーん、と鼻をかむ。涙も一緒に拭ったからか、目の周りは真っ赤になっているものの、もう既に止まっているようだった。
これならまだ会話ができる。クロクは心の中でほっと安堵の息をもらす。
「確かに彼女は『狼男は恐い』と言った。かなぁ。と疑問符がつきそうなぐらいの感覚で言った」
「……なんでそれを知ってるんだ?」
「冷静になったから今まで気にしてないところをツッコんできたな。たまたまだ。予想だ。そうだろう?」
「いや、それで騙せるほどさすがにロッヅはバカじゃあ」
「たまたま……予想……スゴイな、クロクは!」
「バカだった」
「お前におきたことは帰ってきたお前の様子から大体予想できた!」
「すげえ!」
「誉め讃えろ! 賞賛しろ! 俺はお前の味方だ!」
「すげえ、すげえクロクすげえ!!」
「それでそこまで言いきれるお前がすげえよ……」
鼻高々に胸を張り、ふふんと鼻をならすクロクに、ロッヅは無邪気に目を輝かせながら、両手を頭の上で振る。
旭と偉はそんな二人を見て呆れたように肩を落とした。しかし、ロッヅが元気になったのは確かである。それは好手であったと言えるだろう。
「じゃあ、話を戻すぞ」
「おう!」
「彼女は確かに狼男は恐いと言った。疑問符つきで言った。それはつまり、彼女の中ではまだ『狼男=恐い』という図式は完成していないということだ。今は恐い側に偏っているだけ」
「あれ、じゃあやっぱり恐がられてるんじゃあ……」
「落ち着け! まだ話は終わってねえから!!」
再び目に涙をためるロッヅに、クロクは慌てて話を続ける。
「偏っているだけだ。固定しているわけじゃあない。今ならまだ、恐くない。に変えることだってできる」
「ほ、本当か!?」
「本当だ」
「どうすればいいんだ!?」
「まずは彼女を捕まえる」
「つかまえて?」
「催眠」
「催眠」
「やめろ」
ゴスッ、とクロクの頭に
もう一つある頭――脳天から少し右の方にズレてある頭をうまくかわした手刀である。手刀の手は硬い鱗に覆われていて、普通の手刀よりも威力は高めである。
「いってえええええ!! なにすんだよ、エマ!」
「いや、犯罪者はこの世から消滅させるべきだろうと思って」
頭をおさえてクロクが振り向くと、冷たい目を向けたエマが目に入った。
周りを蛇の鱗に覆われて、亀裂がハシッているようにも見える目は、黒目が縦細くなっている。まるで爬虫類のような目だ。
まぶたは半分ほど落とされていて、縦に細い黒目は半分ほど見えなくなっている。
じとり、と睨む。
「催眠とか、そういうのできるかどうかは一旦置いといて。ダメに決まってるでしょ」
「じゃあ洗脳」
「ダメ」
クロクを押しのけるようにして、エマはロッヅの前に座る。
蛇の下半身を折り畳んで、とぐろを巻くようにして座る。
「ロッヅ、あの子――えっと、名前はなんだっけ」
「小松菜」
「狛谷」
「あんた好きなら名前を覚えておきなさいよ……」
「な、名前を覚えるのは苦手なんだよ!」
ロッヅは顔を真っ赤にしながら、つばを飛ばすように叫んだ。
実際、彼は名前を覚えるのがとことん苦手である。
人の名前だけでなく、自分の名前を覚えるのも苦手だ。
だからいつの間にか、ロッヅの名前は間違いである『ヅ』になっている。間違え続けて、それがいつの間にか本当になっている。
「その狛谷さん。『狼男は恐い』確かにそう言ったんだよね」
「う……おう」
「ふうん。じゃあ、今、狼男だとバレたらもう二度と会えないかもね」
「うわああああぁぁーーーーん!!」
「エマ!?」
「事実でしょ」
目の前で号泣するロッヅに、エマは特に悪びれもせずに言う。
「狼男。という存在は信じていないけれども、でも少し恐いかな。まるで幽霊みたいな扱いね。まあ、奇っ怪なるものはそういうものなんだろうけれど」
見なければ、本当にいるとは信じられない。
信じられないからいないと同じ。
知らないものはいないと同じみたいに。
「とにかく、彼女は狼男にどれだけかは分からないけれど、恐怖心を覚えている。それは確か。そんな相手に『自分は狼男だ』と言って、受け入れてもらえると思う?」
「……う」
「おい、エマ」
ロッヅの目に涙が浮かんだ。
クロクが制止させようとしたが、エマは「でも」と続ける。
「それは今の状態ならの話」
「え……?」
「あんた、狛谷って子と仲良くなりたいんでしょ?」
「……うん」
「だったら、好感度をあげればいいのよ」
「好感度?」
「狼男の好感度を。ロッヅ自体の好感度を。正体を明かしても大丈夫なぐらいに」
ねえ、ロッヅ。
あんたには選択肢があるようで、ない。
戦うしか道はない。
あんたが好きな相手は、逃げた先にはいないから。
「もちろん、正体を隠してこれからも付き合うというのも、狛谷って子から、距離をとる。諦める。ということももちろんありよ」
でも、それを選べるのなら、ここで悩んでいないでしょう。
隠して生きていけるほど図太いのなら、ここで恐いと言われて泣いたりはしないでしょう。
「選ぶのはあんた。どうするか選ぶのはあんた。それで、どうするの?」
ロッヅは呆けたように口をぽかんと開けて、何度かまたたく。
つばを呑んで、ごしごしと腕で目と鼻を強くこすった。
エマの顔を見上げるその顔は、真っ赤になっていた。
「俺は、逃げない」
「そう言われるとなんか、私が貶されてるみたいでムカつく」
ロッヅの真っ直ぐな目に、エマは眉をさげながらも、口角をつりあげた。
と。そこで。
ようやくというかなんというか。
周りの目が驚きで固まっていることに気がついた。
エマは周りの様子を伺ってから、「あ、またこのパターンだ」と理解した。
いや、確かに自分らしくないことをしたことは理解している。
今までの自分だったらまず言わない。逃げるも戦うも選ぶこともせずに、中途半端にくすぶっていた自分がそんなことを言ったならば、お前が言うか。という意見がわーわーやってくるだろう。
それはエマ自身も理解している。だからこそ皆驚いているのだろう。そしてまた、からかわれて赤面して逃げだす流れなのだろう。分かっている。
もう既に顔は赤い。
恥ずかしくてたまらない。
逃げる準備はできている。
さあ、来い。なにか言ってきたらすぐに逃げてやる。
とまあ。
なんだか変なところで慣れてしまいはじめていたエマではあったけれども、しかし、クロクが呆けた顔で自分の顔をペタペタ触ってくるのは、さすがに想像できなかったらしく、真っ赤になっていた顔は静まり、ぱちり、ぱちり。とまばたきを繰り返した。
なんだろうか。この、壊れたディスプレイの側面を触っているような、そんな感じは。
「……お前、本当にエマか?」
そのセリフにはさすがにムカついた。
エマの太い尻尾が、クロクの腰に命中した。
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