ヴぁんぷちゃんと娘

 ロッヅが拳を握り、エマの尻尾の一撃でクロクが倒れ、キャラバンは大きく揺れた。

 その揺れに合わせるように、キャラバンの窓から中を覗くように張りついていたコウモリが、夜空へと飛び立った。空は汚れていないのか星の数は多い。月と星の光に照らされ、輪郭だけがどうにか見える程度のコウモリは、街の外れにあるキャラバンからほど近くにある山の方へと向かうと、山の中に降りていく。

 木々の間を抜けるようにして降下すると、そこには少し広めの空間があった。人の手が加えられている様子はなく、草は子供の腰ぐらいまでの高さまで伸びている。

 広場の端の方には何十回もなにかが通り過ぎたのか、丈の高い草が踏み潰されて道が出来ている。

 コウモリはそこに向けて移動すると、そこに立っている女の子の手の上に着地した。

 中指のない、白くて細い手の上だ。

 月の光で妖しく輝く銀色の髪をした少女。

 背丈は小さく、丈の高い草によって腰の辺りまで隠れている。真っ黒の、ゴスロリ基調のふりふりしてひらひらしたドレスを着た少女――ルーミア・セルヴィアソンは左手の人差し指の上に着地しているコウモリに顔を近づけて話しかける。


「お疲れ様。きちんと聞いてきた?」

 コウモリは返事をすることはなく、どろりと体を溶かした。

 それはそのままルーミアの中指に姿を変える。ルーミアは目を瞑ってから頷いた。


「ふうん。そういうことになったのね」

「そう言えばルーミアさん。そういうこともできたんだっけ」

 隣にいる針金細工のような体格の、不摂生の極みと言わんばかりの青年が、納得したように言った。ルーミアは目だけを動かして、隣にいる青年――不楽の顔をねめつけた。


「覚えていなかったの?」

「それで見たものも確認できるとは聞いていなかったから」

「このコウモリも私よ。私の一部が見たものだから、私自身が見てもなにもおかしくないでしょう?」

「なるほど」

 と、不楽は頷いてから。


「ロッヅが狛谷との話をからかわれてた時もこうやって見ていたのかな?」

 と言った。

 ルーミアの体がびくりと震える。


「外れ。するわけがないでしょう。そんな面倒なマネ」

「本当に?」

「本当よ」

「そうなんだ」

「そうよ」

 ふうん、と不楽は言った。本当だろうが嘘だろうがどっちでもいい。と言わんばかりであった。ヤケになって返したのがバカみたいだった。真っ赤になっていた顔を隠すように、ルーミアは俯いた。


「それで」

 と。不楽は言う。

「どうして森の中になんて来たの、ルーミアさん」

「用があるのよ。色々ね」

 ルーミアは自分の顔から火照りがひいているのを確認してから山の上の方を見上げた。不楽もそれに続いて見上げる。その視線の先には木々とその間を塗りつぶすような黒しか見えない。

 いや。

 それだけじゃあない。

 奥の方に、なにかがかすかに見える。

 あれは。

 祠……?

 背後から草をかき分ける音がした。

 振り向いてみると、そこにいたのは昼に入った店にいた店員の男であった。

 男自身、どうして自分がここにいるのかてんで見当がついていないようだったが、ルーミアの姿を見つけると安堵したようにほっと息を吐いた。

 男はこの草むらに来たのではなく、ルーミアがいるであろう方へとやってきた。ということなのだろう。

 不楽はルーミアの方を見ることなく。

「用って、あれ?」

 と尋ねた。

 ルーミアはかぶりを振る。


「あれは、用のために必要だから呼び寄せただけ。後はまあ、そろそろノドが乾いてきたから」

 ルーミアは口元を緩めると、男に向けて手招きをした。それに釣られるようにして、男はルーミアの元へと歩いて近づいてきた。その表情は蕩けていて、温い吐息が口から漏れている。


「しゃがんで」

 自分の目の前にやってきた男に、ルーミアはひどく凄惨に笑いながら地面を指さした。男は苦言のひとつを漏らすことなく、しゃがみこんだ。

 ルーミアの胸あたりに男の頭がある。


「これからなにをするか、分かる?」

 ルーミアが首を下げる。彼女の言葉が、男の髪を少しばかり揺らして、耳をくすぐる。男の体は震えた。首を傾げて、首筋を顕にする。ルーミアはふふ、と笑って男の首筋に向けて手を伸ばす。指が、首にはしる太い血管をなぞり、男の体は恍惚に震え、両眼がひっくり返りそうになる。血管にルーミアの爪がひっかかる。


「不楽。叩き潰して」


「了解」

 ルーミアの隣にいた不楽は

 握りしめた拳をハンマーのように振り下ろす。柔らかい地面が弾き飛ばされ、宙を舞う。


 ――ググッ。

 ――グゲゲッ。

 地面と拳の間。

 そこで二匹の獣が苦痛と苦悶を開いた口から漏らしながら潰されていた。

 狼である。

 その光芒はルーミアの方を睨んでいて、不楽によって潰されている頭をどうにか外そうと、体が何度も跳ねている。船の上にあげられた魚のように跳ねまわるが、逃げれそうにない。

 吸血鬼であるルーミアを取り押さえるために造られた不楽からは、そうそう簡単に抜けれない。


「え、え、え?」

 突然のことに驚く店員の男に、ルーミアは首とあごの間を指でなぞるようにしながら「少し待ってなさい」とだけ伝えて、狼の方に向かう。


「日本の狼はもう絶滅していたと思ってたんだけど」

「この街の守り神よ。祟り神でもある。この街に入ってきたとき、見たでしょう?」

「その時は血が足りていなかったから」

「そう言えばそうだったわね。今は大丈夫?」

「まあ、大丈夫じゃあないかな」

「そう」

「それで、これが守り神」

「こいつらはどっちでしょうね。街に害を与えるものを祟りにきたと考えるなら祟り神だし、守りに来たのなら守り神」

「どちらも一緒な気がするけど」

「守り神なら、そうね。彼が無事に家に帰るまで一緒にいてくれるわ」

 まあ、確かにこの状況じゃあ分かりはしないけど。とルーミアは言ってから二匹の狼の顔に手を添えた。


「まあ、どちらにせよ私に歯向かっているのは変わらない」

 グチッ、グチャリ。

 水気を含んだ硬いものが潰れた音がしてから、ルーミアと不楽は立ち上がる。その手は赤かった。


「残りはどうする?」

「歯向かってくる度胸があるのなら潰すわ」

 ルーミアと不楽のいる草むらの暗闇に、二つの光芒が浮かび上がっていた。

 その間がズレることはなく、一匹の生きものの両眼であると思われる。

 それが一つではなく、たくさん――木々の間の暗闇に浮かび上がっていた。

 ルーミアはそれをねめつける。


「狼とコウモリは吸血鬼の配下。コウモリの方はしっかりと自覚しているようだけれども、あなた達はどうかしら」

 暗闇に向けてルーミアが言う。

 全てを塗りつぶすような暗闇から返ってきたのはノドを震わしているような、低い唸り声だった。


「私の邪魔をするというのなら、そこの祠を壊すわよ。あなた達だってわずかながらに残っている信仰をなくしたくはないでしょう」

 それとも。私と戦争でもする?

 ルーミアは好戦的な笑みを浮かべる。

 低い唸り声はどこか逡巡しているようにも聞こえた。暗闇に光る光芒は姿を消した。


「全員倒してしまった方が早いんじゃあないかな」

「不可能よ」

 不楽の意見に、ルーミアは否定を口にする。


「彼らは一個体で一つの奇っ怪なるものではないの。あの群れ全てが一つの奇っ怪なるもの。潰しても、潰しても、幾らでも姿を見せてくるわ」

 潰すのなら、あの祠を壊してこの街にある信仰を破壊するぐらいしないとダメね。

 面倒すぎるわ。とルーミアは首を横に振った。

 不楽はふうん。とだけ頷いた。

 別に、そこまで鬱陶しいと思って言ったわけではないらしい。


「さて。釘はさせたことだし、今度こそ血をいただくことにしましょう」

 ルーミアは店員の男の方を向き直すと桜色の唇を小さな舌でぺろりと舐める。

 かすかに開いた口からは首に噛みつくための小さな牙が見える。

 それも彼女の舌は巻きつくように舐めた。

 男の頬に手を添えた。ゆっくりと首を傾げさせ、その首筋にルーミアは牙を突き刺した。

 男の口から吐息とともに声が漏れる。

 頬は紅潮し、目はイカれたようにぐりんと回った。

 ルーミアは安堵の息を噛みついたままして、突き刺した牙から漏れる血を、首筋を舐めるようにしながら舐めとった。

 ピチャリ。ピチャリ。という音が静かな草むらに流れる。

 男の体が青くなっていくにつれて、ルーミアの顔は艶かしく蕩けていく。

 目尻が下がるだけ下がり、まどろんでいる目は視線の方も下へとうつり、男の首筋よりも更に下――肩甲骨辺りに視線はうつった。

 男はTシャツを着ていた。体と服の間にはわずかながらの隙間があり、そこから肩甲骨の浮き上がりが見える。

 その肩甲骨の上に、なにやら紙片があった。

 意味があるとは到底思えない、でたらめに書きなぐったような文字が描かれている紙片。

 陰陽師の。

 『札』である。


「ッッ!?」

 嫌な気配が、毛穴が全て開いて、逆毛だってしまいそうな悪寒がした。

 スナイパーによって狙われているのだと分かってしまったときのような悪寒だ。

 ルーミアは男の首から牙を抜き、そこから離れるように、男の体を突き飛ばしながら自身も地面を蹴って後方へと跳んだ。

 砂塵と草が舞う。

 それを、なにかが消し飛ばした。

 『拒絶する結界』

 それが横向きに――横一文字にルーミアの体を両断するべく展開したのだ。

 果たして。

 『拒絶する結界』がルーミアの体を両断することはなかった。

 ルーミアの体は跳んで後方に逃げたため、宙に浮いている。

 なにもできない。

 動いたのは、不楽である。

 『拒絶する結界』が展開されたのだと、己の肌が焼かれ、消滅するように斬られたことに気づいた不楽は、すぐさま動きだした。

 不楽はこの『拒絶する結界』を得意とする陰陽師を知っている。

 その陰陽師と共に――道具として、ルーミアを殺そうとしていたのだから、それがどのようなものなのかも知っていた。

 『拒絶する結界』をつくるためには、最低でも三点を『札』によって囲う必要がある。その囲んだ部分に『拒絶する結界』が展開されるのだ。

 それを破るためには、『札』を破り捨てるか術者本人を倒せばいい。

 不楽は『拒絶する結界』を、まるで水の中を渡るかのように掻き分けて、ルーミアに突き飛ばされた男の元へと向かった。

 ルーミアがあの男を突き飛ばしてからこの結界は発生した。ともすると、あの男に『札』がついている可能性は高いと考えたのだ。

 男の体からは力というものが感じられなかった。だらり、と両腕を下げている。空気の動きに身を任せて、紙でつくられた人型みたいに落ちていく。

 死体であり、人形である不楽がそんな判断をするのは笑える話ではある。

 ともかく、男はすでに事切れている。

 もちろん、事切れていなくとも、不楽は同じ手を取っただろう。

 最速で、最短距離で、札を破壊する。

 ズムッ、と生々しい音がした。

 男の胸に、不楽の腕がめり込んだ音である。

 更に言えば突き抜けた音――背中にある札を掴んだ音である。

 男の体を貫いて札を掴み取った不楽は、そのまま引き抜くようにして、札を引き千切った。

 結界は消えた。

 男の体は地面に落ち、不楽は振り返る。ルーミアの体は結界に触れたところが焼けて消滅しているけれども、体へのダメージの方は殆どないようだった。

 服だけが横一文字に切り裂かれていて、へそのあたりが露出していた。白い肌が夜風に晒され、ルーミアは小さな体を震わせた。


「大丈夫、ルーミアさん」

「出てきなさい。陰陽師。私の服をこんなにした罪は重いわよ」

 不楽がそう尋ねるも、ルーミアはそれを気にも留めず森の暗がりに向けて言い放った。その言い方は既にどこにいるのかも分かりきっていると言いたげだった。

 吸血鬼は当然のことながら夜目がきく。

 木々の間を塗りつぶすような黒色の中から、白色が姿を現した。

 土御門が着ていた白装束と同じだ。やはりあれは、陰陽師の制服のようなものなのだろう。

 しかし、暗がりから姿を現した男の服は、どこか新品のように感じられた。

 いや違う。

 年季はある。しかしどこか、今までそんなに着ていないように見えるのだ。

 陰陽師はルーミアが吸血鬼であることを理解しているようで、その顔半分は覆面によって隠されている。紙一枚を貼りつけたような覆面だ。

 口元は歪んでいる。まるで、意味の分からないものでもみたかのように。


「死体を貫いて札を掴み取る……お前、今なにをしたのか理解しているのか?」

 お前。というのはどうやら不楽のことらしい。

 不楽は陰陽師の方を向いて、首を傾げる。


「なにをしたかって、今言った通りだよ。なにもおかしなことはしていない」

 その不楽の左腕はもちろんのことながら血まみれだった。彼の体には血は流れていない。だからこれは全て返り血である。

 手のひらと指はずぶずぶに焼け爛れていた。薬指はどうにか皮一枚でつながっているような状況だ。

 不楽にとって一番大事なのはルーミアである。

 つまり、自分の体も、死体も二の次なのである。

 こうなると気になる話ではある。

 ルーミアが死んだ場合。

 彼は一体どんな反応を示すのだろう。


「……ああ、お前が情報にあった裏切り者か」

「裏切ってはいないよ。主人が変わっただけだ」

「それを裏切ると言うんだよ」

「そうなの。ルーミアさん」

「まあ。そうね。裏切りね」

 ルーミアの中では裏切りと言えば、いまちょうど話している時にあった不楽の裏切りぐらいしか思いつくものはなく、なんというか、あまり自分から話したくはない話題ではあった。

 だからルーミアはすぐに話題を変えることにした。


「あなたがこの街の陰陽師?」

「ああ。その通りだ。それがどうかしたか?」

「いえ」

 ルーミアは陰陽師の頭から足先までをしっかりと見てから、口元に手を添えて、くすりと挑発的に笑う。


「その服を着るの、あまり慣れているように見えなくて。うっかりコスプレかなにかかと思っちゃったわ」

「この街での奇っ怪なるものの騒ぎは大体、そこの祠のやつらが片づけてしまうからな」

 陰陽師は忌々しげにルーミアの後ろをあごで指した。その方向に有る祠といえば、送り犬と迎え犬の祠のことだろう。

 確かにあの守り神と祟り神ならば、大抵のことなら解決してしまうだろう。そう、大抵のことなら。

 もちろん、吸血鬼とゾンビのコンビなんて、大抵のことには含まれない。


「まったく、忌々しくてたまらない。街の連中はあんな得体の知れないものに守られて気持ち悪いと思わないのか」

「陰陽師なんて胡散臭い連中とどっこいどっこいじゃあない?」

「お前は一々癇に障ることを言ってくるな」

「あなた達と仲良くなるつもりは更々ないしね」

「同感だ」

「気が合うわね」

 くすり。

 ルーミアが笑う度に、陰陽師の口元がピクリとはねる。

 土御門のときは口喧嘩で負けていた部分もあったからか、ルーミアの機嫌はいつもよりも良かった。

 機嫌がよくなったルーミアは、歌うように陰陽師に尋ねる。


「それで? 奇襲も失敗した今、これからどうするつもりなのかしら?」

「もちろん、退治するさ。街の人間を襲い、土御門の頭領を殺したお前を逃がすわけにはいかない」

「あれ、本当に偉かったのね」

「日本にいる陰陽師の頂点だよ。昔から延々と続く本家の血統だからね」

「ふうん。あれがねえ」

 まあ、実際。ルーミアをあそこまで――死ぬ一歩手前まで抑え込むことに成功したのは最近では彼ぐらいである。不楽の裏切りがなければ、ルーミアはきっと負けていただろうし。


「だが、今日のところは退却することにするよ。お前らが想像以上に人間をやめていることは分かったからな」

 元人間だと聞いていたが、人間の心も失ったか。と陰陽師は吐き捨てるように言った。

 そう言えば。

 いつの間に自分は吸血鬼としての自分に慣れてしまったのだろう。

 元は人間だったはずなのに。

 もうそんな時期があったことは忘れてしまったぐらい昔のことだったとしても、だ。


 ――まあ。

 ――人であった時間より吸血鬼でいる時間の方が長いんだけれど。

 そりゃあ吸血鬼よりの考えになる。

 人の血を吸うことにも抵抗はないし、それで死んでもなんにも思わない。

 むしろそれに文句を言われても困るというものだ。

 こちらにはこちらの。そちらにはそちらの。生き方はあるのだから。


「次は潰す。お前の心臓に杭を刺してやるよ――化物」

「知らないの。私は私のことを化物だという奴が大嫌いなの」

「知ってるよ。だから言ったのさ」

 陰陽師はしたり顔でそう言ってから、懐から紙片を取り出した。

 その取り出し方もどこかたどたどしく、やはり紙片もそこまで使ったことがないのだろう。

 ルーミアは追うのも面倒だし、男が去るのを冷めた眼で見据える。


「覚えておけ。お前の命はこの俺。狛谷こまたに十石じっこくが終わらせる」


 陰陽師の姿が大量の紙片に囲われ、それが消えると、陰陽師の姿も消えていた。

 だから。

 ルーミアの驚きに満ちたその人には見せられない表情は、不楽以外の誰にも見られることはなかった。

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