わんこは、こわい?

「悩んでるなあ、悩んでるなあ」

 ガツン。と机に頭突きをかましたロッヅを見て、クロクは口元を緩めた。

 緩めたというか、ひん曲げたというか。

 一つ目の団長の笑みとはまるで真逆な、けれども性質は似てなくはない笑みである。

 ロッヅと狛谷が昼食を取っているファミレスと、車道を挟んだ反対側にある喫茶店で、クロクたち一行はロッヅの動向を見守っていた。

 喫茶店の後ろには大きなビルが建っていて、今の時間、喫茶店は日陰になっていて少しだけ薄暗い。もう少し時間が経ったら電灯がつくかもしれない。

 クロクたちが座っているのは、車道側の、大きな窓がある席である。ここからならロッヅの様子もよく見える。

 逆を言えばロッヅからもクロクたちの姿が視えるということなのだが、ロッヅは目の前の狛谷と問題に躍起になっていて、こちらの存在には全く気付いていないようだった。


「ねえ」

 クロクの斜め前に座っているエマが、コーラが入っているコップを両手で掴んだまま声をかける。

 詳しい席順は廊下側からカラ・バークリー。エマ・サヘル。一つ目の団長。反対側の窓際にクロク・ドゥイ。不楽の順番になっている。

 ロッヅを見ていたクロクは、視線を外してエマの方を向く。気だるげで爬虫類のような目は野次馬根性に満ち溢れているクロクをゴミとして扱っているかのようだった。

 クロクの口元はひきつる。


「なんだ?」

「どうしてわざわざ別の店にしたの? 遠いし、車が通って見づらいし、声も聞こえないけど」

「ああ、それか」

 クロクは天井を見上げる。

 なにかを探すようにきょろきょろと視線を動かしていたクロクは、 探していたものを見つけたようで、天井のある一点を指さした。

 エマは指さされた方を見やる。

 そこにあったのは、天井に設置する型のクーラーだった。


「空調で風下とか風上とかがなくなるからな。ああいう店は。ロッヅの鼻をごまかせない」

「なるほどね。あいつ、鼻はいいもんね」

 ちびり、とエマはコーラを口に含む。

「でも、これじゃあ声も聞けないじゃん。どうするの?」

「ああ、それはな……ちょっと待ってろ。トイレ行ってからな」

「…………はやく行ってきたら」

「なんだよ、その汚物をみるような目は。排便は体の健康を保つために重要なことなんだぞ」

「人が飲み物飲んでるときに……」

 コーラをちびりと飲むエマに、クロクはひらひらと手を振りながら、を通り過ぎた。

 コーヒーカップを持ったまま固まっていた彼女は、ほっと息を吐いてからコーヒーを口に含んだ。


「その変装はむしろ目立つと思うぞ?」

「ゴフっ!?」

 むせた。

 鼻にまで侵入してきた。

 慌ててコーヒーカップを窓際のカウンター席に置き、咳き込みながら鼻からこぼれる鼻水をポケットから取りだした今さっき道端でもらったポケットティッシュで鼻をぬぐう。

 キッと、サングラス越しに背後にいるクロクを睨んだ。

 目線をそらしたクロクが、賭けに勝った男にような笑みを浮かべてそこに立っていた。 


「ちなみに聞いておくけどじょうちゃん。サングラス越しだとその目の効力はなくなったりはしないのか?」

「その程度でなくなるのなら、私はこいつに悩んだりはしてないわよ」

 じろり、と彼女――ルーミアが睨むと、クロクは顔ごと目をそらした。

 はあ、と息を吐く。


「よく私がここにいるって分かったわね」

 ぐもった声で、ルーミアはたずねる。

 クロクは口元をつりあげる。


「そうだな。いかにも仮装をしています。という小さな子供がずっと自分たちを追いかけているのだからそりゃあ分かるだろう」

 ルーミアはサングラスの奥にある目を、不機嫌そうにひそめた。

 ルーミアはサングラス以外にも大きめのマスクをつけていた。鼻からアゴまでを覆いつくすようなマスクだ。

 ツバの広い大きな帽子を被っていて、銀色の髪をすべて帽子の中につめこんでいる。服装はいつものゴスロリチックなドレスではなく、ロングスカートに、簡素な服を着ている。

 傍から見れば、彼女が一体誰なのかはさっぱり分からないが、逆を言えば、自分が誰なのかを隠していることはすぐ分かる服装であった。

 そして、そんな恰好で黒色の日傘をさして、後ろからついてくる子供がいれば、誰でも気づくし、なによりも目立つ。

 ルーミアは不機嫌そうに眉をひそめて、マスクを乱雑に外した。


「それでじょうちゃん。興味がないから眠っておくんじゃあなかったのか?」

「……寝てたわよ」

 ニヤニヤと笑うクロクに、ルーミアはぶっきらぼうに返す。


「ただ、思ったよりはやく目が覚めちゃってね」

「寝ると言ってから一時間半だな。はやいな」

 腕時計を見るような素振りをみせるクロクに、ルーミアの額に青筋が浮かぶ。


「それで、この街について調べようと思ってね。歩き回っているうちに疲れたから、この喫茶店に来たのよ。あなた達がここにいたのは偶然。たまたまよ」

「そうか。俺達の隣の席に座ったのもか?」

「偶然よ。ここに案内されたの」

「目の前のファミレスにはロッヅと狛谷がいるぞ」

「あら、本当。全く気づかなかったわ」

「はっはっは、目の前にいるのに気付かなかったなんてお前の目は節穴か?」

「興味がないだけよ」

 ルーミアはぷいっと顔をそむけた。

 唇を尖らせて、ぶっきらぼうに言う。


「それで、こっちにいたらロッヅたちの声が聞こえてこないんじゃあないの?」

「ああ、それなら問題はないぞ」

 ルーミアが後ろからついていてきて、話を聞いていることは知っていたクロクは、彼女の前に少し大きな機械を置いた。


「なにこれ」

「盗聴器」

「さらっと言う単語ではないわよね、それ」

 なんでもないように、言うクロク。ルーミアは呆れたように、息を吐く。


「ロッヅの服の中に盗聴器を隠しておいたんだよ。なあ、バークリー?」

 クロクが頭だけを動かして、カラたちの方を見た。カラは、にこやかな笑みで、ルーミアに向けて手を振っていた。いつもなら生首を持って手を振っていそうなものだから、魅了チャームの効果はまだ途切れていないようだった。


「ロッヅを着替えさせた時にさ、ついでに服の中に仕込んでおいたの」

「これなら、聞き逃すこともないだろ?」

「そう言えば、あの服あなた達が着せたのだっけね」

「そうそう。そういう訳だ。どうする、じょうちゃんも一緒に聞くか?」

「……まあ、休憩が終わるまでなら」

「あの二人のデートが終わるまでか」

「誰もあの二人についていくなんて言ってないでしょ!」

 ルーミアは思わず机を叩いて声を荒げてしまった。喫茶店でゆっくり休んでいた客の視線が一挙に集まる。ルーミアの小さな体は恥ずかしそうに更に小さく縮こまって、クロクはそそくさと自分の席に戻った。


「不楽、そこどいて。座れない」

 恥ずかしさから逃げるようにルーミアはクロクたち一行に合流した。

 両手に飲んでいたコーヒーとケーキを持ち、アゴで不楽にどくように指示をする。

 不楽は素直にクロクの方へと体をよせた。


「そのままそいつを押し潰して」

「分かった」

「分かるな分かるな。そして実践するないてえいてえ!!」

 体をよせる動きから自然な動きで押し潰しにかかってきた不楽に、クロクは声を荒げたが、不楽はそれをやめたりしないし、ルーミアはそのまま不楽の隣に腰かけた。

 だいの大人の絶叫をバックミュージックに、ルーミアはコーヒーを飲んでからじろりとクロクを睨む。


「不楽、うるさくて声が聞こえないから黙らせて」

「分かった」

「もしかしなくてもじょうちゃん、結構怒ってますかぶっ……」

 不楽がもう一度力強くクロクを押し潰すと、変な音がしたかと思うと、彼はそのまま机の上に倒れた。顔は真っ青になっていて、暫く起きそうになかった。

 ルーミアは、窓の外を見やる。ちょうどロッヅが狛谷に対してなにか言おうとしているようだった。


「ねえ、これはどうやったら声が聞こえるの?」

 ルーミアは盗聴器を指さしながら首を傾げる。

 盗聴器というものがどういうものであるかも、どういう仕組みであるのかも知っている彼女ではあるけれども、この機械の電源ボタンがどこにあるのかは分からない。

 賢いのだか抜けているのだか。

 たまによく分からない彼女である。

 カラは盗聴器の受信機を手に取ると、電源をつけた。

 ノイズがはしり、次第に音が鮮明になっていく。


「なあ」

 はじめに聞こえた声はロッヅの声だった。

 どこか不安げな、恐る恐るとした声である。

「狼男って、どう思う?」


***


 ロッヅのその、ある種ストレートな、しかし人によってはかき消されてしまったダイイングメッセージよりも意味不明な質問に対して、狛谷柴はといえば。


「へ?」

 と声をあげた。

 困惑しているのが声だけでも理解できるような声色だった。

 当然といえば当然な反応だった。

 もっと何段階か踏んでから話すべきな質問だったのに。

 やはりバカである。

「え、えっと……」

 どういうこと?

 と、狛谷は質問しようとした。

 どういうこと。と。

 そうして、急に、いきなり。そんなを聞いてくるの? と、尋ねそうになっていた狛谷であったが、ロッヅの表情をみて、それをやめる。

 ロッヅは真剣な表情をしていた。

 まるで自分のやりたいことを両親にうちあける子供のように真剣であり。同時にどこか怯えているようにもみえた。

 ふざけているわけではない。

 それだけは、すぐに分かった。


 ――質問自体はふざけているとしかいいようがないけどねえー。

 けれども、相手が本気であるのならば自分も本気で当たらなければならない。

 真剣な人には真剣に答えるべきだ。

 彼女はそういう性格だった。

 とはいえ、その質問の意味が理解できないのもまた事実だ。

 狛谷柴はクンストカメラがどんなところなのかは知らない。

 だから、ロッヅが狼男であることも、まだ知らない。


 ――なにかの比喩だろうか。

 ――いや、ロッヅくんにそんなことを考えることができる頭はない。

 ――ロッヅくんは、私が思っている以上に、考えている以上に素直で純粋で真っ直ぐなのだ。

 わりと酷いことを考えながら、狛谷は素直で純粋で真っ直ぐな彼の質問に対して、自分も素直に純粋で真っ直ぐな答えを返すべきなんだと理解した。

 読んでそのまま字のごとく、狼男についてどう思っているかを。

 その時、狛谷の脳裏をよぎったのは。

 つい最近のニュースのことだった。


「狼男?」

 狛谷が尋ねるように反復すると、ロッヅの肩がびくりと震えた。死刑宣告を待っているようなその反応に、狛谷は更に疑問を覚えたが、とりあえず今は自分の答えを言うのを先にするべきだと判断して口を開いた。


「それって、隣町にでたっていうあれ?」

「……へ?」

 ロッヅの顔が、明らかにキョトンとしていた。え、なにそれ。知らない。とでも言いたげであった。

 あれ、間違えたかな。と狛谷は思ったもののそれ以外に思いつかなかったから、話を続けた。


「知らない? 隣町の方で、狼男がでたってニュースになってるんだよ?」

「……知らない」

「とは言っても、本当の狼男ってわけじゃあないんだけどね」

 本物の狼男なんて。いるはずがないもの。

 狛谷は言った。

 ロッヅの表情は今まで以上に複雑な顔をしていた。


「隣町でね、人殺しが起きてるんだって」

 それは人殺しというよりは――人食い。なのかもしれないけれども。

 ある日。道端で人が死んでいた。

 ぶちぶちと引き裂かれて、引き千切られて死んでいた。

 それはあからさまに、明らかなまでに。

 食われた死体だった。


「ここでする話じゃあないかもねえ」

 狛谷には辺りの客を一瞥してから、申し訳なさそうに笑った。ロッヅはそんな彼女に、なにか言うでもなく呆然としていた。

 ボーっとしているというか。

 きょとんとしていた。

 え、なに。俺そんなの知らない。

 そんな話に進むなんて聞いてない。

 そんな心うちが前面にでているような表情だった。

 とはいえ、他人の心を人――しかも未成熟の子供に理解しろというのは無茶な話だ。

 狛谷は話を続ける。


「あそこは田舎だから。まあ、ここも充分に田舎なんだけどさ、あそこはもっと田舎。一面田んぼだらけ。近くに山がたくさんあるから、熊が人里に降りてきたんじゃあないかって話だったんだけど」

 だけど。

 と狛谷は続ける。

 食われた人間の死体を調べてみると、その体についている歯形は熊のものではなかったというのだ。

 さらに言えば、データのある動物の歯形、そのどれとも一致しなかったというのだ。

 似ている歯形はあった。

 人間と、狼。

 まさか新種の動物でも現れたのだろうか。その新種に、襲われたのではないだろうか。

 そんなバカげたことを言っているとき、人が襲われ、食われたところを目撃した。という人が現れた。

 数日間だんまりを決めていたとに、どうして今頃? 誰もが思ったが、どうやら目撃者本人が進んで話に来た。ということではないらしい。


「バカだと思われるかもしれないから」

 目撃者の彼女は言った。

 様子がおかしくて、周りから問いただされた末の自白だからか、まだ言う気満々ではない感じだった。

 いまもまだ、周りの顔を伺うようにしながら言うかどうか迷っているような――そんな感じである。

 仕方なし。しょうがなし。

 目撃者の彼女は口を開いた。


「食われているのを見たの」

「なにに」

「狼に」

「日本に狼はいない。絶滅した」

「狼みたいな人に」

「はあ?」

「人みたいな狼に」

 目撃者の彼女の一言に、周りの人は、首を傾げる。


「人の形をした狼――狼男がいた」


 その時はまだ、誰も信じていなかった。

 しかしその後、二人、三人と人が襲われた。

 そのすべてに、人と狼に似通った歯形がついていて、目撃者が口をそろえて『狼男が現れた』と証言するようになった。

 そのうちに、その街では『夜に外を歩いていると、狼男に襲われるよ』と言われるようになった。


「最近は狼男に襲われる人はめっきり減ったらしいんだけれども、恐い話だよねー」

「…………」

「ん?」

 呆然自失としているロッヅに、狛谷は不思議そうに首を傾げる。後ろで二つに結った三つ編みがさらりと動く。


「もしかして本当の話だと思ってる?」

「……っ!?」

 ウソの話だった!?

 そんな驚き半分喜び半分の、複雑な表情で顔を持ち上げるロッヅに、狛谷はにっこりと笑う。


「…………」

 ああ。

 そっちか。

 そっちが嘘か。


「でもまあそうだね。もし仮に狼男というのが本当にいるのだとしたら、この事件が本当に狼男のせいだとしたら、ちょっと、恐いかなぁ」

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