団長は露骨に顔を隠す
「はじめまして」
はじめは自分が話しかけられているということに気づいていなかった狛谷は声に反応することなく歩いていた。
しかし、再び話しかけられてどうやら自分が話かけられているらしい。と気づいたようだった。
振り返る。
そこにいたのは珍妙な人だった。
黒色の帽子を目深に被っている。
円柱型の丸い帽子だ。
確か、シルクハットというものだったはずだ。
服装は黒色のスーツ――燕尾服。
真っ昼間の街中を散策するには明らかに場違いな服装だった。
TPOをわきまえているように見えて、全然わきまえれていない。
シルクハットのつばに隠されて顔の半分は影になっていて見えなくて、唯一見える口元は人に好かれそうな笑みを浮かべている。
どこからどうみても不審者だった。
つい本能的に防犯ブザーを探してしまったけれど、さすがにあんな恥ずかしいものを常日頃持ち運べるほど、狛谷は子供ではなかった。
「えっと、どちらさまでしょうか?」
狛谷は恐る恐るたずねる。
いつでも逃げられるように、重心は後ろに移動させてある。
「狛谷柴さん。ですよね?」
シルクハットの男はそんな風に、少し自信なさげに聞いてきた。
狛谷は驚いたように眉をつりあげた。
シルクハットの男はゆるく口を曲げた。
「どうして私の名前を知っているんですか?」
「ロッヅから聞いたんですよ」
「ロッヅくんから? ってことは……」
「はい」
シルクハットの男は頭からシルクハットをとった。
自分の顔の前を通るようにしておろす。
「ロッヅがお世話になっています。私『クンストカメラ』の団長をしていますひ――」
「うおおおおおおおおおおっ!!」
と。
そこで。
突如視界の端から現れた影が、シルクハットの男の腰あたりに体当たりを喰らわせた。
影はかなり小さかった。
けれど、その体格差をものともせずにシルクハットの男を宙に線を残す勢いで、狛谷の視界から追いやった。
「……え、え、え?」
あまりの唐突なことに反応が遅れた狛谷は困惑の声を漏らす。
「なんで団長がいるんだよ!」
呆然と困惑の声をもらす狛谷の視界外で、聞き覚えのある声がした。
視線を、右下の方へ移動させる。
シルクハットの男は地面に倒れていて、その上に小さな影はまたがっていた。
つんとたった茶色い髪。
ロッヅ・セルストだ。
声を荒げているロッヅは、シルクハットの男の顔に、シルクハットを押しつけている。
その状態では顔を見ることができない。
「なんでって、そりゃあロッヅが迷惑かけただろうから謝りにだね」
シルクハットの男は――団長とか呼ばれていたような――シルクハットで顔をおさえられているからか、ぐもった声で返した。
「迷惑なんてかけてねえよ!」
「そんなわけがないだろう。ロッヅが人に迷惑をかけないなんてありえない話だ」
「…………」
言い返さなかった。
もしや自覚があるのだろうか。
ロッヅなのに。
「え、えっと」
狛谷はタイミングを見計らいながら、団長にまたがっているロッヅに話しかけた。
「やっほう、ロッヅくん」
「え、あ、やっほ……コマネチ」
「私はロシアのスケート選手じゃないよ」
国籍すら違う言い間違いに、狛谷は苦笑する。
ロッヅは肩で息をしていて、どこか焦っているようだった。
「私の名前は狛谷。こ、ま、た、に。分かった?」
「お、おう……」
ロッヅはあいまいに頷いた。
これは次も間違いそうだ。と、狛谷は楽しみを心に秘めた。
「それで」
狛谷は視線をおろす。
シルクハットで顔を覆われたままの団長が目に入った。
「この人は、ロッヅくんのいるサーカスの団長なんだよね?」
「そうだけど」
「じゃあ、上に乗っていたらダメだよ。目上の人なんだから」
「うぐ」
と。
もっともな注意をうけたロッヅはたじろいで慄いた。
その様子をみて、狛谷は不思議そうに眉をひそめた。
怒られたというのに、ロッヅは団長の上から降りようとしなかったからだ。
そこまで意固地になるような話には思えないし、そもそもロッヅ自体がそこまで意固地になるような性格ではないことは知っていたからだ。
だから不思議に感じつつも、狛谷はロッヅの顔を指さして「めっ」と言った。
さながら犬のしつけのような――実際その通りではあるけれど――指から逃げるようにロッヅは体を反らせて、しぶしぶと言った感じに団長の上から降りた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。こういうことには慣れてますから」
ハハハ、と笑いながら団長は立ちあがると、上半身を前のめりにしながらシルクハットにかかっていた砂をはらった。
その体勢は、狛谷から見てみると丁度良く団長の顔が影になっていて、よく見えなかった。
覗き込んだりはしなかった。
なんとなく、それは失礼な気がしたのだ。
礼儀正しい子なのである。
しかし、体当りされてまたがられることに慣れている生活というのは、中々どうしてエキセントリックだな、と狛谷は思った。
「それに、私も悪いですし」
「そうですか? ロッヅくんが悪い気がしますけど」
狛谷は、隣にいるロッヅを口元を曲げながら横目で睨んだ。
ロッヅは萎縮するように肩を縮こませてしまった。
団長は再び、ハハハと笑った。
狛谷が視線を戻した時にはシルクハットを目深に被り直していた。
あ、しまった。
また顔を見損なった。
いつになったらこの人の顔から影が消えるのだろう。
「私が子供の話に勝手に介入したのが悪いんですよ」
「む、私はそろそろ子供扱いされない歳になるんですけど」
「そんなことを言ってる間は、まだまだ子供ですよ」
狛谷は唇をとがらせて軽く文句をつけたりした。
団長も本気で言っているのではないと理解しているらしく、軽く返してきた。
「むう……あ、そうだ」
狛谷は唐突に思いだしたように呟いた。
ロッヅと団長はなにごとかと言わんばかりに狛谷の方を見た。
唐突に呟いたのにはもちろん、理由がある。
そうすれば、団長は自分の方に視線を向けて自然と顔が見えるはずだと考えたからだ。
別に顔を見るのにそこまで執着しているわけではないけれど、やはり顔の分からない相手に対して話すのは少しもどかしい。
しかし団長はうまく顔を隠していた。
もしかして、見せたくないのだろうか。
顔に火傷をしているとかで。
だったら、言外に顔が見えるように誘導するのは失礼かもしれない。やめておこう。
――あれ。
――でも最初は普通にシルクハットを外して顔を見せにきていたような……。
団長がうまく顔を隠すようになったのは、ロッヅの体当たりを受けてからだ。
それが理由だったりするのだろうか。
長々と考えていたら正解には辿りつけなくとも、おしいところまで迫ってきそうだったが、唐突に思いだすように呟いておきながら一向に話を始めないのはおかしなことだ。
狛谷は思考を一旦やめて、スカートのポケットから紙を一枚取り出した。
四枚折りにされた紙だ。
あ、とロッヅは声をあげた。
なぜなら狛谷がとりだしたその紙をロッヅは、一昨日とか昨日とかで見ていたからだ。何十枚も、配っていたからだ。
「団長さんがいるなら丁度いいや。サーカスについてなんですけど」
それはビラであった。
狛谷はそれを指さす。
団長は指さされた先を覗きこむ。やっぱり、顔をうまく隠している。自然に、慣れでやっているようにも思えた。
狛谷が指さしたのは、ビラに書いてあるサーカス開催時間の項だった。夜遅くに設定されている。
「ここ、夜しか書かれていないじゃあないですか」
「そうだね」
「昼とかにもやっていたりしないんですか?」
「ううん、ごめんね。夜しかやってないんだ」
「そうですか……」
狛谷は残念、と息をもらした。
ロッヅが『嫌な予感がする』とでも言いたげな表情で狛谷を見てきた。
狛谷は、その予感に応えるように――応えちゃいけないんだろうけど――言った。
「ごめんね、私の家門限があって。夜に外にでるのは無理なんだ……」
「そ、そっか……」
ロッヅはがっくりと肩を落とした。
露骨に、残念そうである。
なんだか悪いことをしてしまったかもしれない。
「ご、ごめんね。行きたかったんだけど」
狛谷はフォローするように――行きたかったという気持ちは本心だ――がっくりと肩を落としているロッヅに話しかけた。
ロッヅはいつもの元気とは裏腹に、雲のかかった太陽みたいに落ち込んでいた。
――どうしたらいいんだろう。
――どうしたら機嫌をなおしてもらえるんだろう。
狛谷は頭の中をぐるぐる回す。
機嫌をなおしてもらうには、まず彼がどうして落ち込んでいるのだろう。
そりゃあ、もちろん、せっかく招いた客の一人がこれなくなったら残念極まりないだろう。
サーカスというのは客ありきの場だし、楽しませようとしていた客が来ないというのは残念だし、単純に金が入ってこない。ということもある。
だったら、両親と一緒にサーカスに行くというのはどうだろう。
これなら、客も二人増えるし万々歳だろう。
名案だ。と思って、すぐにそれを否定する。
なんせ、彼女の父親はこういったサーカスなんてものが大嫌いな堅物オヤジだからだ。
このビラだって、見られないようにするのに苦労したものだ。
だったらどうしたものか。
――いや。
――そもそもの話。
――ロッヅくんは客が減ったから落ち込んでいるのだろうか。
もしかしたら、自分がこれなくなったから落ち込んでいるのではないだろうか。
なんだか思い上がっている推論ではあるけれど、客が減ったから落ち込んでいる。よりはロッヅらしい、と彼女は考える。
知り合いが来れない。というのをなによりも残念がりそうなのが、彼であることはこの数日で理解しているつもりだ。
――ふむ。
狛谷は心の中で腕を組んで頷いて、ロッヅの方を見た。
「じゃあ、こうしよう」
「ん?」
「サーカスに行けないから代わりに、今度どこかで遊ぼうか」
「んんんんんんんんんん!?」
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