わんこは勘違いしている
「と、いうことがあってね」
「団長、正座」
「はい……」
夜になった。
満月にはなりきれていない少しかけた月が暗い空に浮かんでいる。
数日のうちに満月が見れるだろう。
そんな月の頼りない光に照らされている、大型キャラバンとかキャンピングカーとか、そういう類の車の中。
車内は大きな部屋になっている。
カギが壊れていて、閉めることすら忘れられたドアが風にあおられてキイキイと音をだす。
冷たい風が入ってくる部屋の中、シルクハットをとって、髪のない頭部をさらしながら、一つ目の団長は
そんな彼の前で、蛇は腕を組んでいる。
細められている気怠げな目の周りは、まるで亀裂がはしっているみたいに鱗に覆われている。
黒目は縦長に細く、明らかに爬虫類のそれである。
エマ・サヘル。
ぶっとい蛇の尻尾になっている下半身で体を支え、毛布をどてらのようにはおっている。
彼女はいつもの気だるげな目とはうって変わって、冷ややかな目で、脂汗をにじませている一つ目の団長を見下ろしている。
「団長ってさ、ほんっとーーーーに空気読めないよね」
「おっしゃる通りで……」
冷え冷えとしたエマの言葉に、一つ目の団長はたらしていた頭を更に落とした。毛髪のない頭部が床につきそうな勢いだった。
「珍しいな、エマがロッヅの味方してるぞ」
「自分が同じような状況になった時、余計なお世話をされないように釘刺してるんだよ」
「え、そんな状況になることってあるのか?」
「お兄ちゃん、不順異性交遊は許しませんよ!」
クロクと偉が、エマと一つ目の団長を見ながらゲラゲラと笑っている。
エマがギロリ、と二人を睨む。
「うるさい、クロクと旭と偉!」
「え、なんで俺も怒られるの!?」
旭が理不尽に対して、もっともな反応をみせた。
しかしエマはまったく気にしない。
ふんす、と鼻をならす。
「団長はそのまま正座!」
「はい……」
うだつの上がらない団長であった。
エマは一つ目の団長から視線を外す。
探すまでもなく、ロッヅはいつもの場所に座っていた――つまり、部屋の端っこ、小道具の山がある場所である。
前のときのようにローリングしているのかと思われていたが、意外なことに落ち着いているようにもみえた。決まったことだから、肝がすわったのかもしれない。
四隅に積まれている小道具の山をガサゴソといじくっている。
「あ、あったあった」
ロッヅは小道具の山からボールを取りだした。
白いボールだ。
黄色いボールだと変幻する彼ではあるけれど、白いボールならば変幻しないらしい。
「なんだ。芸の練習でもするのか? お前にしては珍しい」
クロクはたずねる。
ロッヅはかぶりを振った。
「今度狛谷と遊ぶときに使うんだ」
「遊ぶ?」
「遊ぶ」
「ん?」
「ん?」
クロクはパチクリまたたく。
両腕を組んでうめく。
そして、片腕をぐんとあげた。
「集合、ロッヅ以外」
全員がクロクの号令によって無言で集まった。「以外」と言われたのにロッヅも集まっている。
「以外」の意味が分からないのか。それとも自分の名前が分からないのか。
さすがに前者であってほしい。
クロクはロッヅの背中側の首元をむんずと掴むと、キャラバンの外に放り投げた。
地面にしりもちをついたロッヅを一瞥して、クロクはドアを閉めた。鍵が壊れているから、小道具の山からガムテープを取りだすと、ドアノブを壁に固定した。
さっきロッヅが見つけていた白いボールを拾いあげると、不楽に手渡した。
「十五分ぐらい帰ってこれないぐらい遠くに投げろ」
「……分かった」
不楽は一瞬、ルーミアの方を見てから頷く。
彼の指令系統はルーミアと、彼女から『言うことを聞くように』と命令された一つ目の団長だけだ。
さながら砲丸投げの選手のように大きく体を捻って力をこめる。
たまった力を一気に解放するように、不楽は白いボールをぶん投げた。
窓ガラスがパリン、と軽い音をたてた。
「窓ガラスを割るなよ!?」
「きちんと説明しないからよ。キャラバンの一台を壊したの、不楽だって忘れていない?」
思わず声を荒げたクロクに、ルーミアは半目でたしなめるように返した。
ガラスの破片が床に落ちて、白いボールは空のかなたに消えていく。
同時にドアを叩いていた音が消えて、ドアの向こうにあった気配も消えた。
「犬ね」
「バカなんだよ。不楽、ガラスの破片、片づけておけよ」
「分かった」
クロクはどっかりと腰をおろす。
ぐるりと、周りに座っている団員の顔を一瞥する。
エマの隣でとぐろを巻いている大蛇のニナが舌を震わせる。
「さて、そのバカの発言だけれども、どう思うよ?」
「今度遊ぶってやつ?」
カラは両ひざの上に置いてある己の生首を両手で掴むと、傾げるような動作をさせる。
クロクは渋い表情でうなづく。
「あいつ、あの子のことが好きなんだよな」
「へえ、そうだったの」
「聞いてない設定はまだ続けてたのか」
「設定じゃあないわよ、あの時私はあの狼について調べていたんだから」
「ロッヅがあの子が好きだと確定したタイミングについては一言もいってないんだけどな」
「……私が知らないんだったら、そのタイミングしかないでしょ」
ルーミアはふいっと顔をそらしながら言い返した。
誰にも聞こえないような小さな声で、ポツリと『失念していたわ』と呟く。
白磁のような肌は、朱色に染まっていた。
クロクはニヤニヤと笑いながらルーミアを見ていたが、彼女がそのルビーのような瞳でキッと睨んできたから顔を逸らした。
この状態で
クロクはこほん、と咳ばらいをする。
「あの子の名前、なんて言ったっけ」
「確かさ、狛谷(こまたに)柴(しば)って名前だったはずだけど」
「ロッヅは狛谷っていう女子が好きだ。それは間違いないよな?」
全員が一様にうなづいた。
「そしてその好きな女の子と今度一緒に、恐らく二人っきりで、会う約束にこぎつけた。だから、ボールを用意する。なんかズレてないか?」
「確かに」
最初に反応をしめしたのはエマである。
大蛇のようにウロコで覆われた腕を伸ばして、アゴに手を添える。
「漫画でそんな展開見たことない」
「は?」
「ん?」
しばしの沈黙。
「~~っっっ!?」
クロクが何言ってんだこいつ、と言いたげに眉をしかめると、エマははっと頭をもたげて、自分の言ったことを思いだしてか喉から音をならした。
どうやら無意識の発言だったらしい。
「急にどうしたんだよ。どうして漫画がでてきたんだ?」
「な、なんでもないなんでもない!!」
クロクが尋ねると、エマは両手を前に突き出して首を何度も横に振った。
「ああ」
と、不楽が呟く。
嫌な予感がしたのだろうか。エマは首だけを動かして不楽のほうを見た。
不楽は一体どこから持ちだしたのか、漫画を持っていた。
表紙はピンク色で飾られていて、真ん中には軽いタッチで描かれたイケメンと少女が載っている。
いわゆる、少女漫画だった。
「これ、サヘルさんのだったんだ」
「――――っ!!」
声になっていない悲鳴が、エマの口からあふれた。
それに呼応するように、ニナが不楽に向かって飛びかかる。
ただの大蛇であり、決してツチノコではないニナが飛びかかるなんて、本来ならできるはずがないのだが。
ともかく、ニナはとびかかる。
不楽は半身を後ろに下げて、それをかわす。
その一瞬のスキをつくようにして、エマは不楽から漫画を奪い取った。
はらり、とどてらのように羽織っていた毛布が落ちることも気にしていないと言った感じであった。
傷がついていないか曲がったりしていないかを確認して、ホッと息をはく。
胸の内に抱え込むようにして、エマは全員を睨めつける。
しかしその目は、明らかに恥ずかしさのあまり泣くことを我慢しているそれだった。
クロクはニヤニヤと笑いながら、アゴを手でさする。
「ドSな彼ねえ」
「~~っっ!!」
エマの顔が一気に紅潮した。
ウロコの部分だけは、赤くなったりはしなかったけれど。
「よかった、エマも人並みにそういうことに興味がでる歳頃になってたんだね……」
「っ! 家出してやる!! また家出してやるっ!!」
一つ目の団長が――当然ながら純粋な好意で――ほろりと大きな目から涙をこぼす。
エマは両手をぶんぶんと振り回しながら、真っ赤になった顔を隠そうともせずにわめいた。目尻からは涙もあふれていた。
全員がゲラゲラと笑う。
カラだけは、注目を浴びているエマに少しだけ嫉妬していた。
もちろん不楽は笑っていなかった。少し遅れて笑った。
「もうっ!」
エマは鼻をならして、蛇の下半身を横向きに折りたたむようにして、床の上に乱雑に腰をおろした。
顔の赤みはまだ抜けていない。
「つまりロッヅは好きの意味合いを取り違えているってことでしょ!?」
「ああ、そういうことだな」
ククク、と笑いながらクロクは同意する。
もうちょっといじってもよかったのだが、それだと話が進まない。
「取り違えている?」
偉は首をかしげる。
「例えば、さ」
旭は言う。
「子供の頃、偉は近所のお姉さんのことが好きだったよね?」
「どうして知ってる!?」
「そりゃあ、同じ体を共有してるからね。嫌でも分かるさ」
「うわあ、マジかよ。恥ずかしいなあ」
「それで、今、その初恋を思いだしてどう思う、偉?」
「どう思うって……」
偉は旭の腕と肩を組むようにしていた内側の手を解いて、考え込むように両腕を組む。久しぶりに組んだからか、なんだかバランスが悪そうだった。
「思いだしてみると、そんな好きだった感じがしないな」
「だろう?」
「まあ、顔も思いだせないぐらいの昔だからな。気持ちも薄らぐもんだろ」
「薄らいだんじゃあなくて、元々薄かったんだよ、偉」
「ん、どういうことだ。旭」
「子供のころは、好きと好きの区別がつかないからね」
好きと好き。
LikeとLove。
親愛と友愛。
似ているようで明らかに違う二つの感情の履き違え──混雑。
子供の頃、誰しもが体験する淡い思い出。
「じゃあ、つまり、ロッヅは好きと好きを履き違えてるってことか?」
「履き違えてはいる。けど、ちょい違うな」
クロクはなんだか面白そうに笑いながら言う。
子供の恋愛話ほど、面白いものはない。とでも言いたげだった。
「普通は、友愛を親愛と勘違いする。けど、あいつの場合は逆だな」
友愛を親愛――ではなく。
親愛を友愛──である。
つまり、『異性として好き』を『知り合いとして好き』と認識している。
「だからあいつ、せっかくのデートなのに、まるで『土日に近所の姉さんと遊びに行く』みたいな行動をとった訳か」
偉が納得した風に頷く。
「じゃあ、俺たちはどうすりゃいいんだ? それを教えてやればいいのか?」
「教えなくていいだろ。逆に混乱するだろうし」
だからロッヅを追い出したんだ。とクロクは言う。
「あいつが聞かなきゃいけないのは、この先の話だ」
と。
クロクが言うと。
ガチャリ、とドアが開いた。
振り向いてみると、そこには白いボールを手に持って、肩で息をしているロッヅがいた。
クロクは部屋にある時計を見る。
ボールを投げた時から、ちょうど十五分だった。
「……正確だなあ」
不楽をちらっと見てから、クロクは口元をひくつかせた。
「どうしてボールを投げるんだよ! なくなったらどうするんだ!」
「大丈夫だよ、どうせ使う機会はないからさ」
ロッヅは床を強く踏みながらクロクに詰め寄ると、ボールを彼に突きつけた。どうやらボールを投げたのはクロクだと思っているらしかった。
普通の人間であるクロクにはあんなに遠くにボールを投げれる膂力はないし、室内でボールを投げて窓ガラスを割るなんて非常識なことはしない。
いや、そんな非常識なことをしろとは言ったけれど。それでも、窓ガラスを割れとは一言も言っていない。
クロクは突きつけられたボールを奪うと、小道具の山がある方に移動して白いボールを片づけた。
ガサゴソと小道具の山を漁る。目的のものを見つけたのか、あったあったと呟く。
「お前がこれから使うとするなら、こっちだろ」
クロクは小道具の山から取りだしたものを、ロッヅによく見えるように手のひらの上にのせて見せた。
そこにあったのは、ボールだった。
ただし、白くない。
黄色い──まるで、月のようなボールだった。
ロッヅの目が見開く。
黒目が縦に細くなる。
ざわざわとつんと立った散切り頭の茶色の髪がざわめく。
それに呼応するように彼の体は麦のような体毛に覆われる。
体が自然と前屈姿勢になり、腕と足が細く伸びる。爪が伸び、歯がすり潰すものから切り裂くものへと変わる。
頭の上に三角の耳が生え、尻に長い尻尾が生える。
バカっぽい小さな少年の姿はなくなっていた。
そこには、一匹の狼がいた。
ハルルルルルル……。
狼はクロクの顔を見やる。
狼のノドに人間の言葉を話す機能はない。けれど、なにを言っているのかはクロクにもなんとなく理解できた。
クロクは黄色いボールを両手で弄びながら、狼の姿になったロッヅに尋ねる。
言葉を話せずとも、言っていることの理解はできるだろう。まさか、そこまでバカではあるまい。
「ロッヅ、どうするんだ」
クロクの口調は、さっきまで人をからかっていた人間とは思えないほど、真剣そのものであった。
「その姿、彼女に見せるのか。見せないのか?」
狼は目を見開いた。
窓ガラスのなくなった窓から、少しかけた月の光がキャラバンの中に侵入してきて、狼の麦のような体毛をなでた。
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