ヴぁんぷちゃんは格差を感じる

 生首の中にある血液を飲めるだけ飲んで、満腹まではいかないものの、腹をふくらませる事は出来たルーミアは、そこでようやく、自分が格下に餌付けされた事実に気づいて、憤慨したりした。

 ゾンビからすると、いきなり泣きだしたり怒りだしたり変なやつだと思っているだろうなとルーミアは沸騰しつつある頭で考えたりしていたのだが、不思議なことにゾンビは自分に対して優しい笑みを浮かべるだけで、特に文句を言ってきたりしなかった。

 それが余裕ぶっているようで、更に腹立たしかったりしたのだが、もうルーミアには泣く気力も怒る気力もなく、ひとしきり怒りをぶちまけた所で、そんな彼に。

「帰る」

 とだけぶっきらぼうに伝えてから、帰ろうとしたら。

「じゃあ送っていくよ」

 と言って、ゾンビはついてきたのだった。

 正直言って敗者の惨めな敗走に勝者が付き添ってくんな、と思ったものの、ここで文句を言うのもなんだか惨めだったのでついてきてもらう事にした。

 こうして二人は月夜の元で、仲良く(?)並んで帰路についていた。

「……絶対誰にも言いふらさないでよね」

「なにを?」

 視線をアスファルトの地面に落としながらルーミアが小声で言うと、ゾンビは何気なく首を傾げた。本当になんの事なのか分かっていないらしい。

 ルーミアはぐぬぬ、と赤い唇を噛みしめながら、自分の恥辱を思い出しながら言う。

「……わ、私が泣いたこと」

「言わないよ」

「本当でしょうね?」

 ルーミアは泣きじゃくったせいで目元が少し腫れぼったくなっている目で、笑っているゾンビを睨みつける。

 ゾンビはくまが少し目立つ目を細めながら頷いた。

 信じきれなかったルーミアではあったが、ここで更に文句を言っても更に虚しいので、話の話題を変えることにした。

「そういえば、あなた名前はなんていうの?」

「名前?」

「そう、名前。私だけ名乗っているのもなんだかしゃくだし」

「うーん……」

 たかが名前を名乗るだけ。それなのにゾンビは両手を組んで唸った。

 名乗るほどのものでもない、とでも言う気かしら? と、ルーミアが適当に考えているとゾンビは、さっきまでと変わらない笑みを浮かべたまま。

「ごめん、分からないんだ」

 と、言った。

 ルーミアは眉をひそめる。

「分からない?」

 ルーミアが訝しむように言うと、ゾンビは「そう」と言いながら、ルーミアよりも一歩先を進んだ。

 彼女からは彼の表情は見えない。

「もちろんゾンビになる前は名前はあったのだとは思うけれど、けどゾンビになった時の副作用かな。思いだせないんだ」

「ふうん……」

 ルーミアはその事態については知っていた。

 別に血液がないことに対して狼狽はしたものの、ゾンビに対して詳しくない。と言った覚えはない。

 別にゾンビは『死んだ人間を生き返らせる』ものではない。

 正確に言えば、死体を動けるようにする。が正解であり、ゾンビはあくまでも傀儡くぐつであり、傀儡かいらいであり、操り人形に過ぎない。


 一応、彼のように自我があるゾンビを四世紀生きてきた彼女は何回か見たことがあるのだが、あくまでも『ゾンビ』に自我がある。という感じで、生前の面影は一切と言ってもいいほど無かった。

 泥人間スワンプマンではないのだ。だから彼が名前を思いだせないというのもまあ、納得のいく話ではあった。

「じゃああなたは、ゾンビになる前の自分をまったく覚えていないのね」

「まったく覚えてないよ」

「……それって、どういう気分なの?」

「困ったことは今までないし、特に気にしたことはないね」

「そう」

 実際、そこまで名前に興味がなかったルーミアは適当に返事をすると、曲がり角を左に曲がった。

「私の家、もうすぐそこだから、もう付き添いは結構よ」

「わかった、気をつけて帰るんだよ」

 先を進んでいたゾンビを追い抜くと、彼は嫌味のない笑顔を浮かべて、手を振りながらルーミアを見送った――と思ったら、彼女の後を普通についてきた。

「ちょっと」

 ルーミアはくるり、と体を半回転させる。

 フリルとレースがふんだんにあしらわれた黒色のスカートが、こらに合わせてふわりと舞う。

「ついてこないでくれる?」

「ついてこないで。と言われても、僕の家もこの先なんだけど」

 ゾンビは笑いながら、丁度ルーミアの家がある方向を指差した。

 どうも二人の家は意外と近くにあるらしい。その事実にルーミアは戦慄する。

 なぜならルーミアにとって、自分が住んでいる場所というのは、絶対に隠しておきたい場所なのだから。


***


 見上げると、月と星がきらめく夜空が見えるはずなのに、この場所は乱立する建物によって遮られてしまっている。

 街全体の中で、一、二を争う高層建築物が乱立する地帯。

 十階建て以上なのは当たり前。

 二十階建てや、果ては三十階建ての、一ヶ月住んだら平均年収全部吹っ飛んでしまいそうな高級マンションもちらほらとみえるその地域に――ひっそりとルーミアが住む『コーポディオダディ』がある。

 築四十年ちょっとの二階建てのボロアパートで、日照権なんて無かったと言わんばかりに、四方八方をビルに囲まれていて、日中でも薄暗く、なんだかジメジメしている。

「うわあ」

「……なによ」

「いや、ちょっとイメージしてたのと違うかなーって」

「これはこれで優良物件だったりするのよ? 日の光はほとんどこないし、人目もあまりよりつかないし」

 明らかな言い訳というか、負け惜しみを口にしながらゾンビを横目で睨んだ。

 ――一体私は、どれだけの弱みをこいつに見せないといけないのだろう。

 空腹に耐えきれず泣いてしまった事にも飽き足らず、こんなボロアパートに住んでいることまでバレてしまうだなんて。

 全く、殺せるのなら殺してしまいたい。

 まあもう死んでいるのだから殺せはしないのだけど。

「それじゃあ、今度こそさよならね」

 心の中で沸々と沸きあがる殺意を隠しながら、ルーミアはお礼をいった。

「どういたしまして」

 そんなゾンビの返事を背に、ルーミアは雑草がボーボーに生えている庭を抜けて、郵便受けの中身を確認してから、サビだらけの鉄製の階段を、スカートの裾を少しだけ持ち上げながら二階にあがった。

 そして、自分の部屋の鍵を開けると、ふと、さっきまで自分がいた所を見た。

 ゾンビはまだそこに立っていた。

 彼はルーミアの視線に気づくと口元を緩めて、手を小さく振った。

「……ふん」

 ルーミアは小さく鼻を鳴らしてから、自分の部屋に入った。

 部屋の中は当然だが、真っ暗だった。

 夜目のきく吸血鬼にとって、暗闇は特に苦でもなんでもないが、一応電気をつけた。

 電灯は何度か点滅してから部屋全体を明るく照らす。

 六畳一間の畳部屋で、部屋の中には必要最低限の物さえ置かれていない。

 片付いている――というよりは、片付ける物がない。そんな感じの部屋だ。

「まったく、ヒドい辱めを受けたわ」

 軽く怒気が含まれている独り言を吐き捨てながら、ルーミアはその小柄な身を包んでいた黒いゴスロリ風のドレスを脱いで、部屋着であるワンピース風のキャミソールに着替えた。

「シワとかよってないかしら?」

 一着しか持っていないドレスについたシワを伸ばしてからハンガーにかける、薄手のワンピース風のキャミソールを着ている、四世紀生きてきた『百識の吸血鬼』。

 なんというか、中々どうして惨めというか、同情を誘うようなもの寂しい状態のルーミアは、鼻歌を歌いながら、窓の上にあるレールにハンガーをひっかけて――窓の外にゾンビがいることに気がついた。

 ゾンビはルーミアの視線に気づいていないようで、さっきまでと変わらない貼り付いた笑みのまま、ルーミアが住んでいるアパートの後ろにあるマンションに入っていった。

 一ヶ月分の家賃で、ルーミアが住んでいるアパートに三年ぐらいは住めそうなアパートだ。

 オートロック完備で、風呂もある。部屋の大きさは、ルーミアが住んでいる部屋のおおよそ五倍ぐらいだっただろうか?

 地下は数百台の車を止められる広い駐車場があり、高級車が並んでいる。どうしてかワインセラーなんていうものがあったり、トレーニングルームもあったり、マンション専属のコンシェルジュがいるらしい、至れり尽くせりな場所だったと記憶している。

 片やルーミアの部屋はというと――色あせた畳が敷き詰められた六畳一間。暖房冷房なし。風呂なし。トイレは共同。壁の薄さはちょっと力をこめて叩いたら穴が空く程度。

 もちろん地下なんてものもなく、柱は触れただけでミシッと音をたてる。

 負けた。

 住んでいる場所でも負けた。

「――っ! もう寝るっ!」

 赤い瞳に涙をにじませ、長いまつげを濡らしながら、ルーミアは唇を強く噛み締めながら、万年床になりつつある布団の中に体を滑り込ませた。

「……ぐすん」

 少し膨らんでいるところから微かに聞こえたそんな泣き声は、明るくなりはじめた空に溶けるように、消えていった。

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