ヴぁんぷちゃんは泣きじゃくる

 銀髪の少女――ルーミア・セルヴィアソンは吸血鬼である。

 四世紀ほど前、『始祖』と名乗る吸血鬼に血を吸われて以来、彼女は太陽の下を歩くことができなくなってしまった。

 ただそれに対しては、彼女はあまり不便だと思ったことはなかった。

 確かに一日の約半分の行動を制限されてしまうのはいささか窮屈ではあったけれど、一世紀もしないうちに慣れてしまった。

 太陽の光を浴びないようにすればいい――インドアな生活を送ればいい。

 言ってしまえばたったそれぐらいなのだから。

 インドアな生活。その中でルーミアは読書を趣味とすることにした。

 幸いにも居住地に決めた山奥の古城には書房があった。

 だから彼女は四世紀もの途方のない時間を読書に費やした。

 書房にあった古い書物を何度も、何度も読み漁り読みふけた。

 古い書物には自分たち奇っ怪なるものたちについての本もあった。

 そうして生きているうちに、彼女は誰よりも自分たちのような奇っ怪なるもの――人外について詳しくなっていた。

 その特徴や、長所短所。弱点に至るまで知り尽くしていた。

 それこそ、奇っ怪なるものを退治することを生業とし、その生態の専門家でもある退魔師たちよりも。

 知識量だけなら、他の追随を許さない賢い吸血鬼がいると噂され続け、いつしか彼女は『百識の吸血鬼』なんてあだ名がつけられたりした。

 百識の吸血鬼。

 なんだか百獣の王みたいでカッコいいと、ルーミアはそのあだ名が気に入っている。

 人の前に姿を表す時には自分からそれを名乗りあげたりもしたほどだ。

 彼女にとって、その知識量は自慢であり、誇りだった。


 ――なに、どういうこと?

 だからこそ。

 充分以上の知識を蓄えている彼女だからこそ、知らないことにでくわすと、とことん弱かった。


 ――血が通っていないのに、生きてる? そんな事ってありえるの?

 血管があるのに、血は流れていない。

 淡々と少年が言うその事実に、ルーミアは更に混乱する。


 『血の通っていない生き物』

 そんなものは彼女の知識にはなく、彼女のプライドは大きく傷つけられた。

 もしかしたらそれは少年の嘘なのかもしれない。

 最初はそう考えたりもしたものの、しかし血管に血が流れていないという事実は、ルーミアが噛みつくことによって実証されている。


 嘘ではない。

 だけど信じられない。

 自分が知らないことがあることが――信じられない。認めたくない。

 そんな妙に高いプライドのせいか、ルーミアは首筋からその牙を離そうとしなかった。

 しかし、何回吸いついても、血が口内に溢れることはない。

 それがどうも、少年からみると『お腹が空いていてがっついている』ようにしか見えなかったようで。

「僕はね、食屍鬼ゾンビなんだ」

 と名乗り上げた。


 食屍鬼ゾンビ

 昔は魔術師が呪いや黒魔術によってつくりだして操り人形に過ぎなった。

 本体というかメインはあくまでも魔術師であり、ゾンビはそれを引き立てる脇役に過ぎなかった。

 しかしどうしてか近年になると主役としての扱いを受けることも多くなってきた、吸血鬼と同じく奇っ怪なるものの一種である。

 その最大の特徴は『噛んだ相手を同じようにゾンビにしてしまう』というものがある。

 まるで吸血鬼だ。

 一度死んでいたり、半永久的に生きられたり、どこか吸血鬼とゾンビには共通点は多い。

 だからルーミアはゾンビのことを『吸血鬼のなりそこない』『吸血鬼の下位互換』と認識している。

 なるほどゾンビ。

 動く死体。

 生きていないのなら、確かに血液も必要ではない。

 流れていないのも、納得はできる。

 納得はできた――のだが。


 ――教えられた?

 ――ゾンビごときに、教えられた?

 下位互換に、なり損ないに、出来損ないに。

 哀れまれて、かわいそうだと思われて、教えられてしまった。

 格下に、下に見られてしまった。

 それはプライド高くて格調高い彼女のプライドをざくざくと傷つけていく。


「僕はゾンビなんだ」

 ゾンビは言う。

「だから――というわけではないんだけど、僕の体には血液は通っていないんだ。だからお腹空いてるんだとしたら、ごめんね」


「――――ッッッ!?!?」

 もちろんゾンビには悪意はない。

 悪意とか害意とかそんなものはなにも感じれなかった。

 きっと素直に、申し訳ないと思って謝ったのだろう。

 ただ。

 お腹が空いていて、なんとか食料を見つけたはいいが、なんとその食料には中身がなかったのだ! なんていう残念感と失敗の羞恥心が心中で渦巻いている吸血鬼にとってはそれは悪気でしかなかった。

 プライドがズタズタになっている彼女にとって、悪意だし害意でしかなかった。

 彼は彼女を、哀れんだ。

 格下に、哀れだと思われた。

 それは、彼女に微かながら残っていたプライドをぽっきりと折るには充分すぎた。

「……ひっく」

「え?」

 心がポッキリと折れた彼女は、歳不相応に、しかし見た目相応に――泣きだした。


「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーん!!!!」


「え?」

 ゾンビの首筋に噛みついたまま、ルーミアは堰がきれたように、そのルビーのような赤い瞳から大粒の涙を流した。


「ひどいよおぉ! やっとお腹が一杯になると思ってたのにいぃぃぃ!!」


「あの、その、ご、ごめん。落ち着いて泣かないで、ね?」

 びえええん! とまるで壊れた蛇口のように溢れでる涙に、ゾンビのよれよれのTシャツはびしょびしょになる。

 ゾンビはとりあえず泣きじゃくるルーミアの脇に手を通す。

 持ち上げて、首筋から口を離させた。

 首筋からは一筋さえ、血は流れない。

「すっ……ぐすっ……」

 ルーミアは今自分が置かれている状況を涙で歪んだ視界で確認する。

 期せずして『たかいたかーい』しているような状況になっていた。

 しきりにまばたきを繰り返す。


「子供あづがい゛ずるな゛あぁぁぁ!!」

「わあっ、ごめんごめん」

 ゾンビは平謝りをしながらルーミアをゆっくりおろした。

 しかしおろされたところで、彼女の折れてしまったプライドとか保とうとした威厳とかが回復するわけでもなく。

 ぐすぐすと泣きながらルーミアは地面にへたりこんでしまった。

 スカートに土汚れがつくことも、気にしたりできなかった。


「えっと、どうするべきかなこれは」

 ゾンビは大きく体ごと曲げて首を傾げる。

 どうしたらいいかさっぱりと分からない。と体全身で語っているようだった。

「……あ、そうだ」

 もはや自分がどうして泣いているのかも分からなくなり始めたころ、濡れている視界の中で、ゾンビは自分が持っていたビニール袋に視線を落とした。


「えっと、ルーミアちゃん、だよね?」

 いまだ泣きやむ様子が見られない、地面にへたり込んだまま泣き続けるルーミアの視線に合わせて、ゾンビはしゃがみ込む。


「これとか、食べる?」

 そして、持っていたビニール袋の口を開いた。

 中に入っていたのは出来立てホヤホヤ、新鮮そのものの――生首だった。

 食屍鬼。

 人を襲い、人を食べる。

 それは昔の呪術的観点から見るゾンビも、今のパンデミックな科学的視点から見るゾンビも同じである。

 首とはいえ、彼女が欲してる血はちゃんとある。

 さっき殺したばかりだから、鮮度も落ちていないはずだ。

「これで機嫌なおしてくれる?」

 ゾンビは袋ごとそれをルーミアに差しだした。

 献上した。

 ルーミアは差しだされたビニール袋の中からする血の匂いに気づいたようで、すんすんと、泣きじゃくって赤くなってしまった鼻を動かす。

 そして涙を流すのをやめると、さっきまでより更に赤くなった瞳で、ビニール袋の中を覗き込み、それが生首だと気づくと、ゾンビから奪い取った。

 彼女は生首を自分の体で隠すようにしながら、ゾンビを赤い瞳で睨む。

「取らないよ、あげるからゆっくりと食べるんだよ」

 ルーミアは少し慌てながら、生首を両手で掴むと、その首の部分からたらり、と垂れているゴムのチューブのような物を咥えた。


 ごくり、ごくり、とのどから音がして、ルーミアの表情はどんどん緩んでいく。


 それを見て――年端二桁にも達してなさそうな女の子が、女性の生首を両手で抱えるように持ちながら血を啜っているという、誰がどう見ても猟奇的な光景を見ながら、ゾンビは至って普通に笑った。


***


 満月がとても綺麗な月夜。

 その満面の月の下で、共に闇の世界の住人である吸血鬼ヴァンパイア食屍鬼ゾンビの――実に奇っ怪で、怪奇的なふたりは出会ったのだった。

 これは二人の物語。

 奇奇怪怪な人外たちの、ボーイミーツガールな物語。

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