ヴぁんぷちゃんは、主役ではなく

「まったく、手が壊れるまで強く握るなんて、あなた、力加減とかむしろ得意な方じゃあなかったかしら?」

「あはは」

 乾いた、無味無臭の笑い声が、夜の街に響く。

 長身痩躯の血色悪い男が右手をだらんと垂らしながら歩いていて、ゴスロリチックなドレスを着た銀髪赤眼の童女が男の手を掴みながら、呆れたようにため息をついている。


 手を繋いで一緒に帰っているカップル。のように見えなくはないが、歳の差が離れているし、なにより、男の手がまるで万力で潰したようにぐしゃぐしゃになっていることと、それを掴んでいる童女の手は大きく引き裂かれていて、血がだくだくと流れている様子は、甘酸っぱいものとはあまりにもかけ離れていた。


 男――不楽の右手は、さきの狛谷十石の襲撃のときに壊れていた。

 鉈が手のひらを貫通して、指が全て、通常とは違う方向を向いている。人差し指と中指は鉈の刃で深々と切れて、皮だけでぷらーんと繋がっている状態だ。血が流れていないからか、白い骨と肉がよく観察できて、逆に生々しい。

 童女――ルーミアは手のひらから溢れる血を、その人差し指と中指の間に塗りたくるように指を這わせる。

 暫くすると不楽の指はくっつき、変な方向を向いてぐしゃぐしゃに潰れた指は正しく綺麗に揃った。

 治った手を眺めながら、不楽はにぎにぎと手を握る。


「うん、治った」

「そりゃあ、私の血さえつければ、なんでも治るわよ」

 首を引き千切られた死体すら生き返らせることすらできるんだから、ぐちゃぐちゃになった手のひらを直す(誤字ではない)程度、造作もないことではある。

 切り裂いた手のひらをなめながら、ルーミアは目の前を歩く狼をちらりと見た。


 送り犬。

 人を家まで送り届ける妖怪であり、この辺りでは“迎え犬”と共に祟り神・守り神として信仰されているらしいそれは、まるで迷う素振りひとつ見せることなく、しっかりとした足取りで、歩き続けている。

 家まで安全に送り届ける妖怪であるのなら、送り届ける途中で攫われてしまった狛谷柴の居場所も分かっているのではないか。という考えだったが、どうやらうまくいったようだった。


「遅い、遅い。まだか、まだか……!」

 しかしどうやら、狛谷十石にとっては、そのゆっくりとした動きが、もどかしいようで、腕を組みながら指で自分の二の腕をとんとんと叩いている。


「まあまあ、居場所が分からないまま、闇雲に探し回るよりは確実ですし、早いじゃあないですか」

 隣を歩く一つ目の団長が、大きな目を眉で押し潰すようにしながら、宥めるように言った。

 結局のところ、狛谷柴救出作戦には、この四人で行くことになった。

 全員で行っても、問題はなかったかもしれないが、相手が何者なのかいまいち分かっていない状態で、全員を連れていくのはいかんせん、危険ではないか。と判断したからだ。

 ルーミアと不楽。

 それと、一つ目の団長と狛谷十石。

 この四人で向かうことになった。

 一つ目の団長はいつも通り、燕尾服とシルクハット。

 狛谷十石は、それが陰陽師の正装なのか、白装束に袴。それに、腰に日本刀を差している。


「焦る気持ちは分かりますよ。私だって、ロッヅのことが心配ですし」

「あの子は心配しなくても大丈夫でしょう、なにせ狼男よ? 別に、弱くはないでしょう」

「ペリュトンの群れに襲われていたときは、普通に負けてたよ」

「……そういえば」

「いえ、あの子は弱くはないですよ」

 一つ目の団長は神妙にかぶりを振る。


「狼男の中でも、比較的強い方です」

「それは親バカ視点ではなくて?」

「純粋な客観的視点です。しかしそれゆえに――

「え?」

「弱かったら、無茶はできません。無茶をする前に押しとめられますから。無茶ができるのは、中途半端に強い人だけです」

「あなたみたいな?」

「うぐ」

 身に覚えのある一つ目の団長が、見上げ入道なのに、見下げれるぐらい小さくなった。

 ルーミアはコロコロと笑う。


「まあ大丈夫よ。中途半端に強いということは、自らの身を守ることも出来るということでしょう」

「柴は弱い」

「分かってるから待ちなさいよ黙りなさいよ。私の眼を見る?」

「二度とゴメンだ……ん」

「どうしたの?」

「犬が足を止めた」

 前を見てみると、確かに送り犬は足を止めていた。

 ぺたんとお尻を地面につけ『おすわり』をしている。


「なんだ、道が分からなくなったのか?」

妖怪プログラムがそう簡単に迷うわけがないでしょう。迷わす現象の中でも、迷わずに出口にたどり着くわよ」

 送り犬の目の前には、廃墟があった。

 何十年も人が住んでいないであろう、古ぼけた家だ。

 壁には所々穴が空いていて、さながらゲーム終盤のジェンガみたいだ。

 壁の穴からは、暗い暗い部屋が見える。

 そこから、二つの光芒がルーミアたちを見ていた。

 光芒――獣の、眼である。

「――――っっ!!」

 咄嗟だったのだろう。十石は慌てた手つきで、腰に差していた日本刀に手を伸ばし、鞘から引き抜こうとして――つんのめた。


「なに、どうしたの?」

「日本刀が抜けない」

「は?」

「まるで鍵がかかっているみたいだ……まさか、あの光る眼の幻術か!?」

「そんなわけないでしょう。貸してみなさい」

 過剰に慄く十石に、ルーミアは呆れたため息をつきながら、十石の腰から日本刀を鞘ごと奪い取った。


 自分の首を貫いた日本刀とは、また別の日本刀だ。

 十石曰く、あの日本刀よりも、霊験あらたかな妖刀であり、狛谷家の秘密の蔵の奥の奥に厳重に封印されていたものであるらしい。

 そんなものを吸血鬼退治には使わずに、娘を救出するのには使おうとする辺り、なんだかなあ。みたいな感じである。

 肩を落としながら、刀を手に取ってみる。確かにすらりと抜ける様子はなく、少し力を入れないと抜けない。

 すんすん、と鼻を動かす。

 血みたいな臭いがした。鉄臭いというか……。


「ふむ」

 ルーミアは一つ頷くと、鞘を強く握りしめて、粉々にぶっ壊した。

 いきなりの暴挙にあんぐりと口を開け、絶叫する十石を制するように、鞘を壊して手にした日本刀を突きつける。

 日本刀は錆びていた。もはや、錆が日本刀の形をしているみたいだった。


「あなた、これ手入れしていたの?」

「いや、ずっと封印されていたからな。よっぽどのことがない限り、触れることすらしていなかった」

「どれだけ霊験あらたかでも手入れをしなかったら錆びるわよ」

「錆防止機能ないのか。霊験あらたかなのに……」

「そんな庶民的な機能があるわけないでしょう」

 ルーミアはなんとなく、錆びた刀を振るう。きっ。きっ。と根本から音がして、ついうっかり折れてしまいそうだ。

 ふっと、ルーミアは思わず笑ってしまう。


「笑うな! 妖怪退治は久々なんだよ!」

「あら、そうなの」

「この町では大体のことは送り犬と迎え犬がどうにかしていたからな……だからこそ、俺みたいな出来損ないでも、陰陽師の務めを果たせていたとも言えるが」

「それ、果たせているって言うのかしら。あなた、さっきからずっと思ってたけど、かなりポンコツね」

「うるさい……本当なら、俺みたいな出来損ないではなくて、弟が務めを受け継ぐべきだったんだ」

 十石はぽつりと呟く。


「あら、あなた。弟なんていたの?」

「俺よりもずっと出来た弟がな、家業は長男長女が継ぐなんていうしきたりがなければ、あいつが継いだんじゃあないか?」

「まあ、この錆びた日本刀よりも使えないあなたと比べたら、そうでしょうね」

「なにっ!?」

 ルーミアは十石の顔を見ずに、錆びた日本刀を月の光に晒しながら眺めている。

 眉をしかめる。


「ダメね、完璧に錆びてる。切れるものも切れたものじゃあないわ。これじゃあ――」

 ぶん。ぶん。ぶん。ぶん。

 振って、振って、振って。

 ルーミアは頭よりも高くまで錆びた日本刀を掲げて、振り下ろす。

 飛び込んできた黒い影が、日本刀の軌跡に触れ、二つに引き裂かれた。

 ぽーん、ぽーん。と引き裂かれた黒い影の、小さい方が跳ねて転がる。

 地面に赤い線を引くそれは――狼の頭だった。

「――力任せにぶん殴ることぐらいしか、できないじゃあない」

 Yの字のように分裂して引かれた赤い血の線の真ん中で、ルーミアは錆びた刀を見ながら呟く。さっきよりも鉄臭くなっている錆びた日本刀の切っ先で転がっている狼の頭を、ぐい、と、転がす。


「これで敵がはっきりしたわね。狛谷柴を連れ去ったのは、狼男。まったく、こんなのと一緒にされるなんて、いい迷惑よ」

「狼男……そう言えば、隣町を襲っていた狼男の集団が、こっちの町にもやってきたと情報が入ってた」

「それを早く思いだしなさいよ」

「悪かったな。柴が連れ去られたと知って、頭が真っ白になってたんだ」

 十石ポンコツが言い訳を漏らしていた、まさにその時だった。


「おるるるルアあああぁぁぁぁぁァァッッッ!!」


 廃墟の奥の方から、雄たけびが響いた。

 腹の奥底から空気を全部吐きだしたような雄たけびで、空気がビリビリと震える。

 その声に、ルーミアと一つ目の団長は聞き覚えがあった。


「ロッヅ!」

 一つ目の団長は叫び、その足は自然と廃墟の方へと向かっていた。

 それに遅れて、十石も廃墟に入ろうとして、ルーミアが呼び止めた。


「待ちなさい」

「……なんだ」

「武器も持たずに行くのは無謀というより、もはや無能よ」

 言いながら。

 ルーミアは錆びついた日本刀を、自分の腕に突き刺した。

 ずぶ、ずぶ。と刀身は腕を貫通して、とうとう刀身全体がルーミアの血で真っ赤に染まる。刀身を全て真っ赤に染めてから、引き抜く。

 仕上げという風に、日本刀を振る。

 こびりついていた錆は全て剥げ、刀身は少し赤くなっている。

 ルーミアは日本刀を十石の足元めがけて投げつけた。

 地面に突き刺さった日本刀を、十石は嫌そうな顔で見る。


「妖怪怪異奇っ怪なるものの生き血を吸った日本刀……そこらの刀よりは、切れるんじゃあない?」

「…………礼は言わんぞ」

「ええ、構わないわ。代わりに私は、そこにはいかないから」

「なに?」

「吸血鬼は招かれないと他人の家には入れないのよ。知らないの?」

 ふん。と十石は鼻をならして日本刀を引っこ抜くと、一つ目の団長に続いて廃墟の中に向かっていった。

 ルーミアは一息ついてから、隣にぽつんと立っている不楽の方へと視線を向ける。不楽は首を傾げた。なにをするか、なんにも考えていないらしい。

 この状況で、なにもしない。をよくもまあ、選択できるものだ。とルーミアは嘆息する。


「なにもしないわけじゃあないよ。僕はルーミアさんの隣にいるだけ」

「つまりなにもしてないじゃあない。それともなに、私がなにもしてないとでも言うつもり?」

「実際、なにもしていないよね」

「今、ここで、狼男一体、退治したのを見てなかったの?」

 ルーミアは狼男の首を指さす。首はいつの間にか人の姿になっていた。

 見も知らぬ男である。これを放置しておいたら、後々面倒そうだ。


「不楽、あれを食べてから、あなたも廃墟に行って、あの二人を守って来なさい。あと、狛谷柴とロッヅもね」

「分かった」

 不楽はむんず、と狼男の首と体を掴むと、片手で首を食べながら、廃墟に向かった。

 そんなハンバーガーみたいな手軽さで生首を食べなくても。

 ふう。とルーミアは息を吐いて、振り返る。

 誰もいない暗闇を睨んだ。


「狼というのは、吸血鬼にとっては使役する存在のはずなんだけど……あなた達、もしかして吸血鬼に歯向かうつもりかしら?」

 アスファルトを爪が引っかく音。

 次いで、暗闇の中から獣が飛び出してきた。

 よだれを散らしながら、大きく開かれた口は、ルーミアの細い首を噛みちぎろうとして――鼻先を掴まれ、地面に叩きつけられた。

 べちゃぁ。と水っぽい音をまき散らす狼男に一瞥することもなく、ルーミアは呆れた顔を崩さない。


「それとも、既に指揮官がいるのかしら。よくよく考えてみれば、あなた達のような知能が足りてなさそうな獣に、『人を連れ去る』なんてこと、考えれなさそうですものね」

 暗闇の中に、光芒が光る。

 それも、一つではない。

 二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、そんなものじゃあない。そんな程度じゃあない。数えきれない光芒が、さながらイルミネーションのように、ルーミアの目の前でギラギラと光る。

 動物園の中にいるみたいに、喉から鳴らす音がする。獣の臭いがする。よだれの臭いがする。

「まあ。いいでしょう。露払いぐらい務めてあげましょう。本来なら、私がするべきではない気もするけれども、今は私が主人公じゃあなくて、あの子が主人公だものね」

 ルーミアは笑う。嗤う。嘲笑う。

 くく。くくく。くくくく。くくくく。くくくくく。

 俯いて、顔を手のひらでおさえながら、おかしそうに笑う。


「来なさい、ロッヅの物語の、邪魔はさせない」

 使役対象如きが私に反抗をしたことを、後悔させてあげるわ。

 狼男たちが、一斉にルーミアに襲いかかった。

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