ヴぁんぷちゃんとおおかみ

 少しかけた月が夜空に浮かび、波立つ川面に映りこんでいる。

 その川の横には舗装されていない石が散らばっている道があり、そこを二台の車が通過していた。

 大型の車である。

 キャンピングカーとかキャラバンとか、そう呼ばれる車だ。

 車の側面には荷物が詰め込まれた袋や楽器が縄で車体に縛られていて、石に引っ掛かって車体が揺れるたびに危うく落ちそうになっている。


「犬の臭いがするわね」

 車の中は中身をくり抜いたように広い部屋のようになっていて、四隅にはなにやら荷物が山積みになっている。

 その部屋の中で、壁にもたれかかっている少女が天井を指さしながら不意に呟いた。

 まるでフランス人形のような少女である。

 ゴスロリ、というのだろうか。

 ふりふりしてふわふわした真っ黒なドレスを着込んでいる。

 窓から車内にしみこむ月光に反射して煌めく銀色の髪を腰の辺りまで伸ばしていて、二房ほど両肩から胸元にかけて左右対称に流している。


 あどけなさも感じるどこか愛らしい幼顔で、血よりも赤いルビーの瞳が特徴的だ。

 白磁のような肌はまるで一度も日を浴びたことがないようで――否、まるで、ではない。

 一度も――と言えば流石に誇張になるけれども、彼女はこれまで四百年間もの間ほとんど日を浴びずに生きている。

 一度浴びてしまえば火に包まれて轟々と燃え盛ってしまうのだから。

 少女、ルーミア・セルヴィアソンは吸血鬼である。

 明るい世界を嫌い、暗い闇夜を好む奇っ怪なるもの。

 そんな彼女は斜め上を眺めながらうっとうしそうに呟いた。


「いぬ?」

 彼女の呟きに一番最初に反応を示したのは四隅に山積みになっている荷物をがさごそいじくっている少年だった。

 麦のように茶色い髪を散切りにした少年で、背はルーミアよりも少し高いぐらい。顔つきは少し丸っこい感じで、小型犬を連想させる。

 そんなことを言うと、本人は怒りそうだけれど。


 俺は狼だ。と怒髪天をつきそうだけれど。

 少年、ロッヅ・セルストは狼男である。

 だからこそ誰よりもはやくそれに反応を示したのだけれど、ルーミアは手をひらひらと動かして否定する。


「あなたじゃあないわ、外から臭うの」

「外か?」

 ロッヅは荷物弄りをやめて立ち上がり、窓のほうへ向かった。

 途中布団で眠っている少女の頭をまたごうとして、それと添い寝をしていた大蛇に威嚇された。


「うわっ!?」

「ん、ニナうるさい……」

 驚いて尻もちをつく。

 大蛇は寝返りをうった少女に抱きつかれて、それ以上つっかかってくることはなかった。


「び、びっくりした……寝てる、よな?」

 ロッヅはすうすうと寝息をたてて眠っている少女の顔を覗きこむ。

 肩甲骨あたりまで伸びた白髪が特徴的な少女である――いや、特徴的なのは髪より目か。

 その姿か。

 布団の中で大蛇を抱き枕みたいにして眠っている白髪の少女の両目は開いていた。

 まぶたが閉じることなく――否、閉じるべきまぶたがないのだ。

 少女の黒目はまるで爬虫類のそれのように細く、縦に伸びている。

 目の周りは鱗に覆われていて、ひび割れているようにもみえる。

 かけぶとんからこぼれた尻尾は二本。片方は大蛇のもので、もう片方は少女自身のものだ。

 少し前の彼女はその見た目を嫌い寝るときも毛布で全身を覆って隠していたのだけれど、今はこうして普通に眠っている。

 エマ・サヘル。ラミアーである。

 そんな彼女の顔をまじまじと眺めながらロッヅは首を傾げる。


「寝てる、な?」

「うるさい」

「はぶっ!?」

 だらしかく半開きになっていた口が布団の中から伸びた手によってすぼめられた。

 その腕も、鱗に覆われている。

 見開いていた目に焦点が定まる。

 額に怒りマークをつけていそうな声色だ。


「眠れないでしょ」

「むぐぐー!?」

「ったく……」

 エマはロッヅの顔をじろりと睨んでから、乱雑に頬を離した。

 布団の中に顔をひっこめる。

 かけ布団からこぼれていた尻尾も布団の中にひっこめて、小山をつくる。

 ロッヅは掴まれた頬をさすりながら口を尖らせる。


「いきなり掴むなよ! 痛いだろ!」

「自業自得でしょ。それより、窓の外を見ないでいいの?」

「ん、あ、そうだそうだ」

 両頬をおさえながらロッヅは窓の外を見た。

 窓の外はまだ暗く、街にもついていないから街灯の一つもない。

 だから光は少し頼りない月光だけで。

 だからこそ、川と道のあいだにある草葉にひそむ光芒こうぼうがよく見えた。

 少し離れた位置にあるふたつの光芒は、まったく同じ動きで闇夜に線を描いている。

 眼だ。

 獣の眼だ。


「……狼?」

 草葉の陰にひそむそれを、同じく獣の眼をもつロッヅはしっかりと捉えている。

 銀色に近い白い毛並みをしている。

 大きな体躯は明らかに人に飼われているものではない。

 半開きの口からのぞく牙は太く、彼らが歓迎でそこにいるのではないことを教えてくれた。

 ざっと見渡して20、30辺りだろうか。

 狼の群れが二台のキャラバンを囲うようにしながら並走していた。

 しかし。


「いるはずがない」

 おののくロッヅの後ろで、ルーミアは呟く。

「日本に生息している狼は既に絶滅している」

「でも、外にいるぞ?」

「だからあれは普通じゃあないってこと。私たちと同じ」

 私たちと同じ。

 人外――奇っ怪なるもの。

 この世の理から外れているもの。

 ならば、どこに存在していてもおかしくはない。


「ど、どうする? あいつら俺たちを襲うつもりみたいだぞ」

「止まらないで、そのまま走り続けるようにシルクに伝えて」

 同じ狼の奇っ怪なるもの同士、なにか通じるものがあるのか、そんなことを口走るロッヅに、ルーミアは特に慌てた様子もなく言う。

 ロッヅは運転席のほうに向かい、シルクと呼ばれた男にそれを伝えた。


「はあ、狼? どこにいるんだよ」

「そこ、そこにいる!」

「お前みたいに夜目が利くわけじゃあねえんだぞ……確かになんかいるな」

 キャラバンは速度を落とすことなく走り続ける。

「団長たちにも伝えないとな」

「それは必要ないわ」

 無線機を手にとろうとしていたシルクを制するようにルーミアは言う。

 自身の右手をだらんとたらす。

 よくよくみるとその手の指は一本足りていない。

 人差し指。それが根元からかけていた。

 どうしたんだそれ!? とロッヅが言うよりも先に、答えは帰ってきた。

 冷たい夜風が部屋の中に吹き込んだ。

 どうやらどこかの窓が開いているらしい。

 ロッヅは肩を掴んでぶるりと震える。

 その視界を、黒いなにかが横切った。

 皮膜のついた翼をバサバサと動かしている。

 コウモリだ。

 コウモリはロッヅの前を横切ると、ルーミアの右手の甲に着地。人差し指へと姿を変えた。


「吸血鬼にとってコウモリと狼は使役対象よ。私がいる限り、まず襲ってきたりはしないわ」

「そうなのか……」

 並走している狼を横目でみながらロッヅはあいまいに頷く。

 分かっているのか分かっていないのかよく分からない返事だった。

 その調子だと自分も使役対象に含まれているという事実に気づいていないのかもしれない。

 ともかく。

 外を並走している狼が襲ってくる心配はまずないらしい。

 それだけは理解できたロッヅは安堵の息をもらす。


「しかし、手荒い歓迎ね。ロッヅ、あなたも狼なんだから彼らと会話したりできないの?」

「うーん、どうだろう。そもそも話してくれるかどうかも怪しいぞ、あいつら」

 ロッヅは窓の外を走る狼を一瞥しながら腕を組む。

 どうやら話すこと自体は可能らしい。話し合えるかどうかは別として。


「まあ、一つ分かっていることがあるとすれば、あの街に近づいたら現れた。ということね」

 運転席の向こうには小さな光が集まっている場所がある。

 今の目的地であるあそこに近づいていると、狼は現れた。

 まるで、街を守っているかのように。

 街に迫る不穏分子を見張るかのように。

 ――まあ。

 ――これだけ人外が乗っている車が危険だと判断されるのは当然と言えば当然なんだろうけど。

 ともすれば、この狼たちは街の守り神だったりするのだろうか。

 分からないが、もろ手を広げて歓迎されているわけではないことは分かった。

 あまり長く駐在しないほうがいいのかもしれない。


「ところで」

 と。

 まるで緊張感もないままにルーミアは呟く。

「不楽はどこにいるの? こんな事態、誰よりもまず気づきそうなものだけど」

「フラクか? フラクなら」

 ロッヅは小道具の山の陰を指さした。

 そこには見るからに不健康そうな痩躯の男が、壁に寄りかかるようにして座っていた。

 二十歳はたちぐらいだろうか。

 摂政からきている濃いくまに白髪が目立つ黒髪と、全体的に薄暗い印象のある少年だ。

 その体には力というものが感じられず、まるで糸の切れた操り人形のようだった。


「あ」

 血液切れだった。

 ガタガタと車体を揺らしながら、狼に囲まれた二台のキャラバンは街へと進む。


***


「そんなことがあったんですか」

 フリークショーといえば、奇人変人異常異形の集まりであり、その非日常感を楽しんでもらおうというサーカスである。

 フリークショー、クンストカメラもそういった集まりである。

 団長である一つ目の団長も見上げ入道だし、その呼び名どおり顔の中心――本来なら眉間がある部分に大きな瞳がひとつある。

 しかし。

 とはいえだ。

 異常異形をみせるのが生業とはいえ、自身の手首を指の腹で大きく抉る少女と、そこからだくだくと流れている血を呑んでいるくまの目立つ少年という構図は、客に見せるにはいささか刺激が強すぎた。

 なにごともやりすぎは忌避されるものなのである。


「この街には陰陽師もいると聞きますし、あまり長居はしない方がいいかもしれませんね」

「陰陽師……土御門ね」

 ルーミアの苦虫を潰したような表情に、一つ目の団長は眉をひそめる。

 目が一つしかないのだから眉もひとつしかなく、ひそめるというよりはさげる。といった感じだが。


「苦手なんですか?」

「苦手なんかじゃあないわ」

 ただ、とルーミアはつけたす。

 血がだくだくと流れる手首を、もう片方の手でおさえる。


「不楽は元とはいえ、陰陽師が造った人形だし、私は私で陰陽師に追われているのよ」

「そうなんですか?」

「ひとり撃退したせいでね。それに彼らは奇っ怪なるものを倒す集団でしょ」

「それはちょっと違うよ、ルーミアさん」

 むくりと上半身を持ち上げた少年は言う。

 さっきまで血を呑んでいたというのに、未だ血の気の悪い顔のままだ。

 さもありなん。

 彼の体には、血管には、血が流れていないのだから。

 血の気が悪いのではなく、血の気がないのである。

 文字通り。

 言葉通り。

 対吸血鬼特化の人造奇っ怪なるもの。

 フランケンシュタインの化物をベースにした屍食鬼ゾンビ


 名前は不楽ふらく

 どう聞いてもバカにしているようにしか聞こえない名前だけれども、本人は気に入っている。

 彼らしくなく――ありえなく。嬉しいと思っている。

 本人がそれに気づいているか否かは置いといて。

 ともかく。

 不楽は上半身を持ち上げると、体の調子を確かめるようにストレッチをする。


「陰陽師は人間にとって害悪な奇っ怪なるものを退治するんだよ」

「同じようなものでしょ」

「団長たちは除外される」

「奇っ怪なるものなら退治する。というのもいるでしょ?」

「まあね」

「なら気をつけたほうがいい。全員ね」

「ですね」

 ふあ、と一つ目の団長はあくびをする。

 窓の外は明るみを帯びはじめ、夜が終わろうとしていた。

 窓からはいった光が室内に線を描く。

 不楽はカーテンを閉めた。


「じゃあ、私はそろそろ眠るから。さっさと出て行ってくれる?」

「私も寝ることにします。昨日はずっと運転していましたし」

「おつかれさま」

「ありがとうございます。ビラ配りは当番のメンバーでしてください。陰陽師と狼には気をつけて。特にカラとロッヅ」

「うええっ!? 俺もビラ配りなのか!?」

「当たり前です」

 逆毛立ててはとが豆鉄砲喰らったみたいに驚いてみせるロッヅに、一つ目の団長は呆れたようにため息をつく。


「前の街ではテント建てだったし、なにより、その時サボっていたことは忘れていないよ」

「うぐっ」

「だから今日は罰。これ全部配りきること」

「うえええええっ!?」

 こんもりと積まれたビラを見て、ロッヅは涙目で悲鳴にも似た叫び声をあげた。

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