ひとつめは、転げ落とす
夜になった。
太陽はその身を隠し、まん丸とした月が姿をみせる。
満月の夜。
狼男の夜。
そういう意味ではないのだろうけれども、その夜のロッヅの様子は少しおかしかった。
いや、彼の言動はいつもおかしいのだけれど。
けれど、その日のロッヅはいつもと違う意味でおかしかった。
おかしいというか、変というか。
「……ねえ、あれどうかしたの?」
眠りから覚めたルーミアは半目でキャラバンの中をのぞきこんでいる。
その隣にいる一つ目の団長はまゆをひそめて、大きな目をまげてかぶりを振った。
「さっぱり分かりません。ビラ配りから帰ってきたらあの調子で」
二人の周りにはフリークショーの団員たちが集まっていて、一様にキャラバンの中を覗きこんでいる。
数ヶ月ほど前――そう遠くない日に、エマ・サヘルが引きこもってしまった時も同じように集まって覗きこんでいたりしていたけれど、その時と比べると深刻さが感じられない。
それよりかは、気持ち悪がっているというか。
「うへへへへ……」
キャラバンの中にはロッヅ一人だけがいた。
ヘラヘラと――だらしなく口を半開きにして笑いながら、チラシを胸を抱えて転げまわっている。
それはさながら、好きなアーティストの初ライブ前夜、興奮鳴り止まない女の子――みたいな感じだが、ロッヅは男の子だし、だらしなくゆるみまくっている顔は普通に気持ち悪い。
全員が全員、若干引いているのも分からなくはなかった。
「……団長、さっさとあいつに話しかけてきてよ」
「私ですか……?」
集まっている団員の中で一番引いていそうなエマが、排泄物をみるような顔をしたまま一つ目の団長をちらりと見た。
一つの団長は困ったように口元をひくつかせる。
さしもの一つ目の団長も、今のロッヅに話しかける勇気はないらしい。
一つ目の団長は周りに助けを求めるようにおろおろと目配せをする。
しかし他の団員たちは非情にもその大きな目から顔をそらした。
ちらり、とみられたルーミアも顔は背けなかったものの、顔でイヤだ。という気持ちを主張した。
その時、ルビーのような瞳で大きな目を見て、
困った一つ目の団長だったが(不楽の方は一度も見ていない。彼が関われば話をややこしくするのは火を見るより明らかだからだ)、ついに一人だけ顔をそらしていない団員を見つけたのだ。
いや、正確に言えば顔をそむけている。
そむけているけど、そむけていないのだ。
なんだか矛盾しているようにも聞こえるけれど、それは何一つ間違っていない。
一つの頭がそっぽを向いていて、もう一つの頭がそっぽを向いていないだけだ。
一人――いや、二人はまるで二人三脚でもしているかのように上半身をよせあって肩を組んでいる。
しかし脚は三脚ではなく、二脚だ。
二人の体は下半身がくっついていた――同化している、と言ってもいい。
胸の辺りまで同化していて、そこから上は二つに分かれている。
頭を縦に切られた後のプラナリアをイメージすると分かりやすいかもしれない。
ただ、プラナリアと違って彼らは分断されてそうなったのではなく、くっついてそうなっているのだけれど。
そっぽを向かずにボーっとしているのが偉で。
そっぽを向いて偉の頭を叩いているのが旭だ。
一つ目の団長はそんな二人を逃がさないように、偉の両肩を掴んだ。
旭は絶望の顔を隠すように手のひらで覆った。
「また偉のせいで……」
とか、沸々と湧きあがる怒りを全く隠そうとせず呟いたりもした。
「私よりも旭と偉の方が仲がいいし、適任じゃあないですかね!?」
「お、俺ぇ!?」
「ホントまったく、いつもいつもお前のせいでそんな役回りばかり任される気がするね、偉」
「なんだなんだ!? 俺そんなに責められることをしたか、旭!?」
「自分の胸に聞いてみなよ、偉」
「自分の胸に聞くと、お前の胸に聞くことになるぞ。胸は一つしかないわけだし」
「ペリュトンに頭もがれたままでいればよかったんだ」
「お前あの時、別れるなんてムリだとか泣いてなかったか!?」
いつも通りだった。
一つ目の団長も必死で肩を掴む両手を離そうとしない。
旭は焦ったように取り繕う。
「い、いやいやいや。ロッヅは団長になついているわけだから、団長が行くべきだと思うな、な、偉?」
「そ、そうだな旭!」
「そんなことを言うなよ。二人がいつもロッヅと仲良く遊んでいることは知っているんだから」
「じゃあ、もう三人とも入れば?」
「「「へ?」」」
そんな三人のことを傍から見ていたエマは、キャラバンのドアを開くと肩を掴みあっている三人を、その尾っぽでひっぱたいた。
ムチのようにしなりながら三人をはたいた尾っぽは、全身を支えるためにか少し太い。
だから年上の男三人相手でも充分な威力を発揮する。
しかも不意だったことも相成って、三人は抵抗することもできず、開いたドアからキャラバンの中になだれこんだ。
少しからまった状態でキャラバンの床に伏せる三人を冷たい目で見下ろすエマは、なにを言うでもなくドアを閉めた。
「鍵も閉めておいたほうがいいんじゃあない?」
「鍵はキャラバンの中」
「ふうん、どいて」
ルーミアはエマをおしのけるようにしてドアの前に立った。
おしのけられたエマは機嫌悪そうに顔をしかめて、ルーミアの体を軽く小突いた。
やはりこの二人、少し仲が悪い。
小突いてきたエマを横目で睨んでから、ルーミアは微かに体を前傾させて――する必要はないけど、しないと自分が小さいのを自覚しているようでイヤだった――鍵穴を覗きこむと、それに人差し指を向ける。
ぐにゃり――と人差し指の形が変わる。朱殷色のそれは鍵穴の中に浸入する。ルーミアが鍵をかけるように手首を捻ると、鍵穴からガチャリと音がした。
「ついでに」
くん、と人差し指を曲げてひっこめる。
ドアの向こうから何かが壊れる音と旭の大声が聞こえた。
「うわっ、鍵が壊された!」
「これでよし」
「あんた、ドアになにか恨みでもあるの?」
「…………」
ルーミアは口を閉ざして答えたりはしなかった。
ただ、自分を拒絶する存在に好意的な気持ちがあるとは思えない。
ルーミアたちはキャラバンの中を窓からのぞきこむ。
あれだけの騒ぎがあったのに、ロッヅは未だにゴロゴロと転がっていた。
一つ目の団長、旭、偉はドアの鍵が壊されたことに絶望していたが、やがて腹をくくったのかジャンケンをはじめた。
「ジャンケンって……」
「どれだけ話しかけたくないのよ……いや、分からなくはないけど」
負けたのは一つ目の団長だった。
自分がだしたグーを怨めしそうにみながら、一つ目の団長は恐る恐る転げまわるロッヅに近づく。
「な、なあロッヅ」
「あ、団長!」
どうやら話しかけには対応するらしい。
転げまわるのをやめて、がばりとその身をおこす。
その目は妙にらんらんと輝いていて、窓から覗きこんでいる団員全員イヤな予感がした。
一つ目の団長も同じなようで、話しかけるのを一瞬躊躇してしまうぐらいだった。
その躊躇しているあいまに、ロッヅは一つ目の団長に迫るように体を近づけながら、はつらつとした口調でこういうのだった。
「明日のビラ配りも俺がやるよ!」
『は、はあああああああああああああああああああああああああああああ!?』
その衝撃は、一つ目の団長の大きな目がころりと転げ落ちたぐらい。と言えば分かりやすいかもしれない。
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