わんこは怪しまれる
そんな訳で、次の日のビラ配りもロッヅの仕事になったわけだけれども。
――絶対おかしい。
その場にいた全員の心に去来した考えはそれだった――もちろん、心がない不楽は除外して。
ロッヅ・セルストと言えば、バカでありアホであり、そしてよく仕事をサボって遊んでいることで有名だからである。
そんな彼が、自分から仕事をしたがるなんてありえない。
今年から世界が『天動説』を支持するようになることよりも、ありえない。
だから。
――これにはなにか、裏がある。
全員がそう思ったのも間違いではない。
「あなた達、どれだけ信用してないのよ……」
なんて、ルーミア辺りは呟いたりしそうだったけれど、短い付き合いである彼女でさえ、ロッヅの適当さは理解していた。
だからこの場で唯一、そんなことを考えたりしなかったは不楽だけだっただろう。
いや。逆か。
まず先に裏を考えるのが、不楽なのかもしれない。
それはロッヅの性格から怪しんでの感情論――なんかではまったくなく、今までのロッヅの行動から読んだ行動論からなんだろうけど。
思ったのではなく、考えての結論なのだろうけど。
あいも変わらず。
彼らしく。
ともかく。
全員が全員、彼の行動には裏があると考えたのは事実であり――。
「ふんふふーん♪」
『…………』
次の日のお昼。
都会とは言いがたいし、しかし田舎とも言いがたい、なんとも微妙な街並みの中をロッヅは鼻歌混じりに歩いていた。
その腕の中には多量のビラが抱えられている。
朝に一つ目の団長から渡されたビラである。
その量は朝からなんにも変わっていない。
ヤイヤイと騒がしい人波のほうに向かってはいるけれど、隣を歩く人にビラを渡そうとする素振りすらみせない。
戦前目をあげるようすさえなかった。
有り体に言ってしまえば、サボってる?
「それで――」
そんな彼の風下側――鼻のきくロッヅに対応するようにして壁に隠れている不審者が三名ほどいた。
壁からひょこっと顔だけをだしてロッヅを見張っている。
頭だけをだして並んでいるその姿は、まるで団子のようだ。
「――どうして私も、一緒にでないといけないのかしら?」
ひょっこりと頭をだしている三人の後ろで、銀髪の少女――ルーミアが愚痴っていた。
ドレスと同じようにひらひらしていてフリフリしている黒いコウモリ傘を両手で持ちながら、げんなりとした表情を浮かべている。
「仕方ないだろ」
壁から頭を覗かせたまま、三人のうち、一番下にいた男が言う。
シルク・ドレイク。
クンストカメラでは『フロッグマン』なんて名乗っている彼だけれど、見た目は普通の人間とそう変わらない。
両目が別々の方向を向くことができて、どうやって口の中に収まっているのかさっぱり分からないぐらい舌が長くて、胃を口からだして洗うことができたり、壁に張りついたりできるだけの、ただの人間である。
彼曰く、自分は奇っ怪なるものではなく、突然変異の人間らしい。
「ロッヅがサボっていないかを見張るんだ。だったら目立つ奴らは来れないだろ」
例えば見上げ入道であり、一つしか目のない団長然り。
例えば下半身が蛇で、毛布をどてらみたいに羽織っているエマ然り。
例えば二人の兄弟がくっついてしまっている阻塞兄弟然り。
例えば頭の上にもう一つ頭があるクロク・ドゥイ然り。
目立ちすぎるクンストカメラの面々は、追跡などには全くと言ってもいいぐらい、向いていない。
「あら」
と、その
「私は目立つでしょ?」
「……そうだな。そんなゴスロリな服着てたらな」
「容姿が」
「……お前ってさ、前々から思ってたけど――」
「ルーミアさん、ね」
「――ルーミアさんって前々から思ってたけどよ、かなり自信家だよな」
「持ってるものの自虐はタダの嫌味でしょう?」
「あーそうだなそうだな」
シルクは少し面倒くさそうに返した。
ルーミアはむっと頬をふくらませる。
どうやら
――もう一度かけてやろうかしら。
そんなことも考えたけれど、なんだか虚しいからやめた。
そもそも、その中身のない言葉がイヤなんだし。
「あれ、でもルーミアさん」
と、声をかけてきたのは不楽である。
白髪混じりの黒髪に、不摂生からきている濃いくま。
全体的に栄養が足りていないのか――そもそも死体なのだから、栄養なんて考えなくてもいいのだけど――やせ細った体躯。
漂白剤で洗ったんじゃあないかってぐらい青白い肌は、なるほど確かにゾンビらしくはあるけれど、腐っていたりもしていないし、人目についたりはしないだろう。
前にならえで壁からひょこりと顔をだしていた不楽は、その顔を引っ込めながら振り返る。
ルーミアは小さなお尻をくいっとひねって不楽のほうを向く。
不楽は思いだすように中空をあおぎみながら呟く。
どうやら死体でも、思いだそうとするときの動作は同じらしい。
「追跡調査なら、やっぱり茶色のキャスケット帽よね! と準備してなかったっけ?」
エクスクラメーションマークをつけているはずなのに、全然感情のこもっていない口調だった。
次の瞬間。
不楽のわき腹にルーミアの細足が深々と突き刺さった。
不楽の体はくの字に曲がりながら縦に回転して、反対側にあったゴミ捨て場に頭からつっこんだ。
ルーミアのスカートは大きくたなびいて、ポケットの中に入っていたモノがひらひらと落っこちた。
地面に落ちたそれを、シルクは手にとる。
茶色いたぼたぼの帽子で、後ろのほうはチェック柄の記事で覆われている。
「……探偵がよく被ってるやつか、これ?」
「――っ!?」
「うおっ!?」
びくりと全身を震わせたルーミアは、たなびいたスカートを片手でおさえながら、もう片方の手の爪を伸ばして、シルクが両手で持っているキャスケット帽を、原型が分からなくなるぐらいズタズタに切り裂いた。
突然のことで驚いているシルクの胸倉をアッパーでもするかのように伸ばした手で掴み、自分の視線にあうように、力づくで引き寄せる。
前屈みというか、二足歩行の猿みたいな体勢になったシルクに、羞恥で顔を紅潮させたルーミアは、自分のルビーの瞳をみせる。
「あなたはなにもみていない。いいわね?」
「はい」
「あ、ロッヅが動いたよ」
そんな喧騒のなか、唯一マジメに壁から顔をひょっこりとだしたままだった女が言った。
首に赤いマフラーをつけていて、頭の上に手を添えている。
いや、そうではないか。
添えているのは手ではなく、首だ。
マフラーの上に首を添えて、手でおさえているのだ。
カラ・バークリー。
デュラハンである。
この中ではまだ比較的マトモな性格をしていて――比較的マトモではない性癖をもっている奇っ怪なるものである。
唯一マジメにロッヅを追いかけているのだって、まあ、一応は『マジメな性格だから』というのもあるのだろうけれど――それ以上に、壁からひょっこりと顔だけをだしている、黒髪の美形外国人なんていうものが、充分に人の目をひくものだということを理解しているからである。
なんなら今すぐにでも自身の頭をそこら辺に転がしたいとまで考えてもいそうだ。
その衝動をどうにかおさえているだけでも、まだもっている方だと考えるべきだろう。
いや、実際のところ、衝動を理性でおさえてなんかいなくて、
全く我慢できていないのだけど。
ともかく。
彼女がそういうと、ゴミ捨て場に埋まっていた不楽は顔をだして、ルーミアとシルクはカラのほうへと向かった。
果たして、カラが指さしている先に、ロッヅはいた。
あいも変わらず、手に持っているビラの数は変わらない。
配ろうとしている素振りすらみせない。
きょろきょろと人並みの中で、誰かを探しているようだった。
「なんだ、誰かあいつに餌付けでもしたのか」
「そんなアホらしい理由が――ありそうね」
そもそもフリークショーにいる理由が、たまたま出遭った一つ目の団長に懐いたからだということを思いだしたルーミアは早々に取り消した。珍しいこともあるものだ。
不意に、ロッヅが動くのをやめた。
もしや風向きが変わって、追いかけているのがバレてしまったのだろうか、と冷や冷やした三人であったが(除かれているのはもちろん不楽だ)、どうやらそういうわけではないようで、足を止めたロッヅの顔はどこか嬉しそうだった。
狼男らしく、犬の耳をだしていたならば、ピーンと天に向けて伸ばしていたかもしれない。
尻尾をぶんぶんと振っていたかもしれない。
それが容易に想像できるぐらい、分かりやすい反応だった。
「見つけたみたいね」
「さてさて、うちのバカ犬に懐かれちゃった不憫なやつは、一体どんな輩かね」
壁に身を隠す素振りすらみせないルーミアは、ロッヅの姿を目で追う。
「おーい!」
果たして。
ロッヅが手を頭の上で振りながら呼びかけた先にいたのは、一人の少女だった。
三つ編みの少女。
歳はロッヅよりも少し年上だろうか。
黒い炉の紙を二房の三つ編みに結っていて、型から胸元に向けて流している。
大人しげな雰囲気――大人びた雰囲気のある少女は、ロッヅに気がつくと。
「お」
と、声をあげた。
ロッヅは彼女の元に近づく。
「また会ったな、こま……困った鹿?」
「別に困ってないし、鹿でもないよ」
頭のうえに「?」マークを浮かべながら、ロッヅは首を傾げる。
「
三つ編みの少女――狛谷はおかしそうにはにかんだ。
「今日もお仕事?」
「おうよ!」
ロッヅはビラの束を両手で頭の上に掲げた。
狛谷は掲げられたビラをみる。
彼女の方が背が高いから、見下ろす形になる。
「今日も一杯あまってるね」
「誰もとってくれないからな」
そもそも配っていないだけである。
狛谷は「ふうん」とうなづく。
「チラシってそう簡単に受けとってもらえないよね」
悩むようにアゴに手を添えて、狛谷は視線を中空に漂わせる。
そして。
「うん」
とうなづく。
「じゃあ私も手伝おうかな」
「ほ、本当か!?」
「一人でやるより二人でやったほうがはやいしね」
狛谷は眉をさげて、ロッヅの顔をみる。
「迷惑、かな?」
ロッヅは慌ててぶんぶんとかぶりをふる。
「そう、よかった」
安堵したように、胸をなでおろす。
そして両手を前にだした。
はじめ、ロッヅはそれがなんなのか全く理解できなかったけれど――お手をしろと言われてるのだろうか、とか思っていた。犬らしく――狛谷がもう一度両手を前につきだすと、ようやく理解できたようでチラシの半分を狛谷にさしだした。
その時。互いの指が当たって、ロッヅはビクリと体を震わせた。
「じゃあ、いこっか」
「お、おう!」
自分の顔がまた朱に染まっていることにロッヅは気がつくこともなく、少しきょどった口調で答えた。
「おい。あれ」
「あれはさ、あれだねえ」
「ふうん……」
二人並んでヤイヤイと騒がしい人波の中へと消えていくのを見送りながら。
ルーミアたち三人は下世話に笑った。
六つの目が妖しく光る。
「…………?」
そんな中。不楽だけはいつも通りだった。
よく分からない、と首を傾げていた。
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