ヴぁんぷちゃんの心臓
パン――と。
さながら空気がパンパンに張り詰められた風船が割られたような音が、駐車場の中に軽く響いた。
無論、現在人払いの呪いが張られているこの場で、風船を割るなんて呑気な事をするような人がいるはずもなく、そもそもそれは、風船が割れた音ではない。
銀によって象られた腕とアスファルトの地面に挟まれて、さながらトマトのように、中身をぶちまけながら、四散した音だった。
「あ――」
真っ黒なドレスに埋まる銀色の腕。
真っ黒なドレスにじわりと血が滲む。
銀の腕に散る血は、触れた途端に蒸発して消えてなくなり、銀の美しい光沢が失われることはなかった。
そして心臓を失った吸血鬼は――。
喉が潰れんばかりに叫んだ。
眼に涙を滲ませて、泣き喚くように、顔面をぐしゃぐしゃに歪めながら、体を後方に大きく反らせて口から血を吐きながら絶叫した。
狂ったように叫び暴れた。
仮に『化物』の腕に胸を貫かれていなければ、釣られたばかりの魚のように跳ね回っただろう。
「俺は一つ、不思議に思っていた事がある」
悲痛で悲惨な悲鳴に鬱陶しそうに眼を細めながら、接道はルーミアに近づきながら言う。
しかしその声はルーミアにはよく聞こえなかった。聞こえなかったというか、聞く余裕がなかった。
「吸血鬼ってやつは太陽や聖なるものを嫌う、闇の帝王、夜の支配者のはずだ。死さえ超越した奇っ怪なるもの。そのくせにどうしてか『杭で胸を貫かれると死ぬ』なんて弱々しい弱点をもっている。それがずっと不思議だった」
が、と接道は一旦区切ってから言う。
「しかし今回貫いてみて分かったよ」
体中に染み渡る激痛に悶えるルーアを見下しながら、接道は言う。
「邪魔なんだな。杭が」
例えばここに丸めたティッシュペーパーが目一杯、ギュウギュウ詰めに詰め込まれた箱があるとしよう。
その中の一部をもぎ取ると、詰め込まれていたティッシュペーパーはそこを埋めるように崩れ込んでくる。
しかしそこにダンボールで作った杭を差し込んでみたらどうだろうか。
ギュウギュウ詰めになっているティッシュペーパーは、それが邪魔になってなだれ込むことが出来ない。
それと同じことが吸血鬼の身にも起きている。
再生しようとしているのに、既にそこには詰め物があって、再生することが出来ない。
「しかもその詰め物は吸血鬼が苦手とする『銀』だ。再生しようとする度に体が溶けて痛いだろ」
再生能力があるが故に続く苦痛。
それにルーミアは悶絶し続ける。不死だからこその痛みに泣き喚く。
「これでお前は死ぬ。四百年の命もこうしてみると、あっさりしているな」
「ど、うして……」
「ん?」
ルーミアの口がゆっくりと開き、口内に溜まっていた血と共に声を吐きだす。
「あなたは……私を殺そうとするの?」
「ふうん、まだ話す元気はあるんだな」
接道は『化物』の銀の腕に顔が映るほど近づいていた体を少しだけ離した。
「お前が人の血を吸おうとするからだよ」
そして、端的に接道は答えた。
害虫退治だと。
血を吸うから。人間に害があるから、殺す――退治する。
「知ってるか、人ってやつはな、こーんな小さな蚊にさえ血を吸われるのを嫌がるぐらい、血を吸われるのを嫌う種族なんだぜ?」
「私が……蚊と同等だとでも言うつもり?」
「少なくとも今のお前は虫の息ってやつだけどな」
「……う、うまくない……ょ」
「しかし……それでもさすがに予想外だな」
そんなルーミアを――苦痛に顔を歪ませながら、まだ生きているルーミアを一瞥してから、接道は言った。
「予想としては心臓を貫かれた時点で殺せると思っていたんだがな。というか、心臓を貫かれたんだから死ねよ。不死身……だったな、そういえば」
その言葉は、彼女に妙な冷静さを与えた。
思考を放棄していた頭に、考える余裕を与えた。
――予想外だった?
それはおかしな話だ。
格上の吸血鬼であるルーミアを相手取るために血液と意識のないあの『化物』をよこしたのはもちろん、この男で間違いないのだろう。
ともすれば、あのコウモリ傘に『札』を仕込んだのもこの男なのだろう。
そう考えれば、あの傘を手に入れた後の襲撃の時『動けなくなる』のを前提とした作戦を組んでいたのも頷ける。
彼の行動、その目的は総じてルーミアの弱体化にある。
強靭な肉体と強力なスキルを保持している相手と戦う場合、いかにしてその優位な部分を無力化無効化ないし、弱体化させるかどうかが鍵になる。
それは自分を『強化』するよりも手っ取り早く、確実な手だ。
特に、強力な分弱点も多い吸血鬼相手ならば有効な手立てだ。
だからあの作戦は間違っていないし、ルーミアが偶然『札』に直接触れてしまい、一気に力を失い倒れ込んでしまった時には驚きはしていたものの、困ってなかったし――なんなら喜んでいた。
だからこそ気になる。
だからこそ違和感がある。
どうしてあの時、『化物』はルーミアに血液を渡してきたのだろうか。
弱らせようとしている相手に、どうして塩を送るような事をするのだろうか。
敵に塩を送るのは、双方が対等だからこそ美徳なのであって、格上がそんな事をするのはただの自殺行為だ。
しかも。
――その事を、こいつは知らない?
知っているのなら、予想外だとかそういった反応はしないはずだ。もちろん、ブラフという可能性もあるが、今の反応が嘘だというにはにわかには信じがたい。
ということはつまり、ルーミアに血液を渡したのは『化物』の独断専行という事になる。
――どうしてそんな行動を?
楽しいとか悲しいとか苛々するとか、そういった感性のない彼がそんな意味のない行動をするとは思えない。
「まあ、副案がないという訳ではないが」
そのセリフとともに、地下駐車場が大きく揺らいだ。
その揺れで更に胸を抉られたルーミアは、一度大きく仰け反る。
「ああ、ゴメンねルーミアさん」
謝れても困る。
と言うか、謝るなよ。
悲鳴をあげないように唇を噛み締めながらルーミアは『化物』を睨んだ。
ルーミアの風穴を更に大きく広げた地震。
その揺れの震源は地下ではなかった。
地下ではなく地上――接道の頭上からだった。
接道の頭上にはさっきまで無かった亀裂がはしっていて、そこからぱらぱらと土埃が接道に降りかかる。
それを鬱陶しそうに払い除けながら、接道は頭上を見上げる。
「もう少し静かに行動できないのか――ゴーレム」
もう一度、地下駐車場は大きく揺らぐ。
それと同時に接道の頭上の亀裂は更に広がり、天井はあっさりと崩壊した。
接道が一歩後ずさり、彼の眼前に多量の土砂とアスファルトの塊が落下した。
ぽっかりと空いた大穴からは巨人のものかと見誤ってしまいそうなゴツゴツとした腕――否、人の腕を模しているガレキが姿を見せている。
落下したアスファルトの塊は、中に強力な磁石でもしこまれているかのように吸い寄せられ、ガレキの腕を更に肥大化させる。
「命令したものは探してきたか、ゴーレム」
返事はない。
そもそも返事をする機能がついていないゴーレムは、空けたその穴を通って地下駐車場におりてきた。
前回襲撃をうけた時と比べると多少小さくなっているような気もするが、それでも、この地下駐車場に入るには少し大きいようで少し窮屈そうに見える。
そんなゴーレムは前にあった時と比べて少し小さくなっていた代わりなのか、片腕を『銀』で埋め尽くしていた。
銀で出来た食器や調度品。
玄関ホールにあったあの銀製の天使像も埋め込まれている。
百パーセント。全てが銀で象られている。
「さすが百人単位で人が住んでいる場所だな。探せばこれだけの銀も見つかる」
「う、えを……壊した、の?」
「後でちゃんと修復しておくさ。ゴーレム」
名前を呼ばれたゴーレムは頭らしき場所を動かす。
接道はルーミアと『化物』をあごで指す。
そしてひどくあっさりと命令する。
「『化物』ごとあいつをその腕ですり潰せ」
「なっ……!?」
「おい、『化物』。その腕を絶対に離すなよ」
「分かってるよ」
ルーミアの驚きの声をよそに、『化物』は始めからそうする予定だったと言わんばかりに冷静に返した。
ルーミアはそんな『化物』の眼を、信じられないという風に見る。
『化物』はルーミアの瞳を見つめ返す。
望み、憧れ、恋い焦がれていた天敵は
「ゴメンね、ルーミアさんの動きを止めるよう僕は命令されてるから」
命令されているから。
僕は命令されてるから。
『化物』は至極あっさりとそう言った。
彼は
与えられた命令を与えられたままに。
十やれと言われたら十しかやらない。
やらないし、やれない。
止めるためには――。
「……っ!」
『化物』が言いたいことに気づいたルーミアが声にならない悲鳴をあげたのと、ゴーレムがそのゴツゴツとした銀の腕を振り下ろしたのは、ほぼ同時の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます