『  』は抱きしめる

 ――今は手加減しているだけ。本気をだせばあんな木偶の坊。

 そんな事をルーミアが言っていたことを、ゾンビは思いだした。

 あの時ゾンビは負け惜しみ?

 なんて返していたけれど――実際負け惜しみだと思っていたのだけれど、それが負け惜しみなんかではなく、明らかな事実だという事を、ゾンビは今更ながらに理解した。

 その力や存在に実態のない、不形の異形。

 伝承、つまり伝言ゲームによって語り継がれてきた吸血鬼には、幾つもの姿があり、それゆえに、本当や本物は存在しない。

 あるのはただ、本気だけ――。

 図書館で読んだ本には確かそんな事が書かれていた。

「……どういう事だ?」

 ゾンビの視界内で、接道は呟いた。

 その声は心無しか震えていて、怯えているようだった。

 その前にいるゴーレムでさえ、少し混乱しているようにも見える。

 見えるだけで、実際はなんとも思っていないのだろうけど。

 呆然としているように見えるゾンビが、実の所冷静に辺りを散策しているように。

 人ではない二体は、感性の抜け落ちた二体はこの異常事態にあっさりと適応していた。

 違う点があるとすれば、知性のないゴーレムは停止していて、知性のあるゾンビは辺りを散策しているぐらいか。

 人ではない二体。

 それはおかしな事だ。

 この場には三体の奇っ怪なものがいたはずだ。

 それなのに、今一体……吸血鬼、ルーミアの姿がなかった。

 ――えっと……。

 辺りを見回してもルーミアの姿がないのを確認してから、ゾンビは思いだす。

 ほんの数十秒前の事を思いだす。

 仮染めの恋も醒めるような悪夢を――。

 そう言った直後のことだった。


 どろり――と。

 ルーミアの体がのは。


 さながら大雨に晒された泥人形のように――中身を晒すスワンプマンのように、表面がどろり、と溶けた。

 色は朱殷しゅあん。粘っこい液体のようなそれに変わっていく。

 姿そのままに、可愛らしい見た目そのままにどろどろと溶けていくものだから、その姿は凄惨の一言に尽きた。

「うぐっ……」

 だから知性も感性もある人間、土御門接道は顔を逸らした。

 逸らさなかったのは、二体の人工的な奇っ怪なるものだけだ。

 しかし知性も感性もないゴーレムは、目を逸らすもなにも、そもそも『ルーミア』を見ていない。

 ただ一体だけ。

 感性はないけど知性はあるゾンビだけは、彼女を見ていた。

「ゴ、ゴーレムッ!」

 どろどろと。

 ぐちゃぐちゃに。

 溶けて、溶解とけて、液状化とけて――。

 もはや人型である事さえ怪しくなりはじめた頃、接道は『それ』を見ないまま、ゴーレムに命令した。

「それを、叩き潰せ!」

 命令をうけたゴーレムは、先ほど自身の腕がめりこんで空いた大穴の中に手を突っ込んだ。

 穴の側面に指を喰い込ませ、地面をめくりあげると、遠投の選手のように、それを天井めがけて投げ飛ばした。

 四方三メートルほどの大きさのコンクリートの塊は空気を裂きながら、天井に深々とめり込み、その途中にあったルーミアの上半身だっただろう部分を、いとも容易く抉った。

 抉られた『それ』は、コンクリートの塊が裂いて発生させた突風にあおられ、液体らしい音をたてて地面に落下した。

 『それ』は暫くの間静止していたが、しかし、ゆっくりと再び動きだす。

 それを確認したゴーレムは『それ』に迫ると、ゴツゴツとした銀の腕を振り上げ、さながらハンマーのように、振り下ろした。

 ゴーレムを中心に、亀裂が蜘蛛の巣状に広がり、地面は派手な音と土煙をあげながら陥没した。

 ゴーレムの腕を形成していた天使像の首がへし曲がる。

 そして『それ』の姿は見えなくなった。

 さっきの銀の腕のハンマーでトドメを刺されて消滅してしまったのだろうか。

 否。

 それは違う。

 ゾンビはすぐにそれを否定する。

 それは彼女を信頼しているからとかいう、心情からではなくーーそもそもそんな心情などなく、単に死体がないから。ルーミアさんは生きていると結論づけただけだ。

 あの、まるでスライムのような粘っこい液状の状態になったとはいえ、死んだら蒸発して跡形もなくなるとか、そううことはないだろう。

 死んだら、死体があるはず。

 それがないということは、彼女はまだ生きている。


「……ゴーレム、戻ってこい」

 そうゾンビが結論づけたのと同じタイミングで、同じ結論に至ったのか、接道は周りを警戒しながらゴーレムに命令をした。

 主人の命令に反応を示したゴーレムは、ひび割れたその場から立ち去ろうとして、体を動かした。

 その時、ゴーレムの腕からへし曲がっていた天使像の首がもげて、軽い音を響かせながら地面を転がった。


 ゴポリ、と。

 水が湧き出る音がした。


 それに機敏に反応したゴーレムが振り返るよりも速く――蜘蛛の巣状に広がっていた亀裂の中に隠れていたドロドロの血液のような『それ』は、ゴーレムに八方から纏わりつくように――喰らいつくように、覆い包みこんだ。

 静寂に満ちた駐車場の中で、空き缶を潰すような音が不規則に響き、その度に朱殷色の『それ』は小さくなっていく。

 そして最終的に、ガラスが割れるような音が『それ』の中から聞こえ、多量のガレキが地面に落ちた。

 ゴーレムを象っていたガレキが、弱点を破壊されて無機質な物体に成り果てた。

「……壊された? 俺の結界が?」

 ほぼ無意識だっただろう。

 ゴーレムの弱点を覆っていた結界が破れたその事実にうちひしがれた接道は、二、三歩後ずさった。

 その時、偶然そこに転がっていた小石を、踵で蹴ってしまった。

 刹那――。

『それ』は接道の方を見た、ような気がした。

「う、おおおおおおおおおおッ!?」

 接道は悲鳴にも似た絶叫をあげながら、懐から札を取りだして投げた。

 札は接道の四面を囲うように、に貼りつき、接道は印を結ぶ。

 直後『それ』は結界に激突した。

 半透明の結界は『それ』を阻み、眩い青白い光が撒き散らかされる。

「はっ、はっ、はっ……っ!」

 結界は『それ』を阻んだ。

 半透明の壁にべたっと張り付ついた『それ』は結界の向こうにいる接道を見ている。

 結界の力で浄化されながらも。

 見ていないけど、見ている。

 目などないけど見ている。

 うじゅる、うじゅると結界の向こうで蠢く『それ』を見て、接道は背筋を凍らせて、息を呑む。

「まるで眼前のフェンスにぶつかるボールだな。届かないと分かっていても、やはりくるものがある――」

 と、接道は呟いてから気づいた。

 札をいつもよりも多めに使って強化した結界に『それ』はまだへばりついている事に。

 浄化されながらも消滅することなく、無理矢理結界をこじ開けようとしている事に。

 じっくりと、ゆっくりと、しかし確実に、結界を破壊しようとしている事に。

「ふざけるなよ、おい……ッ!」

 印を結ぶ接道の腕に力がこもる。

 しかし、その奮闘虚しく、結界は少しずつ、少しずつ、軋む音を地下駐車場に響かせながら、ひび割れていく。

「こ、の……ッ!」

 印を結ぶ接道の手がブルブルと震える。否、全身が震えている。

 ひび割れた頼りない結界の向こうにいる『それ』を接道は睨んで、おもむろに叫んだ。


「化物がああぁぁぁッッッ!!」


 瞬間――結界は、崩壊した。

 脆くもあっさりと崩落した。


 その音を呑み込みながら『それ』は鉄砲水のようになだれこみ、一瞬で接道を呑み込んだ。

 そして。

 そのまま。

 『それ』はゾンビに襲いかかる。

「ああ、なるほど。音に反応しているんだ」

 ゾンビは近くの壁を踵で蹴るのをやめて、濁流のように迫りくる『それ』に対して、逃げようとせずにあろうことか、笑った。

 笑いながら、両腕を開いた。

 受け止めるように、抱きしめるように。

 ドロドロとした粘っこい、朱殷色の『それ』は、流れる方向にあるもの全てを呑み込みながら、ゾンビに襲いかかり、喰らいつく。

 それでもゾンビは笑ったまま両腕を伸ばす。

「お疲れ――『ルーミア』さん」

 朱殷色の濁流が姿を消した。

 ゾンビの胸元に集まるように『それ』は急激に収束する。不規則に形を変えながらも、特定の輪郭を成していく。

 常闇に紛れてしまいそうな真っ黒なフリフリのドレス。

 白磁のような柔肌。

 月夜に映えそうな銀色の髪。

 先ほどの『それ』が彼女なのだと主張するように光るルビーの瞳。

 元の姿に戻ったルーミア・セルヴィアソンは、ゾンビの首に腕をまわして、抱きつくようにして全体重を彼に預けた。

 ゾンビはそれでバランスを崩して尻もちをつく。

「疲れたわ……」

 どうやらあの姿になるのは、かなりの体力を消耗するらしく、ゾンビの肩にあごをのせると、ルーミアは弱々しく呟いて小さく微笑んだ。

「疲れると分かっているのなら、あの姿にならなければよかったのに」

 ここでもう一度労いの言葉をかけるわけでもなく、気になったことをさらっと聞いていく辺り、彼にはまだまだ思慮が足らない。

「さあ、どうしてでしょうね」

 と、ルーミアははぐらかす。

「あの姿じゃないと今の弱体化した自分じゃあ結界を破れる自信がなかったからかもしれないし、あの退魔師にはとことん嫌われたかったからかもしれないし」

「嫌われたかった?」

「あの姿は醜すぎるの。それこそ魅了チャームから覚めちゃうぐらい」

「そうなんだ」

「吸血鬼には定まった形なんてない。不形の異形。その姿が幾重にも重なって混合した姿があれ。何十、何百もある『私』の集合体。まあ、あれが『私』だと思うと、寒気がするけどね」

 ルーミアは吐き捨てるように言った。

 その嫌そうな声色は、本当にあの姿を嫌悪しているようだった。

「それでも、どれだけ嫌いでも、あれも私だし、これも私」

 だけど、とルーミアは続ける。

「殆どの人はそうは思わないし、そもそもあの姿を見ようとすら思わない」

 あなたぐらいよ、あの姿の『私』を『私』だと――ルーミアさんって呼んでくれるのは。

「そうかなあ」

「そうよ」

「そうなんだ」

「そう、だから私はあなたの事を――」

「……ルーミアさん?」

 何かを言おうとしていたルーミアの声が突然途絶えた。

 どうしたのだろうかと、ゾンビは肩に乗ったルーミアの顔を覗き見た。

 ルーミアは。

 すやすやと寝息をたてていた。

 安心しきった表情で、心地良さそうな寝顔で、眠りについていた。

「おやすみ、ルーミアさん」

 眠っているルーミアを抱き寄せながら、ゾンビは優しく呟いた。

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