彼女はぬけぬけとキレイごとを吐く

「ちょっとあなた、止まりなさい」

 背後から声をかけられた女は、足を止めて振り返った。

 そこには一人の男がいた。

 いかにも不健康そうな若白髪の多い男である。

 女は首を傾げる。


「ん、あれ。おかしいな。たしか私は女の子に呼び止められたんだと思ったんだけど。まさかあなた、女の子だったりする?」

 訝しむような目で、女は男の顔をじろじろとみる。

 不審な動き一つでもしようものなら、すぐにでも助けを呼ぶぞ、と言わんばかりだった。

 男は困ったように眉をさげ、クマの目立つ目を細める――困っています。という表情なのに、困っているようには全く思えない。つくり困り顔というか、困り顔の仮面を被っているだけのようだ――自分の足元を指さした。


「した?」

 女は指差されている方を向く――視線を下げる。

 そこには一人の女の子がいた。

  まるでお人形のような、さながらお姫さまのような女の子だ。

 銀色の髪に色白の肌。まつげの長い、にぱっちりとしたルビーの瞳は、不機嫌そうに女を見上げている。


「……むす」

 自分の存在に気づかれなかったのがよっぽど不服だったのか(小さくて視界に入らなかった)、整った可愛らしい顔を崩して、しかめっ面を晒している。

 それでも普通に可愛らしいのは、なんだかズルくはあった。

 頬をふくらませ、腕を組み、地団駄をふむ。全身で不機嫌さをアピールしている女の子は、前髪の合間からじろり、と女を睨んだ。

 そのルビーの瞳で、女の目をみやる。


「えっと、なにか用かな。もしかして迷子? それともお母さんと間違えて話しかけちゃったとか? あなたみたいに可愛い子の母親と間違えられるっていうのはまんざらでもないんだけ――」


「黙って」

 ピシャリ、と。女の子は強く言った。

 まだ年端もいってないような女の子にそんなことを言われるというのは、まあ、特殊な性癖をもっていない限り、気分を害してもおかしくはないのだが、しかし女は、喋っていたセリフを言い切らずに、かなり不自然なところで区切って黙った。


「もう覚えてないわよ。母親の顔なんて」

 女の子――ルーミア・セルヴィアソンはそう呟いてから。


「あなたにはこれから質問に答えてもらう。許可をだすまでは口を開いちゃだめ。いい?」

 ルーミアの命令に、女は頷いて返事をする。


「質問。サヘル――半人半蛇の女子を覚えてる?」

 女は頷く。

 忘れてはいないらしい。

 そこまで腐っていないらしい。

 ルーミアは次の質問をあげる。

 話す許可を与えてから。


「どうしてあなたは、あんなことを、言ったの?」

 あんなこと。

 彼女の姿は醜い。醜くて可哀想なんだと。だから事実を口にだすな。ださずに哀れんであげろ。

 そんなことを、まるで綺麗事であるかのように言った。

 それはどうしてかと、尋ねた。


「それはもちろん」

 果たして――彼女は答えた。

 嘘偽りなく、本音をさらす。


「彼女が『かわいそう』だからです」

「かわいそうだから?」

「はい」

 女は自身の――これといって特徴のない、特筆することもない普通で普通な二本脚を指さす。


「私の脚は二本脚です」

「そうね」

「これが普通です」

「そうね。それが普通」

「ですが彼女の脚は蛇です。普通ではない――だから、かわいそうなんです」

「……」

 彼女の陶酔しきっているような言葉に、ルーミアは言葉を失う。

 単純に気持ち悪かった。

 気味は悪くない。ただひたすらに、気持ち悪い。

 腹の底がむかむかするような気持ち悪さを覚えた。


「それだけじゃない。両腕は魚か蛇のような鱗に覆われている。両目の周りも。目もよく見たら爬虫類のそれのよう。少なくとも人の姿ではない。それはあまりにも哀れで、憐れで、不憫です」

「……」

「彼女が毛布から全身を晒したとき、私は見ていられませんでした。ああ、きっと彼女はこの姿のせいで色々イヤなことにあってきたのだろうと。大変だっただろうなと思いました」

「……」

「そんな彼女が、こんな『見世物小屋』なんかで、自分の姿を笑いのネタにして生活をしているんだと思うと、とてもかわいそうでした。辛くて辛くて辛くて、もし彼女の苦しみを少しでも肩代わりできるというならば、私はいくらでもしてやりたい。そうとまで思いました」


「……」

 ルーミアが言葉を失ってからも、彼女の口は止まらない。

 命令通り、しっかりと自分の気持ちを余すことなく、ルーミアに伝えてくる。

 気分が悪かった。

 吐き気がしそうだった。


「だからこそ、私たちは知るべきなのだと思うのです」

 対して彼女は胸に手を添えながら言う。

 あくまでも、綺麗事を言っているという姿勢を崩さずに。


「彼女のように産まれながらにしてハンデをもっている人がいるということを。彼女のように不憫な子もいるということを。そして、普通が幸せであることを知るべきなのです。私たちはなんて恵まれているのかを、感謝しながら生きるべきなんです」

 本来ならば。

 話を聞き終えたあと、人気のない場所で彼女の血を吸い、その死体を不楽が食し、その場を後にするつもりだった。

 しかしルーミアはそうしようとしなかった。

 これ以上関わりたくなかったのだ。

 この、天然の加害者に。

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